堺から長尾神社へ至るこの街道はほぼ一直線に伸びており、またそのほとんどが現在の市街地を通っていることから歩きやすい街道でした。今年の初めに痛めた足の回復具合を確認するには、ちょうどいい街道だったと思います。
ただ、久しぶりに歩いたことと、昼間はまだ暑かったため、短い距離だったにもかかわらず、かなり疲れました。
シングルおやじの気ままな一人旅
歩人かっちゃんは今日もどこかの旧街道を歩いてます
新しい街道歩きの報告を、楽しみにしています。
わたしは、かっちゃんさんの記事を頼りに、2011年7月小郡から津和野をめざして山陰道を歩き始め、今年7月16日京都五条に到達しました。
先週末は、小郡から西を目指し下関の永福寺まで到達、2004年から始めた旧街道歩きで本州を竜飛岬から永福寺まで歩き通すことができました。そのまま、門司往還を歩き始めています。これから、長崎街道に続ける予定ですので、引続き参考にさせていただくつもりです。
書き込みありがとうございます。
2004年から街道歩きを始められたとのことですので、
私よりだいぶ先輩ですね。
これからもよろしくお願いいたします。
竜飛岬から永福寺まで踏破されたとのこと。
おめでとうございます。
色々と困難なこともあったことだと思いますが、
過ぎてしまえば、それも楽しい思い出ですよね。
次は九州、日本縦断ももうすぐですね。
そんな中で、私の記事が少しでも参考になれば
とてもうれしいことです。
お互い、これからも元気に街道歩きを楽しみたいものですね。
2010年唐津街道から街道歩きを始め2011年長崎街道そして
2012年12月より山陽道を下関から歩きはじめ現在尾道まで到着しました。
今年中には岡山県まで入り来年末に西宮~京都・東寺を目指したいと思っています。
山陽道は、資料が少なく、かっちゃんさんのブログが大変役立っています。
有難うございます。
3連休などの休みを利用し最初は青春18きっぷで歩いていましたが、
福岡から離れていくに従いこれではダメだと思って今はJRの「とくとく西日本」とかもう終了しましたが「広島とくとくきっぷ」などを使っています。
今までの行程を個人ブログにアップしています。
こちらです。若しよろしければご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/yokkun1949
こちらこそ御無沙汰いたしております。
その後も元気に街道歩きをされておられるご様子。
何よりのことだと思います。
山陽道は確かに資料が少ないですよね。
特に広島県と京都府は歴史の道調査報告書がないので、
道を調べるのに苦労したことを覚えています。
私の記事が少しでもお役に立つのであれば、幸いです。
尾道まで歩かれたのであれば、これから後半戦ですね。
頑張って無事京都にゴールされることを
お祈りいたしております。
ブログ拝見いたしましたが、山陽道だけでなく、
随分色々なところを歩かれているのですね。
これからは歩きやすい季節になりますので、
頑張ってくださいね。
熊本から日田に行くのに、豊前街道.筑後街道を行くのと日田街道を行くのと、どっちが楽か。日田街道は700m近くの峠があります。
どう見ても豊後街道のほうが、距離は長くても楽なような気がします。街道筋も見るものが多いようで、楽しそう。
それとも700mぐらい越えるのはなんでもないことなのでしょうか?
必ずしも低い所を通らないのは、それなりの理由もあるのでしょうね。
蟻がベストの道を見つけるように、人も、見つけて、歩き、残したんだって、地図をたどるたび感心します。
日田へ向かう日田街道は福岡から日田へ、中津から日田へ、そして熊本から日田へといろいろとあったようですね。
日田はそれだけ九州の中心地だったということでしょうね。
私はこのうち、中津から日田へ向かう道のみを歩きました。
APUの准教授が調べられた道をみんなで歩きましたが、
道なき道を歩く場所がかなりあり、
一人で歩くのは厳しいなという感じを持ちました。
700mの峠、厳しいかどうかは道によると思います。
私がこれまで越えた峠で最も高い峠は中山道の和田峠、1500mほどでしたが、それほどきつくは感じませんでした。
地図を見ながら色々なことを想像することは楽しいですよね。
wikiによると昔の人は犬鳴村から久山に出る犬鳴峠を嫌って
犬鳴村の人は、北に迂回して薦野峠から古賀へ、
宮若市の人も、南へ迂回して猫峠から篠栗に、出たそうです。
峠の高さは犬鳴より高いのに、よほどの悪路だったんでしょうね。
郷里の近所話ですみません。
それにしても1500mは凄すぎます。
昔は現在のようなしっかりとした道ではなかった場所が
数多く存在していたと思われますので、
それこそ生活の知恵で少しでも歩きやすい場所、
負担の少ない道を歩いたのでしょうね。
街道を歩いていて思うのですが、こんな山の中をよく歩いたものだ
というような場所があります。
必要に迫られてということもあるのでしょうが、
それにしても昔の人はすごかった!と思うことが多々あります。
旧街道歩きといっても、現在の歩きは昔に比べれば
随分楽な歩きなのでしょうね。
大名やお姫様が通った道、それも江戸関西を結ぶ街道っていうのはよく整備されてるって、感心しました。
道一本で流通が盛んになって、沿線が潤うんですね。
峠を越せば、川もこさなくていいというところもいいんでしょうね。
和田峠ですが、草がはえていなくて、ちょうど削った感じですね。
私が通った時はものすごい風が吹いていましたが、おそらく日頃も風が強いので、草がはえないのではないかと思いました。
中山道は皇女和宮が通った道で、和宮の一行のためにわざわざ迂回路を作っていて、和宮道と呼ばれる場所がありました。
もっとも、私は和宮道ではなく、本来の道を歩きましたが、急坂を下り、その先で、再び急坂を登る厳しい道でした。これでは迂回路を作るはずだと思ったものです。
ここなんですけど、坂本~軽井沢間の地図が違うみたい?
旧中山道ですよね。ストリートビューは入れないけど、要所の写真の様子はそうみえますが。
上から写真で見ても全然わからないので、もう無くなってしまったのかと思いました。超えられた峠も旧碓氷峠のようだし。
でも軽井沢って、山々の峰をごっそりぶった切って台地にしたんですね。
分水嶺の西は、信濃川の源流でしょう?信州の人反対しなかったのかな?
そんな時代でもないし、歓迎したのかな?
それはともかく軽井沢にはあまり興味をお示しにならないとこは、硬派体育会系。
ご指摘の通りで、地図が実際歩いた場所と違っています。
実は四国遍路から始まって東海道、中山道、甲州街道を歩いた時まではまだGPSを持って歩いておらず、日光街道を歩く時に初めて利用するようになりました。
以後は歩く際は必ずGPSを持って歩いていますので、実際に歩いた痕跡を表示できているのですが、持って歩いていなかった当初の三街道は後から地図を作成したものです。
従ってご指摘の通り、旧道の山の中の道など、地図に記載されていない道は地図を作りようがなかったので、ある程度端折った地図になっています。
従いましてこれらの街道を参考にされるときは、文章をメインにしていただきたいと思っていますので、ご了承いただきたいと思います。
軽井沢はいいところなのでしょうが、ーー実際結婚式で行ったときはとてもいいところだとは思ったのですが、ーー歩いているときはそんな感傷に浸る余裕がありませんでしたし、これもまたご指摘の通り、もともとファッションとかいうものには無縁というか、無関心な無骨者なので、さっさと通り過ぎてしまいました。
1/4500の地図を引っ張り出して格闘すること3日間。
かろうじてルートはつかめたものの、それをGoogle mapに転載するのは無理でした。
腰も目もボロボロ。
それがGPS?でワンタッチとか。ついてけません。
街道は尾根をつたうって以前ブラタモリで聞いたけど、まさかこんな山岳地帯まで尾根伝いとか思ってませんでした。和宮道の話、興味深かったです。
新しい道は尾根伝いではなく中腹を縫って行くようですが、こちらは工事が大変だったでしょうね。
中山道の地図でご指摘を受け、改めてGPSを使わなかった東海道、中山道、甲州街道の地図を見直してみました。
そうすると、かなりまずい場所が見つかったりして、急きょ修正を加え始めています。
最初のころはよくわかっていなくて作成しており、その地図の見直しをしないまま、先へ先へと進んでしまっていましたので、今回のご指摘はとてもありがたかったです。
現在まず東海道の修正を行っていて、今日明日中にはなんとか終えることができそうです。
その後中山道、甲州街道の修正に移っていこうと思っています。
それ以降の街道に関してはGPSを利用していますので、大丈夫です。
GPSは本当に助かります。
「鋳掛地蔵」に親しみって、もしかして八幡製鉄にご勤務でしたか?
熊野古道はどこも本当に山の中の道でした。
アップダウンが激しくて、最後には腰を痛めてしまって、残り一日でいったん撤収をしてしまいました。幸い全行程を歩くことができたので、ホッとしたことを覚えています。
八幡製鉄は我が家からさほど離れていませんが、勤務はしていません。
あのような巨大な組織は性格的に苦手です。
先日四国遍路へ二度目の挑戦をはじめまして、徳島県、発心の道場を歩いてきました。現在HPの作成中です。
幸い心配だった足の故障も特に影響なく歩くことができてよかったと思っています。