山陰道(京都府)を歩く

2010年10月08日(金) ~2010年10月23日(土)
総歩数:187398歩 総距離:126km

2010年10月20日(水)

下夜久野~福知山

                     晴れ

 11時30分に下夜久野駅を出発する。
今回で京都に到着する予定だ。長かった山陰道ももう少しだ。
 9号線を進むが、すぐ先で左手からの道に合流する。ここの左手に年不詳の題目石、石碑2本、そして地蔵尊一体が立っている。位置からして左手から合流する道が旧道だったのかもしれない。
年不詳の題目石
 左手高い階段の上に「賀茂神社」がある。ここには文化10年(1813)、文政5年(1822)、文政9年(1826)、等の石灯籠が立っていた。
賀茂神社
 その先で9号線から分岐して右斜めへ進み、ガード下を通ってJRの線路を越える。畑川に架かる畑川橋を渡ると、左手に40体の地蔵尊を祀る地蔵堂があり、その横に享保3年(1718)の地蔵尊7体と元文3年(1738)の題目石が立っている。
40体の地蔵尊
その先で道は3本に分かれるが、左の坂道を上る。JRや9号線は直進してトンネルを通るのだが、旧道は峠を迂回する形で進み、山を越えたところで突き当たりを左折、ガード下を通ってJRを越える。このあたりやたらカラスが多く、ギャーギャーとうるさい。
9号線に合流するが、この先左手は崖、右手は川が流れており、しかも歩道がないので道一杯に車が通っていて歩き難い。崖が途切れたところから左へ下る道があり、これを通って集落の前を進む。一旦9号線に合流するが、そのまま9号線を横断して右手に伸びる旧道を進む。その先で再び9号線に合流、すぐに左へ入って旧道を進む。更にその先で9号線に合流し、その先で左へ分岐するなどこのあたりは9号線と合流、分岐を繰り返して進む。その先左手に地蔵堂が二つあるが、どちらも年不詳である。
 右手に文化3年(1806)の石碑と交通安全の地蔵尊が立っている。
文化3年(1806)の石碑
 その先も左へ分岐、そしてその先で9号線に合流ということを繰り返す。
 右手に地蔵堂がある。このあたりまで来ると年不詳だが比較的新しい地蔵尊が多く、古い地蔵尊が数多く立っていた兵庫県とはちょっと違っている。
右手に地蔵堂
9号線に合流した右手に八幡宮が立っている。ここでとりあえず昼食にする。予想通り店がないので、朝、小倉を出る時にコンビニで買ってきたおにぎり4個が今日の昼食だ。
 野花のバス停から左斜めへ旧道を進むが、その先にも地蔵堂が二つある。後方の地蔵尊には明治30年と刻まれていた。やはり比較的新しい地蔵尊だ。
 左手に道標が立っており「○○より大しみち」と刻まれている。
大しみち
ここから左手へ入っていったところに元禄13年(1700)と刻まれた地蔵尊があり、その横に多数の地蔵尊が並んでいて、夫々に番号が刻まれている。ご近所の方の話ではこの裏山一体に八十八箇所の小祠が立っているということだったので、地蔵尊の番号もその一環だったのかもしれない。
多数の地蔵尊
 旧道に戻って進むと、左手に太子堂とその横に数多くの地蔵尊が並んでいる。
左手に太子堂
9号線に合流したところに地蔵堂がある。
9号線に合流地蔵堂
 再び9号線から分岐して左へ進むと、右手に文政4年(1821)の愛宕山常夜燈が立っている。
文政4年(1821)の愛宕山
 牧の信号で9号線と175号線が分岐しており、ここは直進してガード下を通って川沿いの道を進む。JRのガード下を通り、牧川に架かる天神橋を渡って、道なりに進み突き当りを右折、下川のバス停の先から右へ進む。その先、荒河かしの木台の駅へ向かう道が右折しており、
右角に太子堂と年不詳の地蔵尊が安置されている地蔵堂がある。
太子堂と年不詳の地蔵尊
ここは直進し、和久川に架かる荒河橋を渡って進んで、次の信号を右折する。
右手に「神明神社」がある。境内には文政7年(1824)の常夜燈が立っている。
神明神社
 すぐ先、信号の手前の二股を左へ進むと、次の信号がある角、左手に「高良厄除神社」がある。ここは文久2年(1862)に創建、明治31年に現在地に移設されたという。
高良厄除神社
 門前には文化5年(1808)に建てられたという道標が立っており、「右 京 大坂 道」と刻まれている。
文化5年(1808
 このあたりは昔の街道の雰囲気が色濃く残っている通りだ。
 左手に「久昌寺」がある。ここは元禄元年(1592)に創建されており、福知山城主朽木公の菩提寺で、明治16年の火災で焼失、翌明治17年に再建されたという。
久昌寺
 すぐ横に「法鷲寺」がある。ここは永禄11年(1568)に創建されたお寺で、その後、何度も火災、大洪水に襲われ、昭和28年に再建されたという。門前に嘉永2年(1849)の名号石が立っている。
法鷲寺
 更にその横に「常照寺」があり、ここの門前には「菱屋地蔵尊」がある。これは天保13年(1843)に作られたもので、平成10年に現在地に移転されたと説明されている。
菱屋地蔵尊
このあたり歴史のあるお寺が並んで建っている。
 左手に「稲荷神社 水天宮社」の社があり、その横に音無瀬橋が架かっているが、渡らずに直進する。

左手に「明覚寺」がある。江戸時代の初めころ、福知山の城下町が整備されたとき、市内の各地にあった寺院が城下町の北側に集められた。明覚寺もその一つで、山門は福知山城の城門を移築したもので、高麗門の形式はほとんど当時のままで、福知山市の指定文化財になっている。
明覚寺 
正面に福知山城が見える。ここは塩見頼勝が室町時代後期に築城した横山城が始まりで、天正7年(1579)に明智光秀が丹波国を平定すると、これを福智山城と改名、近世城郭へと大修築したものという。その地形の姿から臥龍城の別名を持っている。
福知山城 
時刻は既に16時30分を回っており、立ち寄らずに先を急ぐ。
 突き当たりを左折、55号線を進む。ガード下を通ってJRを越え、松縄手の信号を渡って左斜めへ進む。その先で9号線に合流しようと思ったが、高架になっていて合流できない。結局9号線の下をグルッと回るようにして9号線に合流,土師川に架かる新土師橋を渡り、歩道を下りて直進、土師新町のバス停の先から右へ進むが、このあたりは住宅街になっていて、旧道は失われているようだった。その先にある長田野工業団地のところで、今日は終わることにする。

 17時19分、長田野工業団地から今日の宿へ向かう。

 本日の歩行時間   7時間39分。
 本日の歩数&距離  33449歩、22.2km。

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