2007年05月12日(土)
浦和 ~ 大宮 ~ 上尾 ~ 桶川 ~ 鴻ノ巣
晴れ
昨日一緒に帰った社員が今朝浦和宿まで送ってくれるということで、ホテルに奥さんと一緒に迎えに来てくれた。奥さんも元社員で結婚を機に退職をしたが、あれから12年が経過している。社員旅行で何度か顔を合わせたこともあったが、以前とあまり変わっていない感じで懐かしい。
9時15分浦和宿に着き出発する。しばらく行くと左手に廓信寺がある。さつまいも「紅赤」の発祥地との説明書きがあり、入り口に阿形、吽形の金剛力士像がある。本堂には鎌倉期の木造阿弥陀如来坐像があるということだったが、見ることはできなかった。
さいたま都心駅の近くまでくると、氷川神社の参道となる並木が道の両側に立っている。「赤い一の鳥居」から三の鳥居までの間は約2kmあり、その間に欅が680本植えられている。
気持ちのいい参道だ。大宮宿はこの氷川神社の門前町として発達した宿場ということだ。
10時39分大宮宿を通る。
浦和宿から1時間24分、8655歩。
紀州鷹場本陣跡は現在の高島屋の建っているところだそうだが、痕跡は何も残っていない。
わが社の開発センターはこのすぐ近くだが今日は立ち寄らず先を急ぐ。途中信号の向こう側に自転車に乗った入社3年目の若手がいた。「オ~イ」と声をかけると、気がついたらしく信号を無視してこちら側に来ようとしたので押し留める。今日は土曜日なんだと気がつく。
東武野田線のガードをくぐって少し行くと「東大成の庚申塔」がある。元禄10年(1697年)の作で青面金剛像二鶏三猿が陽刻されていた。
12時43分上尾宿を通る。
大宮宿から2時間4分、11636歩。
このあたりも本陣跡がわからないので「氷川鍬神社」でカウントする。
駅の近くの食堂に入り昼食を食べる。
14時丁度に桶川宿を通る。
上尾宿から1時間17分、5524歩。
ここには宿場の案内所があったので、本陣跡がどこか聞いてみると府川本陣跡は個人の家になっており、中を見ることができないとのこと。庭の中に「明治天皇行在所」の碑もあるということだった。道路から本陣跡の家の写真を撮る。一里塚もあったようだが現在は残っていなかった。
「浄念寺」は元禄14年(1701年)に再建されたということで、口を開けている阿形、閉じている吽形の仁王像が左右に立っている。
しばらく歩いていくと北本宿の碑が立っている。当時からここには宿や店はなく、旅の休憩地という感じのところだったと説明されていた。
16時27分鴻ノ巣宿に着く。
桶川宿から2時間27分、13314歩。
鴻巣市に入ると急に人形屋が目につきだした。町名にも人形という言葉が使われている。鴻巣は人形の産地なのだ。この起源は天正年間(1624年~1644年)に京都伏見の人形師がここに住み着いたことから始まるそうだ。
勝願寺が左手にあった。ここは徳川家康が帰依し「葵の紋瓦」を使うことが許されたお寺ということだ。
鴻ノ巣宿も本陣跡がわからない。今日の宿に入りそのことを宿の人に話すと、近くにある「鴻神社」の神主さんに聞くとわかるかもしれないということだった。神社はすぐ近くだったので行ってお話を聞いたが、今は痕跡は残っていないということだった。
この鴻神社は明治6年にこの近隣の三神社が合祀され、明治40年に更に四神社を合祀して現在の鴻神社になったと説明されていた。この鴻巣郷の総鎮守になっている。
今日も県道164号線を黙々と歩く。いつものことだがこうして歩いていると色々なことが頭に浮かびそして消えていく。特に集中して何かを考えているというわけではないので、後で考えると何も覚えていない。こうした時間が私は好きだ。一人歩きの旅はこうした時間をふんだんに取ることができるところがとてもいい。
本日の歩行時間 7時間12分
本日の歩数&距離 40885歩(約27.8km)
昨日一緒に帰った社員が今朝浦和宿まで送ってくれるということで、ホテルに奥さんと一緒に迎えに来てくれた。奥さんも元社員で結婚を機に退職をしたが、あれから12年が経過している。社員旅行で何度か顔を合わせたこともあったが、以前とあまり変わっていない感じで懐かしい。
9時15分浦和宿に着き出発する。しばらく行くと左手に廓信寺がある。さつまいも「紅赤」の発祥地との説明書きがあり、入り口に阿形、吽形の金剛力士像がある。本堂には鎌倉期の木造阿弥陀如来坐像があるということだったが、見ることはできなかった。
さいたま都心駅の近くまでくると、氷川神社の参道となる並木が道の両側に立っている。「赤い一の鳥居」から三の鳥居までの間は約2kmあり、その間に欅が680本植えられている。
気持ちのいい参道だ。大宮宿はこの氷川神社の門前町として発達した宿場ということだ。
10時39分大宮宿を通る。
浦和宿から1時間24分、8655歩。
紀州鷹場本陣跡は現在の高島屋の建っているところだそうだが、痕跡は何も残っていない。
わが社の開発センターはこのすぐ近くだが今日は立ち寄らず先を急ぐ。途中信号の向こう側に自転車に乗った入社3年目の若手がいた。「オ~イ」と声をかけると、気がついたらしく信号を無視してこちら側に来ようとしたので押し留める。今日は土曜日なんだと気がつく。
東武野田線のガードをくぐって少し行くと「東大成の庚申塔」がある。元禄10年(1697年)の作で青面金剛像二鶏三猿が陽刻されていた。
12時43分上尾宿を通る。
大宮宿から2時間4分、11636歩。
このあたりも本陣跡がわからないので「氷川鍬神社」でカウントする。
駅の近くの食堂に入り昼食を食べる。
14時丁度に桶川宿を通る。
上尾宿から1時間17分、5524歩。
ここには宿場の案内所があったので、本陣跡がどこか聞いてみると府川本陣跡は個人の家になっており、中を見ることができないとのこと。庭の中に「明治天皇行在所」の碑もあるということだった。道路から本陣跡の家の写真を撮る。一里塚もあったようだが現在は残っていなかった。
「浄念寺」は元禄14年(1701年)に再建されたということで、口を開けている阿形、閉じている吽形の仁王像が左右に立っている。
しばらく歩いていくと北本宿の碑が立っている。当時からここには宿や店はなく、旅の休憩地という感じのところだったと説明されていた。
16時27分鴻ノ巣宿に着く。
桶川宿から2時間27分、13314歩。
鴻巣市に入ると急に人形屋が目につきだした。町名にも人形という言葉が使われている。鴻巣は人形の産地なのだ。この起源は天正年間(1624年~1644年)に京都伏見の人形師がここに住み着いたことから始まるそうだ。
勝願寺が左手にあった。ここは徳川家康が帰依し「葵の紋瓦」を使うことが許されたお寺ということだ。
鴻ノ巣宿も本陣跡がわからない。今日の宿に入りそのことを宿の人に話すと、近くにある「鴻神社」の神主さんに聞くとわかるかもしれないということだった。神社はすぐ近くだったので行ってお話を聞いたが、今は痕跡は残っていないということだった。
この鴻神社は明治6年にこの近隣の三神社が合祀され、明治40年に更に四神社を合祀して現在の鴻神社になったと説明されていた。この鴻巣郷の総鎮守になっている。
今日も県道164号線を黙々と歩く。いつものことだがこうして歩いていると色々なことが頭に浮かびそして消えていく。特に集中して何かを考えているというわけではないので、後で考えると何も覚えていない。こうした時間が私は好きだ。一人歩きの旅はこうした時間をふんだんに取ることができるところがとてもいい。
本日の歩行時間 7時間12分
本日の歩数&距離 40885歩(約27.8km)
旅の地図
記録
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2007年05月11日(金)
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2007年05月12日(土)
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2007年05月13日(日)
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2007年05月14日(月)
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2007年05月15日(火)
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2007年05月16日(水)
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2007年05月17日(木)
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2007年05月18日(金)
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2007年05月19日(土)
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2007年05月20日(日)
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2007年05月21日(月)
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2007年05月22日(火)
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2007年05月23日(水)
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2007年05月24日(木)
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2007年05月25日(金)
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2007年05月26日(土)
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2007年05月27日(日)
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2007年05月28日(月)
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2007年05月29日(火)
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2007年05月30日(水)
プロフィール
歩人
かっちゃん