阿波街道(長尾道)を歩く

2022年04月05日(火) ~2022年04月06日(水)
総歩数:53411歩 総距離:35.1km

2022年04月06日(水)

長尾~丹生

                          晴れ 
7時52分に長尾から歩き始める。左手に87番札所長尾寺がある。過去2回四国遍路したときにも訪れたところだ。88番結願までもう少しだと思ったことをよく覚えている。
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門前左右に重要文化財に指定されている経幢2基がある。これは中国で唐から宋時代に流行したもので、わが国では鎌倉中期ごろから作られ、経文を埋納保存する施設あるいは供養の標識として各地に建てられるようになったという。型式として単制と復制があり、ここにあるのは単制という。東側は弘安9年(1286)西側は弘安6年(1283)の銘があり、一基づつ相次いで奉納されたことがわかると説明されている。
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左手に「西善寺」がある。ここは15世紀半ばの創建で讃岐の真宗寺院としては早い時期にあたるという。
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赤いポストが立っている。この形のポストは最近めったに見かけなくなっているが、この先もあちこちに立っていた。
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右手に常夜燈と地神がある。
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「柳の泉跡碑」が清水川の横に立っている。この泉のことは延宝5年(1677)の玉藻集に記載されていたように、古くから皆に親しまれた清水であったが、清水川の護岸工事に支障をきたすことになったため、柳の清水がここにあったということを残すため、泉を再現し、小公園を造ったと説明されている。
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左手に宝円寺があり、こんな標語が掲げられていました。
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右手に「談議所其一 極楽寺」と刻まれた石碑が立っている。
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左手に「十三塚」と刻まれた昭和9年の石碑が立っており、その奥に大日堂がある。このお堂は現在八坂町集会場になっているようだ。
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右手に祠があり、石仏が祀られている。
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その先地蔵川に架かる橋を渡った右手に「布勢神社」と刻まれた道標が立っている。この先にある布勢神社は延喜式内社のようだ。どのくらい離れているのだろうかと思って、ちょうどおられた女性の方にお聞きすると、自分はこのあたりのことは詳しくないのでと言われて、お隣の方に聞いてくれたのだが、その際私のことを「ちょっとお兄さん」と呼んだのにはびっくりしてしまった。確かにその方は私よりは少しは年上かなという感じだったが、後期高齢者の私のことをお兄さんとは。。。確かにおじいさんと呼ばれるよりはお兄さんのほうがいいかな。。。
結局かなり離れているということを聞いて、立ち寄らずそのまま先へ進む。
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右手に「小倉藥師道」「従是二十七丁半 地蔵講中」と刻まれた文化5年(1808)の道標が立っている。
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右手に筒野通会堂があり、ここに文政5年(1822)の常夜燈が立っている。
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右手に池があり、堤に満開の桜並木がある。ここに大正11年の石仏がある。
9時46分にここを通る。
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池の先で道は二股に分かれているので、左へ直進する。
左手に「最心墓」と読める文政7年(1824)の石碑がある。資料によると「右やくり道」と刻まれているようだ。
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右手に石仏2体を祀るブロックで作られた地蔵堂がある。1体には昭和9年と彫られている。
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左手に「奉納 玉姫宮」と刻まれた昭和6年の常夜燈がある。
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黙々と歩いていると、前方から来られた自転車に乗った男性からすれ違いざまに「お四国さんですかぁ?」と声を掛けられた。返事をする間もなく走り去って行かれたが、久しぶりにお四国さんという言葉を掛けられた。今回はお遍路ではないのだが。。。。
天神団地前のバス停から右へ分岐するが、すぐ先で再びこれまで歩いてきた道に合流する。右手に「富田茶臼山古墳」があり、古墳の入口に常夜燈がある。
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ここから階段を登っていくと、途中右手に寛政4年(1792)の常夜燈が立っており、その横にさぬき市指定文化財になっている西岡の弥勒菩薩がある。
これは鎌倉中期から南北朝の作と考えられているという。頭部が欠落しているが、かなり大型の石仏で、言い伝えによると、約300年前、通り池(現在は公園になっている)を掘った際に発掘されたという。
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この古墳は5世紀前半に作られた全長139mある四国最大の前方後円墳という。
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すぐ先で道は二股に分かれているので、右へ進む。
王子橋を渡った右手に「慶應4年(1868)牛馬安全」と刻まれた馬頭観音がある。
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その先で道は二股に分かれているので、左へ進むが、ここから約2.3kmが旧南海道推定道の「たづら(田面)古道」になる。奈良時代空海が善通寺から奈良へ向かう際通った道であり、源義経の本隊がこの田面峠を経て屋島へ向けて駆け抜けた道とも言われている。
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左手階段の上に大師堂があり、その横に文化4年(1807)の石仏を含む古い石仏がある。
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その横右手に「玉光」と刻まれた弘化4年(1848)の常夜燈が立っている。
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左手に六地蔵があり、その真ん中に宝永4年(1704)(?)に見える地蔵尊が祀られている。
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右手に文化3年(1806)の三界萬霊がある。
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左手に国木の大師堂があり、前に「露山之墓」と刻まれた文政4年(1821)の墓がある。
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境内に「清淨光」と刻まれた資料によると天保10年(1840)の常夜燈と延享5年(1748)の地蔵尊を安置する祠がある。
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右手に「御神燈 氏講中」と刻まれた明治12年の常夜燈が立っている。
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左手に常夜燈と地神が並んで立ってるが、どちらも年不詳だ。
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左手に石仏がある。人里離れたところだが、花が手向けられている。
田面峠は静かな山の中の道で、鶯の鳴き声だけが響き渡っていて気持ちがいい。
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左手に「立割地蔵」があり、祠の中に立割地蔵和讃という額が掲げられている。調べてみると下記のような記述がみつかったのでそのまま掲載させていただきます。
「地蔵和讃(じぞうわさん)とは何だ?
親よりも先に亡くなり、「親を悲しませる」という罪を背負った子供達は、三途の川を渡ることが出来ず、残された父母や兄弟達のしあわせを願い石を積み供養をします。 しかし、鬼が現れ、積んだ石をくずしてしまいます。また次の日も同様に石を積みますが、鬼にくずされます。その日々が続いているところへお地蔵様が現れてその子供達を鬼から護り、あの世に導いてくださるという物語とのことだそうです。」
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右手に文化4年(1807)の「飛渡り不動明王」があるが、これは由来はわからなかった。
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その先で10号線に合流するのだが、ここで道を間違えた。大東の信号から左折しなければいけなかったのだが、うっかり右折して進んでしまったのだ。進みながらどうもおかしいと思うものの、まさか右折と左折を間違っているとは思いもよらず、迷って随分時間を無駄にしてしまった。思い込んでいるとGPSを見ても、自分がまちがっているとすんなり気が付かないという面が私にはあるようだ。これから注意しなければ。
大東の信号迄戻って進んで行くと、右手道路の向こう側に「不動尊」を祀る祠があり、ここにも不動尊和讃と書かれた額が掲げられている。
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11号線と分岐するところ右手に平和塔と書かれた石仏が立っている。
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13時19分に志度道との合流点に到着する。
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本日歩行時間    5時間27分。
本日の歩数&距離 25417歩、16.9km。
本日の純距離    14.1km。(途中、道を間違えず、寄り道をしないで街道だけを歩いた距離)

阿波街道長尾道総計
 総歩行時間     10時間49分。
 総歩数&総距離  53411歩、35.1km
 純距離        31.1km。(途中、道を間違えず、寄り道をしないで街道だけを歩いた距離)

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