2007年03月27日(火)
四日市~石薬師~庄野~亀山~関
曇り夕方から雨
今夜の宿を予約したとき、午後五時まで留守にしているので、到着はそれ以降にしてほしい。もしそれ以前に着いたときは店の前に椅子があるのでそこにでも座って待っていてほしいといわれた。さすがに店の前で待つのはイヤだったので今日の予定所要時間から逆算をして8時40分にホテルを出発する。
昨日の桑名を歩いているときから気がついていたのだが、この近辺は道筋に東海道の標示が多い。このあたりの自治体が力を入れているのだろうか。色々な種類の標識が掲げられている。特に一般の住宅に掲げられている標示板はどこも同じレイアウトだ。誰がどういう基準でこれを掲げているのだろうか、少なくとも個々人が勝手にやっているのではないようだと疑問に思い、役所の観光課や観光協会に電話をして確認をしてみたが結局わからなかった。
東海道の標識ということで統一された組織でやっているのではないようだ。
ただこういう標識が頻繁にあると歩くうえで非常に助かった。
日永の一里塚を通る。やはり歩いているという夫婦らしい二人連れとすれ違う。この一里塚は江戸から百里という大きな区切りの一里塚だ。ここまで来たという思いが湧く。
さらに少し行くと「日永の追分」という塚がある。ここは伊勢参宮道との分岐点になっている。お伊勢参りの人はここから一路伊勢へと歩いていったのだろう。
「杖衝坂」を通る。ここは日本武尊が賊と戦って傷つき剣を杖の代わりにして越えた坂と説明書きがあった。随分古い話である。又すぐ横に「徒歩ならば杖つき坂を落馬かな」という芭蕉の句碑が立っていた。季語のない俳句だ。我々の作る俳句で季語がないということは考えられないが、芭蕉のような達人にかかればそれもそれなりに評価されるのであろう。
でも、この句のどこがいいのか正直なところよくわかりません。
日本橋から百一番目の采女一里塚を過ぎ、更に進むと石薬師の小沢本陣跡を通る。
11時2分 石薬師宿を通る。
四日市宿から2時間22分 16535歩。
石薬師寺の本尊は弘法大師が彫ったといわれる薬師如来ということで毎年12月20日に開帳されるそうだ。
12時26分 庄野宿を通る。
石薬師宿から1時間24分 5766歩。
この間の距離は短く東海道では御油宿~赤坂宿に次いで二番目に短い距離だ。
川俣神社がありここにスダジイの巨木がある。これは三重県指定の天然記念物に指定されているが、大きく枝を広げてその威容を誇っている。
このあたりはかなりの田舎町。昼なのだが食堂がない。探しながら歩いたのだが店があるような雰囲気ではない。ちょうど通りかかった人がいたので尋ねてみると、食堂はないがコンビニはあるということでその場所を教えてもらい、ようやく昼食を買うことができた。さてどこで食べようかと思って周囲を見渡すとコンビニの後ろに警察の駐在所が見えたので、そこの前で弁当を食べることができた。
道路わきで休憩をしていると、孫を連れたオバサンが話しかけてきた。今日はどこに泊まるのかと聞かれたので宿の名前を言うと、以前その宿の近くに住んでいて、その宿の女将さんのことも良く知っていると言っていた。ここでしばらく話をする。
亀山宿に入る手前で道に迷ってまたウロウロしてしまう。資料に「西町交差点」と書かれていたので、てっきり信号があると思い込んでしまい、信号のある交差点を探したのだ。坂を下ったところにお菓子屋さんがあり、そこに入って聞いたが、その人もよくわからない。住宅地図まで持ってきて調べてくれてようやくわかった。交差点といっても信号のない交差点だったのだ。ここから坂道を登ると亀山宿になる。ここには亀山城があるが今日は立ち寄らずに歩く。
15時54分 亀山宿を通る。
庄野宿から3時間28分 14028歩。
野村一里塚跡がある。日本橋から百五番目の一里塚で樹齢400年の椋の巨木が立っている。椋の一里塚は全国でもここだけだという。
更に進むと大岡寺畷がある。左手に鈴鹿川が流れており、まっすぐに伸びた道の両側には桜並木が立ち並ぶ。昔は松並木だったそうだが、なかなかの景観だ。
このころから雨が降り出した。ひどくならないうちに宿に着こうと先を急ぐ。
関宿の東追分、一里塚がある。
ここは伊勢別街道との分岐点だ。昔はここから伊勢へ参拝したのだろう。
17時7分 ほぼ予定通りの時間に関宿に着く。
亀山宿から1時間13分 8447歩。
関宿は昔ながらの姿を残した宿場町だ。最近の建物も昔の雰囲気に沿う形で作られており、電線も地中に埋められているのだろう、見えない。この宿は伝統的建造物群保存地区に指定されている。最近この雰囲気を売り物にして観光客がかなりの数やってきているということだった。
今日の宿は本陣のすぐ近くだった。
夜、学生時代のクラブの友人と会う。彼は亀山に住んでおり、今通ってきた道をタクシーで引き返し亀山駅で合流する。奥さんも一緒になって三人で駅の近くの焼肉屋でご馳走になる。今回の旅で二人目の友人との出会いだ。彼とは同じ学部出身の同級生。下調べをしている段階で旧東海道が亀山を通っていることに気がついた。思っても見なかったことだったので、早速彼に電話を入れ確認すると、彼の家からさほど離れていないところを通っているようなので会う約束をして今日に至ったのだ。今日も昼間歩いていると何度も電話が入り、「今、どこを歩いているんや」と聞いてくる。昨年の春にOB会で会って以来の再会だ。しばし歓談後、雨の中奥さんの車で宿まで送ってくれる。偶然なのだが、静岡の友人と同様に今日会った夫婦も新婚旅行で鹿児島に来ており、奥さんとはそのときに会っている。今回も友人のよさを再確認する。楽しいひと時だった。
本日の歩行時間 8時間27分
本日の歩数&距離 44908歩(約30.5km)
今夜の宿を予約したとき、午後五時まで留守にしているので、到着はそれ以降にしてほしい。もしそれ以前に着いたときは店の前に椅子があるのでそこにでも座って待っていてほしいといわれた。さすがに店の前で待つのはイヤだったので今日の予定所要時間から逆算をして8時40分にホテルを出発する。
昨日の桑名を歩いているときから気がついていたのだが、この近辺は道筋に東海道の標示が多い。このあたりの自治体が力を入れているのだろうか。色々な種類の標識が掲げられている。特に一般の住宅に掲げられている標示板はどこも同じレイアウトだ。誰がどういう基準でこれを掲げているのだろうか、少なくとも個々人が勝手にやっているのではないようだと疑問に思い、役所の観光課や観光協会に電話をして確認をしてみたが結局わからなかった。
東海道の標識ということで統一された組織でやっているのではないようだ。
ただこういう標識が頻繁にあると歩くうえで非常に助かった。
日永の一里塚を通る。やはり歩いているという夫婦らしい二人連れとすれ違う。この一里塚は江戸から百里という大きな区切りの一里塚だ。ここまで来たという思いが湧く。
さらに少し行くと「日永の追分」という塚がある。ここは伊勢参宮道との分岐点になっている。お伊勢参りの人はここから一路伊勢へと歩いていったのだろう。
「杖衝坂」を通る。ここは日本武尊が賊と戦って傷つき剣を杖の代わりにして越えた坂と説明書きがあった。随分古い話である。又すぐ横に「徒歩ならば杖つき坂を落馬かな」という芭蕉の句碑が立っていた。季語のない俳句だ。我々の作る俳句で季語がないということは考えられないが、芭蕉のような達人にかかればそれもそれなりに評価されるのであろう。
でも、この句のどこがいいのか正直なところよくわかりません。
日本橋から百一番目の采女一里塚を過ぎ、更に進むと石薬師の小沢本陣跡を通る。
11時2分 石薬師宿を通る。
四日市宿から2時間22分 16535歩。
石薬師寺の本尊は弘法大師が彫ったといわれる薬師如来ということで毎年12月20日に開帳されるそうだ。
12時26分 庄野宿を通る。
石薬師宿から1時間24分 5766歩。
この間の距離は短く東海道では御油宿~赤坂宿に次いで二番目に短い距離だ。
川俣神社がありここにスダジイの巨木がある。これは三重県指定の天然記念物に指定されているが、大きく枝を広げてその威容を誇っている。
このあたりはかなりの田舎町。昼なのだが食堂がない。探しながら歩いたのだが店があるような雰囲気ではない。ちょうど通りかかった人がいたので尋ねてみると、食堂はないがコンビニはあるということでその場所を教えてもらい、ようやく昼食を買うことができた。さてどこで食べようかと思って周囲を見渡すとコンビニの後ろに警察の駐在所が見えたので、そこの前で弁当を食べることができた。
道路わきで休憩をしていると、孫を連れたオバサンが話しかけてきた。今日はどこに泊まるのかと聞かれたので宿の名前を言うと、以前その宿の近くに住んでいて、その宿の女将さんのことも良く知っていると言っていた。ここでしばらく話をする。
亀山宿に入る手前で道に迷ってまたウロウロしてしまう。資料に「西町交差点」と書かれていたので、てっきり信号があると思い込んでしまい、信号のある交差点を探したのだ。坂を下ったところにお菓子屋さんがあり、そこに入って聞いたが、その人もよくわからない。住宅地図まで持ってきて調べてくれてようやくわかった。交差点といっても信号のない交差点だったのだ。ここから坂道を登ると亀山宿になる。ここには亀山城があるが今日は立ち寄らずに歩く。
15時54分 亀山宿を通る。
庄野宿から3時間28分 14028歩。
野村一里塚跡がある。日本橋から百五番目の一里塚で樹齢400年の椋の巨木が立っている。椋の一里塚は全国でもここだけだという。
更に進むと大岡寺畷がある。左手に鈴鹿川が流れており、まっすぐに伸びた道の両側には桜並木が立ち並ぶ。昔は松並木だったそうだが、なかなかの景観だ。
このころから雨が降り出した。ひどくならないうちに宿に着こうと先を急ぐ。
関宿の東追分、一里塚がある。
ここは伊勢別街道との分岐点だ。昔はここから伊勢へ参拝したのだろう。
17時7分 ほぼ予定通りの時間に関宿に着く。
亀山宿から1時間13分 8447歩。
関宿は昔ながらの姿を残した宿場町だ。最近の建物も昔の雰囲気に沿う形で作られており、電線も地中に埋められているのだろう、見えない。この宿は伝統的建造物群保存地区に指定されている。最近この雰囲気を売り物にして観光客がかなりの数やってきているということだった。
今日の宿は本陣のすぐ近くだった。
夜、学生時代のクラブの友人と会う。彼は亀山に住んでおり、今通ってきた道をタクシーで引き返し亀山駅で合流する。奥さんも一緒になって三人で駅の近くの焼肉屋でご馳走になる。今回の旅で二人目の友人との出会いだ。彼とは同じ学部出身の同級生。下調べをしている段階で旧東海道が亀山を通っていることに気がついた。思っても見なかったことだったので、早速彼に電話を入れ確認すると、彼の家からさほど離れていないところを通っているようなので会う約束をして今日に至ったのだ。今日も昼間歩いていると何度も電話が入り、「今、どこを歩いているんや」と聞いてくる。昨年の春にOB会で会って以来の再会だ。しばし歓談後、雨の中奥さんの車で宿まで送ってくれる。偶然なのだが、静岡の友人と同様に今日会った夫婦も新婚旅行で鹿児島に来ており、奥さんとはそのときに会っている。今回も友人のよさを再確認する。楽しいひと時だった。
本日の歩行時間 8時間27分
本日の歩数&距離 44908歩(約30.5km)
旅の地図
記録
-
2007年03月13日(火)
-
2007年03月14日(水)
-
2007年03月15日(木)
-
2007年03月16日(金)
-
2007年03月17日(土)
-
2007年03月18日(日)
-
2007年03月19日(月)
-
2007年03月20日(火)
-
2007年03月21日(水)
-
2007年03月22日(木)
-
2007年03月23日(金)
-
2007年03月24日(土)
-
2007年03月25日(日)
-
2007年03月26日(月)
-
2007年03月27日(火)
-
2007年03月28日(水)
-
2007年03月29日(木)
-
2007年03月30日(金)
プロフィール
歩人
かっちゃん