2012年10月31日(水)
大原~八瀬~出町柳
晴れ
ふるさと前バス停を8時25分に出発し、「八瀬天満宮」に参拝する。ここは祭神として菅原道真(845~903)を祀っており、道真が亡くなった後、師である叡山法性坊阿闍梨尊意(866~940)の勧請により建立されたと伝えられている。社殿の背面扉の内側には、十一面観音絵像が祀られているという。道真が若い時、自己研鑽のため比叡山へ通う折り、此の地で休息したといわれ、江戸時代まで「矢背(やせ)天神宮」とも呼ばれた。
境内入り口右手に「弁慶背比べ石」があり、原寸6尺3分2分と刻まれている。
天満宮社には九つの摂社が祀られており、本殿南側の「秋元神社」には、宝永7年(1710)比叡山との境界論争勃発の際、八瀬村の利権(租税の免除)を認める裁決を行った、時の幕府老中で,この訴訟の担当者であった秋元但馬守喬知が祀られており、以来毎年「赦免地踊り」が奉納されているという。
また左手には、「菅公腰掛け石」がある。
その先で高野川に架かる八瀬大橋を渡るが、その橋の袂、右手に石仏群がある。
途中、367号線を横断して進むと、右手にまだ新しい九頭竜大社がある。
このあたりになると高野川の川幅が大きくなっている。
その先で367号線に合流したところ右手に「真山碊(がけ)観音寺」がある。ここは平治元年(1159)、平治の乱に敗れた源義朝が東国へ落ちのびるときに誤って崖から転落したが、怪我もなく無事だったので、これを観音の慈悲とし、大岩に矢じりで観音を彫り、源氏再興を祈願したことから、がけの観音とも呼ばれているという。
右手に「養福寺」がある。ここは慶長16年(1611)京都三条大橋畔に創建され、明和2年(1765)有栖川宮家の祈願寺となっている。また文久年間(1861~1864)には毛利氏の本陣にもなっていたという。昭和51年に現在地の八瀬に移転している。
右手に「崇道神社」がある。延暦4年(785)長岡京造宮使であった藤原種継が暗殺された事件の首謀者として逮捕された桓武天皇の実弟である早良親王(崇道天皇)は淡路に流される途中、無実を主張して絶食死した。その後、桓武天皇の近親者の死が続き、都に悪疫が流行したため、早良親王の祟りと噂され、その怨霊を鎮めるために延暦19年(800)には崇道天皇と追号を送り、墓を現在の八島陵へ改葬したという。崇道天皇を祀っている神社はほかにもあるが、崇道天皇のみを祭神としているのはこの崇道神社だけという。また境内の山腹には最初の遣隋使だった小野妹子の子、小野毛人の墓がある。参拝をしていると野生の鹿が数頭、山を駆け上っていく姿が見えた。ここには野生の猿もいるという。
すぐ先、右手に「蓮華寺」がある。ここは当初、加賀前田藩士だった今枝重直が草庵を結んだところで、この地に寺院を建立することを願っていたが、果たせずに寛永4年(1627)に死去してしまった。そのため重直の孫である今枝近義が、応仁の乱で焼失していた七条塩小路にあった西来院という時宗寺院を寛文2年(1662)にこの地で再建、祖父の菩提を弔ったものである。
367号線から右手入ったところに「三宅八幡宮」があるので、街道を外れていってみた。ここは遣隋使として随に赴いた小野妹子が筑紫で病気になったが、宇佐八幡宮に祈願するとたちまち病気が治り、無事帰国することができたので、自らの所領であるこの地に宇佐八幡宮を勧請して建立したのが始まりとされている。その後この神社は南朝の忠臣だった児島隆徳(別名備後三郎三宅高徳)が八幡大神を尊崇したことから、いつしか三宅八幡宮と呼ばれるようになったという。
367号線に戻り、三宅橋を渡り、すぐに367号線から分岐して旧道を進むが、その先でいったん367号線に合流、更にその先の花園橋の信号で367号線から分岐して直進、その先で再び367号線に合流する。
平八前というバス停の先で道は二股に別れているので、367号線から分岐して左へ直進する。この辺りは街道の雰囲気を残している。
左手に「加茂波邇神社」がある。ここは下鴨神社の境外摂社で、式内社である。波爾安日子神、波爾安日女神を祀っており、社名は、鎮座地側を流れる高野川がかつて埴川と呼ばれていた事から命名されたともいい、または祭神名から由来しているともいう。
その先の十字路で右折して進み、高野川に突き当たる。その右角に京都日産の左京店がある。
ここから高野川に沿って左へ進み、出町柳に11時23分に到着する。
本日の歩行時間 2時間58分。
本日の歩数&距離 15629歩、11.1km。
街道のみを歩いた場合の距離 8.6km。
鯖街総合計
総歩行時間 26時間23分。
総歩数 138769歩。
総歩行距離 97.1km。
鯖街道純距離 79.1km。(途中、寄り道をせず、道を間違えず、街道だけを歩いた場合の距離)
ふるさと前バス停を8時25分に出発し、「八瀬天満宮」に参拝する。ここは祭神として菅原道真(845~903)を祀っており、道真が亡くなった後、師である叡山法性坊阿闍梨尊意(866~940)の勧請により建立されたと伝えられている。社殿の背面扉の内側には、十一面観音絵像が祀られているという。道真が若い時、自己研鑽のため比叡山へ通う折り、此の地で休息したといわれ、江戸時代まで「矢背(やせ)天神宮」とも呼ばれた。
境内入り口右手に「弁慶背比べ石」があり、原寸6尺3分2分と刻まれている。
天満宮社には九つの摂社が祀られており、本殿南側の「秋元神社」には、宝永7年(1710)比叡山との境界論争勃発の際、八瀬村の利権(租税の免除)を認める裁決を行った、時の幕府老中で,この訴訟の担当者であった秋元但馬守喬知が祀られており、以来毎年「赦免地踊り」が奉納されているという。
また左手には、「菅公腰掛け石」がある。
その先で高野川に架かる八瀬大橋を渡るが、その橋の袂、右手に石仏群がある。
途中、367号線を横断して進むと、右手にまだ新しい九頭竜大社がある。
このあたりになると高野川の川幅が大きくなっている。
その先で367号線に合流したところ右手に「真山碊(がけ)観音寺」がある。ここは平治元年(1159)、平治の乱に敗れた源義朝が東国へ落ちのびるときに誤って崖から転落したが、怪我もなく無事だったので、これを観音の慈悲とし、大岩に矢じりで観音を彫り、源氏再興を祈願したことから、がけの観音とも呼ばれているという。
右手に「養福寺」がある。ここは慶長16年(1611)京都三条大橋畔に創建され、明和2年(1765)有栖川宮家の祈願寺となっている。また文久年間(1861~1864)には毛利氏の本陣にもなっていたという。昭和51年に現在地の八瀬に移転している。
右手に「崇道神社」がある。延暦4年(785)長岡京造宮使であった藤原種継が暗殺された事件の首謀者として逮捕された桓武天皇の実弟である早良親王(崇道天皇)は淡路に流される途中、無実を主張して絶食死した。その後、桓武天皇の近親者の死が続き、都に悪疫が流行したため、早良親王の祟りと噂され、その怨霊を鎮めるために延暦19年(800)には崇道天皇と追号を送り、墓を現在の八島陵へ改葬したという。崇道天皇を祀っている神社はほかにもあるが、崇道天皇のみを祭神としているのはこの崇道神社だけという。また境内の山腹には最初の遣隋使だった小野妹子の子、小野毛人の墓がある。参拝をしていると野生の鹿が数頭、山を駆け上っていく姿が見えた。ここには野生の猿もいるという。
すぐ先、右手に「蓮華寺」がある。ここは当初、加賀前田藩士だった今枝重直が草庵を結んだところで、この地に寺院を建立することを願っていたが、果たせずに寛永4年(1627)に死去してしまった。そのため重直の孫である今枝近義が、応仁の乱で焼失していた七条塩小路にあった西来院という時宗寺院を寛文2年(1662)にこの地で再建、祖父の菩提を弔ったものである。
367号線から右手入ったところに「三宅八幡宮」があるので、街道を外れていってみた。ここは遣隋使として随に赴いた小野妹子が筑紫で病気になったが、宇佐八幡宮に祈願するとたちまち病気が治り、無事帰国することができたので、自らの所領であるこの地に宇佐八幡宮を勧請して建立したのが始まりとされている。その後この神社は南朝の忠臣だった児島隆徳(別名備後三郎三宅高徳)が八幡大神を尊崇したことから、いつしか三宅八幡宮と呼ばれるようになったという。
367号線に戻り、三宅橋を渡り、すぐに367号線から分岐して旧道を進むが、その先でいったん367号線に合流、更にその先の花園橋の信号で367号線から分岐して直進、その先で再び367号線に合流する。
平八前というバス停の先で道は二股に別れているので、367号線から分岐して左へ直進する。この辺りは街道の雰囲気を残している。
左手に「加茂波邇神社」がある。ここは下鴨神社の境外摂社で、式内社である。波爾安日子神、波爾安日女神を祀っており、社名は、鎮座地側を流れる高野川がかつて埴川と呼ばれていた事から命名されたともいい、または祭神名から由来しているともいう。
その先の十字路で右折して進み、高野川に突き当たる。その右角に京都日産の左京店がある。
ここから高野川に沿って左へ進み、出町柳に11時23分に到着する。
本日の歩行時間 2時間58分。
本日の歩数&距離 15629歩、11.1km。
街道のみを歩いた場合の距離 8.6km。
鯖街総合計
総歩行時間 26時間23分。
総歩数 138769歩。
総歩行距離 97.1km。
鯖街道純距離 79.1km。(途中、寄り道をせず、道を間違えず、街道だけを歩いた場合の距離)
旅の地図
記録
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2012年10月28日(日)
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2012年10月29日(月)
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2012年10月30日(火)
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2012年10月31日(水)
プロフィール
歩人
かっちゃん