2012年03月30日(金)
聖籠~乙
曇り時々雨
7時15分に昨日自転車できたところから出発する。街道は113号線から分岐して544号線を進む。しばらく進むと左手に「地蔵尊2体」を安置する小祠があり、ここから左折して土道を進む。
林の中は静かで気持ちがいいと思いながら進んでいくと、雪が残っている。そのまま直進したが、雪は解けかかっていて、しかもくるぶしの上まで埋まってしまった。少しでも雪の少ないところを歩き、幸い距離は短かったので助かったが、それでも靴の中はかなり濡れてしまった。
加治川に突き当たるので、これを右折、橋を渡り、二股に分かれている道を右へ進む。その先で3号線に合流して進み、左手に紫雲寺を見ながら進む。
左手に地蔵堂があり、その先左手に「観音院」がある。ここの入り口には文化5年(1808)の庚申塔が立っている。
このあたりで雨が降り出してきた。今回の旅は風、雨、雪にたたられてうんざりしていたので、また雨かと思ったが、幸い時々降る程度で、ひどい降りにはならなくて助かった。
田中屋が右手にある。ここの創業は18世紀半ばと伝えられているそうだ。
左手に東光寺があり、その先左手に「地蔵堂」がある。
落堀川に架かる落堀橋を渡ったところ、右手に「右 菅谷不動尊道」「左 乙大日如来道」と刻まれた北成田の道標が立っている。
その先にも地蔵堂があるが、この辺りにはこうした地蔵堂が多い。
右手に「景勝寺」があり、その入り口に天保6年(1835)の大乗妙天供養塔が立っている。
その先左手にも地蔵堂があり、更にその先右手に「地蔵堂とその横に湯殿山碑」が立っている。
左手に石塔、庚申塔、そして小さなお墓がある。
左手に天保7年(1836)の大きな「宝篋印塔」が立っている。
左手に5基の石が置かれており、そのうちの2基に庚申と刻まれている。
左手に「大聖不動明王」と刻まれた文化12年(1815)の「築地の道標」がある。これは道標になっていたようだが、風化が激しくて、読み取ることができない。
左手に十一面観世音菩薩と刻まれた石柱が立っており、その奥に「観音堂」がある。境内の周囲にはズラッと庚申塔が並んでいて、境内には天保11年(1840)、文政3年(1820)の五輪塔や大乗妙典供養塔、馬頭観音等が立っている。
左手に「地蔵堂」があり、築地中学へ向かう道があるところから、3号線と分岐して右斜めへ進む。
ここから集落の中を進むが、道がよくわからない。集落の中を大分ウロウロしてしまったが、結局よくわからずに、3号線に合流する。合流する手前に「庚申塔と地蔵堂」があった。
今日も朝出るときにあったコンビニで昼食を買ってきていたが、ここ高畑地区では食堂が何軒かあった。もっともこれはこの地に来て初めて分かったことで、事前にはわからなかった。ここで昼食にする。とりあえず何でもいいのでお腹が膨れればいいのだ。
胎内川に架かる新胎内橋、逆水川に架かる旧胎内川橋を渡って進むと、右手に「白山神社」があり、その境内に推定樹齢400年という「あべまき」の木があり、昭和39年に新潟県の天然記念物に指定された。しかしその後衰退が激しく、平成19年に伐採されたという。現在ではその切株のみが残っている。
また、ここには安政3年(1856)の金比羅大権現碑や明治26年の湯殿山碑が立っている。
左手に「どっこん水」がある。飯豊連峰の水が地下を通って、噴出した水をどっこん水と呼んでいるようで、これは自噴しているそうだ。おいしそうだったので飲んでみたが、冷たかった。多くの人がこの水を汲みに来るそうだ。
左手に地蔵堂があり、すぐ先左手に「庚申塔が2基」立っている。
菅田の信号で3号線と分岐して左折して進み、山際の道を進むが、ここにきて急に激しい雨が降ってきた。幸い農作業用の小屋があったので、そこで雨宿りをしていると、しばらくして小降りになったので、再び歩き始める。
「乙宝寺」がある。ここは天平7年(735)に行基が開創したと伝えられており、平安時代にはすでにその名が都に知られていたという。越後屈指の大寺で境内は2万5千坪もあり、松尾芭蕉もここを訪れている。境内にある「三重塔」は江戸初期に建立されたもので、国指定重要文化財になっている。
今日の宿はこのお寺のすぐ前にあるかつら屋旅館だ。
14時20分に到着する。
昨日、今日の行程は当初、鯨波まで2日で行くようにスケジュールを立てていたのだが、少し厳しそうだと思って3日間にしたところだ。したがって元々一日当たりの距離は短く設定されていたのだが、それに輪をかけて、昨日自転車で9.6㎞ほど余分に進んだため、今日はこんなに早い時間に到着してしまったのだ。
宿の玄関に入ったところに自転車が置いてある。昨日味を占めたので、交渉してみるとOKということで明日歩く予定の方向へ14時40分に自転車で出発する。
右手に「荒川神社」があり、文化4年(1807)の石灯籠が立っている。またここには船主や船頭が航海の安全を祈願して奉納したという国指定文化財になっている和船模型二艘や86枚の船絵馬があるという。
途中雨のため、何度か雨宿りをしながら15時27分に円福寺まで自転車で行く。荒川に架かる旭橋はかなり長い橋で、しかも道幅が狭くて歩道が全くない。明日は終日強い雨という予報が出ていたので、風雨の中、この橋を渡るのはつらかったかもしれない。幸い橋を渡るときは小降りだったので、よかったと思いながら先を急ぐ。本当はもう少し先へ進みたかったが、雨が激しくなってきたので、それ以上は進むことができなかった。翌日は強い風雨に襲われて散々な目にあったので、この日、少しでも先に進むことができてよかった。
本日の歩行時間 7時間52分(うち自転車で移動した47分を含む)。
本日の歩数&距離 37785歩、31,8km。(うち自転車で7.9km)
7時15分に昨日自転車できたところから出発する。街道は113号線から分岐して544号線を進む。しばらく進むと左手に「地蔵尊2体」を安置する小祠があり、ここから左折して土道を進む。
林の中は静かで気持ちがいいと思いながら進んでいくと、雪が残っている。そのまま直進したが、雪は解けかかっていて、しかもくるぶしの上まで埋まってしまった。少しでも雪の少ないところを歩き、幸い距離は短かったので助かったが、それでも靴の中はかなり濡れてしまった。
加治川に突き当たるので、これを右折、橋を渡り、二股に分かれている道を右へ進む。その先で3号線に合流して進み、左手に紫雲寺を見ながら進む。
左手に地蔵堂があり、その先左手に「観音院」がある。ここの入り口には文化5年(1808)の庚申塔が立っている。
このあたりで雨が降り出してきた。今回の旅は風、雨、雪にたたられてうんざりしていたので、また雨かと思ったが、幸い時々降る程度で、ひどい降りにはならなくて助かった。
田中屋が右手にある。ここの創業は18世紀半ばと伝えられているそうだ。
左手に東光寺があり、その先左手に「地蔵堂」がある。
落堀川に架かる落堀橋を渡ったところ、右手に「右 菅谷不動尊道」「左 乙大日如来道」と刻まれた北成田の道標が立っている。
その先にも地蔵堂があるが、この辺りにはこうした地蔵堂が多い。
右手に「景勝寺」があり、その入り口に天保6年(1835)の大乗妙天供養塔が立っている。
その先左手にも地蔵堂があり、更にその先右手に「地蔵堂とその横に湯殿山碑」が立っている。
左手に石塔、庚申塔、そして小さなお墓がある。
左手に天保7年(1836)の大きな「宝篋印塔」が立っている。
左手に5基の石が置かれており、そのうちの2基に庚申と刻まれている。
左手に「大聖不動明王」と刻まれた文化12年(1815)の「築地の道標」がある。これは道標になっていたようだが、風化が激しくて、読み取ることができない。
左手に十一面観世音菩薩と刻まれた石柱が立っており、その奥に「観音堂」がある。境内の周囲にはズラッと庚申塔が並んでいて、境内には天保11年(1840)、文政3年(1820)の五輪塔や大乗妙典供養塔、馬頭観音等が立っている。
左手に「地蔵堂」があり、築地中学へ向かう道があるところから、3号線と分岐して右斜めへ進む。
ここから集落の中を進むが、道がよくわからない。集落の中を大分ウロウロしてしまったが、結局よくわからずに、3号線に合流する。合流する手前に「庚申塔と地蔵堂」があった。
今日も朝出るときにあったコンビニで昼食を買ってきていたが、ここ高畑地区では食堂が何軒かあった。もっともこれはこの地に来て初めて分かったことで、事前にはわからなかった。ここで昼食にする。とりあえず何でもいいのでお腹が膨れればいいのだ。
胎内川に架かる新胎内橋、逆水川に架かる旧胎内川橋を渡って進むと、右手に「白山神社」があり、その境内に推定樹齢400年という「あべまき」の木があり、昭和39年に新潟県の天然記念物に指定された。しかしその後衰退が激しく、平成19年に伐採されたという。現在ではその切株のみが残っている。
また、ここには安政3年(1856)の金比羅大権現碑や明治26年の湯殿山碑が立っている。
左手に「どっこん水」がある。飯豊連峰の水が地下を通って、噴出した水をどっこん水と呼んでいるようで、これは自噴しているそうだ。おいしそうだったので飲んでみたが、冷たかった。多くの人がこの水を汲みに来るそうだ。
左手に地蔵堂があり、すぐ先左手に「庚申塔が2基」立っている。
菅田の信号で3号線と分岐して左折して進み、山際の道を進むが、ここにきて急に激しい雨が降ってきた。幸い農作業用の小屋があったので、そこで雨宿りをしていると、しばらくして小降りになったので、再び歩き始める。
「乙宝寺」がある。ここは天平7年(735)に行基が開創したと伝えられており、平安時代にはすでにその名が都に知られていたという。越後屈指の大寺で境内は2万5千坪もあり、松尾芭蕉もここを訪れている。境内にある「三重塔」は江戸初期に建立されたもので、国指定重要文化財になっている。
今日の宿はこのお寺のすぐ前にあるかつら屋旅館だ。
14時20分に到着する。
昨日、今日の行程は当初、鯨波まで2日で行くようにスケジュールを立てていたのだが、少し厳しそうだと思って3日間にしたところだ。したがって元々一日当たりの距離は短く設定されていたのだが、それに輪をかけて、昨日自転車で9.6㎞ほど余分に進んだため、今日はこんなに早い時間に到着してしまったのだ。
宿の玄関に入ったところに自転車が置いてある。昨日味を占めたので、交渉してみるとOKということで明日歩く予定の方向へ14時40分に自転車で出発する。
右手に「荒川神社」があり、文化4年(1807)の石灯籠が立っている。またここには船主や船頭が航海の安全を祈願して奉納したという国指定文化財になっている和船模型二艘や86枚の船絵馬があるという。
途中雨のため、何度か雨宿りをしながら15時27分に円福寺まで自転車で行く。荒川に架かる旭橋はかなり長い橋で、しかも道幅が狭くて歩道が全くない。明日は終日強い雨という予報が出ていたので、風雨の中、この橋を渡るのはつらかったかもしれない。幸い橋を渡るときは小降りだったので、よかったと思いながら先を急ぐ。本当はもう少し先へ進みたかったが、雨が激しくなってきたので、それ以上は進むことができなかった。翌日は強い風雨に襲われて散々な目にあったので、この日、少しでも先に進むことができてよかった。
本日の歩行時間 7時間52分(うち自転車で移動した47分を含む)。
本日の歩数&距離 37785歩、31,8km。(うち自転車で7.9km)
旅の地図
記録
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2012年03月29日(木)
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2012年03月30日(金)
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2012年03月31日(土)
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2012年04月01日(日)
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2012年04月02日(月)
プロフィール
歩人
かっちゃん