2009年10月30日(金)
菅尾~三重町
晴れ
大分駅からJR豊肥線で菅尾駅までくる。後でわかったことなのだが、三重町にもホテルがあったので、そこに泊まったほうがはるかに効率的だったのだが、土地勘のない悲しさ、着いてみて初めてわかった次第。
8時33分に道の駅みえの近くの旧道をスタートする。
山を越えると左手に菅尾幼稚園があり、そこから旧道を離れて右折、石佛トンネルを通って「菅尾石仏」へ行く。
阿蘇山の噴火によってできた凝灰岩壁に多聞天、十一面観音、阿弥陀如来、薬師如来、千手観音の五体の石仏が西面して彫られている。高さは1.8m~1.9m、平安時代後期の作と推定されているということだが、欠損もなく当時のままの面影を残している。
少し離れたところ、智福寺跡の岸壁に「六字名号」があり、「南無阿弥陀仏」と崖に大きな字で彫られている。高さは12mで白鹿山妙覚寺黙首座の筆跡ということだが、圧倒される迫力がある。宝暦3年(1753)から二年かけて完成したということだ。
その後街道に戻ったが、ここだけで丁度1時間費やした。昨日あの時間からではとても無理だったので、途中でやめて正解だったと思う。
街道を進んでいくと、左手に菅尾小学校があり、その先から右折して進む。ここは昨日菅尾駅へ行くために通った道だと思いながらそのまま進んでいったが、なんとなく気になるので、ちょうどおられた地元の方に道をお聞きすると間違っていることがわかり、急遽引き返す。
小学校の校門の前、右手に病院のあるところから、病院の裏を通るように右折する道があり、これが旧道ということだ。
右手に「浅水神社」がある。寛保元年(1741)と刻まれた鳥居が立っている。
その先で二股に分かれているがこれを右折する。
その先で三叉路があり、これを右折、すぐ先を左折して進む。基本的には直進するのだが、チェックポイントは集落の一番奥にある極楽寺へ至る道だ。
突き当たりがあり、街道はここを左折するのだが、右折すると「極楽寺」がある。これから先、しばらくは人家がなさそうだったので、ここで道を確認しておこうと思い、声をかけると奥さんが出てこられ、丁寧に道を教えていただいた。
このお寺は約400年前の創建ということだ。お茶やお菓子、また柿まで頂いて、色々と話をしていると奥さんは秋田のご出身ということがわかり、奥州街道を歩いた時のことなど暫く話をする。今日は距離が短いため気持ちの上でもゆっくりしている。
先ほどの分岐点に戻り、そのまま直進して進むと、一軒だけ民家があり、その前を進む。
左手に墓地があり、その先の二股を右へ直進する。道はきれいに舗装されているが車も人も誰も通らない。
突き当たりに常夜燈が立っており、ここを右折する。
右手前方に堤が見えるが、そこには堰があるところで十字路になっている。ここを直進する。この道は最初は整備された道だったが、次第に荒れた道になってきた。道としてはっきりしているので、歩く上ではなんともないが、日ごろ人が歩いていないようで、かなり草が繁っていた。
森の中の草道を抜けると車道に出た。すぐ前に池がある。ここを左折して進む。右へ行くと観音院正福寺や農蚕神社があるようだ。
お地蔵様が祀ってあるところから、左折して進むと大分県立農業大学校の前にでる。
ここを右折すぐ先を左折して進む。右手に畑が広がっており、緑がきれいだ。
JR豊肥線の赤嶺踏切を渡り、突き当りを右折、玉田川に架かるおちょうず橋を渡って、「ふれあい通り」と看板がかかっている道へ進む。
右手に三重町駅が見えてきたので、今日はここで終わることにする。
12時39分、三重町に着く。
本日の歩行時間 4時間6分。
本日の歩数&距離 21767歩、13.2km。
まだ時間は十分あるのだが、これから先は山の中へ向かい、途中ではアクセスがないため、日を改めてこなければ無理なのだ。
帰宅しHPを作成していて、GPSに記憶されているはずの歩いた道の情報が最後の部分で消えていることに気がついた。電池が切れたのか?そのため、最後の一時間ほどの部分は後で自分で作成しています。
大分駅からJR豊肥線で菅尾駅までくる。後でわかったことなのだが、三重町にもホテルがあったので、そこに泊まったほうがはるかに効率的だったのだが、土地勘のない悲しさ、着いてみて初めてわかった次第。
8時33分に道の駅みえの近くの旧道をスタートする。
山を越えると左手に菅尾幼稚園があり、そこから旧道を離れて右折、石佛トンネルを通って「菅尾石仏」へ行く。
阿蘇山の噴火によってできた凝灰岩壁に多聞天、十一面観音、阿弥陀如来、薬師如来、千手観音の五体の石仏が西面して彫られている。高さは1.8m~1.9m、平安時代後期の作と推定されているということだが、欠損もなく当時のままの面影を残している。
少し離れたところ、智福寺跡の岸壁に「六字名号」があり、「南無阿弥陀仏」と崖に大きな字で彫られている。高さは12mで白鹿山妙覚寺黙首座の筆跡ということだが、圧倒される迫力がある。宝暦3年(1753)から二年かけて完成したということだ。
その後街道に戻ったが、ここだけで丁度1時間費やした。昨日あの時間からではとても無理だったので、途中でやめて正解だったと思う。
街道を進んでいくと、左手に菅尾小学校があり、その先から右折して進む。ここは昨日菅尾駅へ行くために通った道だと思いながらそのまま進んでいったが、なんとなく気になるので、ちょうどおられた地元の方に道をお聞きすると間違っていることがわかり、急遽引き返す。
小学校の校門の前、右手に病院のあるところから、病院の裏を通るように右折する道があり、これが旧道ということだ。
右手に「浅水神社」がある。寛保元年(1741)と刻まれた鳥居が立っている。
その先で二股に分かれているがこれを右折する。
その先で三叉路があり、これを右折、すぐ先を左折して進む。基本的には直進するのだが、チェックポイントは集落の一番奥にある極楽寺へ至る道だ。
突き当たりがあり、街道はここを左折するのだが、右折すると「極楽寺」がある。これから先、しばらくは人家がなさそうだったので、ここで道を確認しておこうと思い、声をかけると奥さんが出てこられ、丁寧に道を教えていただいた。
このお寺は約400年前の創建ということだ。お茶やお菓子、また柿まで頂いて、色々と話をしていると奥さんは秋田のご出身ということがわかり、奥州街道を歩いた時のことなど暫く話をする。今日は距離が短いため気持ちの上でもゆっくりしている。
先ほどの分岐点に戻り、そのまま直進して進むと、一軒だけ民家があり、その前を進む。
左手に墓地があり、その先の二股を右へ直進する。道はきれいに舗装されているが車も人も誰も通らない。
突き当たりに常夜燈が立っており、ここを右折する。
右手前方に堤が見えるが、そこには堰があるところで十字路になっている。ここを直進する。この道は最初は整備された道だったが、次第に荒れた道になってきた。道としてはっきりしているので、歩く上ではなんともないが、日ごろ人が歩いていないようで、かなり草が繁っていた。
森の中の草道を抜けると車道に出た。すぐ前に池がある。ここを左折して進む。右へ行くと観音院正福寺や農蚕神社があるようだ。
お地蔵様が祀ってあるところから、左折して進むと大分県立農業大学校の前にでる。
ここを右折すぐ先を左折して進む。右手に畑が広がっており、緑がきれいだ。
JR豊肥線の赤嶺踏切を渡り、突き当りを右折、玉田川に架かるおちょうず橋を渡って、「ふれあい通り」と看板がかかっている道へ進む。
右手に三重町駅が見えてきたので、今日はここで終わることにする。
12時39分、三重町に着く。
本日の歩行時間 4時間6分。
本日の歩数&距離 21767歩、13.2km。
まだ時間は十分あるのだが、これから先は山の中へ向かい、途中ではアクセスがないため、日を改めてこなければ無理なのだ。
帰宅しHPを作成していて、GPSに記憶されているはずの歩いた道の情報が最後の部分で消えていることに気がついた。電池が切れたのか?そのため、最後の一時間ほどの部分は後で自分で作成しています。
旅の地図
記録
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2009年10月29日(木)
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2009年10月30日(金)
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2009年11月05日(木)
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2009年11月06日(金)
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2009年11月07日(土)
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2009年11月18日(水)
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2009年11月19日(木)
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2009年11月20日(金)
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2012年12月25日(火)
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2012年12月26日(水)
プロフィール
歩人
かっちゃん