シングルおやじの気ままな一人旅
歩人かっちゃんは今日もどこかの旧街道を歩いてます
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奥州街道を歩く。岩手県分アップしました。
奥州街道後半戦の岩手県分(4月11日~4月17日)をアップしました。
かっちゃん 2008/05/15(木) 21:29
早速読みました。
相変わらずの力作(?)に最敬礼!
歴史の息吹を感じさせてくれました。
「石川啄木」はこんなことでもないと、今の時代に蘇えってきませんので、嬉しくなってきました。
子供のころから啄木の歌を暗記していただけに、感激しました。
長井と啄木の話が出来ようとは、思ってもいませんでした。
渋民村ではなかったのでしょうか?
たしかそのような歌があったように思います。
次も楽しみにしています。
それと、読点がはいり随分読みやすくなりました。
労わりに感謝いたします。
きくちゃん 2008/05/18(日) 16:27
啄木は良く知っていますが、でも実際にこの目で当時のことを見ると、感慨も違ったものになりますね。
肌で感じるということでしょうか。何事もこの感覚が大切なのでしょうね。
読点と段落落ちは今回は注意して書きました。
ただ、力が入ってくるとつい忘れてしまう傾向があります。
また何かあれば指摘してください。
そういえばきくちゃんは新聞学科だったよね。
思い出しました。
かっちゃん 2008/05/18(日) 18:59
渋谷村と渋民村の関係はどうなりましたか?
きくちゃん 2008/05/18(日) 21:20
渋谷ではなくて渋民の間違いでした。
修正をしておきます。
申し訳ない。
かっちゃん 2008/05/18(日) 22:33
子供のころの記憶も案外ばかにできないものですね。
「かにかくも 渋民村はありがたき 思い出の山 思い出の川」とちがいますかね?
きくちゃん 2008/05/19(月) 07:30
良く覚えているね。
さすがにもう記憶にありません。
かっちゃん 2008/05/19(月) 09:41
岩手県分、楽しませていただきました。
事前の準備中、歩いているとき、歩き終えた夜と、それぞれの人との出会いが行間から伝わってきて、そのことにより楽しさが倍増した奥州街道歩きだったことが良く分かります。
17日、仙台でNPO奥州街道会議の理事会・総会が開催され、関係者が集まりました。総会終了後の懇親会では、永井さんと三好さんのことが話題の中心。青森の田中さんからも、いろいろ楽しい話を聞かせていただきました。
今回アップした岩手バージョン、特に盛岡から北の部分を読んで痛感しましたが、やはり街道には案内標識が必要ですね。お二人から提案があったように、ほんの小さなものでいいので「奥州街道はこっち」ということが分かる標識を、福島から青森の三厩まで取り付けることを検討します。
おそらく数百枚の設置が必要でしょうが、制作費用や取付け方法など前向きに検討します。
長井さんのお話では四国のお遍路の道にはそのような案内があるそうですね。今度現地視察でもして来ます。
今回のお二人の奥州街道歩きは、我々にもさまざまな課題を投げかけてくださいました。ある意味”大いなる実験”だったと思っています。
この課題を解決してゆくことが、奥州街道を歩く人たちへの最大の”おもてなし”であり、奥州街道理解への道ではないかと思えてきました。
今、スペインの巡礼の道である「サンチアゴ・デ・コンポステーラ」の本を読んでいます。全長900キロの野を越え、山を越え、中世の歴史ある街を歩くルートですが、要所要所にはシンボルであるホタテ貝と黄色の矢印がマーキングされ、旅人をいざなっているようです。
こんなルートも参考にしながら、歩ける奥州街道づくりに励んで行きたいものです。
abu 2008/05/19(月) 11:44
先ほど送ったコメント6行目、長井さんが永井さんになっていました。失礼。
abu 2008/05/19(月) 11:48
道路標識の件、ぜひご検討をいただければと思います。
見知らぬ土地を歩く人間にとって、何よりの助っ人になると思います。
そしてそのことが奥州街道は昔の道を歩きやすい、昔の雰囲気に触れることができるという評価に繋がればいいですね。
四国はその点、とてもよく整備されていると思いました。
標識設置は個人の方が始められ、その後ボランティアの方が協力をされているようで、遍路道の草刈も行っているようです。歩く際、とても助かりました。
スペインの巡礼の道は学生時代の友人が歩いたそうです。
先日のクラブのOB会でそのとき撮った写真を持ってきていました。
色々と面白いですね。
かっちゃん 2008/05/19(月) 12:09
実はスペインの巡礼の道に行きたくて、いろいろ本やDVDを見たりしています。ただ歩くだけでなく、毎晩バルでビールやワインを楽しみ、タパスに舌鼓を打てたらこの上ない幸せです。自転車でもいいかななどと考えています。
数年前にアイルランドのパブめぐりを、2年間で20日間ほどしました。レンタカーを使っての旅でしたが、40軒くらいのパブを回り、体が黒くなるほどギネスを飲んできました。
そのとき、道端やパブで受けた、外国から来た旅人に対する温かい思いやりが忘れられません。旅の醍醐味は景色もいいけど、人とのふれあいが最高だと痛感したものです。
abu 2008/05/19(月) 18:24
私のその友人は今、ニュージーランドに住んでいます。
スペインにはフラメンコを習いに行ったりもしていますよ。
若い頃は世界中をヒッピーで回ったりして、ちょっと私にはまねのできないような人生を送っていますが、かなりすごい人間です。
私は国内派ですね。
実際歩いてみて思うのですが、国内でも知らない土地ばかりです。もっと色々な場所に行ってみたいと思っています。
街道歩きの先は長いです。
かっちゃん 2008/05/19(月) 19:01
奥州街道を歩く (岩手)拝見しました。
体力的にきつい中で詳細に調べてあり感心しました。
地元でも知らないことも多く、写真など参考になります。
私の知らない奥州街道(青森)も期待しています。
盛岡 星川 2008/05/20(火) 17:16
星川様
その節はお世話になりました。
おかげさまで無事歩き通すことができました。
青森は今、作成していますが、もう少し時間がかかりそうです。
なんとかご期待に沿える内容にしたいと思っています。
もう一息、頑張ります。
かっちゃん 2008/05/20(火) 19:09
以前も投稿させていただいた奈良の大仏と申します。
いつも楽しく拝見させていただいております。
実はひとつ教えて頂きたいことがあるのですが・・・。
道中記の中、奥州街道 岩手県のところで沼宮内の北、尾呂部で
「盛岡から9番目の一里塚がある。お地蔵様と供養塔が立っていた。
道路の温度表示は6℃になっていた。これぐらいの気温が歩く上では最適だと思う。天気はいいし気持ちがいい。」とあります。
私もこの場所に行ってみて場所は見てきました。そこで、これが一里塚ということをどなたかから聞いたか、出典などが分かれば教えて頂ければ幸いです。私は奥州街道の一里塚を探索していますが、この場所はこのHPで初めて知ったものですから・・・。
少し前の事と思いますが、ご教示頂ければ幸いです。
奈良の大仏 2009/03/18(水) 00:28
大分前のことで記憶が定かではありませんので、調べてご報告させていただきます。
少しお時間をいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
かっちゃん 2009/03/18(水) 11:25
奈良の大仏様
当時の資料を出して見てみました。
と同時にあの日の記憶を呼び起こしたのですが、当日は上山様といわれる学校の先生をされておられた方にご案内をしていただきましたので、あの部分は上山様に教えていただいたようです。
それと、この旅の時に、HPにも書き込みをしていただいていました星川様からも資料を提供していただきました。星川様は奈良の大仏様と同じように岩手県内の一里塚を調べられておられる方で、その資料には一里塚として上田・小野松・笹平・柏木平・渋民・新塚・二ツ森・芦田内・新町・水堀・馬羽松・旧中山・・・となっていました。このうち私のHPでは具体的な名前として「新町」と「水堀」が出てきていません。ご指摘を頂いた一里塚はこの二つのいずれかではないでしょうか。
あいまいな回答になってしまい、申し訳ございませんが、よろしくお願い申し上げます。
かっちゃん 2009/03/18(水) 16:38
以前の事を調べて頂き申し訳ありません。
新町は沼宮内新町で、水堀はやはり尾呂部に水堀の地名がありますのでやはり写真のところのようです。
私は一里塚という「点」で探索しているため、目印のないこの塚はさらに掘り下げて調査を進めたいと考えていますが、今回のご返答は大変参考になります。有難うございました。
奈良の大仏 2009/03/19(木) 23:00
奈良の大仏様。
今回の回答で参考になれば幸いです。
私は特定の場所を掘り下げて調査しているわけではありませんので、それぞれの土地の知識は余りありません。ただ一応事前に資料等で調査をして歩いていますので、もし、また何か疑問に思われることがございましたら、ご指摘いただければと思います。
これからも宜しくお願い申し上げます。
かっちゃん 2009/03/19(木) 23:13
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相変わらずの力作(?)に最敬礼!
歴史の息吹を感じさせてくれました。
「石川啄木」はこんなことでもないと、今の時代に蘇えってきませんので、嬉しくなってきました。
子供のころから啄木の歌を暗記していただけに、感激しました。
長井と啄木の話が出来ようとは、思ってもいませんでした。
渋民村ではなかったのでしょうか?
たしかそのような歌があったように思います。
次も楽しみにしています。
それと、読点がはいり随分読みやすくなりました。
労わりに感謝いたします。
肌で感じるということでしょうか。何事もこの感覚が大切なのでしょうね。
読点と段落落ちは今回は注意して書きました。
ただ、力が入ってくるとつい忘れてしまう傾向があります。
また何かあれば指摘してください。
そういえばきくちゃんは新聞学科だったよね。
思い出しました。
修正をしておきます。
申し訳ない。
「かにかくも 渋民村はありがたき 思い出の山 思い出の川」とちがいますかね?
さすがにもう記憶にありません。
事前の準備中、歩いているとき、歩き終えた夜と、それぞれの人との出会いが行間から伝わってきて、そのことにより楽しさが倍増した奥州街道歩きだったことが良く分かります。
17日、仙台でNPO奥州街道会議の理事会・総会が開催され、関係者が集まりました。総会終了後の懇親会では、永井さんと三好さんのことが話題の中心。青森の田中さんからも、いろいろ楽しい話を聞かせていただきました。
今回アップした岩手バージョン、特に盛岡から北の部分を読んで痛感しましたが、やはり街道には案内標識が必要ですね。お二人から提案があったように、ほんの小さなものでいいので「奥州街道はこっち」ということが分かる標識を、福島から青森の三厩まで取り付けることを検討します。
おそらく数百枚の設置が必要でしょうが、制作費用や取付け方法など前向きに検討します。
長井さんのお話では四国のお遍路の道にはそのような案内があるそうですね。今度現地視察でもして来ます。
今回のお二人の奥州街道歩きは、我々にもさまざまな課題を投げかけてくださいました。ある意味”大いなる実験”だったと思っています。
この課題を解決してゆくことが、奥州街道を歩く人たちへの最大の”おもてなし”であり、奥州街道理解への道ではないかと思えてきました。
今、スペインの巡礼の道である「サンチアゴ・デ・コンポステーラ」の本を読んでいます。全長900キロの野を越え、山を越え、中世の歴史ある街を歩くルートですが、要所要所にはシンボルであるホタテ貝と黄色の矢印がマーキングされ、旅人をいざなっているようです。
こんなルートも参考にしながら、歩ける奥州街道づくりに励んで行きたいものです。
見知らぬ土地を歩く人間にとって、何よりの助っ人になると思います。
そしてそのことが奥州街道は昔の道を歩きやすい、昔の雰囲気に触れることができるという評価に繋がればいいですね。
四国はその点、とてもよく整備されていると思いました。
標識設置は個人の方が始められ、その後ボランティアの方が協力をされているようで、遍路道の草刈も行っているようです。歩く際、とても助かりました。
スペインの巡礼の道は学生時代の友人が歩いたそうです。
先日のクラブのOB会でそのとき撮った写真を持ってきていました。
色々と面白いですね。
数年前にアイルランドのパブめぐりを、2年間で20日間ほどしました。レンタカーを使っての旅でしたが、40軒くらいのパブを回り、体が黒くなるほどギネスを飲んできました。
そのとき、道端やパブで受けた、外国から来た旅人に対する温かい思いやりが忘れられません。旅の醍醐味は景色もいいけど、人とのふれあいが最高だと痛感したものです。
スペインにはフラメンコを習いに行ったりもしていますよ。
若い頃は世界中をヒッピーで回ったりして、ちょっと私にはまねのできないような人生を送っていますが、かなりすごい人間です。
私は国内派ですね。
実際歩いてみて思うのですが、国内でも知らない土地ばかりです。もっと色々な場所に行ってみたいと思っています。
街道歩きの先は長いです。
体力的にきつい中で詳細に調べてあり感心しました。
地元でも知らないことも多く、写真など参考になります。
私の知らない奥州街道(青森)も期待しています。
その節はお世話になりました。
おかげさまで無事歩き通すことができました。
青森は今、作成していますが、もう少し時間がかかりそうです。
なんとかご期待に沿える内容にしたいと思っています。
もう一息、頑張ります。
いつも楽しく拝見させていただいております。
実はひとつ教えて頂きたいことがあるのですが・・・。
道中記の中、奥州街道 岩手県のところで沼宮内の北、尾呂部で
「盛岡から9番目の一里塚がある。お地蔵様と供養塔が立っていた。
道路の温度表示は6℃になっていた。これぐらいの気温が歩く上では最適だと思う。天気はいいし気持ちがいい。」とあります。
私もこの場所に行ってみて場所は見てきました。そこで、これが一里塚ということをどなたかから聞いたか、出典などが分かれば教えて頂ければ幸いです。私は奥州街道の一里塚を探索していますが、この場所はこのHPで初めて知ったものですから・・・。
少し前の事と思いますが、ご教示頂ければ幸いです。
少しお時間をいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
当時の資料を出して見てみました。
と同時にあの日の記憶を呼び起こしたのですが、当日は上山様といわれる学校の先生をされておられた方にご案内をしていただきましたので、あの部分は上山様に教えていただいたようです。
それと、この旅の時に、HPにも書き込みをしていただいていました星川様からも資料を提供していただきました。星川様は奈良の大仏様と同じように岩手県内の一里塚を調べられておられる方で、その資料には一里塚として上田・小野松・笹平・柏木平・渋民・新塚・二ツ森・芦田内・新町・水堀・馬羽松・旧中山・・・となっていました。このうち私のHPでは具体的な名前として「新町」と「水堀」が出てきていません。ご指摘を頂いた一里塚はこの二つのいずれかではないでしょうか。
あいまいな回答になってしまい、申し訳ございませんが、よろしくお願い申し上げます。
新町は沼宮内新町で、水堀はやはり尾呂部に水堀の地名がありますのでやはり写真のところのようです。
私は一里塚という「点」で探索しているため、目印のないこの塚はさらに掘り下げて調査を進めたいと考えていますが、今回のご返答は大変参考になります。有難うございました。
今回の回答で参考になれば幸いです。
私は特定の場所を掘り下げて調査しているわけではありませんので、それぞれの土地の知識は余りありません。ただ一応事前に資料等で調査をして歩いていますので、もし、また何か疑問に思われることがございましたら、ご指摘いただければと思います。
これからも宜しくお願い申し上げます。