羽州街道(南新庄~油川)を歩く

2012年05月17日(木) ~2012年06月09日(土)
総歩数:638862歩 総距離:450km

2012年05月27日(日)

 鶴形~富根~薄井~二ツ井~前山~鷹ノ巣

                                         晴

 朝、秋田駅から大館駅まで直行し、大館のホテルに荷物を置いて鶴形駅まで戻る。肩が痛いので、荷物を担がなくてもいいようにする苦肉の策だ。JRの本数が少ないのだが、幸い効率よく乗り継ぐことができて10時42分に鶴形駅に着き、出発する。
鶴形の旧道は昨日歩いたので、今日は舗装道を進む。
左手に「鍾馗(ショウキ)様」が立っている。鹿島様と思っていたが、間違っていて鍾馗様のようだ。
なまはげ2
 こういうのを見ると、東北に来ているのだなぁという感じが湧いてくる。  カッコーの鳴き声が聞こえる。カッコーは夏鳥として5月ごろ飛来するというが、歩いていてカッコーの鳴き声を聞くのは珍しい。
右手に標識が立っており、ここから右手に伸びる旧道を進む。
右手に伸びる旧道2
 ここは先に進むにしたがって草がかなり伸びていて地面が見えなくなってくる。しかも次第にその地面がぬかるんできて、靴が埋まってしまうようになってきた。それでも何とかJRの線路のところまで進んだ。左手はトンネルだ。地図から判断して旧道はトンネルの上を通るようだが、トンネルのほうへ進むには益々ぬかるんだところを通らなくてはならず、長靴でなければ進めないようだ。仕方がないので線路を横断しようと思って線路の上に出たが、線路の向こう側は小川が流れていて、降りることができない。どうしようかと思っているうちに電車が近づく警報音が鳴りだしたので、急いで線路から降りた。もう一度トンネルの方へ行こうとしたが、やはり無理だったので、やむを得ず最初の舗装道に戻って進むことにした。トンネルの距離は短く、すぐ先で舗装道は旧道と合流する。ここでもトンネルのほうへ戻ってみたが、こちら側は入り口付近は草が刈られていたが、やはり道は残っていなかったので先へ進むことにした。
その先で7号線に合流する。7号線を進んでいくと、標柱が立っているので、それに従って7号線から左へ分岐し、鳥谷場踏切でJRの線路を横断して進むと富根集落がある。右へカーブして集落の中を通る道が二本あるが、外側の道を進むと左手に「明治天皇富根御小休所」碑が立っている。
明治天皇富根御小休所2
 右手に愛宕神社があり、境内に嘉永元年(1848)の石灯籠が立っている。
 富根踏切でJRの線路を横断し、その先で7号線に合流する。駒形橋の手前、右上に「芭蕉塚」があり、芭蕉の句碑が立っている。これは弘化4年(1847)に建立されたもので、この台地は中世館跡といわれ、このあたりに一里塚があったという。句碑の横に文化13年(1816)の「金刀比羅神社」碑が立っている。
芭蕉塚2
 その先で7号線から分岐して右へ旧道を進むのだが、ここにも標柱が立っている。ただこの標柱はこれまで進んできた方向からみると背を向ける形で立っており、更に矢印が本来ならば進む方向に向かって↑となっていなければいけないと思うのだが、→となっており、しかもその方向に7号線から分岐して直角に右折する土道が伸びている。迷ったがとりあえず右折する土道を進んでいくと、幸い農作業をされておられる方がいたので、道をお聞きすると、この土道ではなくて、7号線から分岐して7号線と平行して坂を上る舗装道が羽州街道だと教えていただいたので助かった。ここの標柱の矢印は間違いやすいのではないかと思った。
標柱の→2標通の矢印2

 舗装された道を上っていくと、養蜂場があり、ミツバチが盛んに飛んでいた。最近ミツバチの数が減っているということを聞いたことがあり、ミツバチがいなくなると人類にとって大変なことになるので、これからも元気に飛び回ってほしいと願いながら先へ進む。
養蜂場2
 その先で7号線に合流して進むが、二ツ井バイバスの高架下を抜けると左手に材木屋があり、その先に標柱が立っているので、それに従って左へ分岐して薄井へ向かう。米代川に架かる米白橋を渡って進むと、左手入ったところに「鎧神社」がある。ここは天保12年(1841)に創建され、文久元年(1861)に現在地に移されたといい、藤原泰衡の鎧を祀っている。泰衡が源義経をかくまったとして源頼朝軍に攻められて平泉を逃れるが、この地に達したとき疲労甚だしく、鎧を薄井に置いて逃げたという。泰衡はその後、郎党河田次郎によって殺害されるが、村人はこれを憐み、この社に祀ったという。
鎧神社2
 左手に「清徳寺」がある。ここは秋田藩佐竹氏の家臣梅津政景の菩提寺で、境内には戊辰戦争で戦死した肥前藩士八名の墓がある。また大きな公孫樹の木が4本立っており、そのいずれにも銀杏がなるそうで、このように複数本ある公孫樹のすべてに銀杏がなるということは珍しいという。
清徳寺2丁目清徳寺2-2

 この地域、二ツ井町は「自転車によるまちづくり」を進めており、駅や役場等7か所にサイクリングターミナルを設置して共用自転車「チャリンジャー」が置かれている。この自転車は誰でも乗ることができ、乗り終わった後はどこのターミナルでもいいので返せばいいというシステムになっているそうで、乗ってみたかったが、近くにあったターミナルの自転車は全て出払っていた。かなりの利用があるようだ。
 琴音橋を渡り、小繋の信号で7号線から分岐して右斜めに進む。ここにも標柱が立っている。
 集落の中を通り、集落を抜けたところで7号線に合流する。
 大堤下の信号の少し先から旧道がわずかの距離残っており、すぐ先でT字路に突き当たるので右折して、信号から右折してきた道に合流、今泉踏切でJRの線路を横断、今泉川に架かる泉流橋を渡って進み、前山踏切でJRの線路を横断して7号線に合流する。7号線から分岐して前山集落を通ると左手に「明治天皇の御小休」の小さな碑が庭木の葉に隠れるようにして立っている。このような小さい碑があまり他では見かけることがない。
明治天皇の御小休2月
 左手に「庚申塔」が立っている。このあたりでは庚申塔はあまり見かけなかったので、久しぶりに見たという感じだ。
庚申塔2
 7号線から右へ分岐して進むと右手に「五義民首切塚」がある。享保9年(1724)打ち続く不作と重税に悩まされた村民を救おうと、藩主に直訴計画を立てたが露見、代表の5人が首を切られて三昼夜さらし首にされたという。
五義民首切塚2丁目
 その先左手に「永安寺」があり、墓地の左手奥に「五義民地蔵」がある。享保12年(1727)に建立されたこの地蔵は別名首なし地蔵と呼ばれ、首を切られた五義民の冥福供養のために建立されたものという。この地蔵尊は何度修復をしても首が落ちてしまうという言い伝えがあるという。
五義民地蔵2
 その先で7号線に合流したところの少し先で17時43分今日は終わる。ここからだと鷹ノ巣駅が一番近い。鷹ノ巣駅までくると、明日の朝の大館からの電車が比較的あるのだが、この駅の一つ手前の前山駅では大館駅を6時33分に出る電車の次は10時までない。そのため今日は何としてでも鷹ノ巣駅までは来たいと思っていたので、予定通りに来ることができてホッとする。

 本日の歩行時間   7時間1分。
 本日の歩数&距離  44833歩、30.6km。