熊野古道・紀伊路を歩く

2010年11月15日(月) ~2010年12月01日(水)
総歩数:294766歩 総距離:197.9km

2010年12月01日(水)

南部~紀伊田辺

                      晴れ

 7時30分に宿を出発する。42号線に併行して伸びる街道を進むと右手に太平洋が広がっている。
 井原隧道を抜けると右手に「近西国二十八番札所井原観音」がある。まだ新しい社殿だ。
近西国二十八番札所
 その先で芳養川に突き当たるので、右折して松井橋を渡り、その先で42号線に合流、芳養の信号で42号線を横断し、その先で道は二股に分かれており、街道は左へ進むが、右へ行くと「芳養大神社」があり、そこに「芳養王子」がある。
芳養大神社
 街道に戻って進むと右手に「芳養一里塚跡」の石碑が立っており、その後ろに「一里塚地蔵尊」の祠が立っている。
芳養一里塚跡
 右手に「牛ノ鼻聖徳地蔵」がある。享保2年(1714)建立、昭和39年に改築と刻まれた石柱が立っている。
牛ノ鼻聖徳地蔵
その横に「日高郡熊野神社渡御旧跡」と刻まれた石柱が立っており、「この石碑は御坊市の熊野神社の祭典の大渡御が430余年前まで、ここ牛ノ鼻まで来る習わしだったという史実の証として建てられている」という説明文が掲げられている。
日高郡熊野神社渡御旧跡
 その先で道が二股に分かれているところに交通安全のみちびき地蔵が立っており、ここを左へ進む。その先で天神崎からの道が右から合流している。その先にガソリンスタンドがあり、その先最初の三叉路を右折、すぐ先の四つ角を左折すると、右手に公園があり、その中に「潮垢離浜跡」がある。かってこのあたりは出立浜と呼ばれ、熊野に参詣する人々が浜で海水を浴び、穢れを祓う儀式である潮垢離を行った場所という。建仁元年(1201)後鳥羽上皇の熊野詣に同行した藤原定家は前日から身体の調子がよくなかったにもかかわらず、先達の強い指示で潮垢離をとったと記録されており、この浜での潮垢離がいかに重要視されていたかが窺われるという。
潮垢離浜跡
 公園の横の道を左折して210号線に合流し、右折して進むが、このあたりには標識がない。
 最初の信号を左折すると「出立王子跡」があるが、ここには標識が立っている。
出立王子跡
 街道に戻って進み、会津川に架かる会津橋を渡って進む。資料によると、道はここから川を渡らずに進んで高山寺へ行く道と、橋を渡って行く道に分かれるようだが、後者の道に「北新町の道標」があるので、そちらの道を歩くことにする。突き当たりを左折、すぐ先を右折すると左角に「本町道標」があり、「右 くまのみち」「左 きみゐてら」と刻まれている。
本町道標
 商店街の中を通っていくと、右手に中辺路、大辺路の分岐点である安政4年(1857)の「北新町の道標」が立っている。「左リ くまの道」「右 きみゐ寺」と刻まれている。ここで紀伊路は終わったのだ。
北新町の道標
 9時41分に到着する。

 本日の歩行時間   2時間11分。
 本日の歩数&距離 10842歩、7.6km。

熊野古道・紀伊路総合計
 総歩行時間  54時間28分。
 総歩数    294766歩。
 総歩行距離  197.9km。
 熊野古道・紀伊路純距離 172.7km。(途中、寄り道をせず、道を間違えず、街道だけを歩いた場合の距離)

紀伊路は世界遺産に含まれていないのだが、案内表示が多数あり、道も整備されていて、とても歩きやすかった。それに沿線の人々が街道のことを良くご存知で、道をお聞きすると親切に教えていただいたのでこれも非常に助かった。

 とりあえず紀伊路は終わったのだが、まだ時間が早いので、もう少し先まで歩くことにする。ただ、紀伊路しか資料を持ってきていないし、もともとこの段階では大辺路の資料は富田坂から先の資料しか入手できていなかったので、田辺市役所へ行ってもし資料があれば、それを頂いて歩くことにした。市役所では観光担当の女性の方がとても親切に色々な資料を出してくれたので、それに従って大辺路を歩くことにした。その内容は後日大辺路の中で掲載させていただきます。

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