2007年03月22日(木)
袋井~見付~浜松~舞阪
晴れ
朝ホテルを出て、昨日お世話になったど真ん中茶屋に出向く。もう店を開けていたので、お世話になったお礼を言い、7時45分に出発をする。しばらく歩くと左手に木原一里塚がある。これは復元されたものだという。右手に許禰神社がある。「こね」と読むそうだ。ここは元亀3年(1572年)徳川家康と武田信玄との間で戦われた三方ヶ原の合戦の前哨戦が行われた場所だ。
蟹田川に架かる西木橋を渡ると磐田市に入る。
左手に嘉禄元年(1225年)創建といわれる須賀神社がある。ここには樹齢600年といわれる大きな楠の木が立っている。
太田川に架かっている三ヶ野橋を渡ってしばらく行くと見付宿に入る。
9時25分 見付宿を通る。
袋井から1時間40分 11055歩。
東海道を半分過ぎたところで、今後は各宿間の所要時間と歩数を記することにし、記録をとるように心がける。
昔は西から来た場合、見付から初めて富士山が見えたのでこの名前がつけられたということだが、残念ながら現在は全く見えなかった。見付宿に入る前に富士見という名前の歩道橋を渡ったが、この名前なども当時の名残なのかもしれない。この宿は天竜川の川越宿場として栄えたということだ。
本陣跡を通って行くと姫街道分岐点があり、「これより姫街道三州御油まで」の道標が立っている。女性はこちらの道を通る人が多かったそうだ。姫街道はそのまま直進するが、東海道はここを左折して進む。宮之一色一里塚がある。これは昭和46年に復元されたもので日本橋から六十三里目になる。
11時 天竜川を渡る。昔は池田の渡船場があり、そこから船で渡っていたそうだが、今は天竜川橋と新天竜川橋という二本の橋が架かっいる。新天竜川橋を渡るが、風が強く何度も帽子が飛ばされそうになる。写真は新天竜川橋から見た天竜川橋。大井川と同様に長い橋だった。
国道一号線バイバスを通ったあたりから松並木が続く。
一号線をまっすぐに歩いていくと馬込川に架かる馬込橋を渡り、やがて浜松宿に入る。
13時 浜松に着く。
見付から3時間35分 21583歩。
ここは宿の跡はなく、標識も出ていなかったので、本陣の近くと思われる場所にある本屋さんに聞いてみたが知らない様子。結局わからなかった。(見逃したのかもしれません)
折角浜松に来たのでうなぎ大好き人間である私はうなぎを食べようと思っていた。駅の近くに評判の店があり、そこは以前行ったことがあるので、そこに行ってみようかと思いながら歩いていると、道筋に沿ったところにうなぎ屋があった。どこで食べてもうなぎはうなぎなのでどこでもいいや、と思いその店に入ってうな丼を食べる。
今日は半分を過ぎたことだし、疲れも大分溜まっているのでここで一泊しようかと思っていたのだが、まだ昼でチェックインできる時間までかなり時間があるし、今後のスケジュールを改めて検討してみると、今日中に舞阪まで足を伸ばしておいたほうがいいだろうと思うようになり、舞阪の宿に電話を入れたところ予約ができたので13時40分 再び歩き始める。
今日は一日中平坦な道で、これといった変化もなく淡々と歩き続ける。道の所々に松並木の面影を残す松が残っており、特に舞阪近くの長池にくると道の両側に340本の松が700mにわたって並んでいる。ここは中々に壮観だ。平徳二年(1712年)には1420本の松が植えられていたと説明されていた。この松によって旅人は日差しから守られたと書かれてあったが、そう思って松を見るとその太い幹に良く頑張ってきたねとつい声をかけたくなってしまう。車の通行量もさほど多くなく、こんな道を歩くのは気持ちがいい。
舞坂の一里塚を通りしばらく行くと舞阪宿だ。
16時28分 舞阪宿本陣跡に着く。
浜松から2時間48分 17642歩。
やがて道は浜名湖に突き当たるのでここを右折し、弁天橋を渡ると今日の宿があった。左手に浜名湖が太平洋と繋がっており、そこに大きな橋がかかっている。湖の中に赤い鳥居が立っていて、なんとなく旅情をかきたたせる風景だ。
16時40分民宿に到着。
本日の歩行時間 8時間55分
本日の歩数&距離 50929歩(約34.6km)
朝ホテルを出て、昨日お世話になったど真ん中茶屋に出向く。もう店を開けていたので、お世話になったお礼を言い、7時45分に出発をする。しばらく歩くと左手に木原一里塚がある。これは復元されたものだという。右手に許禰神社がある。「こね」と読むそうだ。ここは元亀3年(1572年)徳川家康と武田信玄との間で戦われた三方ヶ原の合戦の前哨戦が行われた場所だ。
蟹田川に架かる西木橋を渡ると磐田市に入る。
左手に嘉禄元年(1225年)創建といわれる須賀神社がある。ここには樹齢600年といわれる大きな楠の木が立っている。
太田川に架かっている三ヶ野橋を渡ってしばらく行くと見付宿に入る。
9時25分 見付宿を通る。
袋井から1時間40分 11055歩。
東海道を半分過ぎたところで、今後は各宿間の所要時間と歩数を記することにし、記録をとるように心がける。
昔は西から来た場合、見付から初めて富士山が見えたのでこの名前がつけられたということだが、残念ながら現在は全く見えなかった。見付宿に入る前に富士見という名前の歩道橋を渡ったが、この名前なども当時の名残なのかもしれない。この宿は天竜川の川越宿場として栄えたということだ。
本陣跡を通って行くと姫街道分岐点があり、「これより姫街道三州御油まで」の道標が立っている。女性はこちらの道を通る人が多かったそうだ。姫街道はそのまま直進するが、東海道はここを左折して進む。宮之一色一里塚がある。これは昭和46年に復元されたもので日本橋から六十三里目になる。
11時 天竜川を渡る。昔は池田の渡船場があり、そこから船で渡っていたそうだが、今は天竜川橋と新天竜川橋という二本の橋が架かっいる。新天竜川橋を渡るが、風が強く何度も帽子が飛ばされそうになる。写真は新天竜川橋から見た天竜川橋。大井川と同様に長い橋だった。
国道一号線バイバスを通ったあたりから松並木が続く。
一号線をまっすぐに歩いていくと馬込川に架かる馬込橋を渡り、やがて浜松宿に入る。
13時 浜松に着く。
見付から3時間35分 21583歩。
ここは宿の跡はなく、標識も出ていなかったので、本陣の近くと思われる場所にある本屋さんに聞いてみたが知らない様子。結局わからなかった。(見逃したのかもしれません)
折角浜松に来たのでうなぎ大好き人間である私はうなぎを食べようと思っていた。駅の近くに評判の店があり、そこは以前行ったことがあるので、そこに行ってみようかと思いながら歩いていると、道筋に沿ったところにうなぎ屋があった。どこで食べてもうなぎはうなぎなのでどこでもいいや、と思いその店に入ってうな丼を食べる。
今日は半分を過ぎたことだし、疲れも大分溜まっているのでここで一泊しようかと思っていたのだが、まだ昼でチェックインできる時間までかなり時間があるし、今後のスケジュールを改めて検討してみると、今日中に舞阪まで足を伸ばしておいたほうがいいだろうと思うようになり、舞阪の宿に電話を入れたところ予約ができたので13時40分 再び歩き始める。
今日は一日中平坦な道で、これといった変化もなく淡々と歩き続ける。道の所々に松並木の面影を残す松が残っており、特に舞阪近くの長池にくると道の両側に340本の松が700mにわたって並んでいる。ここは中々に壮観だ。平徳二年(1712年)には1420本の松が植えられていたと説明されていた。この松によって旅人は日差しから守られたと書かれてあったが、そう思って松を見るとその太い幹に良く頑張ってきたねとつい声をかけたくなってしまう。車の通行量もさほど多くなく、こんな道を歩くのは気持ちがいい。
舞坂の一里塚を通りしばらく行くと舞阪宿だ。
16時28分 舞阪宿本陣跡に着く。
浜松から2時間48分 17642歩。
やがて道は浜名湖に突き当たるのでここを右折し、弁天橋を渡ると今日の宿があった。左手に浜名湖が太平洋と繋がっており、そこに大きな橋がかかっている。湖の中に赤い鳥居が立っていて、なんとなく旅情をかきたたせる風景だ。
16時40分民宿に到着。
本日の歩行時間 8時間55分
本日の歩数&距離 50929歩(約34.6km)
旅の地図
記録
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2007年03月13日(火)
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2007年03月14日(水)
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2007年03月15日(木)
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2007年03月16日(金)
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2007年03月17日(土)
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2007年03月18日(日)
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2007年03月19日(月)
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2007年03月20日(火)
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2007年03月21日(水)
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2007年03月22日(木)
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2007年03月23日(金)
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2007年03月24日(土)
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2007年03月25日(日)
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2007年03月26日(月)
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2007年03月27日(火)
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2007年03月28日(水)
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2007年03月29日(木)
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2007年03月30日(金)
プロフィール
歩人
かっちゃん