二回目の四国遍路を歩く

2013年11月19日(火) ~2015年02月22日(日)
総歩数:1678682歩 総距離:1146.8km

2013年11月24日(日)

金子や~20番鶴林寺~21番太龍寺~22番平等寺~山茶花

                                          晴れ

 7時26分に3人一緒に出発する。これから先3人で終わるまで一緒に歩くことになる。
 宿を出るとすぐ先に遍路道の入り口がある。前回はこの入り口を見落としてしまって、車道を歩いた経験があるので注意をしていたが、今回は大きな看板が立っていて間違うことはなかった。
遍路道の入り口
 今日は「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」といわれる阿波の難所のうちの二つを歩くのだ。登り始めるといきなり急坂だ。すぐに汗が噴き出してくる。ただ基本的に一本道だし、道案内の標識もあるのでその点は大丈夫だ。
 20分ほど登ったところに「水呑大師」がある。ここも弘法大師が杖をつくと水が湧き出したといわれているところだ。大師にはこのように杖を突くと水が湧き出るという逸話が各所にある。地質学かなにかの知識があったのだろう。
水呑大師
 沿道にはここも丁石があり、12丁石からあった。
 更に登っていくと、視界が開ける場所があった。ここから眺めるとかなり登ってきたことがわかる。
視界が開ける場所
 途中で昨日一緒だった女性に出会った。頑張っているようだ。また、徳島新聞社の記者とカメラマンがいて、写真を撮られたので、次の日に掲載されているかな?と思って宿で見てみたが、載っていなかった。
 仁王門まで登ってきたところの少し手前に2丁石があった。お寺の案内では丁石は11基あるとなっていたので、1丁石はないのかもしれない。
 8時26分に「二十番札所鶴林寺」に到着する。登り始めて丁度1時間だった。
鶴林寺
 ここは標高570mの所にあるため、かなり坂はきつかった。前回登った時にあまりきつかったという感覚がなかったのは、途中まで車道を歩いたからだと改めて気が付いた。境内には樹齢千年を超すような老杉、檜や松の巨木が参道を覆っており、歴史を感じさせる風情だ。ここは大師がこの山で修行していたとき、雌雄2羽の白鶴がかわるがわる翼をひろげて老杉のこずえに舞い降り、小さな黄金のお地蔵さんを守護していた。この情景を見て歓喜した大師は、近くにあった霊木で高さ90センチほどの地蔵菩薩像を彫造、その胎内に5.5センチぐらいの黄金の地蔵さんを納めて本尊とし、寺名を鶴林寺にしたといわれている。広い境内に今が盛りの紅葉が映えてとてもきれいだ。
紅葉
 8時47分に出発するが、当然と言えば当然なのだが、下りは下る一方だ。途中寛政2年(1790)の石碑がぽつんと1基立っていた。だれかのお墓かな?こんな場所に一基だけ、どうしたのだろう?
 文化6年(1809)の道標が立っている。新しい道標に交じって、所々にこのように古い道標が立っていると、昔の人たちもこの道標を頼りに歩いたのだろうと思いをはせる。
 那賀川に架かる水井橋を渡る。四国の川は水のきれいな川が多いが、この川はさほどきれいではなかった。
水井橋
 途中、3人で時々話をしながら進んでいくが、兵庫から来られている方は、Nさんといい、3年間で日本百名山を全て登ってしまったというすごい方だ。特に昨年は一年間で41山を登ったそうで、驚きだ。年齢は私と同じだったが、世の中すごい方がおられるものだと思う。次は200名山、300名山を目指すそうで、マグロと一緒で、なにもしないでじっとしていると死んでしまうといわれていたが、何か私と似たような感覚なので、おかしかった。確かに山登りに慣れておられるようで、登り下りの時の足が速い!アップダウンに弱い私はいつもしんがりを勤めることになった。
 山を下ると休憩所があり、みかんが籠に山もり置かれている。これもお接待なので、遠慮なくいただく。汗をかいて渇いたのどにみかんがおいしかった。
 続いて太龍寺の登りにかかるが、ここも急坂だ。ここにも丁石が沿道に置かれており、27丁石まで確認をすることができた。
 10時48分に「二十一番札所太龍寺」に到着する。ここは618mの太龍寺の山頂近くにあり、樹齢数百年余の老杉の並木が天空にそびえ、境内には古刹の霊気が漂っている。ここは御廟の橋、拝殿、御廟と高野山奥ノ院と同じ配列であることから「西の高野山」と呼ばれている。弘法大師が19歳のころ、境内から南西約600メートルの「舎心嶽」という岩上で、百日間の虚空蔵求聞持法を修行されたという。山号は修行地の舎心嶽から、また寺名は修行中の大師を守護した大龍(龍神)にちなんでいるという。
太龍寺1太龍寺2

 少し早いが、ここで昼食にする。昼食は金子やで握ってもらったおにぎりだ。ここも参拝者が多い。ここはロープウエイができているそうだ。
 11時25分に出発する。ここからの下り道に関して、「かも道」(ふだらく峠越え)は危険なので歩かないようにという看板が出ているので、おとなしく28号線につながる道を下ることにする。後で宿の方にお聞きすると、ふだらく峠越えの道は道としてそれなりにあるのだが、道に迷う人が多く、一旦迷うとヘリコプターで捜索しなければならず、実際かなりの回数ヘリが出動しているそうで、行かないように、という指導がされているということだった。
 28号線に入ると比較的平坦な道で歩きやすい。その先、195号線を横断して進むが、前回ここで間違って、195号線を進んでしまい、えらく遠回りをした経験があったので、注意していたが、ここも標識があってすんなり遍路道に入ることができた。ここにへんろ小屋があったので休憩を取って、一息入れる。
へんろ小屋1
 ここから大根峠を越えるのだが、また登りか、とうんざりする。登った後は当然下るわけで、一日に3回も登り下りを繰り返すと、膝の半月板が損傷している私にとってはさすがに膝に来て、少々つらいものがあった。
 峠を下ったところに変わった形のへんろ小屋があったので、ここでもう一休みする。今日の宿はすぐそこだ。
へんろ小屋3へんろ小屋4

 14時36分に「二十二番札所平等寺」に到着する。弘法大師がこの地で修行をしていると、空中に5色の霊雲がたなびき、その中に黄金の梵字が現れた。大師が歓喜して加持されると薬師如来の尊像が現れて光明が四方に輝いたので、大師がさっそく加持水を求め、杖で井戸を掘られたところ、乳のごとき白い水が湧き溢れた。その霊水で身を清められた大師は100日の修行の後に薬師如来像を刻み本尊として安置し、人々が平等に救済されるようにとの願いをこめて山号を白水山、寺号を平等寺と定められたという。
平等寺
 平等寺のすぐ横が今日の宿である山茶花だ。ここも前回泊ったところで、今回もおかずも多く、食事はよかった。今日の同宿者は我々3人に昨日一緒に歩いた女性、それと東京から来られ、今回二回目の歩き遍路というまだ若いご夫婦だった。ここは一人一部屋が原則で、兵庫から来られたNさんが申し込まれたときは満室といわれたので、すでに予約をしていた大坂のHさんが同室でも構わない、というお願いをして泊ることができたそうだ。お二人が泊られた部屋は前回私が泊った大広間だったそうだ。

 本日の歩行時間  7時間10分。
 本日の歩数&距離 28439歩、21.1km。
  

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