2013年11月22日(金)
さくらや旅館~13番大日寺~14番常楽寺~15番国分寺~16番観音寺~17番井戸寺~ホテルサンシャイン徳島
晴れ
6時40分に出発する。朝は寒く、吐く息が白い。右手に大きな年不詳の石灯籠が立っている。
今日歩く道はバスが通っている道なのでアップダウンは少ない。この辺りまで来ると徳島バスが通っていて本数も相当数あるようだ。438号線に合流して進むと、右手に「無縁之墓」と「四国遍路合同霊碑」があり、その横に小祠がある。碑は昭和になって建てられているが、古来遍路の途中で命を落とされた方が数多くおられたのだろうと思い、手を合わせる。
このあたりの438号線は通勤時間帯だからなのか、車の通行量が多く、信号がないので、車はかなりのスピードで走っている。西分で438号線から分岐するのだが、うっかり通り過ぎてしまった。すぐ先で気が付いて引き返したのだが、このあたりは道案内のシールが少なく、この場所も一枚シールが電柱に貼ってあるだけだったので、見落としてしまっていたようだ。鬼籠野の集落の中を進むと、左手に鬼籠野神社があり、その先で21号線に突き当たったところから左折して進む。曲がった先に小さなシールが一枚貼ってあった。
その先で道は21号線を進む道と、これから分岐して207号線を進む道に分かれるが、どちらも大日寺に向かうことができるようだ。私は207号線を進んだが、道は次第に山の中へ入っていき、車もめったに通らない道になって歩きやすい。静かな山の中の道を進んでいくと、獄門峠という看板がかかっている場所がある。江戸時代、鮎喰川原で重罪人を処刑し、刎ねた首をこの峠で木にくくり、名前を書いて見せしめにしていたということからこの名前が付いたという。
小さな集落があり、ここにも年不詳ながら大きな石灯籠が立っている。
大桜トンネルを抜けるが、このトンネルには歩道がない。もっとも車が通らないので気は楽だ。静かな山の中の道はさらに続いている。
やがて人家が次第に増えてくる。山を抜けたのだ。左手に船盡比咩神社があるところに「第13番札所 大日寺近道」と書かれた案内板が立っているので、それにしたがって細道を進んでいき、10時42分に「十三番札所大日寺」に到着する。ここまで丁度4時間かかっている。大日寺は、弘法大師がこの地で護摩修法をされていた際に、空中から大日如来が紫雲とともに舞いおり、「この地は霊地なり。心あらば一宇を建立すべし」と告げられたので、大師は、さっそく大日如来像を彫造して本尊とし、堂宇を建立し安置したと伝えられている。道を挟んだ前に阿波の総鎮守であった一の宮神社がある。一の宮神社の本地仏は行基菩薩作の十一面観音像とされており、同じ境内であったため、江戸時代には一の宮神社が札所であり、納経所として参拝されていたという。その後、明治の神仏分離令により神社は独立し、一宮寺は大日寺ともとの寺名に変えたが、もともとこの寺にあった大日如来像は脇仏となり、十一面観音像が本尊として祀られている。
ここまでの道は見るものもない山の中の道だったので、歩くスピードも上がっており、予定より早く着いた。このため今日予定していた宿よりも先へ進めそうだし、予約をしていた宿が夕食がない宿だったので、これをキャンセルして、より遠くの宿を探し始めた。遍路道沿いの旅館に電話をしてみたが、すでに廃業している宿が多く、またたまに営業をやっている宿があっても満室だったりして、結局サンシャイン徳島というホテルを予約することができた。
そんなこんなで時間がかかって11時16分に大日寺を出発する。
ここから先は本来の(?)遍路道のため、頻繁に道案内のシールがあって助かる。
弘化4年(1847)の三界万霊があり、その前を通って進む。
「第14番札所常楽寺」は「流水岩の庭園」と呼ばれているように岩盤の上にできているようなお寺で、入り口の階段は岩を削って作ったもののようだし、境内にも岩がむき出しになっているところがある。ここは四国霊場のなかで唯一、56億7千万年の後まで、衆生の救済を考え続けて出現するといわれる未来仏である弥勒菩薩を本尊としている。
11時57分に出発する。
その先で三体の仏像が刻まれた享保9年(1724)の碑が立っており、その横に六地蔵が立っている。
そのすぐ先左手に興禅寺があり、ここに天正12年(1584)の六地蔵板碑が立っており、宮谷講中の二十数名の氏名が刻まれている。
「第15番札所国分寺」は、天平13年(741)年に聖武天皇の勅命によって全国68ヶ所に国分寺、国分尼寺を創建した中の一つで阿波国分寺跡である。入口に「聖武天皇勅願所」の碑が立っている。ここの大師堂は修理中だった。
12時21分に出発する。
「第16番札所観音寺」の境内には明治17年の大きな宝篋印塔が立っている。ここには大正2年ころ、両親につれられて参拝した盲目の高松伊之助さんという方が、本尊のご利益により目が見えるようになり、松葉杖を奉納した話が語りつがれているという。
このあたりお寺が連続して建っている。
12時53分に出発するが、今日はここに来るまで食堂やコンビニ等の店が全くなく、腹が減ってきた。とにかく飢餓状態に弱いのだ。
「かっちゃん殺すにゃ刃物はいらぬ、食事を一回抜けばいい」
寛政7年(1795)の鳥居が立っている大御和神社が左手にあり、ここの前を左折していくと、うどん屋の看板が立っているが、本日はお休みとなっていた。ただそのすぐ先に中華料理店があり、ここは営業中だったので、飛び込んだ。ヤレヤレだ。食堂の女将さんが、私と同じようにお腹をすかして入ってくるお遍路さんが多いといわれていた。みな同じような体験をされているのだ。
ようやく昼食を食べることができたので、先へ進むと、すぐ先に台座に「右 井戸寺 左 観音寺」と刻まれた年不詳の石仏があり、ここを右折して進む。
「第17番札所井戸寺」は弘法大師がこの村が水不足や濁り水に悩んでいるのを哀れみ、自らの錫杖で井戸を掘ったところ、一夜にして清水が湧き出したので、この付近を「井戸村」と名付け、寺名もそれまでの妙照寺から井戸寺に改めたという。仁王門は朱塗りで裏に大ワラジが下がっている。
14時17分に出発して進むと、左手に宝暦3年(1753)の石仏が立っている。
その先は30号線に合流、鮎喰川に架かる中鮎喰橋を通って徳島の市街地へ入っていき、15時45分にホテルサンシャイン徳島に到着する。このホテルはきれいなホテルで、お遍路コース一泊二食で8500円というものだった。
本日の歩行時間 9時間5分。
本日の歩数&距離 49683歩、33.5km。
6時40分に出発する。朝は寒く、吐く息が白い。右手に大きな年不詳の石灯籠が立っている。
今日歩く道はバスが通っている道なのでアップダウンは少ない。この辺りまで来ると徳島バスが通っていて本数も相当数あるようだ。438号線に合流して進むと、右手に「無縁之墓」と「四国遍路合同霊碑」があり、その横に小祠がある。碑は昭和になって建てられているが、古来遍路の途中で命を落とされた方が数多くおられたのだろうと思い、手を合わせる。
このあたりの438号線は通勤時間帯だからなのか、車の通行量が多く、信号がないので、車はかなりのスピードで走っている。西分で438号線から分岐するのだが、うっかり通り過ぎてしまった。すぐ先で気が付いて引き返したのだが、このあたりは道案内のシールが少なく、この場所も一枚シールが電柱に貼ってあるだけだったので、見落としてしまっていたようだ。鬼籠野の集落の中を進むと、左手に鬼籠野神社があり、その先で21号線に突き当たったところから左折して進む。曲がった先に小さなシールが一枚貼ってあった。
その先で道は21号線を進む道と、これから分岐して207号線を進む道に分かれるが、どちらも大日寺に向かうことができるようだ。私は207号線を進んだが、道は次第に山の中へ入っていき、車もめったに通らない道になって歩きやすい。静かな山の中の道を進んでいくと、獄門峠という看板がかかっている場所がある。江戸時代、鮎喰川原で重罪人を処刑し、刎ねた首をこの峠で木にくくり、名前を書いて見せしめにしていたということからこの名前が付いたという。
小さな集落があり、ここにも年不詳ながら大きな石灯籠が立っている。
大桜トンネルを抜けるが、このトンネルには歩道がない。もっとも車が通らないので気は楽だ。静かな山の中の道はさらに続いている。
やがて人家が次第に増えてくる。山を抜けたのだ。左手に船盡比咩神社があるところに「第13番札所 大日寺近道」と書かれた案内板が立っているので、それにしたがって細道を進んでいき、10時42分に「十三番札所大日寺」に到着する。ここまで丁度4時間かかっている。大日寺は、弘法大師がこの地で護摩修法をされていた際に、空中から大日如来が紫雲とともに舞いおり、「この地は霊地なり。心あらば一宇を建立すべし」と告げられたので、大師は、さっそく大日如来像を彫造して本尊とし、堂宇を建立し安置したと伝えられている。道を挟んだ前に阿波の総鎮守であった一の宮神社がある。一の宮神社の本地仏は行基菩薩作の十一面観音像とされており、同じ境内であったため、江戸時代には一の宮神社が札所であり、納経所として参拝されていたという。その後、明治の神仏分離令により神社は独立し、一宮寺は大日寺ともとの寺名に変えたが、もともとこの寺にあった大日如来像は脇仏となり、十一面観音像が本尊として祀られている。
ここまでの道は見るものもない山の中の道だったので、歩くスピードも上がっており、予定より早く着いた。このため今日予定していた宿よりも先へ進めそうだし、予約をしていた宿が夕食がない宿だったので、これをキャンセルして、より遠くの宿を探し始めた。遍路道沿いの旅館に電話をしてみたが、すでに廃業している宿が多く、またたまに営業をやっている宿があっても満室だったりして、結局サンシャイン徳島というホテルを予約することができた。
そんなこんなで時間がかかって11時16分に大日寺を出発する。
ここから先は本来の(?)遍路道のため、頻繁に道案内のシールがあって助かる。
弘化4年(1847)の三界万霊があり、その前を通って進む。
「第14番札所常楽寺」は「流水岩の庭園」と呼ばれているように岩盤の上にできているようなお寺で、入り口の階段は岩を削って作ったもののようだし、境内にも岩がむき出しになっているところがある。ここは四国霊場のなかで唯一、56億7千万年の後まで、衆生の救済を考え続けて出現するといわれる未来仏である弥勒菩薩を本尊としている。
11時57分に出発する。
その先で三体の仏像が刻まれた享保9年(1724)の碑が立っており、その横に六地蔵が立っている。
そのすぐ先左手に興禅寺があり、ここに天正12年(1584)の六地蔵板碑が立っており、宮谷講中の二十数名の氏名が刻まれている。
「第15番札所国分寺」は、天平13年(741)年に聖武天皇の勅命によって全国68ヶ所に国分寺、国分尼寺を創建した中の一つで阿波国分寺跡である。入口に「聖武天皇勅願所」の碑が立っている。ここの大師堂は修理中だった。
12時21分に出発する。
「第16番札所観音寺」の境内には明治17年の大きな宝篋印塔が立っている。ここには大正2年ころ、両親につれられて参拝した盲目の高松伊之助さんという方が、本尊のご利益により目が見えるようになり、松葉杖を奉納した話が語りつがれているという。
このあたりお寺が連続して建っている。
12時53分に出発するが、今日はここに来るまで食堂やコンビニ等の店が全くなく、腹が減ってきた。とにかく飢餓状態に弱いのだ。
「かっちゃん殺すにゃ刃物はいらぬ、食事を一回抜けばいい」
寛政7年(1795)の鳥居が立っている大御和神社が左手にあり、ここの前を左折していくと、うどん屋の看板が立っているが、本日はお休みとなっていた。ただそのすぐ先に中華料理店があり、ここは営業中だったので、飛び込んだ。ヤレヤレだ。食堂の女将さんが、私と同じようにお腹をすかして入ってくるお遍路さんが多いといわれていた。みな同じような体験をされているのだ。
ようやく昼食を食べることができたので、先へ進むと、すぐ先に台座に「右 井戸寺 左 観音寺」と刻まれた年不詳の石仏があり、ここを右折して進む。
「第17番札所井戸寺」は弘法大師がこの村が水不足や濁り水に悩んでいるのを哀れみ、自らの錫杖で井戸を掘ったところ、一夜にして清水が湧き出したので、この付近を「井戸村」と名付け、寺名もそれまでの妙照寺から井戸寺に改めたという。仁王門は朱塗りで裏に大ワラジが下がっている。
14時17分に出発して進むと、左手に宝暦3年(1753)の石仏が立っている。
その先は30号線に合流、鮎喰川に架かる中鮎喰橋を通って徳島の市街地へ入っていき、15時45分にホテルサンシャイン徳島に到着する。このホテルはきれいなホテルで、お遍路コース一泊二食で8500円というものだった。
本日の歩行時間 9時間5分。
本日の歩数&距離 49683歩、33.5km。
旅の地図
記録
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2013年11月20日(水)
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2013年11月21日(木)
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2013年11月22日(金)
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2013年11月23日(土)
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2013年11月24日(日)
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2013年11月25日(月)
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2013年11月26日(火)
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2013年12月07日(土)
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2013年12月08日(日)
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2013年12月09日(月)
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2013年12月10日(火)
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2013年12月11日(水)
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2013年12月12日(木)
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2013年12月14日(土)
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2013年12月15日(日)
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2013年12月16日(月)
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2015年02月22日(日)
プロフィール
歩人
かっちゃん