2007年05月17日(木)
御代田~小田井~岩村田~塩名田~八幡~望月~芦田~長久保
雨
7時40分に出発するが雨が降ってる。今回の旅ではじめての雨だ。ただそれほどひどい降りではない。
8時12分小田井宿本陣跡を通る。
追分宿から1時間26分、8997歩。
ここは昔の風情が残ってる。本陣の安川家は江戸後期の建築ということだ。
しばらく歩いていくと「住吉神社」がある。ここに樫の巨木が立っているが反対側に回ってみると焼けていて中は空洞になっている。いたずらで焼かれたそうだが、それにしてもこんな状態になってもまだ葉を繁らせている生命力には驚くばかりである。
「龍運寺」がある。ここは昭和6年に境内で武田信玄の遺骨が発見され霊廟に安置されている。
岩村田宿は本陣、脇本陣というものはなく旅籠があっただけということなので、測定場所を138号線から曲がった信号相生町のところにした。
9時24分に通る。
小田井宿から1時間12分。7307歩。
ここはかなり繁華な町で商店街が続いている。
「相生松」がある。男松、女松が一緒に生えて双幹になっていて天然記念物になっているのだが、現在の松は三代目ということまだ幹は小さい。三代目というが双幹になっている松はそんなに簡単に見つかるものだろうか?と素人考えで思った。
このあたりからしばらくは高原台地を行く。右側には浅間山の裾野が広がっているのが見えるが、あいにくの天気で山はほとんど隠れている。天気が良かったらいい眺めだっただろうとちょっと残念だ。
右手に「駒形神社」がある。古い神社で創設は明らかではないが、現在の社は文明18年(1486年)に再建された記録が残っているということで国の重要文化財指定がなされている。ここで休憩を取る。ヒンヤリした冷気が気持ちいい。
10時55分塩名田宿本陣跡を通る。
岩村田宿から1時間31分、8231歩。
大きな造りの家だ。
千曲川を渡る。右手にはここでも浅間山が霞んで見える。
島崎藤村の千曲川旅情の歌が浮かんできて口ずさむ。
「小諸なる古城のほとり. 雲白く遊子悲しむ・・・」
「千曲川いざよふ波の岸近き宿にのぼりつ・・・」
こうやって現地で改めて口ずさんでみるとなんともいえぬ実感がわいていてくる。思えば遠くへきたもんだ。
八幡宿のすぐ手前に「八幡神社」がある。高良社本殿は延徳3年(1491年)に建立されており、ここも重要文化財に指定されている。古い歴史のある社が続く。このころはまだ中山道として制定されたわけではないが、当時からそれなりの賑わいがあったのだろう。
11時40分八幡宿本陣跡を通る。
塩名田宿から45分、4376歩。
このあたりから雨足が相当に激しくなってきたこともあり、道路沿いのドライブインで昼食にする。
百沢橋を渡り布施温泉入り口の信号を渡ってすぐのところに「仲仙道」という元禄の道標がある。ここから右手の草道を上がらなければいけないのについうっかりそのまま直進してしまった。しばらく歩いてどうも様子がおかしいと気づき、後戻り。いつものことだが一度歩いた道を戻ることほどいやなことはない。
間違えた道を20分歩くとどこで間違えたかを調べながら戻るので元の場所に戻るまで一時間近くのロスになってしまう。
ようやく道標まで戻ってやり直しをしたが、今度は瓜生坂を越えるところでもマゴマゴしてしまった。どうにも地図を読むことがへたくそだ。というか基本的にオッチョコチョイなのだと自覚している。
なんとか瓜生坂の頂上まで来ると、そこからは望月宿を望むことができる。こうしてようやく望月宿にたどり着いた。
13時39分望月本陣跡を通る。
大森小児科医院の看板の横に御本陣の看板がでている。新旧の名称を書いた看板が二つ並んでいるのを見るとなんとなく面白い。
八幡宿から1時間59分、9668歩。
地図上ではわずか3.7kmの距離なのにこんなに時間を食ってしまった。望月民族資料館があったのでちょっと覗いてみたが、入館はしなかった。
望月宿をでて青木坂を上ってしばらく歩くと武重酒造、大沢酒造という二軒の酒造会社が並んでいる。どちらも歴史を感じさせる建物で酒林といわれる毬形の杉の葉で作られたものが下がっていた。
武重酒造は国登録有形文化財に指定されており、また大沢酒造では民族資料館があって利き酒をさせてくれるそうだが、ここに来るまでに大分時間を無駄にしていたこともあって中に入らず通り過ぎる。
このあたりは左手に用水が流れており、いかにも昔の宿場という雰囲気が満ち溢れていてとてもよかった。
14時53分芦田本陣跡を通る。
望月宿から1時間14分、7869歩。
ここでしばらく小康状態だった雨が再び激しく降り出してきた。
「笠取峠の松並木」を通る。この松並木は天然記念物に指定されている。ここは慶長7年(1602年)に植えられた松並木で当初は713本植えられたそうだが現在は110本が残っている。国道の横に石畳の道が作られており雨の中ではあるが歩きやすい。
松並木が途絶え登りきったところが標高887mの笠松峠だ。
前方に明日挑戦する難所和田峠が見えてくる。かなり高く険しそうだ。明日は雨が止むことを祈りながら歩く。ここから道を下っていくと右手に松尾神社があり、長久保宿に入っていく。
]16時28分長久保宿本陣跡を通る。
芦田宿から1時間35分、9371歩。
この建物は旧中山道中最古のものということだ。
本陣跡からすぐ近くに今日の宿はあった。16時32分に到着する。宿では女性二人と一緒になる。夕食のとき「歩いているのですか」と話しかけられたことから話が弾む。
お二人とも京都の方で、何回かに分けて東海道はすでに歩き、今は中山道に挑戦しているということだった。お二人は私のように街道を歩いている人とは初めて出会ったといわれていた。しばらくしてお年を聞いて驚いた。
なんと72歳と65歳!外見も雰囲気もとても若く見える。そのお元気さはすばらしい!の一言だった。
本日の歩行時間 8時間52分
本日の歩数&距離 50125歩(約34.1km)
7時40分に出発するが雨が降ってる。今回の旅ではじめての雨だ。ただそれほどひどい降りではない。
8時12分小田井宿本陣跡を通る。
追分宿から1時間26分、8997歩。
ここは昔の風情が残ってる。本陣の安川家は江戸後期の建築ということだ。
しばらく歩いていくと「住吉神社」がある。ここに樫の巨木が立っているが反対側に回ってみると焼けていて中は空洞になっている。いたずらで焼かれたそうだが、それにしてもこんな状態になってもまだ葉を繁らせている生命力には驚くばかりである。
「龍運寺」がある。ここは昭和6年に境内で武田信玄の遺骨が発見され霊廟に安置されている。
岩村田宿は本陣、脇本陣というものはなく旅籠があっただけということなので、測定場所を138号線から曲がった信号相生町のところにした。
9時24分に通る。
小田井宿から1時間12分。7307歩。
ここはかなり繁華な町で商店街が続いている。
「相生松」がある。男松、女松が一緒に生えて双幹になっていて天然記念物になっているのだが、現在の松は三代目ということまだ幹は小さい。三代目というが双幹になっている松はそんなに簡単に見つかるものだろうか?と素人考えで思った。
このあたりからしばらくは高原台地を行く。右側には浅間山の裾野が広がっているのが見えるが、あいにくの天気で山はほとんど隠れている。天気が良かったらいい眺めだっただろうとちょっと残念だ。
右手に「駒形神社」がある。古い神社で創設は明らかではないが、現在の社は文明18年(1486年)に再建された記録が残っているということで国の重要文化財指定がなされている。ここで休憩を取る。ヒンヤリした冷気が気持ちいい。
10時55分塩名田宿本陣跡を通る。
岩村田宿から1時間31分、8231歩。
大きな造りの家だ。
千曲川を渡る。右手にはここでも浅間山が霞んで見える。
島崎藤村の千曲川旅情の歌が浮かんできて口ずさむ。
「小諸なる古城のほとり. 雲白く遊子悲しむ・・・」
「千曲川いざよふ波の岸近き宿にのぼりつ・・・」
こうやって現地で改めて口ずさんでみるとなんともいえぬ実感がわいていてくる。思えば遠くへきたもんだ。
八幡宿のすぐ手前に「八幡神社」がある。高良社本殿は延徳3年(1491年)に建立されており、ここも重要文化財に指定されている。古い歴史のある社が続く。このころはまだ中山道として制定されたわけではないが、当時からそれなりの賑わいがあったのだろう。
11時40分八幡宿本陣跡を通る。
塩名田宿から45分、4376歩。
このあたりから雨足が相当に激しくなってきたこともあり、道路沿いのドライブインで昼食にする。
百沢橋を渡り布施温泉入り口の信号を渡ってすぐのところに「仲仙道」という元禄の道標がある。ここから右手の草道を上がらなければいけないのについうっかりそのまま直進してしまった。しばらく歩いてどうも様子がおかしいと気づき、後戻り。いつものことだが一度歩いた道を戻ることほどいやなことはない。
間違えた道を20分歩くとどこで間違えたかを調べながら戻るので元の場所に戻るまで一時間近くのロスになってしまう。
ようやく道標まで戻ってやり直しをしたが、今度は瓜生坂を越えるところでもマゴマゴしてしまった。どうにも地図を読むことがへたくそだ。というか基本的にオッチョコチョイなのだと自覚している。
なんとか瓜生坂の頂上まで来ると、そこからは望月宿を望むことができる。こうしてようやく望月宿にたどり着いた。
13時39分望月本陣跡を通る。
大森小児科医院の看板の横に御本陣の看板がでている。新旧の名称を書いた看板が二つ並んでいるのを見るとなんとなく面白い。
八幡宿から1時間59分、9668歩。
地図上ではわずか3.7kmの距離なのにこんなに時間を食ってしまった。望月民族資料館があったのでちょっと覗いてみたが、入館はしなかった。
望月宿をでて青木坂を上ってしばらく歩くと武重酒造、大沢酒造という二軒の酒造会社が並んでいる。どちらも歴史を感じさせる建物で酒林といわれる毬形の杉の葉で作られたものが下がっていた。
武重酒造は国登録有形文化財に指定されており、また大沢酒造では民族資料館があって利き酒をさせてくれるそうだが、ここに来るまでに大分時間を無駄にしていたこともあって中に入らず通り過ぎる。
このあたりは左手に用水が流れており、いかにも昔の宿場という雰囲気が満ち溢れていてとてもよかった。
14時53分芦田本陣跡を通る。
望月宿から1時間14分、7869歩。
ここでしばらく小康状態だった雨が再び激しく降り出してきた。
「笠取峠の松並木」を通る。この松並木は天然記念物に指定されている。ここは慶長7年(1602年)に植えられた松並木で当初は713本植えられたそうだが現在は110本が残っている。国道の横に石畳の道が作られており雨の中ではあるが歩きやすい。
松並木が途絶え登りきったところが標高887mの笠松峠だ。
前方に明日挑戦する難所和田峠が見えてくる。かなり高く険しそうだ。明日は雨が止むことを祈りながら歩く。ここから道を下っていくと右手に松尾神社があり、長久保宿に入っていく。
]16時28分長久保宿本陣跡を通る。
芦田宿から1時間35分、9371歩。
この建物は旧中山道中最古のものということだ。
本陣跡からすぐ近くに今日の宿はあった。16時32分に到着する。宿では女性二人と一緒になる。夕食のとき「歩いているのですか」と話しかけられたことから話が弾む。
お二人とも京都の方で、何回かに分けて東海道はすでに歩き、今は中山道に挑戦しているということだった。お二人は私のように街道を歩いている人とは初めて出会ったといわれていた。しばらくしてお年を聞いて驚いた。
なんと72歳と65歳!外見も雰囲気もとても若く見える。そのお元気さはすばらしい!の一言だった。
本日の歩行時間 8時間52分
本日の歩数&距離 50125歩(約34.1km)
旅の地図
記録
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2007年05月11日(金)
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2007年05月12日(土)
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2007年05月13日(日)
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2007年05月14日(月)
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2007年05月15日(火)
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2007年05月16日(水)
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2007年05月17日(木)
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2007年05月18日(金)
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2007年05月19日(土)
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2007年05月21日(月)
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2007年05月23日(水)
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2007年05月27日(日)
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2007年05月29日(火)
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2007年05月30日(水)
プロフィール
歩人
かっちゃん