2007年04月22日(日)
武川村~教来石~蔦木~金沢~茅野
曇り夜雨
7時30分に宿を出発するとまもなく大武川橋を渡る。ここから富士山が見えるといわれているようだが、今日はあいにく雲が垂れ込めており見えない。残念だ。
下三吹のバス停から左に曲がり、国道20号線から離れて坂道を登っていく。車はほとんど通らず、人通りもない。静かだ。左手に昨日と同様、鳳凰三山や甲斐駒ケ岳が雲の切れ間から見える。甲斐駒ケ岳は標高2967m,雪がまだ残っている。天気がよければ壮観だろうなと思う。
右手は依然七里岩の断崖が続いている。これはある日突然できたのだろうか、それとも長い年月を経てできたものだろうか、いずれにしても自然の力とはすごいものだと思いながら歩く。
上三吹の信号で国道を横切って行くと甲州街道一里塚がある。ここは甲府から七里のところなので七里塚と呼ばれたそうだ。
やがて尾白川橋のあたりで一旦国道に合流して花水坂を上ったところ、信号台ヶ原のところに「日本の道百選 甲州街道台ケ原宿」のモニュメントが立っており、ここから再び旧道に入っていく。
百選に選ばれるだけあって、昔の街道の面影が色濃く残っているような感じの通りで、しっとりと落ち着いた雰囲気の町だ。
8時36分台ケ原本陣跡を通る。
韮崎宿から、3時間1分、22998歩。
日曜日ということもあるのだろうが、人通りもほとんどなく閑散としたたたずまいだが、いかにも高原の町という感じで気持ちがいい。創業寛延2年(1749年)という七賢酒造店がある。天保6年(1835年)に現在の建物を新築した際、高遠城主から「竹林七賢」の欄間を送られたことから「七賢」という名前にしているということだ。古い建物に歴史を感じる。明治天皇菅原行在所の碑が立っている。
前沢上のバス停から再び旧道に入って歩いていくと流川橋があり、これを渡ると教来石宿に入る。
9時48分教来石宿本陣跡を通る。「明治天皇御小休所址」の碑がある。
台ガ原宿から1時間13分、7792歩。
教来石宿は標高700mの高地にある宿だ。高原らしい雰囲気が漂っている。
国界橋に来る。手持ちの資料によると国界橋は渡れないので新国界橋を渡ると書かれている。見ると舗装されていない道が続いており、その先に橋らしいものが見える。ひょっとして渡れるのではないかと思い、橋の袂にあったコンビニの店の人に聞くと、やはり渡れませんとのこと。この店でトイレを借り、昼食用にパンを購入する。ここから先は食堂や食べ物を売っている店がなく、ここで購入したのは正解だった。新国界橋を渡って少し行くと、左手に旧国界橋が見えたが、柵がされており通れないようになっていた。
七里岩はこのあたりでようやく終わる。それにしてもすごい距離だ。
新国境橋を渡って少し国道を歩いた後、右手の旧道に入る。登り坂になっているがここが下蔦木だ。
11時06分蔦木宿本陣跡を通る。
教来石宿から1時間17分、8447歩。
道は更に上り道だ。急な坂ではないがダラダラとした上り坂が続く。ただ道は舗装されており、車も少ないので歩きやすい。重修の一里塚がある。日本橋から四十七里目の一里塚だ。ここで道は行き止まり、左右に走る道路があり、前には草原が広がっている。手持ちの資料によると、ここは三菱マテリアルの用地になっていて通行不可と書かれている。左側に少し歩いたところで、草原の中を舗装されていない道が通っている。その道の端に立ち入り禁止の看板が立っていたので、道をそのまま左に向かって歩き始めたが、一向に右折する道がない。これはおかしいと思って引き返し、先ほどの舗装されていない道を歩いていくと、原の茶屋跡に出たので、これが迂回路であったことがわかった。
やがて富士見公園が右手にある。ここは明治の歌人伊藤左千代がその風景に感激し、自ら公園を設計したと書かれており、伊藤左千代や斉藤茂吉の歌碑があるというので、中に入ってみたがあまり見晴らしは良くなかった。当時とは環境が変わったのだろう。もっともこの時期、ここでは桜の季節らしく
公園では近所の方たちなのだろう花見をされていた。
さらに歩いていくと標高961mの標識が立っていた。これが今日歩いた中で最も高いところだったようだ。 今日は一日中風が強かったが、このあたりでは特に強い向かい風が吹いていた。丁度友人から電話があったので話をしていると電話機を通して相手にも風の音が伝わったようで、えらく風が強そうだなと言っていた。やがて右手にカゴメの工場が立っており、道に沿って桜がここでもきれいに咲いていた。今がちょうど見ごろだ。それにしても標高1000m近い場所で桜を見たのは初めてだ。
金沢宿本陣跡には14時43分に到着。
蔦木宿から3時間37分、21372歩。
本陣跡の表示板の前をふさぐような形で選挙の候補者のパネルが立っており、そのコントラストがなんとなく面白かった。
その後国道をひたすら歩く。車の通行量が多い。中央自動車道を越え、日本橋から五十里目の一里塚を通り、明治天皇御茅野小休所跡を過ぎ、上川橋を渡って16時15分茅野駅近くのホテルに到着する。
今日は5万歩を大分越え、今回の旅の中で最もよく歩いた一日だった。 いよいよ明日が最後だという気持ちが沸き起こってくる。
夜、今回の旅で初めてマッサージを受ける。やはり気持ちがいい。すっきりしたところで明日の最終日を迎えることにするが、気がかりなことに外は雨になっている。できれば止んでほしいものだ。
今日の歩行時間 8時間45分
今日の歩数&距離 54059歩(約36.8km)
7時30分に宿を出発するとまもなく大武川橋を渡る。ここから富士山が見えるといわれているようだが、今日はあいにく雲が垂れ込めており見えない。残念だ。
下三吹のバス停から左に曲がり、国道20号線から離れて坂道を登っていく。車はほとんど通らず、人通りもない。静かだ。左手に昨日と同様、鳳凰三山や甲斐駒ケ岳が雲の切れ間から見える。甲斐駒ケ岳は標高2967m,雪がまだ残っている。天気がよければ壮観だろうなと思う。
右手は依然七里岩の断崖が続いている。これはある日突然できたのだろうか、それとも長い年月を経てできたものだろうか、いずれにしても自然の力とはすごいものだと思いながら歩く。
上三吹の信号で国道を横切って行くと甲州街道一里塚がある。ここは甲府から七里のところなので七里塚と呼ばれたそうだ。
やがて尾白川橋のあたりで一旦国道に合流して花水坂を上ったところ、信号台ヶ原のところに「日本の道百選 甲州街道台ケ原宿」のモニュメントが立っており、ここから再び旧道に入っていく。
百選に選ばれるだけあって、昔の街道の面影が色濃く残っているような感じの通りで、しっとりと落ち着いた雰囲気の町だ。
8時36分台ケ原本陣跡を通る。
韮崎宿から、3時間1分、22998歩。
日曜日ということもあるのだろうが、人通りもほとんどなく閑散としたたたずまいだが、いかにも高原の町という感じで気持ちがいい。創業寛延2年(1749年)という七賢酒造店がある。天保6年(1835年)に現在の建物を新築した際、高遠城主から「竹林七賢」の欄間を送られたことから「七賢」という名前にしているということだ。古い建物に歴史を感じる。明治天皇菅原行在所の碑が立っている。
前沢上のバス停から再び旧道に入って歩いていくと流川橋があり、これを渡ると教来石宿に入る。
9時48分教来石宿本陣跡を通る。「明治天皇御小休所址」の碑がある。
台ガ原宿から1時間13分、7792歩。
教来石宿は標高700mの高地にある宿だ。高原らしい雰囲気が漂っている。
国界橋に来る。手持ちの資料によると国界橋は渡れないので新国界橋を渡ると書かれている。見ると舗装されていない道が続いており、その先に橋らしいものが見える。ひょっとして渡れるのではないかと思い、橋の袂にあったコンビニの店の人に聞くと、やはり渡れませんとのこと。この店でトイレを借り、昼食用にパンを購入する。ここから先は食堂や食べ物を売っている店がなく、ここで購入したのは正解だった。新国界橋を渡って少し行くと、左手に旧国界橋が見えたが、柵がされており通れないようになっていた。
七里岩はこのあたりでようやく終わる。それにしてもすごい距離だ。
新国境橋を渡って少し国道を歩いた後、右手の旧道に入る。登り坂になっているがここが下蔦木だ。
11時06分蔦木宿本陣跡を通る。
教来石宿から1時間17分、8447歩。
道は更に上り道だ。急な坂ではないがダラダラとした上り坂が続く。ただ道は舗装されており、車も少ないので歩きやすい。重修の一里塚がある。日本橋から四十七里目の一里塚だ。ここで道は行き止まり、左右に走る道路があり、前には草原が広がっている。手持ちの資料によると、ここは三菱マテリアルの用地になっていて通行不可と書かれている。左側に少し歩いたところで、草原の中を舗装されていない道が通っている。その道の端に立ち入り禁止の看板が立っていたので、道をそのまま左に向かって歩き始めたが、一向に右折する道がない。これはおかしいと思って引き返し、先ほどの舗装されていない道を歩いていくと、原の茶屋跡に出たので、これが迂回路であったことがわかった。
やがて富士見公園が右手にある。ここは明治の歌人伊藤左千代がその風景に感激し、自ら公園を設計したと書かれており、伊藤左千代や斉藤茂吉の歌碑があるというので、中に入ってみたがあまり見晴らしは良くなかった。当時とは環境が変わったのだろう。もっともこの時期、ここでは桜の季節らしく
公園では近所の方たちなのだろう花見をされていた。
さらに歩いていくと標高961mの標識が立っていた。これが今日歩いた中で最も高いところだったようだ。 今日は一日中風が強かったが、このあたりでは特に強い向かい風が吹いていた。丁度友人から電話があったので話をしていると電話機を通して相手にも風の音が伝わったようで、えらく風が強そうだなと言っていた。やがて右手にカゴメの工場が立っており、道に沿って桜がここでもきれいに咲いていた。今がちょうど見ごろだ。それにしても標高1000m近い場所で桜を見たのは初めてだ。
金沢宿本陣跡には14時43分に到着。
蔦木宿から3時間37分、21372歩。
本陣跡の表示板の前をふさぐような形で選挙の候補者のパネルが立っており、そのコントラストがなんとなく面白かった。
その後国道をひたすら歩く。車の通行量が多い。中央自動車道を越え、日本橋から五十里目の一里塚を通り、明治天皇御茅野小休所跡を過ぎ、上川橋を渡って16時15分茅野駅近くのホテルに到着する。
今日は5万歩を大分越え、今回の旅の中で最もよく歩いた一日だった。 いよいよ明日が最後だという気持ちが沸き起こってくる。
夜、今回の旅で初めてマッサージを受ける。やはり気持ちがいい。すっきりしたところで明日の最終日を迎えることにするが、気がかりなことに外は雨になっている。できれば止んでほしいものだ。
今日の歩行時間 8時間45分
今日の歩数&距離 54059歩(約36.8km)
旅の地図
記録
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2007年04月15日(日)
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2007年04月16日(月)
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2007年04月17日(火)
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2007年04月18日(水)
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2007年04月19日(木)
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2007年04月20日(金)
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2007年04月21日(土)
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2007年04月22日(日)
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2007年04月23日(月)
プロフィール
歩人
かっちゃん