2011年11月12日(土)
脇野田~高田~春日神田~犀潟
晴れ
6時53分に脇野田駅に着き、歩き始める。ありがたいことに今日は雨が止んでいい天気だ。
左手に赤く塗られた山門の願清寺があり、その先に「弘法の清水」の説明板がある。一人の旅僧がこの地で水を求めたが、大変水が悪くて、人々が困っていることを聞き、持っていた錫杖で土を掘ったところ水が湧き出した。この旅僧が弘法大師だったという。よく耳にする話だ。
やはり左手に仏現寺がある。
左手に二体の地蔵尊を安置した地蔵堂があり、すぐ先左手に天保6年(1835)の馬頭観音がある。
高田新町の信号の左手に「題目石」と「伊勢町口番所跡」石碑が立っている。ここは伊勢町一里塚の跡でもあるという。
旧出雲町と呼ばれていた南本町に入ってくると、雁木がある通りになり、二階から屋根へ上る階段がつけられている。雪下ろしに使うのだろう。いかにも豪雪地帯らしい風景だ。冬の雪国というのをまだ見たことがないので、一度見てみたいと思う。
南本町一丁目の信号から左折、すぐ先を右折とここは枡形になっている。
青田川を渡って進み、南本町二丁目の信号から左折すると右手に「最賢寺」がある。ここは元和年間(1615~1624)に加賀国から春日山城下の中屋敷に移り、築城とともに現在地に移ったという。銀杏の大木が立っている。
その先で街道を外れて左手に入ると「正輪寺」がある。ここの境内には「芭蕉翁」「景清も花見の座には七兵衛」と刻まれた宝暦13年(1763)の石碑が立っており、文久3年(1863)の常夜燈も立っていた。
左手に高橋飴店があるが、ここは高田藩の御用菓子司だったところで、十返舎一九がここを訪れて、その繁昌ぶりを「金の草鞋」に絵入りで書いたという。
その先、街道から外れて左へ行ったところに「瑞泉寺」がある。ここの梵鐘は寛文元年(1661)に現在地に移転して以降、明治9年まで昼夜12回鐘を鳴らしたので「時の鐘」と呼ばれていたという。
本町一丁目の信号から右折、すぐ先左に入ったところに「長徳寺」がある。ここの境内に加賀藩士の墓があると資料にあったが、わからなかった。
その左手に「春日神社」がある。ここの石灯篭にも雪対策の添え木が組まれていた。
右手に「札の辻」の石碑が立っている。
このあたりの道路に埋め込まれた消雪パイプの稼働テストが行われていた。もうこの地の冬はすぐそこまで来ているのだと思う。
本町7丁目の信号から右折するが、ここが先日歩いた北陸道との分岐点になるところだ。
8時35分にここを通る。
その先で左折、すぐ先を右折、その先で青田川に架かる往下橋を渡って進み、更にその先で左折、すぐ先を右折とこの辺りも枡形になっている。
左手に「直江八幡宮」があり、境内には嘉永2年(1849)の常夜燈が立っている。
関川に架かる稲田橋を渡るが、この橋の袂、左手に「稲田口番所跡」碑が立っている。
橋を渡って最初の信号を左折して進むと、左手に「黒田家墓石と筆塚」がある。これは長尾晴景の家臣だった黒田金津左衛門の墓で天文20年(1551)の銘があり、筆塚には明治6年の銘がある。
エスビー食品の工場の敷地の先、左手に祠があり、大小二体の地蔵尊が安置されている。
若宮神社を右に見ながら直進すると、左手に春日新田宿場跡の説明板が立っている。
街道はここから右折するのだが、直進して踏切でJRの線路を横断したところに「春日神社」がある。ここは長尾重景(謙信の曽祖父)が文正元年(1466)に奈良の春日神社の神霊を春日山城に祀り、福島築城に際し、城下町に分霊を祀って春日神社としたという。
街道に戻って進むと、左手に「覚眞寺」があり、参道に「馬頭観音」と天保12年(1841)の「高浪忠太夫」の墓が並んでいる。
その先に「春日新田馬市跡」碑が立っている。ここは宝暦の頃、高浪忠太夫という博労が東北地方から十数頭の馬を買い求めて売ったのが馬市の始まりで、市場の最盛期には千頭を超えており、越後三大馬市(春日新田、椎谷、栃尾)の一つだったという。
小町橋を渡り、その先で左折して進むと、「右 さいみち」「左 おう志う道」と刻まれた道標とその横に「筆塚」が立っているので、ここを左折する。
佐内橋を渡り、西福島の踏切でJRの線路を横断して進むと、右手に黒井駅がある。
道なりに進んでいくと左手に黒井神社がある。
左手に八千浦村道路元標が立っている。
その先で右折して進むと、右手に「本敬寺」がある。ここに黒井宿の説明板が立っており、境内の六地蔵の横に芭蕉の句碑が立っている。
八千浦小学校の前、左手に「順徳天皇御駐輦之所」碑が立っている。
12時32分に犀潟駅に到着する。ここから九州まで帰るには時間がかかるので、今回の旅はここで終わることにする。
本日の歩行時間 5時間39分。
本日の歩数&距離 33891歩、23.8km。
北国街道(信濃追分~直江津、犀潟)合計
総歩行時間 48時間16分。
総歩数 254228歩。
総歩行距離 183.5km。
北国街道純距離 157.2km。(途中、寄り道をせず、道を間違えず、街道だけを歩いた場合の距離)
6時53分に脇野田駅に着き、歩き始める。ありがたいことに今日は雨が止んでいい天気だ。
左手に赤く塗られた山門の願清寺があり、その先に「弘法の清水」の説明板がある。一人の旅僧がこの地で水を求めたが、大変水が悪くて、人々が困っていることを聞き、持っていた錫杖で土を掘ったところ水が湧き出した。この旅僧が弘法大師だったという。よく耳にする話だ。
やはり左手に仏現寺がある。
左手に二体の地蔵尊を安置した地蔵堂があり、すぐ先左手に天保6年(1835)の馬頭観音がある。
高田新町の信号の左手に「題目石」と「伊勢町口番所跡」石碑が立っている。ここは伊勢町一里塚の跡でもあるという。
旧出雲町と呼ばれていた南本町に入ってくると、雁木がある通りになり、二階から屋根へ上る階段がつけられている。雪下ろしに使うのだろう。いかにも豪雪地帯らしい風景だ。冬の雪国というのをまだ見たことがないので、一度見てみたいと思う。
南本町一丁目の信号から左折、すぐ先を右折とここは枡形になっている。
青田川を渡って進み、南本町二丁目の信号から左折すると右手に「最賢寺」がある。ここは元和年間(1615~1624)に加賀国から春日山城下の中屋敷に移り、築城とともに現在地に移ったという。銀杏の大木が立っている。
その先で街道を外れて左手に入ると「正輪寺」がある。ここの境内には「芭蕉翁」「景清も花見の座には七兵衛」と刻まれた宝暦13年(1763)の石碑が立っており、文久3年(1863)の常夜燈も立っていた。
左手に高橋飴店があるが、ここは高田藩の御用菓子司だったところで、十返舎一九がここを訪れて、その繁昌ぶりを「金の草鞋」に絵入りで書いたという。
その先、街道から外れて左へ行ったところに「瑞泉寺」がある。ここの梵鐘は寛文元年(1661)に現在地に移転して以降、明治9年まで昼夜12回鐘を鳴らしたので「時の鐘」と呼ばれていたという。
本町一丁目の信号から右折、すぐ先左に入ったところに「長徳寺」がある。ここの境内に加賀藩士の墓があると資料にあったが、わからなかった。
その左手に「春日神社」がある。ここの石灯篭にも雪対策の添え木が組まれていた。
右手に「札の辻」の石碑が立っている。
このあたりの道路に埋め込まれた消雪パイプの稼働テストが行われていた。もうこの地の冬はすぐそこまで来ているのだと思う。
本町7丁目の信号から右折するが、ここが先日歩いた北陸道との分岐点になるところだ。
8時35分にここを通る。
その先で左折、すぐ先を右折、その先で青田川に架かる往下橋を渡って進み、更にその先で左折、すぐ先を右折とこの辺りも枡形になっている。
左手に「直江八幡宮」があり、境内には嘉永2年(1849)の常夜燈が立っている。
関川に架かる稲田橋を渡るが、この橋の袂、左手に「稲田口番所跡」碑が立っている。
橋を渡って最初の信号を左折して進むと、左手に「黒田家墓石と筆塚」がある。これは長尾晴景の家臣だった黒田金津左衛門の墓で天文20年(1551)の銘があり、筆塚には明治6年の銘がある。
エスビー食品の工場の敷地の先、左手に祠があり、大小二体の地蔵尊が安置されている。
若宮神社を右に見ながら直進すると、左手に春日新田宿場跡の説明板が立っている。
街道はここから右折するのだが、直進して踏切でJRの線路を横断したところに「春日神社」がある。ここは長尾重景(謙信の曽祖父)が文正元年(1466)に奈良の春日神社の神霊を春日山城に祀り、福島築城に際し、城下町に分霊を祀って春日神社としたという。
街道に戻って進むと、左手に「覚眞寺」があり、参道に「馬頭観音」と天保12年(1841)の「高浪忠太夫」の墓が並んでいる。
その先に「春日新田馬市跡」碑が立っている。ここは宝暦の頃、高浪忠太夫という博労が東北地方から十数頭の馬を買い求めて売ったのが馬市の始まりで、市場の最盛期には千頭を超えており、越後三大馬市(春日新田、椎谷、栃尾)の一つだったという。
小町橋を渡り、その先で左折して進むと、「右 さいみち」「左 おう志う道」と刻まれた道標とその横に「筆塚」が立っているので、ここを左折する。
佐内橋を渡り、西福島の踏切でJRの線路を横断して進むと、右手に黒井駅がある。
道なりに進んでいくと左手に黒井神社がある。
左手に八千浦村道路元標が立っている。
その先で右折して進むと、右手に「本敬寺」がある。ここに黒井宿の説明板が立っており、境内の六地蔵の横に芭蕉の句碑が立っている。
八千浦小学校の前、左手に「順徳天皇御駐輦之所」碑が立っている。
12時32分に犀潟駅に到着する。ここから九州まで帰るには時間がかかるので、今回の旅はここで終わることにする。
本日の歩行時間 5時間39分。
本日の歩数&距離 33891歩、23.8km。
北国街道(信濃追分~直江津、犀潟)合計
総歩行時間 48時間16分。
総歩数 254228歩。
総歩行距離 183.5km。
北国街道純距離 157.2km。(途中、寄り道をせず、道を間違えず、街道だけを歩いた場合の距離)
旅の地図
記録
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2011年11月07日(月)
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2011年11月08日(火)
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2011年11月09日(水)
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2011年11月10日(木)
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2011年11月11日(金)
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2011年11月12日(土)
プロフィール
歩人
かっちゃん