2011年03月26日(土)
紀伊井田~熊野速玉神社
晴れ
7時44分の電車で新宮を出て7時53分に紀伊井田駅に到着、昨日歩いたところまで進む。
歩き始めると間もなく新宮まで6kmの標識が立っている。今日は新宮駅を10時39分の特急に乗れば京都に15時29分に着くのでこれに乗ることを目標にして歩いてきたが、何とかうまくいきそうだ。
この辺り「横手地蔵」へ向かう道標が立っているので、それに従って進む。
高台の山際の道を進んでいく。今日は天気もいいし、最終日ということもあって、気持が軽い。もっともさすがに長旅の影響で疲れていて身体は鉛のように重いが。。。
道の真ん中に大きな岩がある。どうしたのだろうと思ったが、説明がないので分からなかった。
「狼煙場跡」の案内板が立っている。ここは寛永12年(1635)に作られたが、明治初年に廃止されたという。今は遺構は残っていない。左手を見ると熊野灘が広がっており、気持がいい。
「一里塚跡」の標識が立っているが、遺構はなにも残っていない。
文政10年(1827)に建立されたという「横手地蔵」がある。病気平癒のご利益があるとされ、地元の方がお参りをされているところだった。
「首なし地蔵と導引地蔵」がある。この地蔵の先で道は二股に分かれ、左は上野街道と呼ばれ、右が旧熊野街道で、旅人が間違うのでここに地蔵を建立したという。
ここから道は下り始めるが、随所に標識が立っており、それに従って進んでいく。跨道橋で道路を横断し、右へ上って行くがここには標識はなかった。その先で道は二股に分かれているので、右へ直進する。その先で道は平坦になり、やがて下っていく。このあたり暫く標識がなかったので、道を間違ったかな?と思い始めた時に神内川を渡ると「粥森様300m」という標識があったので、道を間違っていなかったことがわかってホッとした。 今日はとにかくタイムリミットがあるので無駄な時間は出来る限り作りたくないのだ。
右手にJAの建物を見ながら進み、飯盛の信号で車道を横断すると、新宮まで2kmの標識が立っている。もう少しだ!角に「飯盛様」がある。
その先で紀宝トンネルの工事が行われていて、資料と道が少し違っていたが、線路沿いに進み、大峪踏切でJRの線路を横断、42号線の手前で右折するが、すぐ先で42号線に合流する。熊野大橋を渡ってその先で右折して9時31分に「熊野速玉神社」に到着する。これで中辺路、伊勢路の両方を歩き終えることが出来たのだ。やったぞ、ばんざ~い!という気持だ。
ここから駅前のホテルに引き返して置いていた荷物を受け取って10時39分の特急に乗る。
当初計画をした時は中辺路を歩き終わった後、一旦九州へ引き返し、その後、京都で行われるOB会へ出席し、その後に伊勢路を歩こうと思っていたのだが、中辺路を歩き終えた後、できれば伊勢路を少しでも歩き、歩き終わらなかったときは京都からもう一度こちらへ戻って続きを歩けばいいと思うようになってとりあえず伊勢路を歩き始めたのだ。しかし新宮から京都まで5時間もかかることが分かり、疲れた身体で往復する面倒を考えた時、できれば一気に新宮まで歩き終えて京都に行きたいと思うようになった。無事それが達成できてホッとする。街道歩きではこの達成感がなんともいえずいいものだ。ただ今回の旅は久しぶりの長丁場だったし、熊野古道はアップダウンが激しい険しい道だったので、さすがに疲れた。
OB会はいつものように楽しい集いで、学生時代一緒に体育会で汗を流した仲間との語らいはとてもいいものだ。「この集まりは現実から離れた夢空間の時間を過ごすことが出来る」とは参加したあるメンバーの言葉だったが、私は街道を歩くということと、OB会で学生時代に戻るという二重の夢空間を味あうことができた。
本日の歩行時間 1時間38分。
本日の歩数&距離 9230歩、6.3km.
熊野古道・伊勢路総合計
総歩行時間 58時間58分。
総歩数 255609歩。
総歩行距離 186.1km。
7時44分の電車で新宮を出て7時53分に紀伊井田駅に到着、昨日歩いたところまで進む。
歩き始めると間もなく新宮まで6kmの標識が立っている。今日は新宮駅を10時39分の特急に乗れば京都に15時29分に着くのでこれに乗ることを目標にして歩いてきたが、何とかうまくいきそうだ。
この辺り「横手地蔵」へ向かう道標が立っているので、それに従って進む。
高台の山際の道を進んでいく。今日は天気もいいし、最終日ということもあって、気持が軽い。もっともさすがに長旅の影響で疲れていて身体は鉛のように重いが。。。
道の真ん中に大きな岩がある。どうしたのだろうと思ったが、説明がないので分からなかった。
「狼煙場跡」の案内板が立っている。ここは寛永12年(1635)に作られたが、明治初年に廃止されたという。今は遺構は残っていない。左手を見ると熊野灘が広がっており、気持がいい。
「一里塚跡」の標識が立っているが、遺構はなにも残っていない。
文政10年(1827)に建立されたという「横手地蔵」がある。病気平癒のご利益があるとされ、地元の方がお参りをされているところだった。
「首なし地蔵と導引地蔵」がある。この地蔵の先で道は二股に分かれ、左は上野街道と呼ばれ、右が旧熊野街道で、旅人が間違うのでここに地蔵を建立したという。
ここから道は下り始めるが、随所に標識が立っており、それに従って進んでいく。跨道橋で道路を横断し、右へ上って行くがここには標識はなかった。その先で道は二股に分かれているので、右へ直進する。その先で道は平坦になり、やがて下っていく。このあたり暫く標識がなかったので、道を間違ったかな?と思い始めた時に神内川を渡ると「粥森様300m」という標識があったので、道を間違っていなかったことがわかってホッとした。 今日はとにかくタイムリミットがあるので無駄な時間は出来る限り作りたくないのだ。
右手にJAの建物を見ながら進み、飯盛の信号で車道を横断すると、新宮まで2kmの標識が立っている。もう少しだ!角に「飯盛様」がある。
その先で紀宝トンネルの工事が行われていて、資料と道が少し違っていたが、線路沿いに進み、大峪踏切でJRの線路を横断、42号線の手前で右折するが、すぐ先で42号線に合流する。熊野大橋を渡ってその先で右折して9時31分に「熊野速玉神社」に到着する。これで中辺路、伊勢路の両方を歩き終えることが出来たのだ。やったぞ、ばんざ~い!という気持だ。
ここから駅前のホテルに引き返して置いていた荷物を受け取って10時39分の特急に乗る。
当初計画をした時は中辺路を歩き終わった後、一旦九州へ引き返し、その後、京都で行われるOB会へ出席し、その後に伊勢路を歩こうと思っていたのだが、中辺路を歩き終えた後、できれば伊勢路を少しでも歩き、歩き終わらなかったときは京都からもう一度こちらへ戻って続きを歩けばいいと思うようになってとりあえず伊勢路を歩き始めたのだ。しかし新宮から京都まで5時間もかかることが分かり、疲れた身体で往復する面倒を考えた時、できれば一気に新宮まで歩き終えて京都に行きたいと思うようになった。無事それが達成できてホッとする。街道歩きではこの達成感がなんともいえずいいものだ。ただ今回の旅は久しぶりの長丁場だったし、熊野古道はアップダウンが激しい険しい道だったので、さすがに疲れた。
OB会はいつものように楽しい集いで、学生時代一緒に体育会で汗を流した仲間との語らいはとてもいいものだ。「この集まりは現実から離れた夢空間の時間を過ごすことが出来る」とは参加したあるメンバーの言葉だったが、私は街道を歩くということと、OB会で学生時代に戻るという二重の夢空間を味あうことができた。
本日の歩行時間 1時間38分。
本日の歩数&距離 9230歩、6.3km.
熊野古道・伊勢路総合計
総歩行時間 58時間58分。
総歩数 255609歩。
総歩行距離 186.1km。
旅の地図
記録
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2011年03月20日(日)
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2011年03月21日(月)
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2011年03月22日(火)
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2011年03月23日(水)
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2011年03月24日(木)
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2011年03月25日(金)
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2011年03月26日(土)
プロフィール
歩人
かっちゃん