2007年03月28日(水)
関~坂下~土山~水口
晴れ
朝起きて外を見ると雨は上がりいい天気である。鈴鹿峠を越えるには有難い好天だ。
7時25分 宿を出発する。こうして朝の光の中で改めて関宿を眺めると、昨日感じた以上に落ち着いた雰囲気のいい宿場街だと思う。宿場は東西に1.8kmに渡って続いており、それぞれの建物が歴史を感じさせる。昔は伊勢別街道の東の追分、大和街道の西の追分があり、鈴鹿峠を控えて交通の要衝として栄えたそうだが、今もその面影を残している。ただ今日は朝が早いのでまだ町は朝の眠りから覚めていない感じで、道を行く人もほとんどいなかった。
関宿を過ぎ国道と合流するところの右手に国民宿舎関ロッジの入口があった。当初ここに泊まる予定だったのだが、満員ということで断られてしまったのだ。市瀬橋の手前で右折して旧道に入るとすぐに山の中に入っていく。
坂本宿が近くなってくるにしたがって、前方に鈴鹿峠の姿が大きく見えてきた。東の箱根と並んで西の鈴鹿は東海道の二大難所といわれている。
9時丁度に坂下宿本陣前を通る。
関宿から1時間35分 9337歩。
ここは関宿とは一転して昔の姿をほとんど残していない。
片山神社前を過ぎると鈴鹿の十八曲八町といわれた鈴鹿の峠越えだ。9時10分 いよいよ山道に入る。いきなり直角に近い切り立った80段ほどの階段だ。気合を入れて登るとそこからは木漏れ日の差す山道が続く。
アップダウンはあるものの思っていたほどのこともなく、9時50分鈴鹿峠に到達する。峠は標高378mと箱根の半分以下の高さだが、昔の人にとっては大変な難所だったといわれている。ただ気負いこんで登ってきた私にとってはエッもう着いたの?という感じだった。
峠まで関宿から2時間25分、13006歩のところだ。
田村神社旧跡や鏡石はここからすぐ近くにある。
やがてそれほど進まないうちに道は下りはじめ、そこに万人講常夜燈がある。江戸時代に金毘羅参りの安全を祈願して建てられたもので重さ38トン、高さ5.44mもある。とても大きいもので、重機のない昔にどうやってここまで担ぎ上げてきたのだろう。
更に下っていくと国道に出る。もう鈴鹿峠は越えたのだ。あっけないほど簡単に越えてしまった。疲労が蓄積している身にとってはありがたかったが、一方では少し物足りなかったというと言い過ぎか?。
山中川を越えると右手にちょっとした公園がある。ここに「坂は照る照る、鈴鹿は曇る、あいの土山雨が降る」と書かれた鈴鹿馬子唄之碑が立っている。この地域の天気の変化の激しさを唄った馬子唄だ。坂は坂下宿、鈴鹿は峠、土山は土山宿を指している。
田村神社がある。鈴鹿峠の鬼を退治した坂上田村麻呂を祀っている。社殿は鈴鹿峠から移されたものだそうだが、大きな神社だ。
右手に東海道一里塚の碑があり、これを過ぎると土山宿に入る。
12時土山宿に到着する。
関宿から4時間35分、24603歩。
ここでうかい屋に入り山菜そばを昼食として食べながら、ご主人としばし談笑する。
ここのご主人は東海道に詳しく(これは後で知ったことなのだが東海道ウオークの会の関西ブロック長をされておられるそうだ)色々な資料も取り揃えられていた。もう少しお話を聞かせていただきたかったがスーツ姿のお客さん(?)が数名入って来られたので12時50分出発する。
大日川掘割跡がある。野州川はしばしば水害を起こしたので元禄12年(1699年)に領主堀田筑前守に願い出て約907mの掘割を築いたと説明されていた。
このあたりからしばらく松並木が続く。
15時30分水口宿本陣跡に着く。
土山宿から2時間40分 16625歩。
ここから道は二つに別れ、更にその先でまた二つに分かれていて都合三本に別れている。手元にある資料ではどの道にも東海道を示す赤い色が塗られている。近くにいた人に聞いてみると、どの道も東海道だそうだ。どの道を通っても先の水口石橋駅のところで合流している。私の場合は進行方向に向かって一番左側の道を歩いた。このように道が三本に別れているのは、東海道の中でここだけだそうだ。水口は甲賀市、忍者の町だが今はその面影はない。
今日の宿「あや乃」には水口石橋駅から電話をする。昨日予約をしたときに電話をするように言われていたのだ。女将さんが迎えに来てくれる。明るくて元気のいい女将さんだ。
夕食のときこの宿の若夫婦二人と色々と話をする。その中でお二人の結納の前夜、ご両親が結納の口上を練習したそうで、丁度そのときに宿泊をしたお客さんが、そのときの様子をHPに書かれており、その内容がプリントアウトして壁に貼っていた。中々面白い内容だ。
またここに宿泊したお客さんの写真が壁一杯に貼ってあり、この宿の方がお客さんと大切にされている様子が良くわかった。中々いい宿だと思う。
今日も終日好天。歩くにはとても気持ちのいい一日だった。
いよいよ残すところ後わずかになってきた。もう一踏ん張りして無事に京都にゴールインしたい。
本日の歩行時間 8時間35分
本日の歩数&距離 43108歩(約29.4km)
朝起きて外を見ると雨は上がりいい天気である。鈴鹿峠を越えるには有難い好天だ。
7時25分 宿を出発する。こうして朝の光の中で改めて関宿を眺めると、昨日感じた以上に落ち着いた雰囲気のいい宿場街だと思う。宿場は東西に1.8kmに渡って続いており、それぞれの建物が歴史を感じさせる。昔は伊勢別街道の東の追分、大和街道の西の追分があり、鈴鹿峠を控えて交通の要衝として栄えたそうだが、今もその面影を残している。ただ今日は朝が早いのでまだ町は朝の眠りから覚めていない感じで、道を行く人もほとんどいなかった。
関宿を過ぎ国道と合流するところの右手に国民宿舎関ロッジの入口があった。当初ここに泊まる予定だったのだが、満員ということで断られてしまったのだ。市瀬橋の手前で右折して旧道に入るとすぐに山の中に入っていく。
坂本宿が近くなってくるにしたがって、前方に鈴鹿峠の姿が大きく見えてきた。東の箱根と並んで西の鈴鹿は東海道の二大難所といわれている。
9時丁度に坂下宿本陣前を通る。
関宿から1時間35分 9337歩。
ここは関宿とは一転して昔の姿をほとんど残していない。
片山神社前を過ぎると鈴鹿の十八曲八町といわれた鈴鹿の峠越えだ。9時10分 いよいよ山道に入る。いきなり直角に近い切り立った80段ほどの階段だ。気合を入れて登るとそこからは木漏れ日の差す山道が続く。
アップダウンはあるものの思っていたほどのこともなく、9時50分鈴鹿峠に到達する。峠は標高378mと箱根の半分以下の高さだが、昔の人にとっては大変な難所だったといわれている。ただ気負いこんで登ってきた私にとってはエッもう着いたの?という感じだった。
峠まで関宿から2時間25分、13006歩のところだ。
田村神社旧跡や鏡石はここからすぐ近くにある。
やがてそれほど進まないうちに道は下りはじめ、そこに万人講常夜燈がある。江戸時代に金毘羅参りの安全を祈願して建てられたもので重さ38トン、高さ5.44mもある。とても大きいもので、重機のない昔にどうやってここまで担ぎ上げてきたのだろう。
更に下っていくと国道に出る。もう鈴鹿峠は越えたのだ。あっけないほど簡単に越えてしまった。疲労が蓄積している身にとってはありがたかったが、一方では少し物足りなかったというと言い過ぎか?。
山中川を越えると右手にちょっとした公園がある。ここに「坂は照る照る、鈴鹿は曇る、あいの土山雨が降る」と書かれた鈴鹿馬子唄之碑が立っている。この地域の天気の変化の激しさを唄った馬子唄だ。坂は坂下宿、鈴鹿は峠、土山は土山宿を指している。
田村神社がある。鈴鹿峠の鬼を退治した坂上田村麻呂を祀っている。社殿は鈴鹿峠から移されたものだそうだが、大きな神社だ。
右手に東海道一里塚の碑があり、これを過ぎると土山宿に入る。
12時土山宿に到着する。
関宿から4時間35分、24603歩。
ここでうかい屋に入り山菜そばを昼食として食べながら、ご主人としばし談笑する。
ここのご主人は東海道に詳しく(これは後で知ったことなのだが東海道ウオークの会の関西ブロック長をされておられるそうだ)色々な資料も取り揃えられていた。もう少しお話を聞かせていただきたかったがスーツ姿のお客さん(?)が数名入って来られたので12時50分出発する。
大日川掘割跡がある。野州川はしばしば水害を起こしたので元禄12年(1699年)に領主堀田筑前守に願い出て約907mの掘割を築いたと説明されていた。
このあたりからしばらく松並木が続く。
15時30分水口宿本陣跡に着く。
土山宿から2時間40分 16625歩。
ここから道は二つに別れ、更にその先でまた二つに分かれていて都合三本に別れている。手元にある資料ではどの道にも東海道を示す赤い色が塗られている。近くにいた人に聞いてみると、どの道も東海道だそうだ。どの道を通っても先の水口石橋駅のところで合流している。私の場合は進行方向に向かって一番左側の道を歩いた。このように道が三本に別れているのは、東海道の中でここだけだそうだ。水口は甲賀市、忍者の町だが今はその面影はない。
今日の宿「あや乃」には水口石橋駅から電話をする。昨日予約をしたときに電話をするように言われていたのだ。女将さんが迎えに来てくれる。明るくて元気のいい女将さんだ。
夕食のときこの宿の若夫婦二人と色々と話をする。その中でお二人の結納の前夜、ご両親が結納の口上を練習したそうで、丁度そのときに宿泊をしたお客さんが、そのときの様子をHPに書かれており、その内容がプリントアウトして壁に貼っていた。中々面白い内容だ。
またここに宿泊したお客さんの写真が壁一杯に貼ってあり、この宿の方がお客さんと大切にされている様子が良くわかった。中々いい宿だと思う。
今日も終日好天。歩くにはとても気持ちのいい一日だった。
いよいよ残すところ後わずかになってきた。もう一踏ん張りして無事に京都にゴールインしたい。
本日の歩行時間 8時間35分
本日の歩数&距離 43108歩(約29.4km)
旅の地図
記録
-
2007年03月13日(火)
-
2007年03月14日(水)
-
2007年03月15日(木)
-
2007年03月16日(金)
-
2007年03月17日(土)
-
2007年03月18日(日)
-
2007年03月19日(月)
-
2007年03月20日(火)
-
2007年03月21日(水)
-
2007年03月22日(木)
-
2007年03月23日(金)
-
2007年03月24日(土)
-
2007年03月25日(日)
-
2007年03月26日(月)
-
2007年03月27日(火)
-
2007年03月28日(水)
-
2007年03月29日(木)
-
2007年03月30日(金)
プロフィール
歩人
かっちゃん