2010年03月31日(水)
江崎~仏峠~益田
曇時々雨
ホテルを出ると雨が降り始めている。一昨日までの予報では雨は降らないとなっていたのに、最近の予報はよく変わる。
8時14分に江崎駅に着き歩き始める。駅から街道へ向かう右手に生垣に囲まれた家があり、ここが「大谷家」で江戸時代、代々庄屋を務めたということだ。居住地から津殿(つどの)さんとも呼ばれるそうだ。
304号線に合流して進み、JRの線路を越える跨線橋の手前から右斜めへ伸びる道に入る。
その先で地下道を通って304号線に合流、田万川に架かる椿橋を渡る。天保期の略図にこの椿橋が描かれているということだ。現在はコンクリート製の立派な橋になっている。橋を渡ったところで左折、17号線を進む。
右手に「奉猿田彦之大神」と刻まれた石碑が立っており、そのすぐ先にも同様に猿田彦が立っている。
通勤時間帯と思われるのだが、17号線は車が少ない。このあたりまで来ると雨が止んできた。ヤレヤレだ。田万川沿いに進み、道の駅の信号で191号線に合流して右折、ゆとりパークたまがわという道の駅の先から左折して一直線に進んで行き、突き当たりを右折して山際の途中から土道になる道を進んでいく。その先で191号線に再び合流する。
その先で「広島まで147km 益田まで18km」と書かれた標識がある所から左斜めへ伸びる道があるので、これを進む。その角に猿田彦が祀られている。

ここから市味の集落の中を通っていく。
集落の中を通り、その先で191号線に合流するのだが、資料ではここでほぼ直角に191号線を横断して旧道があるようになっている。ところがその道がない。JRの線路との間は藪だ。藪コギをしなければいけないのかな?雨にぬれている藪の中に入るのはいやだなと思いながら周囲を見渡すが、どうもそれらしい道がない。おかしいなと思っていると、道の横に一軒の家があったので、そちらを訪問して道を聞いた。
そうすると191号線を左へもう少し行ったところに旧道があると教えていただいたので進んでみると、「やすらぎの森 宇生→1km」と書かれた看板が立っており、そこから舗装された道が191号線と分岐していたので、それを進む。
山の中の静かな道を進んでいく。鶯がかわいい声で盛んに鳴いている。車も全く通らない気持のいい道だ。
左手に「延命地蔵」が立っている。こういう場所にポツンと立っていると特に延命を願う訳ではないが自然に頭が下がる。誰かが参拝するのだろう、お花が活けてある。
やがて仏峠の頂上に来る。ここが島根県と山口県の県境の場所だ。
これから島根県だ、頑張っていこう!と自らに語りかける。もっとも島根県に関しては、歴史の道調査報告書の中に、この仏坂道(島根県では長門道と呼ばれていたようだ)は掲載されておらず、情報がなかった。そのため色々と調べて益田市に在住されている郷土史家の方と連絡をとることができ、その方から教えていただいたのだ。
その先で191号線に合流するが、気温の表示がされており、13℃となっている。昨日が7℃だったので、今日は随分暖かく感じる。
暫く191号線を進み、右にカーブしてJRのガード下を通る手前で左折して213号線を進む。飯浦川に架かる出合橋を渡って飯浦の集落の中を進んでいくと右手に「飯浦八幡宮」があったので行ってみる。
階段を上り、JRの線路を越えていくと八幡宮はあったのだが、縁起を書いたものはなかった。街道に戻って歩いていると、ご近所の方らしい方がおられたのでお聞きすると、8年前に250年祭を執り行ったということなので、かなり古い神社のようだ。
「益田十景 人形峠歴史の散歩道」という標識が立っており、そこから人形峠を上って行く。この道は昔は山の頂上を通っていたため、極めて難儀な道だったが、庄屋中島正喜が弘化3年(1846)から嘉永元年(1848)までかけて現在の道を作ったという説明がなされている。
「馬頭観音」がある。これは大正11年に運送業を営んでいる6名がこの悪路による馬の遭難に哀れを感じて建立したと説明されている。
その先に「駕籠立」がある。ここは眺めのいいところで、藩政時代、津和野藩主が飯浦を視察した時、駕籠を止めてこのすばらしい景色を眺め、しばし休憩したことからこの場所を「駕籠立」と呼んでいたという。
そのすぐ横、眼下に「屏風岩」がある。海抜140mの断崖絶壁の下にこの岩があり、僅かに生えている松と海の青さが絶妙のコントラストを描き出している。
「人形岩」と呼ばれる岩がある。高さ7.8mで、日本海の荒波で削り作られた人形の形をした岩で、たしかに足を投げ出して座っている人形のようだ。
右手崖をくりぬいて石仏が納められていた。
その先に「二見岩」がある。伊勢の二見岩に似ていることからこの名前が付けられたということだが、このあたりの海岸は岩場だけに色々な形をした岩が点在している。
二見の集落を過ぎ、191号線を横断、更にその先で再び191号線を横断、西小浜踏切でJRの線路を越えて小浜集落へ入っていく。
海の中の岩の上に「恵比須神社」がある。丁度引き潮で渡ることができたのでいってみたが、縁起を書いたものはなかった。
小浜踏切でJRの線路を横断して進むと、左手に芦田小浜駅がある。このあたりもそうだが、山陰地方は赤い石州瓦を使った家が多い。
その先で191号線を横断して直進する。喜阿弥川に架かる港田橋を渡って川沿いに進み、更に東阿弥川に架かる清水橋を渡って進む。
ここで道端に座って例によって昼食のパンを食べる。昨日ホテルの近くのスーパーで買っておいたものだ。山陰は店がないので昼食はパンばかりだ。このあたりから風が強くなってくる。
暫く山際の静かな道を進んでいくと左手少し小高いところに石見空港の土手が見えた。ただ、あまり飛行機の音がしないと思い、帰宅後調べてみると、この空港は東京便が一日2便、大坂、札幌がそれぞれ一便の一日4便しかなかった。
こういった地方空港はこれから大変だろう。
その先で14号線に合流して進む。13時を少し過ぎてから、雨粒がポツポツと落ちてきた。風が強く、こんな中で雨に降られると傘を差すのが大変なので、とりあえず少しぐらい濡れてもいいやと思ってそのまま先を急ぐ。今日はこの後も時々雨が降ったが、幸いたいした降りにはならずにすんだ。
廿子のバス停のところから左折する道があり、これを進むが、その先で万葉公園へ向かう旧道があるはずなのだが、よく分からない。
丁度人がおられたので地図を見せてお聞きすると、民家へ入るような形で道があり、この坂を上って行く。ここは分かりにくかった。すぐに竹林の中へ入り、階段を上り、その先で下ると左手に食堂がある。このあたりになると道がよく分からなくなり、食堂の方にお聞きすると、詳しい方を連れてきてくれ、その方に教えていただいた。
その先、左手に長門道道標の案内板があり、その横に「右 人丸社道」「左 長門道」と刻まれた道標が立っていた。
ここから街道を離れ右折して「柿本神社」へ立ち寄ってみた。柿本人麿は益田市芦田(小野郷)に生まれ、石見国鴨山で逝去したといわれており、神亀元年(724)国司が勅命によって鴨山に社殿を建立したのが起源で、万寿3年(1026)の大地震によって鴨島が海中に陥没したと伝えられている。そのときの大津波で人麿公の尊像は松崎の地に漂着したので、その地に社殿が再建されたという。延宝9年(1681)亀井藩主により現在の鴨山に再建された。ここは全国にある柿本神社の本社となっている。
街道に戻って墓地を抜け、民家の中を通り、最初の角を右折、突き当たりを左折して進む。高津川に架かる高角橋を渡って9号線に合流する。
その先の総合福祉センター入口の信号の少し先、9号線が右にカーブするところから、少し戻るような感じの細道があるのでこれを進む。
嶽踏切、丸山道踏切を越えて進み、その先で191号線を横断して9号線に合流して進む。実はここから先の旧道の確認が取れていなかったことに最後の段階で気がついたが、間に合わなかったので、そのまま9号線を進むことにする。
左に「大元神社」がある。平成11年に425年大祭を行ったという碑が立っており、嘉永5年(1852)と刻まれた石灯籠が境内に立っていた。
260mの遠田隧道を通ると、その先で山陰道と合流するところがあり、ここで仏坂道の終点とする。
15時28分、仏坂道を踏破する。
本日の歩行時間 7時間14分。
本日の歩数&距離 39028歩,28.3km。
仏坂道総合計
総歩行時間 21時間10分。
総歩数 114708歩。
総歩行距離 82.9km。
仏坂道純距離 75.3km。(途中、寄り道をせず、道を間違えず、街道だけを歩いた場合の距離)
ホテルを出ると雨が降り始めている。一昨日までの予報では雨は降らないとなっていたのに、最近の予報はよく変わる。
8時14分に江崎駅に着き歩き始める。駅から街道へ向かう右手に生垣に囲まれた家があり、ここが「大谷家」で江戸時代、代々庄屋を務めたということだ。居住地から津殿(つどの)さんとも呼ばれるそうだ。

304号線に合流して進み、JRの線路を越える跨線橋の手前から右斜めへ伸びる道に入る。

その先で地下道を通って304号線に合流、田万川に架かる椿橋を渡る。天保期の略図にこの椿橋が描かれているということだ。現在はコンクリート製の立派な橋になっている。橋を渡ったところで左折、17号線を進む。
右手に「奉猿田彦之大神」と刻まれた石碑が立っており、そのすぐ先にも同様に猿田彦が立っている。

通勤時間帯と思われるのだが、17号線は車が少ない。このあたりまで来ると雨が止んできた。ヤレヤレだ。田万川沿いに進み、道の駅の信号で191号線に合流して右折、ゆとりパークたまがわという道の駅の先から左折して一直線に進んで行き、突き当たりを右折して山際の途中から土道になる道を進んでいく。その先で191号線に再び合流する。
その先で「広島まで147km 益田まで18km」と書かれた標識がある所から左斜めへ伸びる道があるので、これを進む。その角に猿田彦が祀られている。

ここから市味の集落の中を通っていく。
集落の中を通り、その先で191号線に合流するのだが、資料ではここでほぼ直角に191号線を横断して旧道があるようになっている。ところがその道がない。JRの線路との間は藪だ。藪コギをしなければいけないのかな?雨にぬれている藪の中に入るのはいやだなと思いながら周囲を見渡すが、どうもそれらしい道がない。おかしいなと思っていると、道の横に一軒の家があったので、そちらを訪問して道を聞いた。
そうすると191号線を左へもう少し行ったところに旧道があると教えていただいたので進んでみると、「やすらぎの森 宇生→1km」と書かれた看板が立っており、そこから舗装された道が191号線と分岐していたので、それを進む。

山の中の静かな道を進んでいく。鶯がかわいい声で盛んに鳴いている。車も全く通らない気持のいい道だ。
左手に「延命地蔵」が立っている。こういう場所にポツンと立っていると特に延命を願う訳ではないが自然に頭が下がる。誰かが参拝するのだろう、お花が活けてある。

やがて仏峠の頂上に来る。ここが島根県と山口県の県境の場所だ。

これから島根県だ、頑張っていこう!と自らに語りかける。もっとも島根県に関しては、歴史の道調査報告書の中に、この仏坂道(島根県では長門道と呼ばれていたようだ)は掲載されておらず、情報がなかった。そのため色々と調べて益田市に在住されている郷土史家の方と連絡をとることができ、その方から教えていただいたのだ。
その先で191号線に合流するが、気温の表示がされており、13℃となっている。昨日が7℃だったので、今日は随分暖かく感じる。
暫く191号線を進み、右にカーブしてJRのガード下を通る手前で左折して213号線を進む。飯浦川に架かる出合橋を渡って飯浦の集落の中を進んでいくと右手に「飯浦八幡宮」があったので行ってみる。
階段を上り、JRの線路を越えていくと八幡宮はあったのだが、縁起を書いたものはなかった。街道に戻って歩いていると、ご近所の方らしい方がおられたのでお聞きすると、8年前に250年祭を執り行ったということなので、かなり古い神社のようだ。

「益田十景 人形峠歴史の散歩道」という標識が立っており、そこから人形峠を上って行く。この道は昔は山の頂上を通っていたため、極めて難儀な道だったが、庄屋中島正喜が弘化3年(1846)から嘉永元年(1848)までかけて現在の道を作ったという説明がなされている。

「馬頭観音」がある。これは大正11年に運送業を営んでいる6名がこの悪路による馬の遭難に哀れを感じて建立したと説明されている。

その先に「駕籠立」がある。ここは眺めのいいところで、藩政時代、津和野藩主が飯浦を視察した時、駕籠を止めてこのすばらしい景色を眺め、しばし休憩したことからこの場所を「駕籠立」と呼んでいたという。

そのすぐ横、眼下に「屏風岩」がある。海抜140mの断崖絶壁の下にこの岩があり、僅かに生えている松と海の青さが絶妙のコントラストを描き出している。

「人形岩」と呼ばれる岩がある。高さ7.8mで、日本海の荒波で削り作られた人形の形をした岩で、たしかに足を投げ出して座っている人形のようだ。

右手崖をくりぬいて石仏が納められていた。

その先に「二見岩」がある。伊勢の二見岩に似ていることからこの名前が付けられたということだが、このあたりの海岸は岩場だけに色々な形をした岩が点在している。

二見の集落を過ぎ、191号線を横断、更にその先で再び191号線を横断、西小浜踏切でJRの線路を越えて小浜集落へ入っていく。
海の中の岩の上に「恵比須神社」がある。丁度引き潮で渡ることができたのでいってみたが、縁起を書いたものはなかった。

小浜踏切でJRの線路を横断して進むと、左手に芦田小浜駅がある。このあたりもそうだが、山陰地方は赤い石州瓦を使った家が多い。

その先で191号線を横断して直進する。喜阿弥川に架かる港田橋を渡って川沿いに進み、更に東阿弥川に架かる清水橋を渡って進む。
ここで道端に座って例によって昼食のパンを食べる。昨日ホテルの近くのスーパーで買っておいたものだ。山陰は店がないので昼食はパンばかりだ。このあたりから風が強くなってくる。
暫く山際の静かな道を進んでいくと左手少し小高いところに石見空港の土手が見えた。ただ、あまり飛行機の音がしないと思い、帰宅後調べてみると、この空港は東京便が一日2便、大坂、札幌がそれぞれ一便の一日4便しかなかった。
こういった地方空港はこれから大変だろう。
その先で14号線に合流して進む。13時を少し過ぎてから、雨粒がポツポツと落ちてきた。風が強く、こんな中で雨に降られると傘を差すのが大変なので、とりあえず少しぐらい濡れてもいいやと思ってそのまま先を急ぐ。今日はこの後も時々雨が降ったが、幸いたいした降りにはならずにすんだ。
廿子のバス停のところから左折する道があり、これを進むが、その先で万葉公園へ向かう旧道があるはずなのだが、よく分からない。
丁度人がおられたので地図を見せてお聞きすると、民家へ入るような形で道があり、この坂を上って行く。ここは分かりにくかった。すぐに竹林の中へ入り、階段を上り、その先で下ると左手に食堂がある。このあたりになると道がよく分からなくなり、食堂の方にお聞きすると、詳しい方を連れてきてくれ、その方に教えていただいた。
その先、左手に長門道道標の案内板があり、その横に「右 人丸社道」「左 長門道」と刻まれた道標が立っていた。

ここから街道を離れ右折して「柿本神社」へ立ち寄ってみた。柿本人麿は益田市芦田(小野郷)に生まれ、石見国鴨山で逝去したといわれており、神亀元年(724)国司が勅命によって鴨山に社殿を建立したのが起源で、万寿3年(1026)の大地震によって鴨島が海中に陥没したと伝えられている。そのときの大津波で人麿公の尊像は松崎の地に漂着したので、その地に社殿が再建されたという。延宝9年(1681)亀井藩主により現在の鴨山に再建された。ここは全国にある柿本神社の本社となっている。

街道に戻って墓地を抜け、民家の中を通り、最初の角を右折、突き当たりを左折して進む。高津川に架かる高角橋を渡って9号線に合流する。
その先の総合福祉センター入口の信号の少し先、9号線が右にカーブするところから、少し戻るような感じの細道があるのでこれを進む。

嶽踏切、丸山道踏切を越えて進み、その先で191号線を横断して9号線に合流して進む。実はここから先の旧道の確認が取れていなかったことに最後の段階で気がついたが、間に合わなかったので、そのまま9号線を進むことにする。
左に「大元神社」がある。平成11年に425年大祭を行ったという碑が立っており、嘉永5年(1852)と刻まれた石灯籠が境内に立っていた。

260mの遠田隧道を通ると、その先で山陰道と合流するところがあり、ここで仏坂道の終点とする。
15時28分、仏坂道を踏破する。
本日の歩行時間 7時間14分。
本日の歩数&距離 39028歩,28.3km。
仏坂道総合計
総歩行時間 21時間10分。
総歩数 114708歩。
総歩行距離 82.9km。
仏坂道純距離 75.3km。(途中、寄り道をせず、道を間違えず、街道だけを歩いた場合の距離)
旅の地図
記録
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2010年03月05日(金)
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2010年03月30日(火)
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2010年03月31日(水)
プロフィール

歩人
かっちゃん