2019年11月01日(金)
大和二見~大和上市
晴れ
7時50分に出発する。昨日は暗くなっていて周囲がよく見えなくなっていたので、新町通の入り口から改めて歩き始める。
五條新町は慶長13年(1608)に、城作りや町づくりに秀でた松倉重政が城下町として建設したもので、現在でも当時の面影が色濃く残っている町並だ。
右手に「西方寺」がある。ここも弘法大師に関係のあるお寺で、境内には松倉重政の墓碑がある。松倉豊後守重政は当初戦国大名筒井家に重臣として仕えていたが、関ケ原の戦いでの武勲によって、徳川家康より五條二見藩一万石余の大名に取り立てられたという。
「五新鉄道」がある。これは五條市から新宮市までを結ぶ鉄道として昭和12年から工事が始まったが、太平洋戦争で中断、昭和34年に工事を再開したが、結局完成にはいたらなかった鉄道で、確かに中途半端な状態で終わっている。
右手に松倉重政が二見城に入城して四百年たったことを記念して、平成20年に松倉重政の顕彰碑が建てられている。
東浄川に架かる新町橋を渡った左手に文政辛巳と刻まれているように見えるので、文政4年(1821)と思われる常夜燈が立っている。
左手に「赤根屋半七宅址」碑が立っている。新町通りで染物屋を営む半兵衛の息子だった赤根半七は、元禄8年(1695)12月9日に大阪千日寺の墓地で遊女の三勝と心中して果てたという。はかない恋はすぐさま「三勝半七艶容女舞衣」として歌舞伎の舞台にのぼり、次いで「三勝半七浮名の雨」「三勝半七道行尾花露」など矢継ぎ早に劇化され、大阪・江戸の観客たちを魅了したという。
右手に「栗山邸」がある。ここは元禄9年(1696)の棟札があり、五條の町家では珍しく単層に見せる構造となっており、五條市指定文化財となっている。
その先で168号線に出るので、これを左折すると左手に「栗山家住宅」がある。ここは慶長12年(1607)年の建築で、建築年代の判る民家では日本最古といい、重要文化財に指定されている。
本陣交差点の左手に「左 かうや わかやま くまの 四国」「右 いせ 者せ(はせ) なら 大峯山上 よしの」と刻まれた安政2年(1855)の道標が立っている。8時19分にここを通る。
ここから右折すると、右手にこの地で医者をしながら天誅組の五条代官所襲撃を助けたという「乾十郎宅址」碑が立っている。37歳で処刑されたという。
突き当りを左折して24号線を横断、更にその先で右折、その先で左折して進むと、地蔵寺があるところで、道は二股にわかれているので、左へ進み、小山踏切でJRの線路を横断して進み、その先で右折して進むと、左手に文化13年(1816)の狛犬と常夜燈があり、道の向こう側奥に荒田神社の赤い鳥居が見える。
天神山踏切でJRの線路を横断して24号線に合流するが、ここにコンビニがあったのでとりあえず昼食用にパンを講習する。その先24号線が左へカーブするところで右斜めに分岐して旧道を進む。静かな道だ。
左手から三在の信号から分岐した細道が合流するところ、街道から少し左手に入ったところの左手に卒塔婆型の道標があり、「有堤 左 たゑま道 左ハ いせ よしの 是北 長谷道」と刻まれている。
その先で370号線に合流する。内川を渡ってすぐに370号線から左へ分岐し、宇野峠の坂道を上っていき、その先で再び370号線に合流する。
右手に「源九郎大明神」「山高大明神」と書かれた稲荷神社がある。
9時53分に宇野峠の頂点にくる。ここから370号線から左斜めに分岐して旧道を進む。その先で一旦370号線に合流するが、すぐ先で再び左へ分岐、更にその先で370号線に合流、その先で今度は370線から右へ分岐と、合流、分岐を繰り返して進む。その先で370号線に合流すると、右手に吉野川を見ながら進む。紀ノ川は吉野川と名前を変えている。
大淀町に入ってすぐ今度は左へ分岐して進むと、左手に「新四国八十番札所 浄土院」と刻まれた新旧の石碑が立っている。
静かな旧道を進んでいき、その先で370線に再び合流すると、左手に地蔵堂がある。
大西病院西の信号から再び370線から左へ分岐し、309号線を横断する左手に「右 大坂 左 かうや道」「施主 大坂 」〇熊笹講」と刻まれた安永4年(1775)の道標が立っている。
左手に浄土真宗の「光明寺」と曹洞宗の「薬師寺」が並んで建っている。11時23分にここを通る。
この辺りも歴史を感じさせる旧家が並んでいる。
370号線を横断、更にその先で近鉄の踏切を横断して進むと、左手に「土田八幡神社」があり、境内には巨木が立っている。
11時42分にここを通る。
左手、階段の上に新野八幡宮があるようだったが、見物せずに進む。
169号線を進んでいくが、車の通行量が多い。
美吉野橋の手前右側に「柳の渡し」跡があり、町指定文化財になっている。この渡しは北六田と南岸の吉野町六田戸を結んだ渡しで、平安時代に醍醐寺を開創した聖宝理源大師が開いたと説明されている。元来はもう少し上流にあったそうだが、道路拡幅工事に伴って、現在地に移設されたという。
ここに「右 よしの 左 いせ 道」と刻まれた自然石の道標と「右 よしの 左 よしの」と刻まれた天明と読むことができる常夜燈が立っている。右も左もよしのになっているので見間違いかと思って何度もみてみたが、やはりこのように刻まれている。
13時11分に大和上市駅に着く。
本日の歩行時間 5時間21分。
本日の歩数&距離 29781歩、18.8km
本日の純距離 18.8km (途中、道を間違えず、寄り道をしないで街道だけを歩いた距離)
7時50分に出発する。昨日は暗くなっていて周囲がよく見えなくなっていたので、新町通の入り口から改めて歩き始める。
五條新町は慶長13年(1608)に、城作りや町づくりに秀でた松倉重政が城下町として建設したもので、現在でも当時の面影が色濃く残っている町並だ。
右手に「西方寺」がある。ここも弘法大師に関係のあるお寺で、境内には松倉重政の墓碑がある。松倉豊後守重政は当初戦国大名筒井家に重臣として仕えていたが、関ケ原の戦いでの武勲によって、徳川家康より五條二見藩一万石余の大名に取り立てられたという。
「五新鉄道」がある。これは五條市から新宮市までを結ぶ鉄道として昭和12年から工事が始まったが、太平洋戦争で中断、昭和34年に工事を再開したが、結局完成にはいたらなかった鉄道で、確かに中途半端な状態で終わっている。
右手に松倉重政が二見城に入城して四百年たったことを記念して、平成20年に松倉重政の顕彰碑が建てられている。
東浄川に架かる新町橋を渡った左手に文政辛巳と刻まれているように見えるので、文政4年(1821)と思われる常夜燈が立っている。
左手に「赤根屋半七宅址」碑が立っている。新町通りで染物屋を営む半兵衛の息子だった赤根半七は、元禄8年(1695)12月9日に大阪千日寺の墓地で遊女の三勝と心中して果てたという。はかない恋はすぐさま「三勝半七艶容女舞衣」として歌舞伎の舞台にのぼり、次いで「三勝半七浮名の雨」「三勝半七道行尾花露」など矢継ぎ早に劇化され、大阪・江戸の観客たちを魅了したという。
右手に「栗山邸」がある。ここは元禄9年(1696)の棟札があり、五條の町家では珍しく単層に見せる構造となっており、五條市指定文化財となっている。
その先で168号線に出るので、これを左折すると左手に「栗山家住宅」がある。ここは慶長12年(1607)年の建築で、建築年代の判る民家では日本最古といい、重要文化財に指定されている。
本陣交差点の左手に「左 かうや わかやま くまの 四国」「右 いせ 者せ(はせ) なら 大峯山上 よしの」と刻まれた安政2年(1855)の道標が立っている。8時19分にここを通る。
ここから右折すると、右手にこの地で医者をしながら天誅組の五条代官所襲撃を助けたという「乾十郎宅址」碑が立っている。37歳で処刑されたという。
突き当りを左折して24号線を横断、更にその先で右折、その先で左折して進むと、地蔵寺があるところで、道は二股にわかれているので、左へ進み、小山踏切でJRの線路を横断して進み、その先で右折して進むと、左手に文化13年(1816)の狛犬と常夜燈があり、道の向こう側奥に荒田神社の赤い鳥居が見える。
天神山踏切でJRの線路を横断して24号線に合流するが、ここにコンビニがあったのでとりあえず昼食用にパンを講習する。その先24号線が左へカーブするところで右斜めに分岐して旧道を進む。静かな道だ。
左手から三在の信号から分岐した細道が合流するところ、街道から少し左手に入ったところの左手に卒塔婆型の道標があり、「有堤 左 たゑま道 左ハ いせ よしの 是北 長谷道」と刻まれている。
その先で370号線に合流する。内川を渡ってすぐに370号線から左へ分岐し、宇野峠の坂道を上っていき、その先で再び370号線に合流する。
右手に「源九郎大明神」「山高大明神」と書かれた稲荷神社がある。
9時53分に宇野峠の頂点にくる。ここから370号線から左斜めに分岐して旧道を進む。その先で一旦370号線に合流するが、すぐ先で再び左へ分岐、更にその先で370号線に合流、その先で今度は370線から右へ分岐と、合流、分岐を繰り返して進む。その先で370号線に合流すると、右手に吉野川を見ながら進む。紀ノ川は吉野川と名前を変えている。
大淀町に入ってすぐ今度は左へ分岐して進むと、左手に「新四国八十番札所 浄土院」と刻まれた新旧の石碑が立っている。
静かな旧道を進んでいき、その先で370線に再び合流すると、左手に地蔵堂がある。
大西病院西の信号から再び370線から左へ分岐し、309号線を横断する左手に「右 大坂 左 かうや道」「施主 大坂 」〇熊笹講」と刻まれた安永4年(1775)の道標が立っている。
左手に浄土真宗の「光明寺」と曹洞宗の「薬師寺」が並んで建っている。11時23分にここを通る。
この辺りも歴史を感じさせる旧家が並んでいる。
370号線を横断、更にその先で近鉄の踏切を横断して進むと、左手に「土田八幡神社」があり、境内には巨木が立っている。
11時42分にここを通る。
左手、階段の上に新野八幡宮があるようだったが、見物せずに進む。
169号線を進んでいくが、車の通行量が多い。
美吉野橋の手前右側に「柳の渡し」跡があり、町指定文化財になっている。この渡しは北六田と南岸の吉野町六田戸を結んだ渡しで、平安時代に醍醐寺を開創した聖宝理源大師が開いたと説明されている。元来はもう少し上流にあったそうだが、道路拡幅工事に伴って、現在地に移設されたという。
ここに「右 よしの 左 いせ 道」と刻まれた自然石の道標と「右 よしの 左 よしの」と刻まれた天明と読むことができる常夜燈が立っている。右も左もよしのになっているので見間違いかと思って何度もみてみたが、やはりこのように刻まれている。
13時11分に大和上市駅に着く。
本日の歩行時間 5時間21分。
本日の歩数&距離 29781歩、18.8km
本日の純距離 18.8km (途中、道を間違えず、寄り道をしないで街道だけを歩いた距離)
旅の地図
記録
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2019年10月30日(水)
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2019年10月31日(木)
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2019年11月01日(金)
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2019年11月19日(火)
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2019年11月20日(水)
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2019年11月21日(木)
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2019年11月22日(金)
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2019年11月23日(土)
プロフィール
歩人
かっちゃん