2017年02月07日(火)
天見~御幸辻
曇り
下高野街道を歩き終え、大阪狭山駅から電車で天見駅まで移動して、14時26分に歩き始める。
天見駅のすぐ前の道が旧道だ。やがて371号線に合流するが、ここが「出合ノ辻」と呼ばれるところだ。ここは南北朝時代の古戦場で、正慶2年(1333年)の正月に、楠木正成が率いた南朝軍と北朝軍とが、この辻で出くわして、「安満見合戦」と呼ばれる激しい合戦が行われたことからこの地名となったという。ここの371号線を横断した先左手に「地蔵堂」がある。資料によるとこの地蔵堂に安置されていた地蔵尊は盗難にあって、今では御堂のみが残っているという。
出合ノ辻の信号のすぐ先で371号線から右に分岐する旧道があるので、これを進む。右手は石垣が続いており、旧道の雰囲気を醸し出している。
一旦島の谷の信号で371号線に合流するが、すぐ先で今度は左手に分岐して進むと、左手に「安明寺」がある。ここは詳しい創建年代は不明とのことだが、弘化3年(1846年)に再建されているという。本堂内には小さな仏像が十数体ほど安置されているそうだが、これは再建した当時に村人が高野山の仏師に依頼して彫刻してもらい、村人が高野山から仏像を背負って持ち帰ったという話が残っているという。
そこから更に進んでいくと、道は二股に分かれており、右へ進むと、川に橋が架かっているのだが、「橋床腐食 危険 渡らないで!」という張り紙があり、ロープで渡れないようにしている。仕方がないので、安明寺の近くまで戻って川を渡って371号線に合流して進む。
371号線は歩道があるので、安心して進むことができる。やがて371号線がトンネルに入る手前から右へ分岐する道があり、これを進むが、この道は旧国道で舗装されており、一方で車はほとんど通らないので、とても歩きやすい道だ。道は紀見峠に向かって徐々に登っていく。今日は風が強く、木々を大きく揺らしている。寒い!
しばらく行くと左手にトイレがあり、その先で道は二股に分岐している。左へ進む道は金剛山へ向かう道で、街道は右へ進む。
438mの紀見峠を登り切ったところで、道は二股に分かれているので左手へ進むと、すぐ先左手に「高野山女人堂江六里」と刻まれた里程石が立っている。15時24分にここを通る。
ここで和歌山県に入るのだが、この辺りには集落がある。昔栄えた紀見峠宿の跡で、往時は六十軒の民家があったという。この道は高野山参詣道として時間的にも、経済的にも最も便利な参詣道として賑わったそうだが、高野線が開通して電車が走り出すと、次第に宿場の機能を失っていき、民家も徐々に減少していったという。
「高野街道 紀伊見峠宿 峠の茶屋 丹波屋」という昔ながらの屋号を掲げた家があった。紀見峠は紀伊見峠とも呼ばれていたようだ。
集落が途切れる所の左手に「2体の地蔵尊」を安置する地蔵堂がある。鍵がかかっていて中を見ることができなかったが、資料に書かれている地蔵道標で「右 ちか 」「左 本」と刻まれた文化3年(1806)の弘法大師像のようだ。15時33分にここを通る。
ここから急な下り坂になっていく。急坂を下っていくと旧国道に出るが、これを横断して再び急坂を下っていくと、右手に「阿弥陀如来」を安置する小祠がある。
この先から人家が立っている場所に出てくる。その先で道は二又に分かれていて、紀見峠駅へは右折するようになっているが、ここは直進する。
その先で371号線に合流し、一旦371号線を進みだしたのだが、左手を見ると川の対岸に道がある。これが旧道のようなので、桂本南の信号まで戻って見ると、ガードレールが置かれており、その先で川を越えることができそうなので、ガードレールをまたいで進み、その先で更に柵を越えて川の対岸に出て、これを進んでいくと、左手に「太聖不動明王」「南無地蔵菩薩」「南無弘法大師」と刻まれた石柱が立っている。16時3分にここを通る。
一旦371号線に合流するが、その先の信号で再び左斜めに分岐して細道を進むと、左手に「不動堂」があり、天保12年(1841)の常夜燈が立っている。
その先で再び道は分岐しているので、左へ直進するが、更にその先で二股に分かれているところがあって、、これを右へ進んで行くと371号線に合流してしまった。大福寺があるはずだと思いながら、371号線を横断すると、おばさんがおられたので、大福寺の場所をお聞きすると、道を間違っていることがわかったので、元に戻る。正しい街道は最後に二股に分かれているところを左へ直進しなければいけなかったのだ。この角の左手に小さな地蔵尊が3体並んで祀られているのが目印だ。
すぐ先左手に「大福寺」があり、右手に永正2年(1505)の妙春の逆修一石五輪塔をはじめとした石塔がある。
ここから細い階段を下って371号線に出、これを横断して左へ民家の間の道を進んでいくと、右手に贅川家があり、その前に「一字一石供養塔(地蔵菩薩)」がある。贅川家は中世以来の在地の土豪だったという。
その先で371号線に合流した右手に「高野山女人堂迄五里」という五里石が立っている。
その先、高架の手前から右へ分岐して進むと、右手に地蔵堂がある。この地蔵尊は資料によると文政11年(1828)の銘があるという。
右手に「日本最初 子安帯解 田和地蔵尊 高野道加むろ村へ 近道阿リ 田和地蔵尊従是十三町 易産山地蔵寺」と刻まれた碑が立っている。
17時10分にここを通り、今日の歩きを終わることにする。この後、御幸辻駅まで行く。
本日の歩行時間 2時間44分。
本日の歩数&距離 14856歩、10.1km。
本日の純距離 8.8km。(途中、寄り道をせず、道を間違えず、街道だけを歩いた場合の距離)
下高野街道を歩き終え、大阪狭山駅から電車で天見駅まで移動して、14時26分に歩き始める。
天見駅のすぐ前の道が旧道だ。やがて371号線に合流するが、ここが「出合ノ辻」と呼ばれるところだ。ここは南北朝時代の古戦場で、正慶2年(1333年)の正月に、楠木正成が率いた南朝軍と北朝軍とが、この辻で出くわして、「安満見合戦」と呼ばれる激しい合戦が行われたことからこの地名となったという。ここの371号線を横断した先左手に「地蔵堂」がある。資料によるとこの地蔵堂に安置されていた地蔵尊は盗難にあって、今では御堂のみが残っているという。
出合ノ辻の信号のすぐ先で371号線から右に分岐する旧道があるので、これを進む。右手は石垣が続いており、旧道の雰囲気を醸し出している。
一旦島の谷の信号で371号線に合流するが、すぐ先で今度は左手に分岐して進むと、左手に「安明寺」がある。ここは詳しい創建年代は不明とのことだが、弘化3年(1846年)に再建されているという。本堂内には小さな仏像が十数体ほど安置されているそうだが、これは再建した当時に村人が高野山の仏師に依頼して彫刻してもらい、村人が高野山から仏像を背負って持ち帰ったという話が残っているという。
そこから更に進んでいくと、道は二股に分かれており、右へ進むと、川に橋が架かっているのだが、「橋床腐食 危険 渡らないで!」という張り紙があり、ロープで渡れないようにしている。仕方がないので、安明寺の近くまで戻って川を渡って371号線に合流して進む。
371号線は歩道があるので、安心して進むことができる。やがて371号線がトンネルに入る手前から右へ分岐する道があり、これを進むが、この道は旧国道で舗装されており、一方で車はほとんど通らないので、とても歩きやすい道だ。道は紀見峠に向かって徐々に登っていく。今日は風が強く、木々を大きく揺らしている。寒い!
しばらく行くと左手にトイレがあり、その先で道は二股に分岐している。左へ進む道は金剛山へ向かう道で、街道は右へ進む。
438mの紀見峠を登り切ったところで、道は二股に分かれているので左手へ進むと、すぐ先左手に「高野山女人堂江六里」と刻まれた里程石が立っている。15時24分にここを通る。
ここで和歌山県に入るのだが、この辺りには集落がある。昔栄えた紀見峠宿の跡で、往時は六十軒の民家があったという。この道は高野山参詣道として時間的にも、経済的にも最も便利な参詣道として賑わったそうだが、高野線が開通して電車が走り出すと、次第に宿場の機能を失っていき、民家も徐々に減少していったという。
「高野街道 紀伊見峠宿 峠の茶屋 丹波屋」という昔ながらの屋号を掲げた家があった。紀見峠は紀伊見峠とも呼ばれていたようだ。
集落が途切れる所の左手に「2体の地蔵尊」を安置する地蔵堂がある。鍵がかかっていて中を見ることができなかったが、資料に書かれている地蔵道標で「右 ちか 」「左 本」と刻まれた文化3年(1806)の弘法大師像のようだ。15時33分にここを通る。
ここから急な下り坂になっていく。急坂を下っていくと旧国道に出るが、これを横断して再び急坂を下っていくと、右手に「阿弥陀如来」を安置する小祠がある。
この先から人家が立っている場所に出てくる。その先で道は二又に分かれていて、紀見峠駅へは右折するようになっているが、ここは直進する。
その先で371号線に合流し、一旦371号線を進みだしたのだが、左手を見ると川の対岸に道がある。これが旧道のようなので、桂本南の信号まで戻って見ると、ガードレールが置かれており、その先で川を越えることができそうなので、ガードレールをまたいで進み、その先で更に柵を越えて川の対岸に出て、これを進んでいくと、左手に「太聖不動明王」「南無地蔵菩薩」「南無弘法大師」と刻まれた石柱が立っている。16時3分にここを通る。
一旦371号線に合流するが、その先の信号で再び左斜めに分岐して細道を進むと、左手に「不動堂」があり、天保12年(1841)の常夜燈が立っている。
その先で再び道は分岐しているので、左へ直進するが、更にその先で二股に分かれているところがあって、、これを右へ進んで行くと371号線に合流してしまった。大福寺があるはずだと思いながら、371号線を横断すると、おばさんがおられたので、大福寺の場所をお聞きすると、道を間違っていることがわかったので、元に戻る。正しい街道は最後に二股に分かれているところを左へ直進しなければいけなかったのだ。この角の左手に小さな地蔵尊が3体並んで祀られているのが目印だ。
すぐ先左手に「大福寺」があり、右手に永正2年(1505)の妙春の逆修一石五輪塔をはじめとした石塔がある。
ここから細い階段を下って371号線に出、これを横断して左へ民家の間の道を進んでいくと、右手に贅川家があり、その前に「一字一石供養塔(地蔵菩薩)」がある。贅川家は中世以来の在地の土豪だったという。
その先で371号線に合流した右手に「高野山女人堂迄五里」という五里石が立っている。
その先、高架の手前から右へ分岐して進むと、右手に地蔵堂がある。この地蔵尊は資料によると文政11年(1828)の銘があるという。
右手に「日本最初 子安帯解 田和地蔵尊 高野道加むろ村へ 近道阿リ 田和地蔵尊従是十三町 易産山地蔵寺」と刻まれた碑が立っている。
17時10分にここを通り、今日の歩きを終わることにする。この後、御幸辻駅まで行く。
本日の歩行時間 2時間44分。
本日の歩数&距離 14856歩、10.1km。
本日の純距離 8.8km。(途中、寄り道をせず、道を間違えず、街道だけを歩いた場合の距離)
旅の地図
記録
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2016年11月19日(土)
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2017年02月07日(火)
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2017年02月08日(水)
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2017年03月19日(日)
プロフィール
歩人
かっちゃん