2013年12月10日(火)
ビジネスホテル弁長~28番大日寺~29番国分寺~南国ビジネスホテル
曇り
フロントの方が昨夜は風雨が強くて何度も目が覚めたと言われていたが、私はぐっすり寝込んでいて、全く目が覚めなかった。7時06分に出発するが、道路では大きな植木鉢や看板が倒れていて、相当にひどい風雨だったことがわかる。夜のうちでよかったと思う。
右手に安芸市営球場があるところから55号線から分岐して自転車道に入る。更にその先から防波堤の道を進んでいくが、たまに自転車が通るだけで、歩きやすい。そのかわり視界に入るのは海だけ。黙々と歩いていく。昨夜の影響が残っていて、大きな波がザブンザブンと押し寄せている。広大な太平洋の姿は見ていて気持ちがいい。
切り立った絶壁が海際まで迫っている場所がかなりある。現在はこうして道路が整備されているが、昔は、今日のように波が荒い日など、こういったところを歩くのは大変だっただろうなと思う。ただ北陸の親不知子不知のような名前がついている様子はない。そういえば親不知子不知を通った時は、交通量が多いのに歩道のない延々10㎞に及ぶ洞門トンネルで、日没になって初めて照明がないということに気づいて、えらく怖い思いをしたことを思い出す。
左手に「八流山極楽寺」がある。ここは弘法大師が千丈岩といわれる岩場で修行され、修行の一時の憩として衣を洗い、汗を流された場所で、この御霊跡の地に大正13年、田辺覚道師が厳しい修行の末、一刀三礼して謹刻し、一顧不動尊を安置したのが当寺の由来と資料に記されている。
琴ケ浜を通る。以前も書いたと思うが、内掛けの上手い琴ケ浜という大関がいたことを思い出す。フアンだったのだ。東西に約6㎞に及ぶ松林の松は数万本あるといわれており、波打ち際に打ち寄せた波が引いてゆくとき砂が転がり、海水の中に妙なる音が聞こえることや、砂丘の形状がふくれた琴の胴にも見えることから琴ケ浜という名前が付いたという。左手に大平洋が広がり、行き交う人もほとんどいない道は歩いていて気持ちがいい。こうして元気に何の憂いもなく歩くことができることは本当にありがたいことだとつくづく思う。
阿佐線西分駅の近くに善根宿がある。バラックのような造りだが、「勝手に入って休んでください」と書かれている。野宿をして歩かれている方々にとってはありがたい施設だと思う。
55号線に並行したところに自転車道が出てくると、途端に車の騒音が耳につく。遍路道はやはり静かな道がいい。道の駅やすがある。時間をみるとまだ11時だが、鉄則にしたがって早めの昼食にする。
その先で55号線に合流して進むと、右手に「岸本神社」がある。ここの境内には大正から昭和にかけて詩人として活躍をした岡本弥太の詩碑が立っており、その横に明治5年の狛犬がある。
ここから右折して55号線から分岐して香我美町の中を通る。ここも古い民家が多く、水切瓦の家が目に付く。
岸本小学校の横に「岸本町道路元標」が立っている。今回の旅で道路元標に気が付いたのはここが初めてだ。
安政元年(1854)の大地震のありさまを書き記している「安政地震の碑」が立っている。、安政元年11月の朝、常より大きな地震があり、潮が20mも引いて干上がった手結港で鰻をたくさん取った。翌日大地震で家も塀も崩れ、人々は何日も徳王子の山で暮らしたというようなことが刻まれていると説明されている。
右手に赤レンガの古い屋敷があるが、ここは明治23年に初代村長になった小松与右衛門の屋敷だったところという。
そのすぐ横に「伊能忠敬測量地点」の碑が立っている。文化5年(1808)にこの地で測量を行ったという。全国を歩いていると、こうして伊能忠敬が測量したという場所が各地に残っている。55歳を過ぎてから17年間に渡って全国を歩いた伊能忠敬を私も見習いたいものだ。
脇本陣だった「長木屋」がある。伊能忠敬の一行がこの地で測量をした際、一行の脇宿となったところという。ここで写真を撮ったりしていると、店の女将さんがお茶でも飲んでいきなさいと言ってくれたので、店先に座ってお茶をごちそうになった。
その先右手に「一本松」があり、道路の反対側に「大日寺への道標」と遍路の「腰掛石」がある。
昔、宿場町の入り口に遠くから望めるように松が聳えていて、それが地名になったという。松は「待つ」につながり、宿場のある意味を持つという。戦後は大きい松だったが、松くい虫の被害にあい、現在は数代目の松ということで、まだ小さい松だった。
「28番札所大日寺」に到着する。ここは聖武天皇(在位724~49)の勅願により、行基菩薩が大日如来の尊像を彫造し、堂宇に安置して開創されたと伝えられる。その後、寺は荒廃したが弘法大師が四国を巡教された弘仁6年(815)、末世の人々の安泰を祈り、楠の大木に爪で薬師如来像を彫られ、これを祀って復興されたという。以後、隆盛を誇り、七堂伽藍や末寺、脇坊も備わり、17世紀初頭の慶長年間(1596~1615)からは土佐藩の祈願寺となって、堂塔も整備された。行基菩薩作とされる金剛界大日如来坐像は、高さが約146cmの寄せ木造りで、四国では最大級。また、脇仏の聖観世音菩薩立像は智証大師作と伝えられ、これも高さ約172cmと大きく、ともに国の重要文化財に指定されている。
団体客が声を揃えてお経をあげていた。
14時03分に出発する。
物部川に架かる戸板島橋を渡って進むと「大師堂」があり、へんろ小屋とも書かれていた。小屋はまだ新しいが、境内には文化10年(1813)や天保7年(1836)と刻まれた古い小さな石仏が並んでいる。
「29番札所国分寺」には16時25分に到着する。かって聖武天皇が全国68か所に国分寺を建立されたが、ここは土佐の国分寺だ。弘法大師がこの地を巡錫したのは弘仁6年(815)のころで、毘沙門天像を彫造して奥の院に安置された。その際に本堂で真言八祖に相承される厄除けの「星供の秘法」を修められた。以来、土佐国分寺は「星供の根本道場」となっている。本尊千手観世音菩薩を祀る国分寺の本堂(金堂)は、長宗我部元親が、永禄元年(1558)に再建。柿葺き、寄棟造りで外観は天平様式を伝え、内部の海老紅梁は土佐最古といわれ、室町時代の特色が見られて国の重要文化財に指定されている。ただ、来年の開創1200年の準備のためか、改修中だった。大師堂は寛永11年(1634)に創建され、文化2年(1805)に山内豊策公によって再建されたという。また、仁王門は明暦元年(1655)、土佐2代藩主・山内忠義公の寄進で造られた豪壮な二層造りである。
今日の宿はここからかなり離れたところしかなかった。しかも資料に乗っている旅館は二つとも廃業されていた。この資料は7年前の資料なのだが、このようにこの7年間の間に宿や食堂が廃業しているケースが多い。結局南国ビジネスホテルが営業をしていたので、ここに宿泊することとし、国分寺からタクシーで向かう。
本日の歩行時間 9時間19分。
本日の歩数&距離 50194歩、35.3km。
フロントの方が昨夜は風雨が強くて何度も目が覚めたと言われていたが、私はぐっすり寝込んでいて、全く目が覚めなかった。7時06分に出発するが、道路では大きな植木鉢や看板が倒れていて、相当にひどい風雨だったことがわかる。夜のうちでよかったと思う。
右手に安芸市営球場があるところから55号線から分岐して自転車道に入る。更にその先から防波堤の道を進んでいくが、たまに自転車が通るだけで、歩きやすい。そのかわり視界に入るのは海だけ。黙々と歩いていく。昨夜の影響が残っていて、大きな波がザブンザブンと押し寄せている。広大な太平洋の姿は見ていて気持ちがいい。
切り立った絶壁が海際まで迫っている場所がかなりある。現在はこうして道路が整備されているが、昔は、今日のように波が荒い日など、こういったところを歩くのは大変だっただろうなと思う。ただ北陸の親不知子不知のような名前がついている様子はない。そういえば親不知子不知を通った時は、交通量が多いのに歩道のない延々10㎞に及ぶ洞門トンネルで、日没になって初めて照明がないということに気づいて、えらく怖い思いをしたことを思い出す。
左手に「八流山極楽寺」がある。ここは弘法大師が千丈岩といわれる岩場で修行され、修行の一時の憩として衣を洗い、汗を流された場所で、この御霊跡の地に大正13年、田辺覚道師が厳しい修行の末、一刀三礼して謹刻し、一顧不動尊を安置したのが当寺の由来と資料に記されている。
琴ケ浜を通る。以前も書いたと思うが、内掛けの上手い琴ケ浜という大関がいたことを思い出す。フアンだったのだ。東西に約6㎞に及ぶ松林の松は数万本あるといわれており、波打ち際に打ち寄せた波が引いてゆくとき砂が転がり、海水の中に妙なる音が聞こえることや、砂丘の形状がふくれた琴の胴にも見えることから琴ケ浜という名前が付いたという。左手に大平洋が広がり、行き交う人もほとんどいない道は歩いていて気持ちがいい。こうして元気に何の憂いもなく歩くことができることは本当にありがたいことだとつくづく思う。
阿佐線西分駅の近くに善根宿がある。バラックのような造りだが、「勝手に入って休んでください」と書かれている。野宿をして歩かれている方々にとってはありがたい施設だと思う。
55号線に並行したところに自転車道が出てくると、途端に車の騒音が耳につく。遍路道はやはり静かな道がいい。道の駅やすがある。時間をみるとまだ11時だが、鉄則にしたがって早めの昼食にする。
その先で55号線に合流して進むと、右手に「岸本神社」がある。ここの境内には大正から昭和にかけて詩人として活躍をした岡本弥太の詩碑が立っており、その横に明治5年の狛犬がある。
ここから右折して55号線から分岐して香我美町の中を通る。ここも古い民家が多く、水切瓦の家が目に付く。
岸本小学校の横に「岸本町道路元標」が立っている。今回の旅で道路元標に気が付いたのはここが初めてだ。
安政元年(1854)の大地震のありさまを書き記している「安政地震の碑」が立っている。、安政元年11月の朝、常より大きな地震があり、潮が20mも引いて干上がった手結港で鰻をたくさん取った。翌日大地震で家も塀も崩れ、人々は何日も徳王子の山で暮らしたというようなことが刻まれていると説明されている。
右手に赤レンガの古い屋敷があるが、ここは明治23年に初代村長になった小松与右衛門の屋敷だったところという。
そのすぐ横に「伊能忠敬測量地点」の碑が立っている。文化5年(1808)にこの地で測量を行ったという。全国を歩いていると、こうして伊能忠敬が測量したという場所が各地に残っている。55歳を過ぎてから17年間に渡って全国を歩いた伊能忠敬を私も見習いたいものだ。
脇本陣だった「長木屋」がある。伊能忠敬の一行がこの地で測量をした際、一行の脇宿となったところという。ここで写真を撮ったりしていると、店の女将さんがお茶でも飲んでいきなさいと言ってくれたので、店先に座ってお茶をごちそうになった。
その先右手に「一本松」があり、道路の反対側に「大日寺への道標」と遍路の「腰掛石」がある。
昔、宿場町の入り口に遠くから望めるように松が聳えていて、それが地名になったという。松は「待つ」につながり、宿場のある意味を持つという。戦後は大きい松だったが、松くい虫の被害にあい、現在は数代目の松ということで、まだ小さい松だった。
「28番札所大日寺」に到着する。ここは聖武天皇(在位724~49)の勅願により、行基菩薩が大日如来の尊像を彫造し、堂宇に安置して開創されたと伝えられる。その後、寺は荒廃したが弘法大師が四国を巡教された弘仁6年(815)、末世の人々の安泰を祈り、楠の大木に爪で薬師如来像を彫られ、これを祀って復興されたという。以後、隆盛を誇り、七堂伽藍や末寺、脇坊も備わり、17世紀初頭の慶長年間(1596~1615)からは土佐藩の祈願寺となって、堂塔も整備された。行基菩薩作とされる金剛界大日如来坐像は、高さが約146cmの寄せ木造りで、四国では最大級。また、脇仏の聖観世音菩薩立像は智証大師作と伝えられ、これも高さ約172cmと大きく、ともに国の重要文化財に指定されている。
団体客が声を揃えてお経をあげていた。
14時03分に出発する。
物部川に架かる戸板島橋を渡って進むと「大師堂」があり、へんろ小屋とも書かれていた。小屋はまだ新しいが、境内には文化10年(1813)や天保7年(1836)と刻まれた古い小さな石仏が並んでいる。
「29番札所国分寺」には16時25分に到着する。かって聖武天皇が全国68か所に国分寺を建立されたが、ここは土佐の国分寺だ。弘法大師がこの地を巡錫したのは弘仁6年(815)のころで、毘沙門天像を彫造して奥の院に安置された。その際に本堂で真言八祖に相承される厄除けの「星供の秘法」を修められた。以来、土佐国分寺は「星供の根本道場」となっている。本尊千手観世音菩薩を祀る国分寺の本堂(金堂)は、長宗我部元親が、永禄元年(1558)に再建。柿葺き、寄棟造りで外観は天平様式を伝え、内部の海老紅梁は土佐最古といわれ、室町時代の特色が見られて国の重要文化財に指定されている。ただ、来年の開創1200年の準備のためか、改修中だった。大師堂は寛永11年(1634)に創建され、文化2年(1805)に山内豊策公によって再建されたという。また、仁王門は明暦元年(1655)、土佐2代藩主・山内忠義公の寄進で造られた豪壮な二層造りである。
今日の宿はここからかなり離れたところしかなかった。しかも資料に乗っている旅館は二つとも廃業されていた。この資料は7年前の資料なのだが、このようにこの7年間の間に宿や食堂が廃業しているケースが多い。結局南国ビジネスホテルが営業をしていたので、ここに宿泊することとし、国分寺からタクシーで向かう。
本日の歩行時間 9時間19分。
本日の歩数&距離 50194歩、35.3km。
旅の地図
記録
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2013年11月19日(火)
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2013年11月20日(水)
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2013年11月21日(木)
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2013年11月22日(金)
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2013年11月23日(土)
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2013年11月24日(日)
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2013年11月25日(月)
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2013年11月26日(火)
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2013年12月07日(土)
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2013年12月08日(日)
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2013年12月09日(月)
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2013年12月10日(火)
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2013年12月11日(水)
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2013年12月12日(木)
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2013年12月13日(金)
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プロフィール
歩人
かっちゃん