東海道を歩く

2007年03月13日(火) ~2007年03月30日(金)
総歩数:756832歩 総距離:514km

2007年03月15日(木)

保土ヶ谷~戸塚~藤沢~平塚

                                    薄曇

 7時30分  ホテルを出発し保土ヶ谷までJRで行く。一駅4分だ。昨日ここまで歩いてきているので、今日はここからスタートだ。気温が今日も低いらしくヒンヤリとした冷気を感じるがそれもわずかの間で、ほどなく身体が暖まってくる。
 8時20分 権太坂に差し掛かる。正月にある箱根駅伝でよく名前を聞くところだが、走るコースと旧東海道は別の道のようだ。坂の入り口に標示板がある。旧東海道は色々なところに標示板があり歩く上で非常に参考になった。坂の名前の由来は坂の名前を聞かれた人が自分の名前を聞かれたと勘違いをして「権太」と答えたことによるそうだ。
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 だらだらとした坂を約10分程上る。標示板によると昔はもっと急坂だったそうで、日本橋を出て最初の難所だったと書かれていた。たしかに権太坂を越えた後も焼餅坂,品濃坂と坂が続くが、現在の道は特に難所と呼ぶほどのことではなかった。このあたりは昔は山の中だったのだろうが今は閑静な住宅街になっている。
 品濃一里塚を通る。日本橋から9番目の一里塚で「← 戸塚宿 保土ヶ谷宿 →」と彫り込まれた石碑が立っている。この一里塚は道を挟んで両側に残っており、こうした状態で残っている一里塚は珍しいと書かれていた。
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 左手に果樹園が広がっている。こんなところに果樹園があるのはちょっと意外だった。やがて品濃坂を下るが、この坂はかなり急な下り坂だ。坂を下り終わったところで右折し環状2号線をまたぐ品濃歩道橋を渡る。この橋から後ろを振り返るとかなりの高さを下ってきたことがわかる。
 10時20分 戸塚駅の横を通る。プラットホームのすぐ横に踏切がありそこを渡る。
 戸塚本陣跡はすぐ近くにある。駅周辺はかなりの賑わいで繁華街となっている。日本橋から十里になるため、ここで最初の一泊をする人が多くそのことで賑わったと資料にある。十里といえば四十キロ近い距離だ。昔の人は足が強かったんだなと思う。

 11時15分仮名手本忠臣蔵に出てくるお軽勘平道行碑がある。当時の戸塚は山の中だったようだ。
 やがて原宿一里塚があったというところを通るが、今は塚は残っておらず、わずかに緑が残されていて昔をしのばせる程度だ。このような状態の塚はその後もかなりあった。こうして次第に昔の姿が消えていくのだろう。

 12時40分 遊行寺の前を通る。一遍上人の興した時宗の総本山だそうで、境内には樹齢700年の大銀杏があり、相当に大きなお寺だ。
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 JR藤沢駅はここからすぐ近くにある。駅からすこし行くと藤沢本陣跡の標識がある。

 13時30分 茅ヶ崎市に入ると道の両側に松並木がある。ここからしばらく途切れ途切れなのだが松並木が続く。
東海道=松並木=大名行列という連想が浮かぶ。「下にぃ~下にぃ」と言いながら、この松林を大名行列が歩いていく姿を想像しながら歩く。
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 14時25分 茅ヶ崎駅の近くを通る。茅ヶ崎一里塚がある。日本橋から十四番目で南塚のみ残っている。
 鳥井戸橋を渡る。この橋の上から神奈川県内で唯一左富士が見えるそうだが、あいにく雲が広がっていて見えなかった。

 15時10分 相模川を渡る。大きな川だ。橋の中ほどに日本橋から62kmの標識がある。橋を渡り終えたところに馬入の一里塚があり、15番目の一里塚と書かれている。前者は現在の国道の距離であり、後者は旧東海道の距離なので差があって当然なのだが、それにして昔の距離も正確だ。どのようにして計測したのだろうかとまた思う。

 15時45分 平塚駅のすぐ近くのホテルに到着。歩き始めて三日目、少し足に張りを感じ始めていたのでマッサージをしてもらう。なかなか上手で気持ちが良かった。このマッサージさんもブログを立ち上げているということでおたがいのアドレスを交換し合う。旅における思わぬ出会いである。

本日の歩行時間 8時間11分
本日の歩数&距離 45371歩(約30.9km)

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