2013年11月23日(土)
サンシャイン徳島~18番恩山寺~19番立江寺~金子や
晴れ
7時41分に出発する。道は徳島市の中心街を通っていて、土曜日なのに車が多い。右手に金刀比羅神社があり、大きな石灯籠が立っている。これは天保10年(1839)に造られたもので揮毫者は頼山陽といわれており、10.24mあるという高さと独特の偉容で石灯籠では日本一の折り紙つきと説明されている。
繁華街の中の道なので、特にこれといった特徴なく進んでいく。左手に二軒屋のJRの駅を見ながら進み、その先で左折して細道に入る。これまでの大通りでは道案内のシールはあまりなかったが、細道に入ると電柱等に頻繁に貼られていて、これを頼りに進んでいく。
その先で55号線にでるとまた車の通行量が多くなり、騒音が激しい。遍路道はやはり静かな山の中の道がいい。
55号線から左へ分岐するところがあり、これを進むと左手に安永7年(1778)の石仏や上部が壊れた三界万霊、そして明治40年の道標がある。道標を見ていると、江戸時代のものもかなりの数あるが、明治時代のものがかなり目につく。
ここから遍路道を外れて左へ少し進むと、「弘法大師御杖の水」がある。弘法大師が旅の途中で飲み水を求められたが、塩気が多く、これでは里人は大変だろうと思って、お杖で真清水の湧き出る泉源を開かれたという。更にこの場所を通称接待場と称し、四国巡礼や多くの旅人がこの霊泉に心を清め憩を求めて、今なお信仰崇拝しているという。ふたを開けてみると水が流れており、ひしゃくが置かれていたが、水は飲まなかった。
55号線を横断して進むと、右手に「源義経上陸の地」という石碑が建っている。元暦2年(1185)屋島へ逃れた平氏を追って源義経がこの地に上陸したと刻まれている。
恩山寺近くになって、車道から離れて山道を登る遍路道があるので、これを登ると、途中に「左 井土寺是ヨリ五里」「向江立江寺従是三十一丁」と刻まれた寛政12年(1800)の道標があり、更にその上に文化5年(1808)の石仏を挟んで庚申塔2基と石仏がもう1体、その先にも9体の石仏が並んで安置されている。
江戸時代の人々もこの坂道を登ったのだなと思いながら登っていくと「十八番札所恩山寺」に到着する。ここはかっては十九番霊場立江寺に向かって下る「花折り坂」という坂から上には、女性が入ることは許されておらず、災厄悪疫を救う女人禁制の道場だったという。弘法大師がこの寺で修行をしていたころ、大師の生母・玉依御前が讃岐の善通寺から訪ねてきた。しかし、寺は女人禁制、大師は山門近くの瀧にうたれて17日間の秘法を修し、女人解禁の祈願を成就して母君を迎えることができたという。やがて母君は剃髪をして、その髪を奉納されたので、大師は山号寺名を「母養山恩山寺」と改めたという。、
恩山寺を11時10分に出発して、山を下ろうとすると、3人のおばあちゃんが座っていて、お接待をされていた。赤飯と手作りのあられ、それとジュースが用意されていたが、昼食はおにぎりを持ってきていたので、あられとジュースをいただく。今回の旅ではじめてのお接待をいただいた。
その先で道は竹林のなかへ入っていくが、ここに、「義経軍が釈迦庵から恩山寺へ登る坂の向こうに敵兵がいないことを探知して弓の弦を巻かしたので弦巻坂という」と書かれた看板が立っており、その横に石仏が安置されている。
ここで石仏を見たり、写真を撮ったりしていると、後ろから女性が追い付いて来られたので、これから先を一緒に歩く。この方は広島から来られており、できれば通し打ちをされたいといわれており、なかなの健脚だった。その先でみかん農家のご夫婦とお会いしたとき、ビニール袋一杯のみかんをお接待していただいた。更にその先でまたみかんをいただいた。この季節、四国はみかんの時期なのだ。ありがたかったが、みかんで荷物は一杯になった。
136号線に合流して進むと、右手に「お京塚」がある。「亨和3年(1803)の頃、大阪新町で芸者嫁業中の「お京」は、要助なる者と深 く契って脱走、親里に帰り夫婦となったが、いつしか密夫をこしらえて、逐に 密夫を手引きして夫を殺し、ともに讃州丸亀に上陸して四国巡拝を思い立った。立江寺まで来たところ、お京の髪は逆立って寺の鉦の緒に巻き付き、不義の天罰を与えられた。そのため お京は懺悔して真人間に還り、一心に地蔵尊を念じて当地で余生を終わったと いう「肉髪付鉦の緒 の由来」の主人公の塚である」と資料に説明されている。
12時19分に「十九番札所立江寺」に到着する。ここは「四国の総関所」として四国八十八ヶ所の根本道場といわれ、また「阿波の関所」としても知られている。ここでは丁度「流水灌頂」という先祖供養の儀式が行われていた。これは一年に一度11月23日に行われるもので、祭壇の正面に新仏の卒塔婆を祀り、参道には檀家の祖先の卒塔婆が並んでいる、。ここで昼食のおにぎりを食べていると、1時から儀式が始まった。ここは妻と一緒に参拝した最後のお寺なので、何かの因縁を感じ、静かに手を合わせる。前回ここを参拝したときはまだ心が乱れたものだが、今回はそれほどではなかったものの、色々なことが思い出されて、やはりなんとも言えない気持ちになった。
13時5分に出発したが、橋の所で道を間違って、これまで歩いてきた道の方へ進んでしまった。途中でおかしいと思って、最初からやり直すべく戻っているところに男性の方が来られ、「ご苦労様です。」と声をかけていただいたので道をお聞きし、ようやく本来の道がわかった。道案内が頻繁にあるので、あまり道を間違わないのだが、この時は失敗だ。
右手に八幡神社があり、この境内に「櫛渕のフウ」という大木が立っている。こんなに大きいのだから、かなり古い木だろうと思ってみると、大正の頃に植えられたもので、成長がとても早いと説明されていた。天然記念物に指定されている。
勝浦川に突当り、川沿いに進むと温度表示があり、14℃を示していた。この温度計は前回来た時もここにあり、6月だったこともあった23℃を表示していたことを覚えている。
一緒に歩いた女性は今日はさかもとという宿に泊まるといい、そこは道の駅まで迎えに来てくれるそうで、道の駅のところで別れる。
金子やはその先すぐのところにあった。ここは前回来たときにも泊ったところだ。
15時37分に到着する。
宿では最初の宿だった寿食堂で一緒だった方と二日目の宿だったさくらやで一緒になった方がすでに着かれていた。一緒に食事をしたが、おかずがちょっと少なかった。
本日の歩行時間 7時間56分。
本日の歩数&距離 42560歩、29.5km。
7時41分に出発する。道は徳島市の中心街を通っていて、土曜日なのに車が多い。右手に金刀比羅神社があり、大きな石灯籠が立っている。これは天保10年(1839)に造られたもので揮毫者は頼山陽といわれており、10.24mあるという高さと独特の偉容で石灯籠では日本一の折り紙つきと説明されている。
繁華街の中の道なので、特にこれといった特徴なく進んでいく。左手に二軒屋のJRの駅を見ながら進み、その先で左折して細道に入る。これまでの大通りでは道案内のシールはあまりなかったが、細道に入ると電柱等に頻繁に貼られていて、これを頼りに進んでいく。
その先で55号線にでるとまた車の通行量が多くなり、騒音が激しい。遍路道はやはり静かな山の中の道がいい。
55号線から左へ分岐するところがあり、これを進むと左手に安永7年(1778)の石仏や上部が壊れた三界万霊、そして明治40年の道標がある。道標を見ていると、江戸時代のものもかなりの数あるが、明治時代のものがかなり目につく。
ここから遍路道を外れて左へ少し進むと、「弘法大師御杖の水」がある。弘法大師が旅の途中で飲み水を求められたが、塩気が多く、これでは里人は大変だろうと思って、お杖で真清水の湧き出る泉源を開かれたという。更にこの場所を通称接待場と称し、四国巡礼や多くの旅人がこの霊泉に心を清め憩を求めて、今なお信仰崇拝しているという。ふたを開けてみると水が流れており、ひしゃくが置かれていたが、水は飲まなかった。
55号線を横断して進むと、右手に「源義経上陸の地」という石碑が建っている。元暦2年(1185)屋島へ逃れた平氏を追って源義経がこの地に上陸したと刻まれている。
恩山寺近くになって、車道から離れて山道を登る遍路道があるので、これを登ると、途中に「左 井土寺是ヨリ五里」「向江立江寺従是三十一丁」と刻まれた寛政12年(1800)の道標があり、更にその上に文化5年(1808)の石仏を挟んで庚申塔2基と石仏がもう1体、その先にも9体の石仏が並んで安置されている。
江戸時代の人々もこの坂道を登ったのだなと思いながら登っていくと「十八番札所恩山寺」に到着する。ここはかっては十九番霊場立江寺に向かって下る「花折り坂」という坂から上には、女性が入ることは許されておらず、災厄悪疫を救う女人禁制の道場だったという。弘法大師がこの寺で修行をしていたころ、大師の生母・玉依御前が讃岐の善通寺から訪ねてきた。しかし、寺は女人禁制、大師は山門近くの瀧にうたれて17日間の秘法を修し、女人解禁の祈願を成就して母君を迎えることができたという。やがて母君は剃髪をして、その髪を奉納されたので、大師は山号寺名を「母養山恩山寺」と改めたという。、
恩山寺を11時10分に出発して、山を下ろうとすると、3人のおばあちゃんが座っていて、お接待をされていた。赤飯と手作りのあられ、それとジュースが用意されていたが、昼食はおにぎりを持ってきていたので、あられとジュースをいただく。今回の旅ではじめてのお接待をいただいた。
その先で道は竹林のなかへ入っていくが、ここに、「義経軍が釈迦庵から恩山寺へ登る坂の向こうに敵兵がいないことを探知して弓の弦を巻かしたので弦巻坂という」と書かれた看板が立っており、その横に石仏が安置されている。
ここで石仏を見たり、写真を撮ったりしていると、後ろから女性が追い付いて来られたので、これから先を一緒に歩く。この方は広島から来られており、できれば通し打ちをされたいといわれており、なかなの健脚だった。その先でみかん農家のご夫婦とお会いしたとき、ビニール袋一杯のみかんをお接待していただいた。更にその先でまたみかんをいただいた。この季節、四国はみかんの時期なのだ。ありがたかったが、みかんで荷物は一杯になった。
136号線に合流して進むと、右手に「お京塚」がある。「亨和3年(1803)の頃、大阪新町で芸者嫁業中の「お京」は、要助なる者と深 く契って脱走、親里に帰り夫婦となったが、いつしか密夫をこしらえて、逐に 密夫を手引きして夫を殺し、ともに讃州丸亀に上陸して四国巡拝を思い立った。立江寺まで来たところ、お京の髪は逆立って寺の鉦の緒に巻き付き、不義の天罰を与えられた。そのため お京は懺悔して真人間に還り、一心に地蔵尊を念じて当地で余生を終わったと いう「肉髪付鉦の緒 の由来」の主人公の塚である」と資料に説明されている。
12時19分に「十九番札所立江寺」に到着する。ここは「四国の総関所」として四国八十八ヶ所の根本道場といわれ、また「阿波の関所」としても知られている。ここでは丁度「流水灌頂」という先祖供養の儀式が行われていた。これは一年に一度11月23日に行われるもので、祭壇の正面に新仏の卒塔婆を祀り、参道には檀家の祖先の卒塔婆が並んでいる、。ここで昼食のおにぎりを食べていると、1時から儀式が始まった。ここは妻と一緒に参拝した最後のお寺なので、何かの因縁を感じ、静かに手を合わせる。前回ここを参拝したときはまだ心が乱れたものだが、今回はそれほどではなかったものの、色々なことが思い出されて、やはりなんとも言えない気持ちになった。
13時5分に出発したが、橋の所で道を間違って、これまで歩いてきた道の方へ進んでしまった。途中でおかしいと思って、最初からやり直すべく戻っているところに男性の方が来られ、「ご苦労様です。」と声をかけていただいたので道をお聞きし、ようやく本来の道がわかった。道案内が頻繁にあるので、あまり道を間違わないのだが、この時は失敗だ。
右手に八幡神社があり、この境内に「櫛渕のフウ」という大木が立っている。こんなに大きいのだから、かなり古い木だろうと思ってみると、大正の頃に植えられたもので、成長がとても早いと説明されていた。天然記念物に指定されている。
勝浦川に突当り、川沿いに進むと温度表示があり、14℃を示していた。この温度計は前回来た時もここにあり、6月だったこともあった23℃を表示していたことを覚えている。
一緒に歩いた女性は今日はさかもとという宿に泊まるといい、そこは道の駅まで迎えに来てくれるそうで、道の駅のところで別れる。
金子やはその先すぐのところにあった。ここは前回来たときにも泊ったところだ。
15時37分に到着する。
宿では最初の宿だった寿食堂で一緒だった方と二日目の宿だったさくらやで一緒になった方がすでに着かれていた。一緒に食事をしたが、おかずがちょっと少なかった。
本日の歩行時間 7時間56分。
本日の歩数&距離 42560歩、29.5km。
旅の地図
記録
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2013年11月19日(火)
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2013年11月20日(水)
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2013年11月21日(木)
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2013年11月22日(金)
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2013年11月23日(土)
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2013年11月24日(日)
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2013年11月25日(月)
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2013年11月26日(火)
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2013年12月07日(土)
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2013年12月08日(日)
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2013年12月09日(月)
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2013年12月10日(火)
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2013年12月11日(水)
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2013年12月12日(木)
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2013年12月13日(金)
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2013年12月14日(土)
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2013年12月15日(日)
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2013年12月16日(月)
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2013年12月17日(火)
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2013年12月18日(水)
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2013年12月19日(木)
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2013年12月20日(金)
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2013年12月21日(土)
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2015年01月19日(月)
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2015年01月20日(火)
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2015年02月16日(月)
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2015年02月20日(金)
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2015年02月22日(日)
プロフィール
歩人
かっちゃん