2007年04月15日(日)
京都~日本橋~内藤新宿~下高井戸~上高井戸~国領
曇り
4月14日、15日と京都で行われた学生時代のクラブのOB会に出席する。体育会としての正式のOB会は別に存在するのだが、この集まりは我々が4回生の時の一回生までと更にもう2年後輩までを集めて行われるもの。 要は我々が一番上でなければ面白くないという極めてわがままな趣旨で召集しているものなのだが、なぜか後輩諸君も賛同してくれ毎年数多くの仲間が集まってくれる。
最初の開催が1990年の11月だったのでもう17年間に渡って続いている集まりである。今回も対象者28名中20名が出席。その中には遠くニュージランドや香港で仕事をしている者もわざわざこの集まりのために帰国してきており、また国内でも四国にいる後輩は当日会議が終わってから出席ということで夜の9時過ぎに到着して合流するなど、皆この集まりをとても楽しみにしていることがわかる。酒を飲み交わしながら近況を語り合い、宴たけなわになると学生時代の応援歌や逍遥歌を皆で声を張り上げて歌う。
毎年の恒例行事だがこれがなんともいえず楽しいのである。卒業して40年が経過しようとしているのだが、いまだにこのような集まりが続いている集団も珍しいのではないかと思っている。これからも大切にしていきたい集まりである。
翌朝、解散を前に宿泊をしたメンバーで記念撮影。これも恒例の行事だが、それにしても写真は正直。
昔は紅顔(厚顔?)の美少年ばかりだったのに時の流れは冷酷に容姿を変化させるものだとつくづく思う。

午前9時に解散をして各自帰途に着く。
私は家に帰らず東京へ。今日から甲州街道に挑戦だ。
新幹線で松戸まで帰る同期のS君と同行し、12時07分東京に着く。S君とはここで別れる。
東京駅にはいつものN君が待っており一緒に日本橋へ。
先月13日に東海道を歩くときここに来たので、ほぼ一ヶ月ぶりだ。ここで写真を撮り12時35分にスタート。この時刻も前回とほぼ同じだ。

甲州街道は日本橋をスタートするとすぐに永代通りを右折し、東京駅構内を突き進んで皇居側に出る。東京駅構内は広くて人が多い。また二人とも内部にあまり詳しくないため、丸の内側に出てお堀のところに行くまでにかなりの時間がかかり、13時05分ようやくたどり着く。ここからお堀に沿って歩いていき、
13時20分桜田門の前を通る。
万延元年(1860年)3月3日朝五つ半(午前9時ごろ)、桜田門の近くにあった井伊家から登城しようとした大老井伊直弼の一行60名ほどを、水戸浪士17名と薩摩浪士1名の計18名が襲い、井伊直弼が殺害された事件は余りにも有名だ。戦いは15分ほどで終わり、急を聞き駆けつけた井伊家の家臣によって跡片付けされた時間まで入れても、一時間ほどの出来事だったそうだ。
13時35分半蔵門のところで直角に左折し皇居を後にする。半蔵門は伊賀忍者服部半蔵の屋敷跡から名づけられたということだ。
この間皇居の周りではジョキングをしている人が多い。
皇居の周りは国会議事堂や国家の主要な機関がズラッと並んでおり、正にわが国の中枢部分だという感を改めて持つ。
道路標示に甲府まで131Kmと書かれている。よし!頑張るぞ!と気合が入る。
14時10分四ッ谷駅の横を通る。上智大学がすぐ近くにある。
14時35分新宿四丁目交差点を通る。一応ここでカウントすると
内藤新宿は日本橋から2時間、11943歩だ。
ここは天正18年(1590年)に家康が江戸城に入る際、内藤清成がこの地を警護し、その功によってこの地を拝領したことによるそうだ。
当初甲州街道は日本橋を出ると次の宿は高井戸宿だったが、距離が長く難渋したので、元禄12年(1799年)に宿が設けられた。内藤氏の屋敷があったところに新しい宿ができたので、内藤新宿と名づけられたそうだ。
現在の新宿は有数の繁華街。人が多くて中々前に進めない。しばらく歩くと都庁の横に出る。いつ見ても大きな建物だ。このあたりに来ると日曜日ということもあってか人は少なく歩きやすくなる。
15時20分 幡ヶ谷にある今日の宿に着く。一息入れて荷物を置き、身軽な姿になってもう少し先に進むことにする。
15時40分ホテルを出発。しばらく行くと右手に明治大学があり、 16時36分下高井戸宿を通過。
下高井戸宿は内藤新宿から1時間41分、10936歩。
高井戸宿は日本橋を出て最初の宿場だったが、負担を軽くするため、月の最初の15日を下高井戸が、後半の15日を上高井戸が勤めたそうだ。
したがってすぐ近くに上高井戸宿があり16時51分ここを通る。 このあたりは本陣跡が明確でなくどの場所なのかわからなかったので推測でカウントを行う。
上高井戸宿は下高井戸宿から15分、1628歩。
野川に架かる馬橋を渡ると信号甲州街道入口があり、これから旧道に入っていく。ここから、国領、下布田、上布田、下石原、上石原という布田五ヶ宿がある。ここはこの五つの宿で一つの宿場をなしていたそうだ。
とりあえず国領駅でカウントする。国領は読んで字の如しで江戸時代は天領だったそうだ。
18時04分国領駅着。
国領宿は上高井戸宿から1時間13分、8584歩。
荷物を持っていないとさすがに身体が軽い。思った以上に先に進むことができた。国領駅から京王線で幡ヶ谷まで帰り18時50分ホテルに帰着。
本日の歩行時間 5時間7分
本日の歩数&距離 34399歩(約23.4km)
**なお、甲州街道を歩いた時はまだGPSを使用していなかったため、添付しています地図は後から書き加えたものです。従いまして、地図に道が記されていないような山の中などの道はある程度エイヤ!の感覚で作成していますのでご了承ください。**
4月14日、15日と京都で行われた学生時代のクラブのOB会に出席する。体育会としての正式のOB会は別に存在するのだが、この集まりは我々が4回生の時の一回生までと更にもう2年後輩までを集めて行われるもの。 要は我々が一番上でなければ面白くないという極めてわがままな趣旨で召集しているものなのだが、なぜか後輩諸君も賛同してくれ毎年数多くの仲間が集まってくれる。
最初の開催が1990年の11月だったのでもう17年間に渡って続いている集まりである。今回も対象者28名中20名が出席。その中には遠くニュージランドや香港で仕事をしている者もわざわざこの集まりのために帰国してきており、また国内でも四国にいる後輩は当日会議が終わってから出席ということで夜の9時過ぎに到着して合流するなど、皆この集まりをとても楽しみにしていることがわかる。酒を飲み交わしながら近況を語り合い、宴たけなわになると学生時代の応援歌や逍遥歌を皆で声を張り上げて歌う。
毎年の恒例行事だがこれがなんともいえず楽しいのである。卒業して40年が経過しようとしているのだが、いまだにこのような集まりが続いている集団も珍しいのではないかと思っている。これからも大切にしていきたい集まりである。
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翌朝、解散を前に宿泊をしたメンバーで記念撮影。これも恒例の行事だが、それにしても写真は正直。
昔は紅顔(厚顔?)の美少年ばかりだったのに時の流れは冷酷に容姿を変化させるものだとつくづく思う。

午前9時に解散をして各自帰途に着く。
私は家に帰らず東京へ。今日から甲州街道に挑戦だ。
新幹線で松戸まで帰る同期のS君と同行し、12時07分東京に着く。S君とはここで別れる。
東京駅にはいつものN君が待っており一緒に日本橋へ。
先月13日に東海道を歩くときここに来たので、ほぼ一ヶ月ぶりだ。ここで写真を撮り12時35分にスタート。この時刻も前回とほぼ同じだ。

甲州街道は日本橋をスタートするとすぐに永代通りを右折し、東京駅構内を突き進んで皇居側に出る。東京駅構内は広くて人が多い。また二人とも内部にあまり詳しくないため、丸の内側に出てお堀のところに行くまでにかなりの時間がかかり、13時05分ようやくたどり着く。ここからお堀に沿って歩いていき、
13時20分桜田門の前を通る。
万延元年(1860年)3月3日朝五つ半(午前9時ごろ)、桜田門の近くにあった井伊家から登城しようとした大老井伊直弼の一行60名ほどを、水戸浪士17名と薩摩浪士1名の計18名が襲い、井伊直弼が殺害された事件は余りにも有名だ。戦いは15分ほどで終わり、急を聞き駆けつけた井伊家の家臣によって跡片付けされた時間まで入れても、一時間ほどの出来事だったそうだ。

13時35分半蔵門のところで直角に左折し皇居を後にする。半蔵門は伊賀忍者服部半蔵の屋敷跡から名づけられたということだ。
この間皇居の周りではジョキングをしている人が多い。
皇居の周りは国会議事堂や国家の主要な機関がズラッと並んでおり、正にわが国の中枢部分だという感を改めて持つ。
道路標示に甲府まで131Kmと書かれている。よし!頑張るぞ!と気合が入る。
14時10分四ッ谷駅の横を通る。上智大学がすぐ近くにある。
14時35分新宿四丁目交差点を通る。一応ここでカウントすると
内藤新宿は日本橋から2時間、11943歩だ。
ここは天正18年(1590年)に家康が江戸城に入る際、内藤清成がこの地を警護し、その功によってこの地を拝領したことによるそうだ。
当初甲州街道は日本橋を出ると次の宿は高井戸宿だったが、距離が長く難渋したので、元禄12年(1799年)に宿が設けられた。内藤氏の屋敷があったところに新しい宿ができたので、内藤新宿と名づけられたそうだ。
現在の新宿は有数の繁華街。人が多くて中々前に進めない。しばらく歩くと都庁の横に出る。いつ見ても大きな建物だ。このあたりに来ると日曜日ということもあってか人は少なく歩きやすくなる。
15時20分 幡ヶ谷にある今日の宿に着く。一息入れて荷物を置き、身軽な姿になってもう少し先に進むことにする。
15時40分ホテルを出発。しばらく行くと右手に明治大学があり、 16時36分下高井戸宿を通過。
下高井戸宿は内藤新宿から1時間41分、10936歩。
高井戸宿は日本橋を出て最初の宿場だったが、負担を軽くするため、月の最初の15日を下高井戸が、後半の15日を上高井戸が勤めたそうだ。
したがってすぐ近くに上高井戸宿があり16時51分ここを通る。 このあたりは本陣跡が明確でなくどの場所なのかわからなかったので推測でカウントを行う。
上高井戸宿は下高井戸宿から15分、1628歩。
野川に架かる馬橋を渡ると信号甲州街道入口があり、これから旧道に入っていく。ここから、国領、下布田、上布田、下石原、上石原という布田五ヶ宿がある。ここはこの五つの宿で一つの宿場をなしていたそうだ。
とりあえず国領駅でカウントする。国領は読んで字の如しで江戸時代は天領だったそうだ。
18時04分国領駅着。
国領宿は上高井戸宿から1時間13分、8584歩。
荷物を持っていないとさすがに身体が軽い。思った以上に先に進むことができた。国領駅から京王線で幡ヶ谷まで帰り18時50分ホテルに帰着。
本日の歩行時間 5時間7分
本日の歩数&距離 34399歩(約23.4km)
**なお、甲州街道を歩いた時はまだGPSを使用していなかったため、添付しています地図は後から書き加えたものです。従いまして、地図に道が記されていないような山の中などの道はある程度エイヤ!の感覚で作成していますのでご了承ください。**
旅の地図
記録
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2007年04月18日(水)
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2007年04月19日(木)
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2007年04月20日(金)
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2007年04月21日(土)
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2007年04月22日(日)
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2007年04月23日(月)
プロフィール

歩人
かっちゃん