2012年04月17日(火)
東松並~酒田~宮海
晴れ
昨日は丁度バスがあったので鶴岡駅まで行くことができたのだが、今朝は一番速いバスでも午前10時頃しかないため、羽前大山駅からタクシーで移動、8時4分に東松並町バス停から出発する。
すぐ先右手に天保6年(1835)の「延命地蔵」がある。
112号線に合流して進むが、道の両側にはクロマツの林が広がっている。庄内空港へ降りるとき、上空から海岸線に沿って延々と続く松林を見ることができたが、今その林の中を歩いているのだ。ここは強風、塩分、乾燥といった厳しい環境に強いクロマツを1700年代半ばから植えることが行われ始めて、今では総延長約33㎞にも及ぶ庄内砂丘林を形成している全国でも有数のクロマツ林だ。
112号線はその先で庄内空港の下を通っており、そのまま進んでいくと、右手少し入ったところに「石船神社」がある。ここは天文元年(1532)にこの地を開拓したときに新潟県岩船郡にある石船神社を勧請したと伝えられている。本殿左手奥に「祭田中君寿碑」と刻まれた文久3年(1863)の碑が立っており、境内では今日が春祭りということで、露店が出店の準備をしていた。
その左手すぐ横に「正常院」がある。ここは慶安2年(1649)に善宝寺14世陽室清学和尚が隠居の地として草庵を結んだのが始まりで、境内には安政7年(1860)の梵字名号石、大漁を記念して建立されたという宝篋印塔がある。これは資料によると天保12年(1841)となっているが、読み取ることはできなかった。そのほかに天保3年(1832)の庚申塔や大正時代に建立されたという大きな地蔵尊がある。
左手松林の中に小祠があり、布袋に藁を入れて鈴をつけた、鈴の緒が何本も下がっており、それぞれに願い事が書かれている。
すぐ先で赤川に架かる袖浦橋を渡るが、釣り人が数多く釣り糸を垂れていた。何が釣れるのかな?
依然としてクロマツ林の中の112号線を進む。左手にゴルフの練習場があるところから112号線から分岐して左斜めへ進み、十里塚の集落を通る。
左手に「大美和神社」がある。
その先しばらく歩いていくと、112号線は右へカーブするが、旧道は直進する。左手はクロマツ林だが、右手は宅地化されている。
左手に「お根子様」がある。十里塚の村が成立して間もないころ、村人の夢に直垂を付けた白髪の老人が夢枕に立ち、我こそは村の守護神であり、大波に乗って現れるであろうと告げた。翌朝海岸に大きな木の根が打ち上げられており、その木の根をお根子様として祀っていて、漁や村の守護神として大切にされているという。ここにも鈴の緒が何本も奉納されている。
桜があるが、まだつぼみだ。桑折ではすでに満開だったので、この地は大分遅いようだ。
その先で左折した先に「日枝神社」がある。ここは大同元年(806)に創建されたといわれており、慶長16年(1611)に最上義光が社殿を建て替え、更に元禄15年(1702)に庄内藩主酒井忠実によって本殿が建て替えられ、明治3年に日枝神社と改称したという。境内には弘化3年(1846)の湯殿山碑や安政2年(1855)の石灯籠などがある。
その先に「観音堂」があり、安政4年(1878)の夜念佛塔や三十三観音堂、更に最上川渡船で遭難した人々への大正9年の供養塔が立っている。
最上川に突き当たるので右折して川沿いを進み、出羽大橋で最上川を渡るが、大きな川だ。最上川の流れは時代によって異なったため、渡船場も一定していなかったという。
112号線を進んでいき、右手に酒田市役所があるところから左折して進むと左手に「明治天皇行在所」跡がある。当初は記念塔が立っていたが、昭和17年に戦時の金属回収で供出されたため、現在では台座のみが残っている。
右手に「善導寺」があり、境内に文政8年(1811)の名号石や文政4年(1807)の宝篋印塔がある。
しばらく歩いた先で112号線は右折するが、旧道は直進、その先で右折して進む。古湊のバス停があり、これがバス停の終点になっているので、帰りの時間を確認しておく。その先で7号線に合流するが、この辺りは工業団地になっている。バスの時間に間に合うように進んで、15時30分に宮海集落の入り口で今日は終了する。ここから古湊のバス停まで歩いて戻り、今日の宿である日和山ホテルに入る。
本日の歩行時間 7時間26分。
本日の歩数&距離 42109歩、29.8km。
昨日は丁度バスがあったので鶴岡駅まで行くことができたのだが、今朝は一番速いバスでも午前10時頃しかないため、羽前大山駅からタクシーで移動、8時4分に東松並町バス停から出発する。
すぐ先右手に天保6年(1835)の「延命地蔵」がある。
112号線に合流して進むが、道の両側にはクロマツの林が広がっている。庄内空港へ降りるとき、上空から海岸線に沿って延々と続く松林を見ることができたが、今その林の中を歩いているのだ。ここは強風、塩分、乾燥といった厳しい環境に強いクロマツを1700年代半ばから植えることが行われ始めて、今では総延長約33㎞にも及ぶ庄内砂丘林を形成している全国でも有数のクロマツ林だ。
112号線はその先で庄内空港の下を通っており、そのまま進んでいくと、右手少し入ったところに「石船神社」がある。ここは天文元年(1532)にこの地を開拓したときに新潟県岩船郡にある石船神社を勧請したと伝えられている。本殿左手奥に「祭田中君寿碑」と刻まれた文久3年(1863)の碑が立っており、境内では今日が春祭りということで、露店が出店の準備をしていた。
その左手すぐ横に「正常院」がある。ここは慶安2年(1649)に善宝寺14世陽室清学和尚が隠居の地として草庵を結んだのが始まりで、境内には安政7年(1860)の梵字名号石、大漁を記念して建立されたという宝篋印塔がある。これは資料によると天保12年(1841)となっているが、読み取ることはできなかった。そのほかに天保3年(1832)の庚申塔や大正時代に建立されたという大きな地蔵尊がある。
左手松林の中に小祠があり、布袋に藁を入れて鈴をつけた、鈴の緒が何本も下がっており、それぞれに願い事が書かれている。
すぐ先で赤川に架かる袖浦橋を渡るが、釣り人が数多く釣り糸を垂れていた。何が釣れるのかな?
依然としてクロマツ林の中の112号線を進む。左手にゴルフの練習場があるところから112号線から分岐して左斜めへ進み、十里塚の集落を通る。
左手に「大美和神社」がある。
その先しばらく歩いていくと、112号線は右へカーブするが、旧道は直進する。左手はクロマツ林だが、右手は宅地化されている。
左手に「お根子様」がある。十里塚の村が成立して間もないころ、村人の夢に直垂を付けた白髪の老人が夢枕に立ち、我こそは村の守護神であり、大波に乗って現れるであろうと告げた。翌朝海岸に大きな木の根が打ち上げられており、その木の根をお根子様として祀っていて、漁や村の守護神として大切にされているという。ここにも鈴の緒が何本も奉納されている。
桜があるが、まだつぼみだ。桑折ではすでに満開だったので、この地は大分遅いようだ。
その先で左折した先に「日枝神社」がある。ここは大同元年(806)に創建されたといわれており、慶長16年(1611)に最上義光が社殿を建て替え、更に元禄15年(1702)に庄内藩主酒井忠実によって本殿が建て替えられ、明治3年に日枝神社と改称したという。境内には弘化3年(1846)の湯殿山碑や安政2年(1855)の石灯籠などがある。
その先に「観音堂」があり、安政4年(1878)の夜念佛塔や三十三観音堂、更に最上川渡船で遭難した人々への大正9年の供養塔が立っている。
最上川に突き当たるので右折して川沿いを進み、出羽大橋で最上川を渡るが、大きな川だ。最上川の流れは時代によって異なったため、渡船場も一定していなかったという。
112号線を進んでいき、右手に酒田市役所があるところから左折して進むと左手に「明治天皇行在所」跡がある。当初は記念塔が立っていたが、昭和17年に戦時の金属回収で供出されたため、現在では台座のみが残っている。
右手に「善導寺」があり、境内に文政8年(1811)の名号石や文政4年(1807)の宝篋印塔がある。
しばらく歩いた先で112号線は右折するが、旧道は直進、その先で右折して進む。古湊のバス停があり、これがバス停の終点になっているので、帰りの時間を確認しておく。その先で7号線に合流するが、この辺りは工業団地になっている。バスの時間に間に合うように進んで、15時30分に宮海集落の入り口で今日は終了する。ここから古湊のバス停まで歩いて戻り、今日の宿である日和山ホテルに入る。
本日の歩行時間 7時間26分。
本日の歩数&距離 42109歩、29.8km。
旅の地図
記録
-
2012年04月16日(月)
-
2012年04月17日(火)
-
2012年04月18日(水)
-
2012年04月19日(木)
-
2012年04月20日(金)
プロフィール
歩人
かっちゃん