2007年03月30日(金)
瀬田~大津~京都三条大橋
晴れ
昨日の予報では今日は朝のうちまで雨が残るということだった。夜中に目覚めたときもかなり激しい雨が降っていた。これまで天候に恵まれて順調にここまでくることができたので、できうることならば最終日も少なくとも雨の中を歩くということは避けたいという思いが強かった。
ところが朝になってみると雨は止んでおり薄日が差していた。有難いことだと天に感謝しながら、8時に出発する。
昨日の膳所本町まで京阪電車で行きそこから歩き始める。
京阪膳所駅を過ぎると義仲寺がある。ここには義仲の墓があり、巴御前がその供養をしたという。また芭蕉の墓もある。芭蕉は大坂で亡くなったが、敬愛していた義仲が眠るこの場所に埋葬するようにという遺言だったという。
「木曾殿と背中あわせの寒さかな」という有名な句はここで伊勢の俳人又玄が謡ったものだ。
9時5分 大津本陣跡を通る。
草津宿から4時間23分 25605歩。
大津宿も石部宿と同じように東海道の看板をつけた街路灯が道路に立っていた。
9時37分 「逢坂山関所跡」を通る。この関は伊勢の鈴鹿、美濃の不破と並んで天下の三関のひとつと書かれている。
このあたりは国道を歩いているので車の通行量が多い。昔の逢坂山の関所はどんな様子だったのだろうかと思った。うなぎで有名な(・・・だそうです。)かねよがある。ブランド物には皆目興味のない私なのですが、うなぎは大好き人間。興味があったがまだ開店していないようなのでそのまま前を通り過ぎる。
京阪四宮駅を過ぎると六地蔵があり、更に進むと右手に山科駅がある。
10時37分山科駅の前を通る。もうここまでくると京都はすぐそこだ。もう少しだ!頑張ろう!と自らに言い聞かせる。
右手に天智天皇陵があるが寄らずに歩く。早く京都に着きたい。その一心だ。蹴上の手前まで来たところで京都在住のこれもやはりクラブの同級生に連絡を入れ、計算では11時40分ごろに三条に着く予定だと伝える。彼は今日、娘さん夫婦が博多に転勤になり、奥さんもとりあえずの手伝いで一緒に博多に行くのを京都駅まで送っていき、今自宅に帰ってきたばかりということだった。
蹴上という名前の由来はここを通りかかった関原與市とその従者の馬が蹴上げた水が源義経(当時牛若丸)にかかったことから、牛若丸が怒って與市らを切り殺してしまったということからきたという。源義経というと判官びいきと言われるように非常にいい印象をもっているので、たかが水かかかったぐらいで人を切り殺してしまうようなことをするのだろうかと疑問に思った。まぁどうでもいいことではありますが。。
11時42分に無事京都三条大橋に到着する。これで東海道を一気に踏破したことになる。やったぞ!という気持ちが沸き起こってくる。素直にうれしい。
大津宿から2時間37分 14712歩。
17泊18日、日本橋を13日の午後に出発し30日の昼に京都に着いたので正味17日間の歩き旅だった。
かなりへばって最後はようやくたどり着いたという感じだったがこうして着いてみるとあっという間だったようにも思う。
五街道踏破という今年の目標の第一歩をこれで達成できた。
ここで友人と記念撮影をし彼の薦めもあって二人で温泉に入りに行く。
最初は温泉など考えてもいなかったのだが、実際風呂に入ってみると達成感と心地よい疲れでとても気持ちが良かった。彼の配慮に感謝する。彼と昼食をともにし、その後新幹線で小倉に帰る。
旅は無事終わった!
今回は道中で3人のクラブの同級生が迎えてくれ、それぞれがとても良くしてくれて楽しかったし、道中にいいメリハリができて良かった。
後日談だが4月14日、15日に京都で恒例のOB会が開催され彼らも皆出席をしていたのでお礼を言う。よき仲間である。感謝。
本日の歩行時間 3時間42分
本日の歩数&距離 21217歩(約14.4km)
東海道総歩行時間 140時間57分
東海道総歩数 756832歩(約514km)。(公称 492km)
(東海道の公称キロ数は492kmとなっているが、これは地図上で計算されたもののようだ。私のように道を何度も間違えた人間は当然この距離よりも長くなる。参考のため公称キロ数を記しておきます)
今回の旅を歩いて思ったのは、街道沿いに史蹟、旧跡が数多くあったということだ。
最初四国を歩いたときの目的は、お寺を回ることが主であってその途中にある何かをみるという感覚はなかった。
次に北海道を歩いたときは、ただ単に北から南まで歩くということのみが目的だった。
今年、五街道を歩くということを決めたとき、要は歩き通すことができればいいという感覚だったのだが、実際に歩いてみると街道沿いに色々な名所、旧跡が数多く存在するということがわかった。このことは事前に資料等を調べていてもわかっていたはずなのだが、どうしてもこれまでに歩いたときの感覚が残っていて、まずとにかく歩き通すことを最優先した。したがって途中にあるものに対しては主だったもののみ、それもできる限り街道から余り外れていないもののみを見たというにとどまっている。
この文章を書いているのは東海道、甲州街道、中山道を歩き終わった後であるので、残っている日光街道、奥州街道はせっかく歩くのであればもう少し名所、旧跡に注意をしながら歩いてみようかと思う。もっとも現実問題として一日に30km平均を何日も歩き続けるのは、やはりかなりの負担になるので、どこまで色々なものを見る体力的な余裕があるかというのはやってみなければわからない。
いずれにしても残りの二街道の歩きは秋口に実行する予定だ。
昨日の予報では今日は朝のうちまで雨が残るということだった。夜中に目覚めたときもかなり激しい雨が降っていた。これまで天候に恵まれて順調にここまでくることができたので、できうることならば最終日も少なくとも雨の中を歩くということは避けたいという思いが強かった。
ところが朝になってみると雨は止んでおり薄日が差していた。有難いことだと天に感謝しながら、8時に出発する。
昨日の膳所本町まで京阪電車で行きそこから歩き始める。
京阪膳所駅を過ぎると義仲寺がある。ここには義仲の墓があり、巴御前がその供養をしたという。また芭蕉の墓もある。芭蕉は大坂で亡くなったが、敬愛していた義仲が眠るこの場所に埋葬するようにという遺言だったという。
「木曾殿と背中あわせの寒さかな」という有名な句はここで伊勢の俳人又玄が謡ったものだ。
9時5分 大津本陣跡を通る。
草津宿から4時間23分 25605歩。
大津宿も石部宿と同じように東海道の看板をつけた街路灯が道路に立っていた。
9時37分 「逢坂山関所跡」を通る。この関は伊勢の鈴鹿、美濃の不破と並んで天下の三関のひとつと書かれている。
このあたりは国道を歩いているので車の通行量が多い。昔の逢坂山の関所はどんな様子だったのだろうかと思った。うなぎで有名な(・・・だそうです。)かねよがある。ブランド物には皆目興味のない私なのですが、うなぎは大好き人間。興味があったがまだ開店していないようなのでそのまま前を通り過ぎる。
京阪四宮駅を過ぎると六地蔵があり、更に進むと右手に山科駅がある。
10時37分山科駅の前を通る。もうここまでくると京都はすぐそこだ。もう少しだ!頑張ろう!と自らに言い聞かせる。
右手に天智天皇陵があるが寄らずに歩く。早く京都に着きたい。その一心だ。蹴上の手前まで来たところで京都在住のこれもやはりクラブの同級生に連絡を入れ、計算では11時40分ごろに三条に着く予定だと伝える。彼は今日、娘さん夫婦が博多に転勤になり、奥さんもとりあえずの手伝いで一緒に博多に行くのを京都駅まで送っていき、今自宅に帰ってきたばかりということだった。
蹴上という名前の由来はここを通りかかった関原與市とその従者の馬が蹴上げた水が源義経(当時牛若丸)にかかったことから、牛若丸が怒って與市らを切り殺してしまったということからきたという。源義経というと判官びいきと言われるように非常にいい印象をもっているので、たかが水かかかったぐらいで人を切り殺してしまうようなことをするのだろうかと疑問に思った。まぁどうでもいいことではありますが。。
11時42分に無事京都三条大橋に到着する。これで東海道を一気に踏破したことになる。やったぞ!という気持ちが沸き起こってくる。素直にうれしい。
大津宿から2時間37分 14712歩。
17泊18日、日本橋を13日の午後に出発し30日の昼に京都に着いたので正味17日間の歩き旅だった。
かなりへばって最後はようやくたどり着いたという感じだったがこうして着いてみるとあっという間だったようにも思う。
五街道踏破という今年の目標の第一歩をこれで達成できた。
ここで友人と記念撮影をし彼の薦めもあって二人で温泉に入りに行く。
最初は温泉など考えてもいなかったのだが、実際風呂に入ってみると達成感と心地よい疲れでとても気持ちが良かった。彼の配慮に感謝する。彼と昼食をともにし、その後新幹線で小倉に帰る。
旅は無事終わった!
今回は道中で3人のクラブの同級生が迎えてくれ、それぞれがとても良くしてくれて楽しかったし、道中にいいメリハリができて良かった。
後日談だが4月14日、15日に京都で恒例のOB会が開催され彼らも皆出席をしていたのでお礼を言う。よき仲間である。感謝。
本日の歩行時間 3時間42分
本日の歩数&距離 21217歩(約14.4km)
東海道総歩行時間 140時間57分
東海道総歩数 756832歩(約514km)。(公称 492km)
(東海道の公称キロ数は492kmとなっているが、これは地図上で計算されたもののようだ。私のように道を何度も間違えた人間は当然この距離よりも長くなる。参考のため公称キロ数を記しておきます)
今回の旅を歩いて思ったのは、街道沿いに史蹟、旧跡が数多くあったということだ。
最初四国を歩いたときの目的は、お寺を回ることが主であってその途中にある何かをみるという感覚はなかった。
次に北海道を歩いたときは、ただ単に北から南まで歩くということのみが目的だった。
今年、五街道を歩くということを決めたとき、要は歩き通すことができればいいという感覚だったのだが、実際に歩いてみると街道沿いに色々な名所、旧跡が数多く存在するということがわかった。このことは事前に資料等を調べていてもわかっていたはずなのだが、どうしてもこれまでに歩いたときの感覚が残っていて、まずとにかく歩き通すことを最優先した。したがって途中にあるものに対しては主だったもののみ、それもできる限り街道から余り外れていないもののみを見たというにとどまっている。
この文章を書いているのは東海道、甲州街道、中山道を歩き終わった後であるので、残っている日光街道、奥州街道はせっかく歩くのであればもう少し名所、旧跡に注意をしながら歩いてみようかと思う。もっとも現実問題として一日に30km平均を何日も歩き続けるのは、やはりかなりの負担になるので、どこまで色々なものを見る体力的な余裕があるかというのはやってみなければわからない。
いずれにしても残りの二街道の歩きは秋口に実行する予定だ。
旅の地図
記録
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2007年03月13日(火)
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2007年03月14日(水)
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2007年03月15日(木)
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2007年03月16日(金)
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2007年03月17日(土)
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2007年03月18日(日)
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2007年03月19日(月)
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2007年03月20日(火)
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2007年03月21日(水)
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2007年03月22日(木)
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2007年03月23日(金)
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2007年03月24日(土)
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2007年03月25日(日)
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2007年03月26日(月)
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2007年03月27日(火)
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2007年03月28日(水)
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2007年03月29日(木)
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2007年03月30日(金)
プロフィール
歩人
かっちゃん