2012年06月09日(土)
鶴ヶ坂~新城~油川
曇
青森駅で昨日のうちにこちらへ来た会社の仲間3名と合流し、鶴ヶ坂駅へ向かう。鶴ヶ坂駅を9時29分に出発するが、ここに「元気町あぶらかわ街づくり委員会」の事務局長をされている中崎さんが待っておられた。中崎さんは前回奥州街道を歩いた際にとてもお世話になった方で、今回も会社の人間が色々とお世話になったそうで、ありがたかった。

中崎さんとはここでお別れし、247号線を進む。この道は車の流れも少なくて歩きやすい。
左手に地蔵堂と百万遍塔がある。この百万遍塔は明治33年と刻まれている。このあたりの百万遍塔はそのほとんどが明治以降のものだ。

左手に「久須志神社」がある。ここも赤鳥居が立っており、「じゃんばら」が下がっている。境内には庚申塔や二十三夜塔、猿田彦等がある。

その先で7号線に接するところ左手に、地蔵堂と明治13年の百万遍塔がある。

右手に「照法寺」の社標が立っており、その横に大正14年の百万遍塔がある。
新城坂踏切でJRの線路を横断、街道から少し外れて津軽新城駅に行き、ここで今朝、埼玉の大宮から移動してきた会社の仲間3名と合流、ここからは7名で歩き始める。

街道に戻って歩き始めると、すぐ先左手に「金峰神社」がある。この辺りは新城城址で、この神社は新城の館神だったといわれており、境内には猿田彦が2基あり、小さいほうには文化6年(1809)と刻まれている。
左手に地蔵堂が三つ並んで建っており、その先にも地蔵堂と百万遍塔が並んで建っているところが二か所あった。
7号線の高架下を通って進み、JRの線路の手前、左手に地蔵堂があるところから左折するのが旧道だ。

道が右にカーブするところに地蔵堂があり、その横に地元の方によって立てられた「羽州街道終点地伝馬町」の看板が立っている。

新城街道踏切でJRの線路を横断すると、ここにも先ほどと同じ「羽州街道終点地伝馬町」の看板が立っており、「江戸時代初期の寛文4年(1664)伝馬派立ちとして開かれ、安永7年(1778)には59軒の家があった。ここは羽州街道の終着点であり、油川港に諸国廻船の出入りが多かった安土桃山時代から、町内で最も賑やかな町であった」という伝馬町の説明板がある。

左手に「熊野神社」がある。ここは永禄2年(1559)に北畠具永によって再建されたという棟札が残っているという。文政4年(1821)の鳥居が立っており、境内には文久元年(1861)の石灯籠や文政5年(1822)、文政11年(1828)の太田ノ神がある。
12時8分に油川の奥州街道との合流点に到着する。
ゴールには「元気町あぶらかわ街づくり委員会」の木村委員長や中崎さんをはじめとした約10名の皆さんと埼玉大宮にある開発センターに勤務している会社の仲間15名が大きな横断幕を掲げて出迎えてくれた。
旧街道を歩いて日本一周を達成した瞬間だ。

こうして皆さんに出迎えていただくことはとてもありがたいことだと思うし、同時にこれまで歩いてきた街道全てにおいて、本当に数多くの皆さんに色々と教えていただき、ご指導していただいたからこそ、こうして今日を迎えることができたのだという思いを新たにする。ただただ感謝あるのみです。
この後、祝賀会場へ向かう途中にある「淨満寺」に向かう。ここは奥瀬氏の菩提寺となっており、奥瀬一族の五輪塔5基が「千人塚」の上に置かれている。「千人塚」は天明4年(1780)の大飢饉の時、この町の餓死者300人、食を求めて流浪に出、いなくなった人400人という惨状で、道端には死体が横たわっていた。これを見かねた代官は大きな穴を掘ってそこに遺骸を埋蔵したので、ここを千人塚と名付け、代々淨満寺の住職が供養を続けてきたという。

また境内には「森山弥七郎」の供養碑がある。この碑は寛永元年(1624)の青森開港の恩人といわれている元祖森山弥七郎の供養碑で青森市指定文化財になっている。

ゴール近くのお店を貸し切って行われた祝賀会では青森市長の祝意メッセージが披露されたり、新聞記者の取材を受けたり(二紙に掲載されました)と賑やかな会になった。
企画をしてくれた会社の仲間の皆さん、そして色々とご協力をしていただいた中崎さんには感謝である。
2006年6月4日に四国遍路に出発して以来、ちょうど6年間で旧街道を歩いて日本一周を達成することができました。随分時間がかかったように思う一方、あっという間に終わったようにも思える6年間でした。
この間色々な方にお会いし、色々と教えていただき、そして時には一緒に歩いていただくなど、本当にお世話になりました。ありがたいことだと思っています。
これからも元気に、また新しい目標に向かって歩いていきたいと思っていますので、よろしくお願い申し上げます。
街道はまだまだたくさんある!
本日の歩行時間 2時間39分。
本日の歩数&距離 15609歩、10.8km。
羽州街道(南新庄~油川)合計
総歩行時間 112時間42分。
総歩数 638862歩。
総歩行距離 450km。
羽州街道純距離 380.1km。(途中、寄り道をせず、道を間違えず、街道だけを歩いた場合の距離)
羽州街道(桑折~油川)総合計
総歩行時間 155時間03分。
総歩数 857808歩。
総歩行距離 603.1km。
羽州街道純距離 517km。(途中、寄り道をせず、道を間違えず、街道だけを歩いた場合の距離)
青森駅で昨日のうちにこちらへ来た会社の仲間3名と合流し、鶴ヶ坂駅へ向かう。鶴ヶ坂駅を9時29分に出発するが、ここに「元気町あぶらかわ街づくり委員会」の事務局長をされている中崎さんが待っておられた。中崎さんは前回奥州街道を歩いた際にとてもお世話になった方で、今回も会社の人間が色々とお世話になったそうで、ありがたかった。

中崎さんとはここでお別れし、247号線を進む。この道は車の流れも少なくて歩きやすい。
左手に地蔵堂と百万遍塔がある。この百万遍塔は明治33年と刻まれている。このあたりの百万遍塔はそのほとんどが明治以降のものだ。

左手に「久須志神社」がある。ここも赤鳥居が立っており、「じゃんばら」が下がっている。境内には庚申塔や二十三夜塔、猿田彦等がある。

その先で7号線に接するところ左手に、地蔵堂と明治13年の百万遍塔がある。

右手に「照法寺」の社標が立っており、その横に大正14年の百万遍塔がある。
新城坂踏切でJRの線路を横断、街道から少し外れて津軽新城駅に行き、ここで今朝、埼玉の大宮から移動してきた会社の仲間3名と合流、ここからは7名で歩き始める。

街道に戻って歩き始めると、すぐ先左手に「金峰神社」がある。この辺りは新城城址で、この神社は新城の館神だったといわれており、境内には猿田彦が2基あり、小さいほうには文化6年(1809)と刻まれている。
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左手に地蔵堂が三つ並んで建っており、その先にも地蔵堂と百万遍塔が並んで建っているところが二か所あった。
7号線の高架下を通って進み、JRの線路の手前、左手に地蔵堂があるところから左折するのが旧道だ。

道が右にカーブするところに地蔵堂があり、その横に地元の方によって立てられた「羽州街道終点地伝馬町」の看板が立っている。

新城街道踏切でJRの線路を横断すると、ここにも先ほどと同じ「羽州街道終点地伝馬町」の看板が立っており、「江戸時代初期の寛文4年(1664)伝馬派立ちとして開かれ、安永7年(1778)には59軒の家があった。ここは羽州街道の終着点であり、油川港に諸国廻船の出入りが多かった安土桃山時代から、町内で最も賑やかな町であった」という伝馬町の説明板がある。

左手に「熊野神社」がある。ここは永禄2年(1559)に北畠具永によって再建されたという棟札が残っているという。文政4年(1821)の鳥居が立っており、境内には文久元年(1861)の石灯籠や文政5年(1822)、文政11年(1828)の太田ノ神がある。
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12時8分に油川の奥州街道との合流点に到着する。
ゴールには「元気町あぶらかわ街づくり委員会」の木村委員長や中崎さんをはじめとした約10名の皆さんと埼玉大宮にある開発センターに勤務している会社の仲間15名が大きな横断幕を掲げて出迎えてくれた。
旧街道を歩いて日本一周を達成した瞬間だ。

こうして皆さんに出迎えていただくことはとてもありがたいことだと思うし、同時にこれまで歩いてきた街道全てにおいて、本当に数多くの皆さんに色々と教えていただき、ご指導していただいたからこそ、こうして今日を迎えることができたのだという思いを新たにする。ただただ感謝あるのみです。
この後、祝賀会場へ向かう途中にある「淨満寺」に向かう。ここは奥瀬氏の菩提寺となっており、奥瀬一族の五輪塔5基が「千人塚」の上に置かれている。「千人塚」は天明4年(1780)の大飢饉の時、この町の餓死者300人、食を求めて流浪に出、いなくなった人400人という惨状で、道端には死体が横たわっていた。これを見かねた代官は大きな穴を掘ってそこに遺骸を埋蔵したので、ここを千人塚と名付け、代々淨満寺の住職が供養を続けてきたという。

また境内には「森山弥七郎」の供養碑がある。この碑は寛永元年(1624)の青森開港の恩人といわれている元祖森山弥七郎の供養碑で青森市指定文化財になっている。

ゴール近くのお店を貸し切って行われた祝賀会では青森市長の祝意メッセージが披露されたり、新聞記者の取材を受けたり(二紙に掲載されました)と賑やかな会になった。
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企画をしてくれた会社の仲間の皆さん、そして色々とご協力をしていただいた中崎さんには感謝である。
2006年6月4日に四国遍路に出発して以来、ちょうど6年間で旧街道を歩いて日本一周を達成することができました。随分時間がかかったように思う一方、あっという間に終わったようにも思える6年間でした。
この間色々な方にお会いし、色々と教えていただき、そして時には一緒に歩いていただくなど、本当にお世話になりました。ありがたいことだと思っています。
これからも元気に、また新しい目標に向かって歩いていきたいと思っていますので、よろしくお願い申し上げます。
街道はまだまだたくさんある!
本日の歩行時間 2時間39分。
本日の歩数&距離 15609歩、10.8km。
羽州街道(南新庄~油川)合計
総歩行時間 112時間42分。
総歩数 638862歩。
総歩行距離 450km。
羽州街道純距離 380.1km。(途中、寄り道をせず、道を間違えず、街道だけを歩いた場合の距離)
羽州街道(桑折~油川)総合計
総歩行時間 155時間03分。
総歩数 857808歩。
総歩行距離 603.1km。
羽州街道純距離 517km。(途中、寄り道をせず、道を間違えず、街道だけを歩いた場合の距離)
旅の地図
記録
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2012年05月17日(木)
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2012年05月18日(金)
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2012年05月19日(土)
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2012年05月20日(日)
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2012年05月21日(月)
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2012年05月22日(火)
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2012年05月24日(木)
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2012年05月25日(金)
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2012年05月26日(土)
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2012年05月27日(日)
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2012年05月28日(月)
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2012年05月29日(火)
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2012年05月30日(水)
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2012年06月08日(金)
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2012年06月09日(土)
プロフィール

歩人
かっちゃん