丸亀街道を歩く

2020年02月03日(月) ~2020年02月04日(火)
総歩数:53071歩 総距離:34.1km

2020年02月03日(月)

高松常盤橋~八十場

                           晴れ 


中世まで讃岐の国は本州との関係から海上交通が発達していて、陸上交通はあまり大きな道はなかったが、天正15年(1587)に生駒親正が讃岐の領主になって、天正16年(1588)に高松城を築き始め、更に慶長2年(1597)に西讃支配のため、丸亀城を築き始めたことから、両城下を結ぶ道、丸亀街道が整備され始めた。江戸時代の丸亀街道は参勤交代の便には使われず、藩士らの公用や庶民の旅に主に使われており、生活の道として使われていた。そのためこの街道を丸亀街道と名づけた史資料は見当たらないものの、近世の交通に関して触れている論文・文献資料の多くは「丸亀街道」と名づけているので、「丸亀街道」と称することにした。

 「香川県歴史の道調査報告書第一集」を参考資料として使用した。

 街道の起点は高松城大手門前の常盤橋であったが、現在は撤去されていて、遺構は全く残っていない為、市内のアーケード内にある、ちょっとした広場を出発点とした。11時44分に出発する。
アーケード
 街道はここから西へ行くルートと南へ向かうルートに分かれ、綾歌郡境で合流することになるので、今回は西ルートを歩くことにした。アーケードの中を進んでいくが、30号線を横断するところに、「八雲橋」の橋げたがある。これは明治12年に高松城(玉藻城)の外堀に架けられた橋で、和歌でいう「出雲」の枕詞、「八雲たつ」から名づけられ、「出雲大社分院に橋がかかる」と「和歌の枕詞がかかる」をかけているという。この橋は明治33年頃に外堀とともに姿を消したが、約100年後、工事中に土中から橋の柱の一本が見つかったことから、その柱を使ったモニュメントとして平成の世に蘇ったという。
その反対側には高知市の道路元標が立っていた。 
八雲橋
 アーケードを抜けて直進すると、道は二又に分かれているので、右へ進む。
右へ1
 T字路の右手に健治元年(1275)に創建されたという「若一王寺神社」がある。
若一王寺神社
 街道はここから左折、すぐ先で右折して進む。城下町特有の道筋だ。
 西浜第5踏切でJRの線路を横断、摺鉢谷川を渡り、その先で33号線に合流、香東川を渡ってすぐに左折して川沿いを進む。河川敷には自転車道が作られている。
 左手に「香東川渡し場跡」碑が立っており、「炬燵出て 早あしもとの 野河かな」という与謝蕪村の詩が刻まれている。蕪村が高松の豪商・富山家に宿泊したのち、川を船で渡った時の詩とのことだ。
蕪村歌碑
 その先で道は二又に分かれているので、右へ進む。ここはオイワケと呼ばれていたところで、「右 金毘羅道」「左 一の宮道」と刻まれたまだ新しい道標が立っている。
左一の宮道
 更にこの分岐点には明治3年と明治42年の地蔵尊と「角力世話人弥次郎之墓」が立っている。
明治3年
 175号線を横断して進み、木津川の川岸に出て、川沿いを進んでいくと、木津川橋の手前右手に寛政9年(1797)の常夜燈が立っていて、「金毘羅大権現」と刻まれている。その横に「丸亀街道」の説明板が立っていて、生駒親正が作った丸亀街道のことが説明されており、更に当時木津川の川岸は一面竹林が生い茂っていたことから、今も「竹林」という地名が残っているとも書かれている。
寛政9年常夜燈
 木津川橋を渡っていくと、右手に「金毘羅大権現奉燈」と刻まれた、寛政と読むことができる常夜燈が立っている。
寛政常夜燈
 その先右手に火袋がコンクリートで出来ている「常夜燈」が立っている。
コンクリート
 左手に「これよ里 一のみや」と刻まれた文政元年(1818)の道標が立っている。
文政元年道標
 175号線と合流する所、右手に「高松 琴平道」「上笠居村 藤井 中村好太郎 」「鬼無駅香西西道」と刻まれた大正13年の道標が立っている。
大正13年
 ここから鬼無宿に入っていく。ここは高松から来た最初の宿場町で栄えていたところという。
鬼無宿
 左手に「献燈」と刻まれた安政2年(1855)の常夜燈が立っている。
献灯
 その先、衣掛池のところで道を間違った。33号線に合流して左へ進んだのだが、街道はその手前から175号線から左へ分岐し、衣掛池の堤防のところから右へ堤防に沿って進まなければいけなかったのだ。
衣掛池
 衣掛池は弘法大師が松の枝に衣をかけて休んだとも、西行が西国行脚の途中、その衣を洗ったともいわれている。
 池の堤には常夜燈、地神、稲荷大明神などが並んで立っている。14時4分にここを通る。
池横常夜燈
 線路沿いに歩くが、左手に「円蔵院」がある。ここには木喰行道上人が天明8年(1788)に刻んだという「日本唯一舌出し閻魔大法王」がある。
園蔵院1園蔵院2

 衣掛踏切でJRの線路を横断して33号線に合流、一旦右へ分岐して細道を進むが、すぐに33号線に合流する。
 左手から171号線が合流する所、左手に「右 一宮道」と刻まれた道標がある。
右 一宮道
 その先で道は二又に分かれているので、右へ直進するが、この右手に楠原神社の参道があって、入り口に「楠原神社」の社標が立っており、その横に弘化3年(1846)の「八幡宮」と刻まれた常夜燈が立っている。
楠原神社1楠原神社鳥居

 右手に「金」と刻まれた文化9年(1812)の常夜燈が立っている。
文化9年
 右手に国分寺北部小学校があり、その横、道を隔てたところに、国分寺コミュニティセンターがあるが、ここの壁際に六基の道標が集められている。資料によると夫々「左 こんひら道 是ヨリ五里」「南 こんひら 北 こくぶ 北 はしおか 南 福家 道」(大正11年)、「右 やすはら 左 一ノみや 道」「左 高松 右 こんひら」「左 こんひら 右 国分寺」(明治21年)と刻まれている。
コミュニティーセンター
 その右手に「史蹟 讃岐国分尼寺之跡 従是北四町 法華寺」と刻まれた道標が立っている。法華寺は元国分尼寺だったところという。14時49分にここを通る。
史蹟 讃岐国分尼寺
 左に分岐する道があるところの左手に「金」と刻まれた常夜燈が立っている。
金 常夜燈
 右手少し入ったところに鐘楼を兼ねた山門がある「徳清寺」がある。元文年間にこの街道筋に移動してきたという。
徳清寺
 右手に「国分寺」がある。門前に資料によると「右 一の宮」「一之宮道 是ヨリ七十五丁」「左高松」などど刻まれた明治19年の道標、「右 へんろ道是より白峯 道法五十丁」と刻まれた寛延元年(1748)の道標、更に「是ヨリ白峯五十丁 一のミや七十五丁」と刻まれた文化8年(1811)の道標が並んでいる。この場所に集められたようだ。
国分寺2
 国分寺は聖武天皇によって建立された讃岐国分寺跡にあるお寺で、四国霊場八十番札所でもある。ここには過去に二回来たことがあり、二回目の記事に比較的詳しく記載しているので、参考までにご紹介しておきます。

四国遍路八十番国分寺

 ここには四国で最古といわれる梵鐘があり、本堂とともに国の重要文化財に指定されている。15時25分にここを通る。
国分寺本堂国分寺梵鐘

 現在の国分寺のすぐ横に旧讃岐国分寺跡地が広がっている。
旧国分寺
 33号線と接するところ左手に常夜燈と「まるかめ こんぴら道」と刻まれた半分に折れた道標がある。また、この場所は「景行天皇の時代、讃留霊王と呼ばれた讃岐の国造がおり、その七代目の子孫だったという「日向王」の塚である」という説明板が立っている。
日向王
 ここから綾坂を越えるルートと伊予街道を行き、新宮で分かれるルートの二つがあるようだが、綾坂を越えるルートを進むことにする。
 右手に資料によると「三界萬霊国分寺五丁天王江七十丁」と刻まれた文化9年(1812)の道標地蔵と安政5年(1858)の「祖国遍路常次郎」と刻まれた墓石がある。
文化9年三界万霊常次郎

 11号線の高架下を抜け、すぐ先で左へ分岐してあぜ道のようなところを進んでいく。
あぜ道1あぜ道2

 池の横に「綾坂説教所跡碑」が立っている。何らかの説教所があったのだろうが、詳細は分からなかった。
綾坂説教所
 11号線に並行した細道を進んでいく。少し道を間違ってしまったが、すぐ間違いに気が付いて本来の道に戻ることができた。綾川の堤防上を進んでいくと、右手に二体の地蔵尊を安置する祠がある。資料によると左側の地蔵は正徳6年(1716)のものという。
正徳6年
 左折して綾川橋を渡ると正面に鴨川駅がある。ここで33号線に合流、右折して進み、その先で道は二又に分かれているので、左へ進む。16時43分にここを通る。
鴨川駅
 城山踏切でJRの線路を横断して進んで行き、その先で11号線の高架下を通り、別宮踏切でJRの線路を横断して一旦33号線に合流した。資料では「国道11号線の下をくぐり、すぐ右側の踏切を渡る。左斜めに進み、国道33号線に合流し、すぐまた左に分かれ踏切を渡る」となっているのだが、33号線に合流するまではその通りなのだが、その先でこちら側に戻る踏切がなかった。考えてみると、そんなに短い距離で二つの踏切が続いてあるということはちょっと考えられないので、この記述には疑問が残った。結局33号線からこれまで歩いてきた道の先に戻る術がなかったので、別宮踏切まで戻って線路沿いに進むことにした。17時24分にハ十島駅に着き、ここから今日の宿がある丸亀駅までJRで移動する。

 本日の歩行時間   5時間40分。
 本日の歩数&距離   31891歩、20.4KM。
 本日の純距離     18.9km。(途中、道を間違えず、寄り道をしないで街道だけを歩いた距離)

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