2010年05月30日(日)
蒲生峠~千谷~湯村温泉
曇
13時10分に蒲生峠を越えて兵庫県に入る。岩美町の旧道はきれいに整備されていたが、新温泉町に入ると旧道は整備されておらず、道が分からなくなっているということだったので119号線を歩く。きれいに舗装された道だが車もほとんど通らない。
一旦9号線に合流し、その先で9号線から分岐して左へ進む道があるのでこれを歩く。
左手に安政4年(1857)「妙法開如智玉大徳位」と刻まれた石碑が立っている。
平谷川に架かる奥田橋を渡って進み、その先で9号線に合流する。
新温泉町鐘尾の道路標識が立っている先から、左へ分岐する道があるので、この坂を上り、集落の中を進む。
左手に「天真庵」があり、明和2年(1765)の常夜燈が立っている。
左手に寛政6年(1794)の地蔵尊坐像と、その横に寛保元年(1741)と読める名号石がある。
右手に「太神宮」天保14年(1843)と刻まれた常夜燈が立っている。
その先で9号線から分岐して右へあぜ道を進む。この道は畑の中のあぜ道で石がゴロゴロして歩きにくかったが、道はしっかり残っており、その先で再び9号線に合流する。
谷川橋から左へ進み、その先で道は二股に分かれているので、ここは右へ進むと左手に年不詳の地蔵尊と石灯籠が立っている。
更にその先左手に宝暦14年(1764)と読める地蔵尊がある。
左手に「面沼神社」があるが、ここには文化7年(1810)の石灯籠が立っていた。
突き当たりを右折、岸田川に架かる出合橋を渡り、その先にある温泉農協のバス停で今回の歩きは終わることにする。
15時25分に着く。ここからバスで浜坂の駅まで行き、そこからJRで鳥取まで出て、鳥取から岡山へ出て帰るつもりだったのだが、鳥取駅で岡山へ行く電車は2時間ないといわれたため、急遽姫路経由で帰ることにした。
山陰はとにかくアクセスが悪く、移動には苦労した。
本日の歩行時間 2時間15分。
本日の歩数&距離 15200歩
13時10分に蒲生峠を越えて兵庫県に入る。岩美町の旧道はきれいに整備されていたが、新温泉町に入ると旧道は整備されておらず、道が分からなくなっているということだったので119号線を歩く。きれいに舗装された道だが車もほとんど通らない。
一旦9号線に合流し、その先で9号線から分岐して左へ進む道があるのでこれを歩く。
左手に安政4年(1857)「妙法開如智玉大徳位」と刻まれた石碑が立っている。
平谷川に架かる奥田橋を渡って進み、その先で9号線に合流する。
新温泉町鐘尾の道路標識が立っている先から、左へ分岐する道があるので、この坂を上り、集落の中を進む。
左手に「天真庵」があり、明和2年(1765)の常夜燈が立っている。
左手に寛政6年(1794)の地蔵尊坐像と、その横に寛保元年(1741)と読める名号石がある。
右手に「太神宮」天保14年(1843)と刻まれた常夜燈が立っている。
その先で9号線から分岐して右へあぜ道を進む。この道は畑の中のあぜ道で石がゴロゴロして歩きにくかったが、道はしっかり残っており、その先で再び9号線に合流する。
谷川橋から左へ進み、その先で道は二股に分かれているので、ここは右へ進むと左手に年不詳の地蔵尊と石灯籠が立っている。
更にその先左手に宝暦14年(1764)と読める地蔵尊がある。
左手に「面沼神社」があるが、ここには文化7年(1810)の石灯籠が立っていた。
突き当たりを右折、岸田川に架かる出合橋を渡り、その先にある温泉農協のバス停で今回の歩きは終わることにする。
15時25分に着く。ここからバスで浜坂の駅まで行き、そこからJRで鳥取まで出て、鳥取から岡山へ出て帰るつもりだったのだが、鳥取駅で岡山へ行く電車は2時間ないといわれたため、急遽姫路経由で帰ることにした。
山陰はとにかくアクセスが悪く、移動には苦労した。
本日の歩行時間 2時間15分。
本日の歩数&距離 15200歩
旅の地図
記録
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2010年05月30日(日)
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2010年10月06日(水)
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2010年10月07日(木)
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2010年10月08日(金)
プロフィール
歩人
かっちゃん