2018年12月20日(木)
川合高岡~六軒
曇り
川合高岡駅を7時50分に出発する。
58号線から右斜めに分岐する旧道を歩いていくと「初瀬街道 八太宿」の看板が立っている。
左手に「歴史街道 八太の七曲り」と書かれた看板が立っており、ここを左折する。この道筋は曲がりくねっていて、道幅も狭く、見通しが悪いのでこのように呼ばれていたという。
一志東小学校に突き当たったところに「斑光寺跡」石柱と道標が並んで立っている。
ここを右折、その先を左折して小学校の校庭に沿って進み、すぐ先で右折する。この辺りの民家に「歴史街道」と書かれたシールを張っているところが何軒かあった。その先突き当りを右折、すぐ先を左折して進んで、七曲りを抜けた。
伊勢自動車道の高架下を抜けて進むと、右手に「南無阿弥陀仏」と刻まれた石柱が立っている。8時41分にここを通る。
もう一つ高架下を抜け、すぐに右折すると十字路があり、その右手に資料によると「斎宮御道蹟 忘井 志井 従是 右凡二丁 左参宮道」と刻まれた道標が立っている。
左手に近鉄の踏切で線路を横断があるところ左手に「初瀬街道 みわたり迄 やく6km はせ迄 やく70km」と書かれた看板が立っている。
中村川に突き当たる。以前はこれまでの道の延長線上に橋が架かっていたそうだが、現在は少し右手に橋が架かっているので、この小川橋を渡り、川沿いを左に戻って、右折して進む。小川橋南の信号の手前から左へ分岐し、その先でこれまで歩いてきた道に合流するが、この合流点に昭和7年の常夜燈が立っている。
右手に常念寺があり、その先左手に「小川神社」がある。ここは延喜式内社で、明治41年に村内全域の鎮座31社を合祀したという。境内に古い常夜燈があるが、上部が削れていて、建立年は読み取ることができなかった。その前には元禄12年(1699)の石灯籠が立っている。
左手に「西方寺」があり、門前の小さな橋は五六橋と言われているという。壇ノ浦の戦いに敗れた平家公達、平維盛の嫡男六代はこの地に逃れてきたが、病にかかったため、家来の斎藤五、斎藤六の兄弟が西方寺の大日如来に願をかけ、病が治ったので、そのお礼として寺の前を流れる小川に橋を架けたという。
その先左手に昭和6年の常夜燈が立っている。
左手に「中原神社」がある。この神社は昔、龍王神社と呼ばれていたが、明治41年に中原地区の各神社を合祀して中原神社と称したという。もともと雨乞いの神社だったといい、境内には空池があり、これをさらえると雨が降るという。明治35年の常夜燈があり、また巨木が立っていた。
近鉄の踏切を横断した先で右折するのだが、右折する道の少し先に明治28年の常夜燈が立っている。
曲がりくねった細道を進んで行き、三渡川に架かる巡見橋を渡ると、その先で伊勢街道に合流する。ここに架かっている三渡橋はちょうどかけ替え工事が行われていて、常夜燈や道標はどこかに移設されているようで、何もなかった。三渡とは瀬潮の干満によって三か所の渡しがあったことからこの名前が付いたといい、初瀬街道は上の渡しを通っていたという。
10時35分に伊勢街道に合流する。
伊勢街道は2011年5月に歩いたところだ。
本日の歩行時間 2時間45分。
本日の歩数&距離 15840歩、10.5km。
本日の純距離 10.5km。(途中寄り道をせず、道を間違わなかった時の街道だけの距離)
初瀬街道総合計
総歩行時間 27時間53分。
総歩数&総距離 129676歩、92.4km。
総純距離 81.7km。(途中寄り道をせず、道を間違わなかった時の街道だけの距離)
川合高岡駅を7時50分に出発する。
58号線から右斜めに分岐する旧道を歩いていくと「初瀬街道 八太宿」の看板が立っている。
左手に「歴史街道 八太の七曲り」と書かれた看板が立っており、ここを左折する。この道筋は曲がりくねっていて、道幅も狭く、見通しが悪いのでこのように呼ばれていたという。
一志東小学校に突き当たったところに「斑光寺跡」石柱と道標が並んで立っている。
ここを右折、その先を左折して小学校の校庭に沿って進み、すぐ先で右折する。この辺りの民家に「歴史街道」と書かれたシールを張っているところが何軒かあった。その先突き当りを右折、すぐ先を左折して進んで、七曲りを抜けた。
伊勢自動車道の高架下を抜けて進むと、右手に「南無阿弥陀仏」と刻まれた石柱が立っている。8時41分にここを通る。
もう一つ高架下を抜け、すぐに右折すると十字路があり、その右手に資料によると「斎宮御道蹟 忘井 志井 従是 右凡二丁 左参宮道」と刻まれた道標が立っている。
左手に近鉄の踏切で線路を横断があるところ左手に「初瀬街道 みわたり迄 やく6km はせ迄 やく70km」と書かれた看板が立っている。
中村川に突き当たる。以前はこれまでの道の延長線上に橋が架かっていたそうだが、現在は少し右手に橋が架かっているので、この小川橋を渡り、川沿いを左に戻って、右折して進む。小川橋南の信号の手前から左へ分岐し、その先でこれまで歩いてきた道に合流するが、この合流点に昭和7年の常夜燈が立っている。
右手に常念寺があり、その先左手に「小川神社」がある。ここは延喜式内社で、明治41年に村内全域の鎮座31社を合祀したという。境内に古い常夜燈があるが、上部が削れていて、建立年は読み取ることができなかった。その前には元禄12年(1699)の石灯籠が立っている。
左手に「西方寺」があり、門前の小さな橋は五六橋と言われているという。壇ノ浦の戦いに敗れた平家公達、平維盛の嫡男六代はこの地に逃れてきたが、病にかかったため、家来の斎藤五、斎藤六の兄弟が西方寺の大日如来に願をかけ、病が治ったので、そのお礼として寺の前を流れる小川に橋を架けたという。
その先左手に昭和6年の常夜燈が立っている。
左手に「中原神社」がある。この神社は昔、龍王神社と呼ばれていたが、明治41年に中原地区の各神社を合祀して中原神社と称したという。もともと雨乞いの神社だったといい、境内には空池があり、これをさらえると雨が降るという。明治35年の常夜燈があり、また巨木が立っていた。
近鉄の踏切を横断した先で右折するのだが、右折する道の少し先に明治28年の常夜燈が立っている。
曲がりくねった細道を進んで行き、三渡川に架かる巡見橋を渡ると、その先で伊勢街道に合流する。ここに架かっている三渡橋はちょうどかけ替え工事が行われていて、常夜燈や道標はどこかに移設されているようで、何もなかった。三渡とは瀬潮の干満によって三か所の渡しがあったことからこの名前が付いたといい、初瀬街道は上の渡しを通っていたという。
10時35分に伊勢街道に合流する。
伊勢街道は2011年5月に歩いたところだ。
本日の歩行時間 2時間45分。
本日の歩数&距離 15840歩、10.5km。
本日の純距離 10.5km。(途中寄り道をせず、道を間違わなかった時の街道だけの距離)
初瀬街道総合計
総歩行時間 27時間53分。
総歩数&総距離 129676歩、92.4km。
総純距離 81.7km。(途中寄り道をせず、道を間違わなかった時の街道だけの距離)