2012年05月21日(月)
下深沢~大曲~神宮寺~刈和野~峰吉川
晴
7時22分に下深沢バス停を出発する。今日も左手に鳥海山が見える。
今日は金環日食ということで大きな話題になっているが、見る道具を持っていないこともあって先を急ぐ。道の左手に見事な欅の並木がある。
追分の交差点を過ぎて進むと、13号線と分岐するところ左手に神社があり、「飯田筵の祖 丹勘の碑」の標柱が立っている。筵を大曲の名産にした人のようだ。
13号線から右へ分岐し、直進して大曲の中心街に入っていく。右手に秋田修英高校があるところから左折、すぐ先で右折する枡形になっている。
その先、街道から右へ外れたところに延暦20年(801)に古舘に造営され,貞享2年(1685)に現在地に遷座したという「諏訪神社」がある。
街道に戻って進むと、右手にNTTの電波塔があり、その先を右折して進むと、大仙市産業展示館があるが、このあたりが本陣のあったところという。その少し前に小川が流れており、そこに本陣橋跡の標柱が立っている。
丸子川に架かる丸子橋を渡った所、右手に富樫氏土屋館跡の標柱が立っている。富樫氏六代忠之が永世5年(1508)に築いた中世城館で、すぐ近くを丸子川が流れていることから、水運の要衝地として重要な役割を果たしていたという。
その道路を挟んだ反対側に大仙市指定文化財の「御前井」がある。佐竹藩主が参勤交代時に大曲に立ち寄った際、大曲本陣に滞在し、川向かいのこの御前井から寒泉を藩主に差し上げたという。
その先で50号線に合流して進むと、右手に「三本杉神社」があり、切株が残っている。「口承によれば江戸期、津軽公の参勤交代の際、法外な酒代を要求した玉川渡しの船頭たちが、この地で佐竹藩により処刑獄門にさらされた。以後、玉川渡しでは数々の奇怪なできごとが続発した。そのため花館の村人は、処刑の地に三本杉を植え、亡霊塔を建て船頭の霊を鎮めた。三本の杉は巨木となって、羽州街道の象徴となったが老朽のため昭和50年に伐採された。」と説明されている。狭い境内には安政5年(1858)の唐松大権現碑、明治29年の相撲萬霊塔が立っている。
その先、左手に少し入ったところに花館コミュニティセンターがあり、このあたりが津軽公の本陣があったところという。すぐ横に花館小学校があり、入り口付近に「花館駅場」の標柱が立っている。
右手に地蔵堂が二つ並んでおり、左手の地蔵尊は大砲の弾を抱えている珍しい地蔵尊だ。
玉川に架かる玉川橋を渡り、その先で13号線から左へ分岐して進む。静かな田んぼ道だ。
集落に入ると右手に石碑群があり、天保3年(1832)の庚申塔や天保14年(1843)の二十三夜塔が立っている。
右手に「八幡神社」がある。ここは大同2年(806)に坂上田村麻呂が建立したと伝えられており、玄座の本殿は寛永3年(1706)に建立されたものという。棟札には元応元年(1319)、長享3年(1489)と記されているといい、境内には嘉永7年(1854)の石灯籠が立っている。このあたり神宮寺は南北朝時代にはすでに集落があったといわれ、古い歴史を持っている。
左手に刈穂酒造があり、ここに「御役屋敷跡」の標柱が立っている。ここは藩に納める貢納米や献納米、役屋関係給与米等を一時保管していたところという。
その先右手に「駅伝馬役所跡」の標柱が立っている。安永年間(1772~1781)の洪水で新丁に新しい街道ができて移転するまで、羽州街道の継立駅があったところで、人夫や一定馬匹が常駐していたという。
左手に「宝蔵寺」がある。ここは中世後期、加賀国から富樫氏が移住し、永徳2年(1382)にこの地に建立したとされている。以後何度も火災の被害を受け、戊辰戦争でも戦火を受け、現在の本堂は大正6年に火災にあった後、同11年に建立したものという。境内には弘化4年(1847)に建てられた天保飢饉供養塔が立っており「天保荒歳無縁塔」と刻まれている。また樹齢500年の大ケヤキがある。
その先左手に「延命地蔵」の祠があり、その横に万延元年(1860)の「南無日蓮大菩薩」碑が立っている。
その先に「小豆沢一里塚跡」碑が立っている。
13号線を進んで行くと、左手に墓地があり、そこに鈴木三郎重家代々の墓という標識があり、その向こう側に道があるので、これを進んでしまった。ところがしばらく進んでいると13号線に何やら標柱が立っているのが見えたため、13号線に合流すると、少し手前に熊野神社があり、その道路を挟んだ反対側に「北楢岡村肝煎、拠人の屋敷跡」の説明板が立っている。このことから旧道は裏の道ではなくて13号線が旧道だったようだ。
左手に「法釈坊とお雪ケ沼」の標柱が立っている。昔、北楢岡村石山家にお雪という肌の白い美しい娘がいて、毎日ここにあった沼のほとりに立ち、水鏡に自分の姿を写してみていたが、ある日とうとうその美しさに魅入って沼に投身してしまったという。 以来、この沼を「お雪ケ沼」と呼ぶようになったという。
道の駅があり、その前に「三本杉一里塚」がある。ここは両塚が残っているが、県内で両塚が残っているのはここだけということだ。
その先で13号線から左へ分岐して高屋敷の集落に入っていく。
浮島神社があり、これを右手に見ながら先へ進んだが、これは間違いで、浮島神社の手前、橋を渡って二つ目の二股を左折して進むのが旧道だ。
その先で、街道から外れて右手に入っていくと佐藤病院があり、ここが本陣の跡だ。刈和野御本陣跡の絵図がある。このあたりの道はわかりにくかった。
街道に戻って進むと、左手に「本念寺」があり、ここの境内に「戊辰戦争一関藩士の墓」がある。
左手に刈和野橋があり、その手前から右へ分岐して進むが、すぐ先で再びこれまでの道に合流する。
合流したところに旧道の延長線の道路があるが、この道はその先で線路に突き当たって行き止まりになっていた。そのため刈和野跨線橋を渡って進み、13号線に合流する。
「明治天皇御膳水」がある。御巡幸の際、この前沢のオリエノ清水を運んで御膳水に供したという。
その先で13号線から分岐して右へ進み、峰吉川の集落に入るが、分岐するところに庚申塔や二十六夜塔が立っている。
峰吉川の郵便局の先から右折して旧道は峠を越えるのだが、時間は15時半過ぎ。峠を越えるためにどのくらいの時間がかかるかわからず、峠を抜けた後、羽後境駅までそれなりの時間がかかりそうだったので、JRの時間も考えて登り口を確認したところでやめて峰吉川駅へ向かう。電車の本数が少ないので、この点も考慮しておかなければ、駅で長い待ち時間が必要になるのだ。
今日は最高気温が28℃あったそうで、暑い一日だった。肩の調子も悪く、荷物を担いでいる肩が痛い。そのため今日は秋田までJRで行ってホテルを取り、しばらくはそのホテルを拠点にして行き来を繰り返すことにする。そうすることによって、効率は悪いが、荷物を置いて歩くことができるので、肩には楽なのだ。
15時55分に峰吉川駅に着く。
本日の歩行時間 8時間33分。
本日の歩数&距離 49944歩、33.9km。
7時22分に下深沢バス停を出発する。今日も左手に鳥海山が見える。
今日は金環日食ということで大きな話題になっているが、見る道具を持っていないこともあって先を急ぐ。道の左手に見事な欅の並木がある。
追分の交差点を過ぎて進むと、13号線と分岐するところ左手に神社があり、「飯田筵の祖 丹勘の碑」の標柱が立っている。筵を大曲の名産にした人のようだ。
13号線から右へ分岐し、直進して大曲の中心街に入っていく。右手に秋田修英高校があるところから左折、すぐ先で右折する枡形になっている。
その先、街道から右へ外れたところに延暦20年(801)に古舘に造営され,貞享2年(1685)に現在地に遷座したという「諏訪神社」がある。
街道に戻って進むと、右手にNTTの電波塔があり、その先を右折して進むと、大仙市産業展示館があるが、このあたりが本陣のあったところという。その少し前に小川が流れており、そこに本陣橋跡の標柱が立っている。
丸子川に架かる丸子橋を渡った所、右手に富樫氏土屋館跡の標柱が立っている。富樫氏六代忠之が永世5年(1508)に築いた中世城館で、すぐ近くを丸子川が流れていることから、水運の要衝地として重要な役割を果たしていたという。
その道路を挟んだ反対側に大仙市指定文化財の「御前井」がある。佐竹藩主が参勤交代時に大曲に立ち寄った際、大曲本陣に滞在し、川向かいのこの御前井から寒泉を藩主に差し上げたという。
その先で50号線に合流して進むと、右手に「三本杉神社」があり、切株が残っている。「口承によれば江戸期、津軽公の参勤交代の際、法外な酒代を要求した玉川渡しの船頭たちが、この地で佐竹藩により処刑獄門にさらされた。以後、玉川渡しでは数々の奇怪なできごとが続発した。そのため花館の村人は、処刑の地に三本杉を植え、亡霊塔を建て船頭の霊を鎮めた。三本の杉は巨木となって、羽州街道の象徴となったが老朽のため昭和50年に伐採された。」と説明されている。狭い境内には安政5年(1858)の唐松大権現碑、明治29年の相撲萬霊塔が立っている。
その先、左手に少し入ったところに花館コミュニティセンターがあり、このあたりが津軽公の本陣があったところという。すぐ横に花館小学校があり、入り口付近に「花館駅場」の標柱が立っている。
右手に地蔵堂が二つ並んでおり、左手の地蔵尊は大砲の弾を抱えている珍しい地蔵尊だ。
玉川に架かる玉川橋を渡り、その先で13号線から左へ分岐して進む。静かな田んぼ道だ。
集落に入ると右手に石碑群があり、天保3年(1832)の庚申塔や天保14年(1843)の二十三夜塔が立っている。
右手に「八幡神社」がある。ここは大同2年(806)に坂上田村麻呂が建立したと伝えられており、玄座の本殿は寛永3年(1706)に建立されたものという。棟札には元応元年(1319)、長享3年(1489)と記されているといい、境内には嘉永7年(1854)の石灯籠が立っている。このあたり神宮寺は南北朝時代にはすでに集落があったといわれ、古い歴史を持っている。
左手に刈穂酒造があり、ここに「御役屋敷跡」の標柱が立っている。ここは藩に納める貢納米や献納米、役屋関係給与米等を一時保管していたところという。
その先右手に「駅伝馬役所跡」の標柱が立っている。安永年間(1772~1781)の洪水で新丁に新しい街道ができて移転するまで、羽州街道の継立駅があったところで、人夫や一定馬匹が常駐していたという。
左手に「宝蔵寺」がある。ここは中世後期、加賀国から富樫氏が移住し、永徳2年(1382)にこの地に建立したとされている。以後何度も火災の被害を受け、戊辰戦争でも戦火を受け、現在の本堂は大正6年に火災にあった後、同11年に建立したものという。境内には弘化4年(1847)に建てられた天保飢饉供養塔が立っており「天保荒歳無縁塔」と刻まれている。また樹齢500年の大ケヤキがある。
その先左手に「延命地蔵」の祠があり、その横に万延元年(1860)の「南無日蓮大菩薩」碑が立っている。
その先に「小豆沢一里塚跡」碑が立っている。
13号線を進んで行くと、左手に墓地があり、そこに鈴木三郎重家代々の墓という標識があり、その向こう側に道があるので、これを進んでしまった。ところがしばらく進んでいると13号線に何やら標柱が立っているのが見えたため、13号線に合流すると、少し手前に熊野神社があり、その道路を挟んだ反対側に「北楢岡村肝煎、拠人の屋敷跡」の説明板が立っている。このことから旧道は裏の道ではなくて13号線が旧道だったようだ。
左手に「法釈坊とお雪ケ沼」の標柱が立っている。昔、北楢岡村石山家にお雪という肌の白い美しい娘がいて、毎日ここにあった沼のほとりに立ち、水鏡に自分の姿を写してみていたが、ある日とうとうその美しさに魅入って沼に投身してしまったという。 以来、この沼を「お雪ケ沼」と呼ぶようになったという。
道の駅があり、その前に「三本杉一里塚」がある。ここは両塚が残っているが、県内で両塚が残っているのはここだけということだ。
その先で13号線から左へ分岐して高屋敷の集落に入っていく。
浮島神社があり、これを右手に見ながら先へ進んだが、これは間違いで、浮島神社の手前、橋を渡って二つ目の二股を左折して進むのが旧道だ。
その先で、街道から外れて右手に入っていくと佐藤病院があり、ここが本陣の跡だ。刈和野御本陣跡の絵図がある。このあたりの道はわかりにくかった。
街道に戻って進むと、左手に「本念寺」があり、ここの境内に「戊辰戦争一関藩士の墓」がある。
左手に刈和野橋があり、その手前から右へ分岐して進むが、すぐ先で再びこれまでの道に合流する。
合流したところに旧道の延長線の道路があるが、この道はその先で線路に突き当たって行き止まりになっていた。そのため刈和野跨線橋を渡って進み、13号線に合流する。
「明治天皇御膳水」がある。御巡幸の際、この前沢のオリエノ清水を運んで御膳水に供したという。
その先で13号線から分岐して右へ進み、峰吉川の集落に入るが、分岐するところに庚申塔や二十六夜塔が立っている。
峰吉川の郵便局の先から右折して旧道は峠を越えるのだが、時間は15時半過ぎ。峠を越えるためにどのくらいの時間がかかるかわからず、峠を抜けた後、羽後境駅までそれなりの時間がかかりそうだったので、JRの時間も考えて登り口を確認したところでやめて峰吉川駅へ向かう。電車の本数が少ないので、この点も考慮しておかなければ、駅で長い待ち時間が必要になるのだ。
今日は最高気温が28℃あったそうで、暑い一日だった。肩の調子も悪く、荷物を担いでいる肩が痛い。そのため今日は秋田までJRで行ってホテルを取り、しばらくはそのホテルを拠点にして行き来を繰り返すことにする。そうすることによって、効率は悪いが、荷物を置いて歩くことができるので、肩には楽なのだ。
15時55分に峰吉川駅に着く。
本日の歩行時間 8時間33分。
本日の歩数&距離 49944歩、33.9km。
旅の地図
記録
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2012年05月17日(木)
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2012年05月18日(金)
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2012年05月19日(土)
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2012年05月20日(日)
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2012年05月21日(月)
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2012年05月22日(火)
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2012年05月24日(木)
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2012年05月25日(金)
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2012年05月26日(土)
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2012年05月27日(日)
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2012年05月28日(月)
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2012年05月29日(火)
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2012年05月30日(水)
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2012年06月08日(金)
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2012年06月09日(土)
プロフィール
歩人
かっちゃん