2013年12月21日(土)
三好旅館~宇和島駅
曇り一時雨
6時58分に出発するが、旅館の前は昔の街並みを感じさせる通りだ。
その先で56号線に合流する。先ほどまで雨が降っていたようで、道路のいたるところに水たまりができている。やがて前方に松尾トンネルが見えてくるところに、56号線から左へ分岐する遍路道があるので、これを進む。この道は津島から旧宇和島市に抜ける道として戦前まではよく利用されていたが、近道となる松尾トンネルの開通後には、ほとんど使われなくなっていた。そのため2006年11月に津島地区の町おこしグループによって、約3.7キロメートルの遍路道の清掃・補修が完了したという。山道に入ると、雨の影響で所々にぬかるみがあったが、さほど歩きにくいこともなく進む事が出来た。ここにも道案内のシールがあるので、それに従って進んでいく。
途中で舗装された道を横断するところがあり、そこに「四十番へ八里一丁」「宇和島四十番奥の院へ二里廿丁」と刻まれた昭和8年の道標が立っている。
その先、頂上近くになると、道は広くしっかりとしたものになってくる。やがて頂上にくるが、ここにはへんろ小屋がある。
ここから再び細い山道を下っていくが、このあたりは道がぬかるんでいて、べちゃべちゃだ。滑らないように気を付けながら下っていく。
一旦平坦な道にでる。その先左手に採石場があり、その先から再び山道に入っていくが、左手は深い谷になっている。道幅も狭く、注意をしながら進んでいき、56号線の直前まで来たところで左折して、56号線に並行して進む。その先で9時23分に56号線に合流するが、ここに文政と読み取ることができる大きな「石灯籠」が立っている。
ここから先は宇和島の市街地になっており、車の流れが激しい。その先、右手少し入ったところに「馬目木大師」がある。昔、宇和島港の対岸の九島鯨谷に弘法大師が開創されたという願成寺があったが、海を渡る不便を考え、対岸に遥拝所を設けた。その際、札掛け用の馬目木(うばめがし)の枝を立てたところ、これがいつしか根付いて葉が茂ったという。その地を「元結掛」と呼ぶが、ここに後世大師堂が建立された。願成寺はその後寛永8年(1631)にこの元結掛の大師堂に移され、元結掛願成寺となった。この寺は更に明治になって龍光院と合併したが、この地に残ったお堂と馬目木は「馬目木大師」として現在も土地の人々からに崇められているという。
このあたりから雨が降り出した。しかし宇和島駅まで残す距離はわずかだし、ポンチョを出したりするのも面倒なので、そのまま進んでいく。地元の町民が富くじで得たお金で架けた、あるいは勧進講でお金を出し合って作った橋といわれている勧進橋を左折して進む。
このあたりも道案内のシールがあるので、これに従って進むと、右手に「龍光院」がある。元和元年(1615)伊達秀宗が初代藩主として宇和島へ入った際、宇和島の鬼門にあたるこの地に建立したのが始まりで、その後、前述のように明治に入って元結掛願成寺と合併して現在に至っている。40番札所観自在寺の奥ノ院と呼ばれている。
境内には延享3年(1746)の「椎本芳室の宝篋塔」が立っている。椎本芳室という俳諧の宗匠の長寿と功績を讃えたものという。宝篋塔は元来宝篋印塔と呼ばれて、四十句の経を納める方法の塔を意味していたが、日本では江戸時代以降墓標として基礎・塔身・笠・相輪からなるのが普通で、この宝篋塔のように自然石のものは珍しいということだ。
ここから宇和島駅はすぐ近くだ。宇和島駅まで来るとJRが通っていて、次回来るときに便利なため、無事ここまで来ることができてよかった。
11時03分に宇和島駅に到着する。
本日の歩行時間 4時間05分。
本日の歩数&距離 21748歩、16.1km。
今回の旅の総合計
総歩行時間 118時間51分。
総歩数 650784歩。
総歩行距離 465km。
6時58分に出発するが、旅館の前は昔の街並みを感じさせる通りだ。
その先で56号線に合流する。先ほどまで雨が降っていたようで、道路のいたるところに水たまりができている。やがて前方に松尾トンネルが見えてくるところに、56号線から左へ分岐する遍路道があるので、これを進む。この道は津島から旧宇和島市に抜ける道として戦前まではよく利用されていたが、近道となる松尾トンネルの開通後には、ほとんど使われなくなっていた。そのため2006年11月に津島地区の町おこしグループによって、約3.7キロメートルの遍路道の清掃・補修が完了したという。山道に入ると、雨の影響で所々にぬかるみがあったが、さほど歩きにくいこともなく進む事が出来た。ここにも道案内のシールがあるので、それに従って進んでいく。
途中で舗装された道を横断するところがあり、そこに「四十番へ八里一丁」「宇和島四十番奥の院へ二里廿丁」と刻まれた昭和8年の道標が立っている。
その先、頂上近くになると、道は広くしっかりとしたものになってくる。やがて頂上にくるが、ここにはへんろ小屋がある。
ここから再び細い山道を下っていくが、このあたりは道がぬかるんでいて、べちゃべちゃだ。滑らないように気を付けながら下っていく。
一旦平坦な道にでる。その先左手に採石場があり、その先から再び山道に入っていくが、左手は深い谷になっている。道幅も狭く、注意をしながら進んでいき、56号線の直前まで来たところで左折して、56号線に並行して進む。その先で9時23分に56号線に合流するが、ここに文政と読み取ることができる大きな「石灯籠」が立っている。
ここから先は宇和島の市街地になっており、車の流れが激しい。その先、右手少し入ったところに「馬目木大師」がある。昔、宇和島港の対岸の九島鯨谷に弘法大師が開創されたという願成寺があったが、海を渡る不便を考え、対岸に遥拝所を設けた。その際、札掛け用の馬目木(うばめがし)の枝を立てたところ、これがいつしか根付いて葉が茂ったという。その地を「元結掛」と呼ぶが、ここに後世大師堂が建立された。願成寺はその後寛永8年(1631)にこの元結掛の大師堂に移され、元結掛願成寺となった。この寺は更に明治になって龍光院と合併したが、この地に残ったお堂と馬目木は「馬目木大師」として現在も土地の人々からに崇められているという。
このあたりから雨が降り出した。しかし宇和島駅まで残す距離はわずかだし、ポンチョを出したりするのも面倒なので、そのまま進んでいく。地元の町民が富くじで得たお金で架けた、あるいは勧進講でお金を出し合って作った橋といわれている勧進橋を左折して進む。
このあたりも道案内のシールがあるので、これに従って進むと、右手に「龍光院」がある。元和元年(1615)伊達秀宗が初代藩主として宇和島へ入った際、宇和島の鬼門にあたるこの地に建立したのが始まりで、その後、前述のように明治に入って元結掛願成寺と合併して現在に至っている。40番札所観自在寺の奥ノ院と呼ばれている。
境内には延享3年(1746)の「椎本芳室の宝篋塔」が立っている。椎本芳室という俳諧の宗匠の長寿と功績を讃えたものという。宝篋塔は元来宝篋印塔と呼ばれて、四十句の経を納める方法の塔を意味していたが、日本では江戸時代以降墓標として基礎・塔身・笠・相輪からなるのが普通で、この宝篋塔のように自然石のものは珍しいということだ。
ここから宇和島駅はすぐ近くだ。宇和島駅まで来るとJRが通っていて、次回来るときに便利なため、無事ここまで来ることができてよかった。
11時03分に宇和島駅に到着する。
本日の歩行時間 4時間05分。
本日の歩数&距離 21748歩、16.1km。
今回の旅の総合計
総歩行時間 118時間51分。
総歩数 650784歩。
総歩行距離 465km。
旅の地図
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2013年11月22日(金)
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2013年11月23日(土)
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2013年11月24日(日)
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2013年11月25日(月)
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