2013年11月21日(木)
さくら旅館~11番藤井寺~12番焼山寺~さくらや旅館
晴れ
朝、宿からタクシーを利用する。少しでも時間を節約し、かつ体力を温存するためだ。運転手さんにそういうと、同じことを言われて、この場所だけはタクシーを利用される方が多いですよということだった。同じような考えを持つ人が他にも多くいるようだ。
藤井寺でもう一度本堂と大師堂で般若心経を唱えて、6時42分に出発する。
歩き始めていきなりの急坂だ。「へんろころがし1/6」という標柱が立っている。このような急坂が6か所あるのだろうと思ったのだが、実際に登ってみるとそれどころではなく、急坂の連続だった。
丁石地蔵があり、その横に百十五丁と刻まれている。これは丁石と呼ばれるもので距離を表しており、1丁が109mほどだ。熊野古道をはじめとした山道でよく見かける。
しばらく登っていくと、急に視界が開ける場所がある。ここは20年前に妻と来たときにも写真を撮った場所で、よく覚えているところだ。7時4分にここを通過する。
丁石地蔵が二つ並んでいるところがある。百十丁と百二丁だ。丁石は等間隔で置かれているのが本来の姿なのだが、長い年月が経過するうちに場所がずれているようだ。このように丁石が二つ並んでいるのはその他にもあったし、また、まだ真新しい丁石地蔵もあった。
山の中の道を一人黙々と登っていく。杖に下がった鈴が杖をつく度にチリンチリンと鳴るばかり。静かだ。山道に沿って木々の枝に俳句や川柳そして夫々の方の思いを書きつけた札が下がっている。人はこのような環境に浸ると詩人になる。私も一句ひねろうと思い、推敲を重ねて一句作ったが、所詮畑違いの門外漢。ここでご披露するような代物ではない。あえて恥をさらすこともあるまい。
「水大師」の標識があり、山水が湧いている。ここを過ぎると4㎞先の柳水庵まで水はないと記されているが、まだ水はたっぷり残っているので、先へ進む。すぐ横に九十六丁石地蔵がある。
このあたり猪が多いのだろう。土が各所で掘り起こされている。その先に石畳がある。これはいつごろ造られたのだろうか?これだけの石を集めてくるだけでも大変だっただろうなと思う。
8時4分に「長戸庵」に到着する。ここは弘法大師がこの地へきて休息をしていると、足腰を痛めた旅人が通りかかったので、大師が加持するとたちまち痛みが治まった。足腰の治った旅人はお礼のため一宇の堂を建て、大師の像を祭って修行山長戸大師堂と名付けたのが始まりという。
ここで一息入れていると一人の男性が登ってこられたので、入れ替わりに出発する。その先でも八十四丁石地蔵と八十一丁石地蔵が並んであった。
この後も黙々と一人で山を登っていくが、後で考えると、もう詩作のことは頭の片隅にもなかった。まぁ所詮その程度のものなのです。
急坂を下ったところに「柳水庵」がある。9時7分に到着する。ここは藤井寺と焼山寺の中間にある番外霊場のお寺で、弘法大師が柳の杖で地面を突くと水が湧き出たとの言い伝えからつけられた名前だという。
清水が勢いよく湧き出ていたので、ペットボトルに水を入れたりしていると、先ほどの男性が下ってこられた。言葉を交わすうちに昨夜一緒の宿だった方だとこの時初めて気が付いた。一緒に食事をした時と違って、帽子は被っておられるし、白衣も着ているので気が付かなかったのだ。全く申し訳なかった。ここではその方が先に出発された。この方と一緒に女性の一人旅の方もおられたが、ここで私より後に出発されたので、その後お会いすることはなかった。
右手に「一里」と刻まれた字を読むことができる石碑が立っている。街道を歩いていると一里塚の跡というのをよく見かけるが、ここでは初めて見た。すぐ先に四十六丁石地蔵があったので、上り始めて一里という意味ではないかと想像する。
その先で「へんろころがし4/6」という標柱が立っている。2/6、3/6の標柱は気が付かなかったので、見落としたのかな?まだ新しい標柱なので、朽ち落ちたのではないだろう。
9時57分に「一本杉」に到着する。大きな弘法大師の像が立っており、その後ろに天然記念物の指定を受けている巨大な杉が立っている。ここは左右内峠で標高は746mの所にあり、弘法大師が焼山寺へ登られるときにこの木の下で野宿をされたということだ。この杉は20年前に来たときは随分下からでも見えていたのだが、今回はこの場所に来るまで気が付かなかった。見ると周囲の木々が伸びていて視界がきかなくなっているようだ。歳月の経過を実感する。ここには焼山寺の末庵である浄蓮庵がある。
ここに先ほど先に出発された男性が休憩をされていた。この方は大坂の方で、今回2回目の遍路に出られたHさんといわれる方で、私より5歳若い。昨年の11月から今年の3月にかけて区切り打ちで遍路をされたという。ここから先、Hさんと一緒に歩くことになる。歩くテンポが違うとお互いに歩きにくいのだが、この方とは大丈夫だった。
この先、実はひそかに注意していたことがあった。妻とこの坂を登った際、自宅の庭になっている夏みかんを持ってきており、それをこの先のどこかの坂で一休みするときに食べ、種をまいていたのだ。いつの日かこの地を再び訪れたときにみかんの木が大きくなっていると面白いね。知らない人がみると、なんでこんな場所にみかんが生えているのだろう?と思うかもしれないね、などと話をしていたのだ。今回ひょっとしてこの道中にみかんの木が生えているのではないか、もし生えていればもう20年経つので随分大きな木になっているはずだと思っていたのだが、残念ながら見当たらなかった。そんなことを考えながら相変わらず急な坂道を登っていくと、「へんろころがし6/6」の標識が立っていたので、もうこれで急坂は終わったかなとちょっとほっとしたのだが、まだまだ急坂は続いていた。
十丁石地蔵があったので、もう少しだと思いながら登ったが、最後はさすがにきつかった。汗びっしょりになりながら11時30分丁度にようやく「十二番札所焼山寺」に到着する。
藤井寺を出て4時間48分かかっている。前回は妻と一緒で5時間丁度で登っており、しかも前回は先ほど書いたように途中で休憩を入れたりして、かなり余裕を持って登った記憶があるので、やはり歳をとったのだなぁという思いと、それにしても日頃何も運動をしていなかった妻はよく頑張ったものだという思いが交錯する。
ここは焼山寺山(標高938メートル)の8合目近くにあり、四国霊場で2番目に高い山岳札所だ。この山には昔、神通力を持った大蛇が棲んでおり、しばしば火を吐いて農作物や村人たちを襲っていた。弘法大師がこの地に巡られた時、途中にあった一本杉で休んでいた処、阿弥陀様があらわれた夢を見た。目を覚ますと目の前が火の海になっている。そこで麓の垢取川で身を清めて山に登ると、大蛇は全山を火の海にして妨害した。大師は「摩廬(水輪の意)の印いん」を結び、真言を唱えながら進んだのだが、大蛇は山頂近くの岩窟で姿をあらわした。大師は一心に祈願し、虚空蔵菩薩の御加護のもと岩窟に封じ込めた。そして自ら彫られた三面大黒天を安置し被害を受けていた民家の大衆安楽、五穀豊穣を祈った。また山は「焼山」となってしまったので大師が「焼山寺」と名付けたという。
ここで掛け軸に納経をいただく。これで掛け軸は完成、結願だ。今回は足の調子がまだ完全に回復していなかったので、不安な気持ちが強く、それでも何とか最低限焼山寺まではがんばって、掛け軸を完成させたいと思っていたので、やった!という思いが強い。足も大丈夫だった。
帰宅後、早速掛け軸を表装に出した。年内には出来上がるということで、正月はこの掛け軸を眺めながら、一杯やることを今から楽しみにしている。
ようやく念願が叶ってやれやれと思って、お寺の休憩所で、宿で作っていただいたおにぎりの昼食にする。ところが寒い!汗をかいているので余計寒い!お寺の方がストーブを入れてくれ、出入り口を閉めてくれたが、それでも寒かった。
12時20分に出発する。
山を下っていく途中に「杖杉庵」がある。ここは空海の姿を探し求めて、最初に四国八十八箇所を巡った伝説の人物とされる衛門三郎の終焉の地伝説が残る場所に建つ寺院で、四国八十八か所霊場番外札所である。大師は衛門三郎をこの地に葬り、墓標として衛門三郎が遍路に使用した杉の杖を立てたが、これがやがて根を張り杉の大木となったという。この杉は享保年間に焼失したということだが、現在も大きな杉の木が立っている。
Hさんの今日の宿は植村旅館。私も植村旅館に泊まりたくて、昨日17時頃から何回か電話を入れたのだが、誰も出ないので、仕方なく寄井経由で進む事にし、さくらや旅館を予約したのだ。後で聞くと、宿の方はちょうどその時間帯に外出をしていたということのようだった。そのため鍋岩でHさんとお別れする。植村旅館へ行く道はもう一つ坂を越えなければいけないそうだが、寄井経由の方は舗装された道を下るので楽だ。ただ、その分次へ行くには距離が10㎞ほど長くなるようなので、もうお会いすることはないかなと思ってお別れする。
43号線を下っていくが、たまに集落があるだけでほとんど山の中だ。神山町営のバスが焼山寺まで通っているようだが、時刻表を見ると一日に3本しかない。しかも午前中に一本だけあるバスは日曜、祝祭日は運行しないようだ。道の右手に左右内谷川が流れているが水がきれいだ。
四国は四万十川が清流として有名だが、それ以外の川も総じて清流が多い。
14時27分にさくらや旅館に到着する。今日の宿泊は私一人だけだ。ここは部屋は比較的きれいだった。
本日の歩行時間 7時間45分。
本日の歩数&距離 25994歩、 20.2km。
朝、宿からタクシーを利用する。少しでも時間を節約し、かつ体力を温存するためだ。運転手さんにそういうと、同じことを言われて、この場所だけはタクシーを利用される方が多いですよということだった。同じような考えを持つ人が他にも多くいるようだ。
藤井寺でもう一度本堂と大師堂で般若心経を唱えて、6時42分に出発する。
歩き始めていきなりの急坂だ。「へんろころがし1/6」という標柱が立っている。このような急坂が6か所あるのだろうと思ったのだが、実際に登ってみるとそれどころではなく、急坂の連続だった。
丁石地蔵があり、その横に百十五丁と刻まれている。これは丁石と呼ばれるもので距離を表しており、1丁が109mほどだ。熊野古道をはじめとした山道でよく見かける。
しばらく登っていくと、急に視界が開ける場所がある。ここは20年前に妻と来たときにも写真を撮った場所で、よく覚えているところだ。7時4分にここを通過する。
丁石地蔵が二つ並んでいるところがある。百十丁と百二丁だ。丁石は等間隔で置かれているのが本来の姿なのだが、長い年月が経過するうちに場所がずれているようだ。このように丁石が二つ並んでいるのはその他にもあったし、また、まだ真新しい丁石地蔵もあった。
山の中の道を一人黙々と登っていく。杖に下がった鈴が杖をつく度にチリンチリンと鳴るばかり。静かだ。山道に沿って木々の枝に俳句や川柳そして夫々の方の思いを書きつけた札が下がっている。人はこのような環境に浸ると詩人になる。私も一句ひねろうと思い、推敲を重ねて一句作ったが、所詮畑違いの門外漢。ここでご披露するような代物ではない。あえて恥をさらすこともあるまい。
「水大師」の標識があり、山水が湧いている。ここを過ぎると4㎞先の柳水庵まで水はないと記されているが、まだ水はたっぷり残っているので、先へ進む。すぐ横に九十六丁石地蔵がある。
このあたり猪が多いのだろう。土が各所で掘り起こされている。その先に石畳がある。これはいつごろ造られたのだろうか?これだけの石を集めてくるだけでも大変だっただろうなと思う。
8時4分に「長戸庵」に到着する。ここは弘法大師がこの地へきて休息をしていると、足腰を痛めた旅人が通りかかったので、大師が加持するとたちまち痛みが治まった。足腰の治った旅人はお礼のため一宇の堂を建て、大師の像を祭って修行山長戸大師堂と名付けたのが始まりという。
ここで一息入れていると一人の男性が登ってこられたので、入れ替わりに出発する。その先でも八十四丁石地蔵と八十一丁石地蔵が並んであった。
この後も黙々と一人で山を登っていくが、後で考えると、もう詩作のことは頭の片隅にもなかった。まぁ所詮その程度のものなのです。
急坂を下ったところに「柳水庵」がある。9時7分に到着する。ここは藤井寺と焼山寺の中間にある番外霊場のお寺で、弘法大師が柳の杖で地面を突くと水が湧き出たとの言い伝えからつけられた名前だという。
清水が勢いよく湧き出ていたので、ペットボトルに水を入れたりしていると、先ほどの男性が下ってこられた。言葉を交わすうちに昨夜一緒の宿だった方だとこの時初めて気が付いた。一緒に食事をした時と違って、帽子は被っておられるし、白衣も着ているので気が付かなかったのだ。全く申し訳なかった。ここではその方が先に出発された。この方と一緒に女性の一人旅の方もおられたが、ここで私より後に出発されたので、その後お会いすることはなかった。
右手に「一里」と刻まれた字を読むことができる石碑が立っている。街道を歩いていると一里塚の跡というのをよく見かけるが、ここでは初めて見た。すぐ先に四十六丁石地蔵があったので、上り始めて一里という意味ではないかと想像する。
その先で「へんろころがし4/6」という標柱が立っている。2/6、3/6の標柱は気が付かなかったので、見落としたのかな?まだ新しい標柱なので、朽ち落ちたのではないだろう。
9時57分に「一本杉」に到着する。大きな弘法大師の像が立っており、その後ろに天然記念物の指定を受けている巨大な杉が立っている。ここは左右内峠で標高は746mの所にあり、弘法大師が焼山寺へ登られるときにこの木の下で野宿をされたということだ。この杉は20年前に来たときは随分下からでも見えていたのだが、今回はこの場所に来るまで気が付かなかった。見ると周囲の木々が伸びていて視界がきかなくなっているようだ。歳月の経過を実感する。ここには焼山寺の末庵である浄蓮庵がある。
ここに先ほど先に出発された男性が休憩をされていた。この方は大坂の方で、今回2回目の遍路に出られたHさんといわれる方で、私より5歳若い。昨年の11月から今年の3月にかけて区切り打ちで遍路をされたという。ここから先、Hさんと一緒に歩くことになる。歩くテンポが違うとお互いに歩きにくいのだが、この方とは大丈夫だった。
この先、実はひそかに注意していたことがあった。妻とこの坂を登った際、自宅の庭になっている夏みかんを持ってきており、それをこの先のどこかの坂で一休みするときに食べ、種をまいていたのだ。いつの日かこの地を再び訪れたときにみかんの木が大きくなっていると面白いね。知らない人がみると、なんでこんな場所にみかんが生えているのだろう?と思うかもしれないね、などと話をしていたのだ。今回ひょっとしてこの道中にみかんの木が生えているのではないか、もし生えていればもう20年経つので随分大きな木になっているはずだと思っていたのだが、残念ながら見当たらなかった。そんなことを考えながら相変わらず急な坂道を登っていくと、「へんろころがし6/6」の標識が立っていたので、もうこれで急坂は終わったかなとちょっとほっとしたのだが、まだまだ急坂は続いていた。
十丁石地蔵があったので、もう少しだと思いながら登ったが、最後はさすがにきつかった。汗びっしょりになりながら11時30分丁度にようやく「十二番札所焼山寺」に到着する。
藤井寺を出て4時間48分かかっている。前回は妻と一緒で5時間丁度で登っており、しかも前回は先ほど書いたように途中で休憩を入れたりして、かなり余裕を持って登った記憶があるので、やはり歳をとったのだなぁという思いと、それにしても日頃何も運動をしていなかった妻はよく頑張ったものだという思いが交錯する。
ここは焼山寺山(標高938メートル)の8合目近くにあり、四国霊場で2番目に高い山岳札所だ。この山には昔、神通力を持った大蛇が棲んでおり、しばしば火を吐いて農作物や村人たちを襲っていた。弘法大師がこの地に巡られた時、途中にあった一本杉で休んでいた処、阿弥陀様があらわれた夢を見た。目を覚ますと目の前が火の海になっている。そこで麓の垢取川で身を清めて山に登ると、大蛇は全山を火の海にして妨害した。大師は「摩廬(水輪の意)の印いん」を結び、真言を唱えながら進んだのだが、大蛇は山頂近くの岩窟で姿をあらわした。大師は一心に祈願し、虚空蔵菩薩の御加護のもと岩窟に封じ込めた。そして自ら彫られた三面大黒天を安置し被害を受けていた民家の大衆安楽、五穀豊穣を祈った。また山は「焼山」となってしまったので大師が「焼山寺」と名付けたという。
ここで掛け軸に納経をいただく。これで掛け軸は完成、結願だ。今回は足の調子がまだ完全に回復していなかったので、不安な気持ちが強く、それでも何とか最低限焼山寺まではがんばって、掛け軸を完成させたいと思っていたので、やった!という思いが強い。足も大丈夫だった。
帰宅後、早速掛け軸を表装に出した。年内には出来上がるということで、正月はこの掛け軸を眺めながら、一杯やることを今から楽しみにしている。
ようやく念願が叶ってやれやれと思って、お寺の休憩所で、宿で作っていただいたおにぎりの昼食にする。ところが寒い!汗をかいているので余計寒い!お寺の方がストーブを入れてくれ、出入り口を閉めてくれたが、それでも寒かった。
12時20分に出発する。
山を下っていく途中に「杖杉庵」がある。ここは空海の姿を探し求めて、最初に四国八十八箇所を巡った伝説の人物とされる衛門三郎の終焉の地伝説が残る場所に建つ寺院で、四国八十八か所霊場番外札所である。大師は衛門三郎をこの地に葬り、墓標として衛門三郎が遍路に使用した杉の杖を立てたが、これがやがて根を張り杉の大木となったという。この杉は享保年間に焼失したということだが、現在も大きな杉の木が立っている。
Hさんの今日の宿は植村旅館。私も植村旅館に泊まりたくて、昨日17時頃から何回か電話を入れたのだが、誰も出ないので、仕方なく寄井経由で進む事にし、さくらや旅館を予約したのだ。後で聞くと、宿の方はちょうどその時間帯に外出をしていたということのようだった。そのため鍋岩でHさんとお別れする。植村旅館へ行く道はもう一つ坂を越えなければいけないそうだが、寄井経由の方は舗装された道を下るので楽だ。ただ、その分次へ行くには距離が10㎞ほど長くなるようなので、もうお会いすることはないかなと思ってお別れする。
43号線を下っていくが、たまに集落があるだけでほとんど山の中だ。神山町営のバスが焼山寺まで通っているようだが、時刻表を見ると一日に3本しかない。しかも午前中に一本だけあるバスは日曜、祝祭日は運行しないようだ。道の右手に左右内谷川が流れているが水がきれいだ。
四国は四万十川が清流として有名だが、それ以外の川も総じて清流が多い。
14時27分にさくらや旅館に到着する。今日の宿泊は私一人だけだ。ここは部屋は比較的きれいだった。
本日の歩行時間 7時間45分。
本日の歩数&距離 25994歩、 20.2km。
旅の地図
記録
-
2013年11月19日(火)
-
2013年11月20日(水)
-
2013年11月21日(木)
-
2013年11月22日(金)
-
2013年11月23日(土)
-
2013年11月24日(日)
-
2013年11月25日(月)
-
2013年11月26日(火)
-
2013年12月07日(土)
-
2013年12月08日(日)
-
2013年12月09日(月)
-
2013年12月10日(火)
-
2013年12月11日(水)
-
2013年12月12日(木)
-
2013年12月13日(金)
-
2013年12月14日(土)
-
2013年12月15日(日)
-
2013年12月16日(月)
-
2013年12月17日(火)
-
2013年12月18日(水)
-
2013年12月19日(木)
-
2013年12月20日(金)
-
2013年12月21日(土)
-
2015年01月19日(月)
-
2015年01月20日(火)
-
2015年01月21日(水)
-
2015年01月22日(木)
-
2015年01月23日(金)
-
2015年01月24日(土)
-
2015年01月25日(日)
-
2015年01月26日(月)
-
2015年01月27日(火)
-
2015年02月15日(日)
-
2015年02月16日(月)
-
2015年02月17日(火)
-
2015年02月18日(水)
-
2015年02月19日(木)
-
2015年02月20日(金)
-
2015年02月21日(土)
-
2015年02月22日(日)
プロフィール
歩人
かっちゃん