北海道を歩く

2006年09月17日(日) ~2006年10月16日(月)
総歩数:682610歩 総距離:477km

2006年10月13日(金)

八雲町八雲館~森町菊水旅館

                  歩数:47594歩 移動距離:33.3km

 7時10分に宿を出る。外に出ると寒い。10度を切っているようだ。昼と夜の気温の差が激しくなってきている。九州では冬の気温だ。ただ室内は暖かい。窓はどこも二重窓になっており、寒さ対策が万全になっている。冬の北海道はまだ来たことがないので一度来てみたいと思う。
 しばらく行くと道路工事をやっている。昨夜旅館で一緒だった人たちはこういう工事関係者なのだろうと思った。今日は特にあちこちで道路工事が多く目に付いた。北海道は大きな工場や企業が少ないため、どうしてもこうした公共工事に依存する体質になってしまうのだろう。小泉内閣で公共工事の予算をかなり絞り込んできたので、その影響がこうした地方にモロに出てきて、中央と地方の格差を生む一因になっているのだろう。それにしてもこれだけ広大な原野が広がっているのだから、これを利用するいいアイディアはないものか。
 今日もそうした原野と海沿いの間の道を一人黙々と歩く。
 山越という集落にでる。ここは亀田(函館市)にあった関門を1801年にこの場所に移設した、日本最北の関所があったところだ。
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 その頃には多くの人がここに住むようになっており、警備上重要な地だったということだ。極寒の地での当時の人たちの生活ぶりはどのようなものだったのだろうかと興味がわく。JR山越駅もそういう土地柄を考えているのだろう、関所をイメージした建物になっているし、近くにあったバス停も似たような造りで、こちらは「乗合待合所」という看板が出ていた。
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 今日も国道5号線に沿って歩く。
 落部(オトシベ)という集落がある。この集落は海沿いにあり、その外周をグルッと囲むようにして5号線が走っている。国道は騒音がうるさいし、何よりも集落の中を歩いたほうが早道だと思い、集落の中の道を歩く。ただどの道を行けば再び5号線に出るのかわからないため、丁度トラックに荷物を積み込んでいたオヤジさんがいたので道を聞く。オヤジさん、仕事の手を休めて親切に色々と説明をしてくれたのだが言葉がわからない。若い人の言葉は聞き取れるのだが、年齢の高い人の言葉は本当にわからない。ただ、抜けることができるといっているようなので礼を言って別れる。しばらく歩くと目論見どおりに集落を抜け5号線に出ることができた。
 今日もJR線沿いに道が走っているので駅舎で休憩を取りながら歩く。石屋という駅で張り紙がしてある。「手前のホーム側線路又は向かい側線路を列車が高速で通過する際、車体に付着した氷解等がホームに飛散する場合がありますので待合室等で待つようにしてください」と書かれている。さすがに北海道だと思う。九州では考えられないことだ。
 前方に1131mの駒ケ岳が見えてくる。すぐ横は1113mの砂原岳だ。海の向こうに聳え立っている姿は錦江湾に浮かぶ桜島を思い出させる。よく似ている。この駒ケ岳、これからずっと視界に入ってくるのだが、それぞれの場所で微妙に姿かたちを変えて見える。なかなかいい山だ。
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 噴火湾を挟んだ向こうに室蘭が薄く霞んで見える。後ろを振り返ると湾の奥にここも霞んで山が見える。この湾をグルッと回ってここまで歩いてきたのだと思うとなんともいえない気持ちになる。わずか70cmの一歩であっても歩数を積み重ねることによってこれだけの距離を歩くことができたのだ。このように努力の積み重ねを目で見ることができることはとてもうれしいことである。
 石屋駅を過ぎると跨線橋がある。ただ、どうみても歩道がない。二車線の橋をバスやトラックがぎりぎりで走っている。怖いし危ないので横の道を歩いていくと、オバサンが庭の草取りをしていた。「この道は線路の向こう側にでて、5号線に合流できますか」と聞くと、「出ないよ」という。「じゃ、5号線を行くしかないのですね。でも歩道がなくて怖いですね」というと「怖いよ、怖いよ」と二度重ねて言う。仕方がないので跨線橋の入り口まで戻り橋を渡る。すぐ横、ぎりぎりのところを大型のバスやトラックが通るので危なくて仕方がない。壁にへばりつくようにしてようやく橋を渡りホッとしたところで、下から上ってくる階段があった。よくよく見ると線路を渡ってここに来る道があったのだ。何たることや!何故オバサンは道はないといったのだろう?と思うと同時に跨線橋の入り口に何らかの標識があればこんなことにはならなかったのにと思った。
 そこから間もなく湯の崎トンネルに入る。ここも歩道がなく怖い。おまけに排気が悪いのだろう、排気ガスの強烈な臭いが鼻を突く。460mがとてつもなく長く感じられ、外に出てもしばらくは喉の調子が悪く、気分も悪かった。1969年に竣工してるのでかなり古いトンネルだった。
 国道に榎本武陽が箱館戦争の時上陸したという鷲ノ木という場所が表示されていたので少し横道に入ってみる。明治元年に上陸したそうだが司馬遼太郎の「燃えよ剣」にも当時のことが書かれている。その頃にはすでに箱館との間に道が開かれていたと書かれていたが、「箱館」という文字を見たとき、もうすぐだという思いが一気に盛り上がってきた。

 16時10分森町にある菊水旅館に到着する。

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