東海道を歩く

2007年03月13日(火) ~2007年03月30日(金)
総歩数:756832歩 総距離:514km

2007年03月14日(水)

大井町~川崎~横浜~保土ヶ谷

                                    晴れ

 7時30分にホテルを出発し15分ほど歩いて国道15号線に合流する。国道は歩道は整備されているものの車が多く騒音がうるさい。
 立会川にかかる泪橋を渡る。この橋は鈴ケ森刑場で処刑される罪人と縁者が涙で別れたことから泪橋といわれたそうだ。
 間もなく鈴ケ森刑場跡があったが、なぜかなんとなく見る気がしなくて通り過ぎる。
 しばらく歩いていると三原通りというところで国道と分かれ旧東海道の通りになる。カラー舗装されているが車はあまり通らず歩きやすい。片側一車線の広さで昔の東海道もこんな感じだったのだろうと思わせる雰囲気がある。
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 ビルの温度計が6度を表示している。いい天気なのだが風が冷たい。もっとも歩いていると身体が暖まるので汗を少しかき始めた。一枚着ているものを脱ぐ。
 10時 六郷橋を渡る。多摩川にかかる橋だ。多摩川の下流を六郷川というそうで川原が広くテニスコートもあって数人の人がテニスに興じていた。
橋の上から右手に雪をかぶった富士山を眺めることができた。P3060014-1
 橋を渡りきるとそこは川崎市だ。橋を渡ってすぐのところに旧東海道は右折という標識が出ていた。
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 10時15分 JR川崎駅を右手に見ながら通り過ぎる。
 11時 市場村一里塚の前を通る。日本橋から五つ目の一里塚だ。昔はこうして一里塚を作る際、距離はどのようにして計っていたのだろうか。現在のように便利な機械がない時代、随分大変なことだったのだろうと想像する。
 11時35分 生麦事件のあった現場前を通る。普通の民家が立ち並ぶ住宅街でその中の一軒の家の垣根に事件のことを記した看板がある。ここが生麦事件が起こった現場ということだ。道路を挟んだ前は飯島葬祭という葬儀屋さんだ。意識をしてこの場所に会社をおいたのではないだろうが、なんとなく場所にマッチしているように感じた。
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 更に進むと生麦事件碑が立っている。この碑の場所で薩摩藩士から切られた英国人リチャードソンが絶命したということだ。この事件をきっかけにして薩英戦争が勃発し薩摩は完敗するのである。
 12時に新子安駅の前にある蕎麦屋で昼食をとる。四国のときと違って食堂はいたるところにあるため、食い意地のはっている私としては非常に有難い。
 13時30分 横浜駅の近くのホテルに到着。
 まだ早すぎるが、この先しばらくはホテルがないためとりあえずチェックイン。部屋には入れないので荷物をロッカーにいれ、ホテルの人としばらく話をした後再び歩き始める。
 JR線に沿って道路は走っているので、今日は保土ヶ谷まで歩き、帰りはJRを使って横浜まで帰る。明朝は同じくJRで横浜から保土ヶ谷まで行き,そこから歩き始めるというスケジュールを立てたのだ。
 歩いているとこの間の道路に旧東海道という標識が一定間隔で埋め込まれていた。もっともこの図柄は何を示しているのだろう?わからなかった。
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 これから後もそうだったが、色々な場所に旧東海道の標識が設置されていた。東海道宿場設置400年記念で設置されたものもあるのではないかと思った。こうして標識が整備されていると歩く者にとってはとても助かる。
 14時38分 保土ヶ谷駅に到着。
 まだ早い時間だったし、余力は十分あったが、次の駅である東戸塚まではかなり距離があるようだったし、まだ歩き始めたばかりだったので、慣らし運転のつもりでここで止めておく。
 JRで保土ヶ谷から横浜までわずか4分、130円だった。
早い!安い!

本日の歩行時間 7時間8分
本日の歩数&距離 39085歩(26.6km)

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