2009年05月13日(水)
西目道(南有馬吉川郵便局~口之津~加津佐~南串山~小浜)
晴れ
8時5分に昨日の郵便局前に着き歩き始める。夜のうちに雨が降ったようで地面が濡れている。そのためか今日は涼しそうだ。歩く上では助かる。
道なりに歩いていくと、次第に山の中へ入っていき、道が二股に分かれているので、右へ進み、旧線路を横断して進む。
左へカーブして進み、その先で舗装道に合流して坂を上る。その先で道は二股に分かれているので左へ進む。
坂を上りきったところで道は二股に分かれているので、左へ進み坂を下っていく。再び二股に分かれているので、左へ直進すると集落の中へ入っていく。
左手に小屋があり、そこに「看護石様」がある。この石は巡視の際の殿様の腹痛を治したといわれる大石で、この地区の守り神になっていると説明されている。
左手に池を見ながら進み、池の周りを左回りするような形で進む。旧線路を越えて進み突き当たりを右折する。
与茂作川を渡って進むと、右手に眞乗寺があり、その先右手に八幡神社がある。石造肥前鳥居には延宝元年(1673)と刻まれており、常夜燈には文政5年(1822)、10年(1827)と刻まれていた。

251号線を横断して進むと口之津の中心街に入る。ここで昨日泊まった宿へ行く。というのもついうっかりして部屋の鍵をポケットに入れたまま出発してしまっていたことに気がついたのだ。幸いご主人がおられたので鍵を置き、近くにコンビニがあったので、昼食用にパンを買ってスタートする。この先地図を見ると食事をするところがないのではないかと思ってのことだった。食事だけは欠かすことができない私にとっては、怠りない準備をしておく。
岩田橋を渡り、二股に分かれている道を左折して進むと、小川の横、右手に「淡島神社」が立っている。
突き当りを右折し、すぐ先を左へ進む。二股を左へ行き、坂を上る。坂を上ったところで右へ行くと左手に久木山郵便局がある。
その先、左手に正妙寺があるが、立派な石垣に囲まれている。

その先で251号線に合流して右へ進んでいくと、左手は海だ。ザブンザブンという波の音が身近に聞こえ、潮の香りが漂ってくる。藪の切れ目から海のほうへ出てみると、なかなかいい景色が広がっている。
ここに「下馬松」の石碑が立っていた。有馬の殿様が円通寺へ参拝するとき、ここで馬から下りて歩いたことから地名となったということだ。
加津佐海水浴場前バス停の先で251号線は左へカーブするが、旧道は直進して加津佐の街中へ入っていく。
右手に温泉神社がある。神社は以前、玉之浦という今の役場のところにあったが、明治になって村内八つの神社を合併してこの地へ移築したということだ。社殿に「九州総鎮護 四面宮」と書かれた提灯が掛けられていた。ここの鳥居も石造肥前鳥居で天保5年(1834)と刻まれていた。
正面にJA加津佐支店があるところを右へ進む。加津佐はちょっとした町でここにスーパーがあったので、ここで昼食を購入することができたと思った。
右手に「円通寺跡」の標識が立っているので、街道を離れそれに従って坂を上っていった。森が残っており、そこに寺跡があった。
円通寺は昔はここを中心に広大な寺域があって、七堂伽藍がそびえ、僧侶500人が修行していたという。境内にはその当時の山門の礎石が残っているが、直径1m程で中央を約10cmの高さに浮き彫りしている大きな石で当時の壮大さを示していると書かれている。
またここには「大梅の塔」という大智禅師の墓がある。正平21年(1366)、79歳で死亡したが、生前禅師が開創した四寺に遺骨を四分し、大梅の塔と称したと説明されている。また「コレジョ跡」もあると標識に書かれていたが、今は遺構は何も残っていなかった。コレジョとはキリスト教義を専門に修得し、哲学やラテン語から自然科学までを幅広く学習する現在の大学のようなものだったという。
街道に戻って進み、加津佐小学校に突き当たるところで130号線に合流、左折して進む。堀川橋を渡って右折、加津佐中学校を左に見ながら進み、左手にJAの倉庫があるところから左折して坂を上って行く。最初に左折する道を行かなければいけなかったのだが、うっかり直進してしまった。すぐ気がついて元に戻り、その先突き当りを右折、すぐ先を左折して進む。右手に池がある。
坂を上り、池から二つ目の左折する道を進み、九十九折の坂道を上って行くと農道があり、その下のガードを通って進む。これからいよいよ山の中へ入って行きそうなので、ここでとりあえず昼食のパンを食べる。食べ終わってガードをくぐっていくと、なんと農道に出てしまった。左側になんとなく旧道の入り口らしい跡があったので入ってみたが、全くの藪状態で先に進むことができず、あきらめて元に戻る。手持ちの地図と見比べてみるが、間違いないようだ。どうしても分からなかったので、参考にした本の著者に電話をしてみたが、現地にいないのでよく分からないとのこと。地元の方にお聞きしたが、よく分からないと言われる。困った!立ち往生してしまった。そこでもう一度今度は本の地図を見直してみると、手持ちの地図と少し異なる道が描かれていることに気がついた。そこで本の地図に従ってもう一度やり直してみることにした。池から二つ目の左折したところまで戻って、今度は直進してみると、先ほどの農道に出た。ただ、出た場所が先ほどの場所より少し右手のところだ。そこから更に右手へ農道を進んでみると、左斜めへ上る道があった!これが旧道の入り口だ。ここから坂を上って行くと右側に旧道があった。落葉が厚く積もっている森の中の道だが道は確かにあった。

この道は昔はよく使われていて、軽トラックも通っていたそうだが、今では廃道になっていて、誰も通らないそうだ。左手に稲荷大明神の赤い鳥居があり、その先、所々に倒木があったりしたが、それでも歩くことに問題はなかった。

森の中を抜けると道が分かれており、丁度そこに地元の方があられたのでお聞きすると、右手のほうへ坂道を上っていけばいいと教えていただいたが、ここから先の道は分かりにくかった。
一面のジャガイモ畑の中を同じような感じの道が何本も分岐している。何度もやり直しをし、結局一番上にある二股の分岐から右折して進んだ。ここを左へ進むと行き止まりになっていた。ここは目印が一つだけあって、池があり、その横に出ることだった。途中までは坂道になっていて池は見えなかったがGPSには映っていたので、それを頼りに歩いていった。坂を上り詰めるとようやく右手に池が見えたので、それを目当てに下っていった。地図に示されている道は池を右手に見ながら進むようになっていたが、左手に回りこむ道のほうが無難に見えたので、そちらを歩く。この池は「から池」と名づけられているようで、島原の殿様が築かれたと言い伝えられており、台地の頂に梅雨期の天水を満々と湛え、自然浸透して湧水となって町内はもとより、近隣の町まで恩恵を受ける3ヘクタールの池であると説明されている。ただ、現在は水は少ししか溜まっていなかった。
坂を下っていくと路木の集落に入っていく。その先で車道は右にカーブをしているが、直進する草道があり、ここを通っていく。ここからまた道を迷ってしまった。最初は直進した後、右にカーブした車道に合流してそのまま坂を下って行くと、389号線に出てしまった。間違っていると分かったので、元に戻ってみたがよく分からない。カーブした道を少し戻ってみたがわからない。今度は直進してきた道から左へ進んでみたがどうも違うようだ。
訳が分からなくなってもう一度最初のところに戻って改めてみてみると、なんと草道の前方にそれらしい草道が続いているではないか。
最初にここを見たとき、道とは思えず畑の一部かと思ってしまっていたのだが、よく見ると道だ。これだ!と思ったところに、お年寄りの方が「何をしているのかね」と声をかけてこられた。先ほどからウロウロしているので不審に思ってこちらを見ていたようだ。島原街道を探しているというと、この方は詳しい方でこれから先の道を地面に描いて教えてくれた。
暫く草道を進んでいくと舗装された道になり、林の中を進んでいく。車道に合流して進んでいくと、やがて車道が右にカーブするところに来る。旧道はそのまま直進する道があり、ここから坂を下っていく。左手に簡易水道施設があり、その横に竹で作った鳥居が立っている。
森の中の道を下っていくと十字路に出る。ここでも道がよく分からず、直進してしまったが、ご近所の方がおられたので、道を聞き、ここを左折して進む。
下っていくと車道に出、これを横断していくと、その角に日原公民館が左手にあった。ここでも少し迷ったが、そのまま直進、その先で右にカーブをしながら急な坂道を下っていく。途中まで下っていると、一人の方が車を止めて話しかけてきたので、確認のため道を教えていただく。このあたり再三道を間違えているので、とにかく確認をしたい思いで一杯だった。
やがて急な坂を下っていき223号線に合流する所に来ると、先ほどの方がこれから先の地図をパソコンで出力して待っていてくれた。ここがその方の職場ということだった。こういった親切に出会うととてもうれしい。お礼を言って先へ進む。
223号線へ左折して進むと右手に天満宮の鳥居がある。ここも石造肥前鳥居で宝暦4年(1754)と刻まれており、常夜燈には文化5年(1808)と刻まれていた。
その先に庄屋屋敷跡がある。古い石垣が残っており、それと一体になるように巨木が立っていた。
右手に「楽常寺」があり、参道は石畳になっている。山門は庄屋屋敷の門を移築したものだという。ここは寛永19年(1642)裕元和尚が開山したもので歴史を感じさせるお寺だ。
すぐ先で223号線は右にカーブするが、旧道は直進して坂を下る。右手に洗磯前神社の鳥居が立っている。
ここから先、事前調査の段階で道が分かりづらかったところだ。先ほどの方もこの場所のことを調べていただいたのだが、結局よく分からなかった場所だ。車道を下っていくと、右手に坂を下る道があるのでこれを下っていく。かなり急な坂だ。
ここは完全な谷間で一旦下って橋を渡り、また急な坂を上って行く。二つ目の十字路を左へ進んでいくと上光手集落センターがあるので、ここを右折して進む。その先で道は二股に分かれているので、最初右折して進んでいったが、ここもジャガイモ畑で何本も道が通っており、2万5千分の1の地図と全く一致しない。よく分からず、元に戻り、丁度農作業をしている方がおられたのでお聞きしたが、よくわからないということだった。仕方がないので、今度は先ほどの分岐点に戻り、直進して坂を下っていった。途中に女性がおられたので道をお聞きすると、この道が島原街道ですと言われたのでそのまま坂を下っていった。ところが下ってみるとすぐ横は海だ。地図とは全く違う。また道を間違えた。そこにお店があったので、そこに入ってそのお店の奥さんにお聞きすると、地図を見ながら色々と考えてくれた。そのうちその方の息子さんらしい方もこられて、一緒になって地図を見ながら考えてくれたが結局よく分からないということになった。記録を見ると約一時間も一緒になって考えてくれていた。地元の方が見られてもわからないのではもうどうしようもないとあきらめ、時間も遅くなってきたのでここから先は海辺の国道を歩くことにした。歩いていると長戸のバス停があり、そこに5分後、18時54分のバスがあったので、これに乗って小浜まで行く。
今日は距離も短く余裕で小浜に着く予定だったが、道を間違えることの連続で、最後はとうとう道が分からないという状況になってしまい、すっかり遅くなってしまった。折角の小浜温泉泊まりだったが、なんとなくすっきりしない宿泊になってしまった。ちょっと残念。
本日の歩行時間 9時間59分。
本日の歩数&距離 45151歩、29.5km。
8時5分に昨日の郵便局前に着き歩き始める。夜のうちに雨が降ったようで地面が濡れている。そのためか今日は涼しそうだ。歩く上では助かる。
道なりに歩いていくと、次第に山の中へ入っていき、道が二股に分かれているので、右へ進み、旧線路を横断して進む。
左へカーブして進み、その先で舗装道に合流して坂を上る。その先で道は二股に分かれているので左へ進む。
坂を上りきったところで道は二股に分かれているので、左へ進み坂を下っていく。再び二股に分かれているので、左へ直進すると集落の中へ入っていく。
左手に小屋があり、そこに「看護石様」がある。この石は巡視の際の殿様の腹痛を治したといわれる大石で、この地区の守り神になっていると説明されている。

左手に池を見ながら進み、池の周りを左回りするような形で進む。旧線路を越えて進み突き当たりを右折する。
与茂作川を渡って進むと、右手に眞乗寺があり、その先右手に八幡神社がある。石造肥前鳥居には延宝元年(1673)と刻まれており、常夜燈には文政5年(1822)、10年(1827)と刻まれていた。

251号線を横断して進むと口之津の中心街に入る。ここで昨日泊まった宿へ行く。というのもついうっかりして部屋の鍵をポケットに入れたまま出発してしまっていたことに気がついたのだ。幸いご主人がおられたので鍵を置き、近くにコンビニがあったので、昼食用にパンを買ってスタートする。この先地図を見ると食事をするところがないのではないかと思ってのことだった。食事だけは欠かすことができない私にとっては、怠りない準備をしておく。
岩田橋を渡り、二股に分かれている道を左折して進むと、小川の横、右手に「淡島神社」が立っている。

突き当りを右折し、すぐ先を左へ進む。二股を左へ行き、坂を上る。坂を上ったところで右へ行くと左手に久木山郵便局がある。
その先、左手に正妙寺があるが、立派な石垣に囲まれている。

その先で251号線に合流して右へ進んでいくと、左手は海だ。ザブンザブンという波の音が身近に聞こえ、潮の香りが漂ってくる。藪の切れ目から海のほうへ出てみると、なかなかいい景色が広がっている。

ここに「下馬松」の石碑が立っていた。有馬の殿様が円通寺へ参拝するとき、ここで馬から下りて歩いたことから地名となったということだ。

加津佐海水浴場前バス停の先で251号線は左へカーブするが、旧道は直進して加津佐の街中へ入っていく。
右手に温泉神社がある。神社は以前、玉之浦という今の役場のところにあったが、明治になって村内八つの神社を合併してこの地へ移築したということだ。社殿に「九州総鎮護 四面宮」と書かれた提灯が掛けられていた。ここの鳥居も石造肥前鳥居で天保5年(1834)と刻まれていた。

正面にJA加津佐支店があるところを右へ進む。加津佐はちょっとした町でここにスーパーがあったので、ここで昼食を購入することができたと思った。
右手に「円通寺跡」の標識が立っているので、街道を離れそれに従って坂を上っていった。森が残っており、そこに寺跡があった。
円通寺は昔はここを中心に広大な寺域があって、七堂伽藍がそびえ、僧侶500人が修行していたという。境内にはその当時の山門の礎石が残っているが、直径1m程で中央を約10cmの高さに浮き彫りしている大きな石で当時の壮大さを示していると書かれている。

またここには「大梅の塔」という大智禅師の墓がある。正平21年(1366)、79歳で死亡したが、生前禅師が開創した四寺に遺骨を四分し、大梅の塔と称したと説明されている。また「コレジョ跡」もあると標識に書かれていたが、今は遺構は何も残っていなかった。コレジョとはキリスト教義を専門に修得し、哲学やラテン語から自然科学までを幅広く学習する現在の大学のようなものだったという。

街道に戻って進み、加津佐小学校に突き当たるところで130号線に合流、左折して進む。堀川橋を渡って右折、加津佐中学校を左に見ながら進み、左手にJAの倉庫があるところから左折して坂を上って行く。最初に左折する道を行かなければいけなかったのだが、うっかり直進してしまった。すぐ気がついて元に戻り、その先突き当りを右折、すぐ先を左折して進む。右手に池がある。
坂を上り、池から二つ目の左折する道を進み、九十九折の坂道を上って行くと農道があり、その下のガードを通って進む。これからいよいよ山の中へ入って行きそうなので、ここでとりあえず昼食のパンを食べる。食べ終わってガードをくぐっていくと、なんと農道に出てしまった。左側になんとなく旧道の入り口らしい跡があったので入ってみたが、全くの藪状態で先に進むことができず、あきらめて元に戻る。手持ちの地図と見比べてみるが、間違いないようだ。どうしても分からなかったので、参考にした本の著者に電話をしてみたが、現地にいないのでよく分からないとのこと。地元の方にお聞きしたが、よく分からないと言われる。困った!立ち往生してしまった。そこでもう一度今度は本の地図を見直してみると、手持ちの地図と少し異なる道が描かれていることに気がついた。そこで本の地図に従ってもう一度やり直してみることにした。池から二つ目の左折したところまで戻って、今度は直進してみると、先ほどの農道に出た。ただ、出た場所が先ほどの場所より少し右手のところだ。そこから更に右手へ農道を進んでみると、左斜めへ上る道があった!これが旧道の入り口だ。ここから坂を上って行くと右側に旧道があった。落葉が厚く積もっている森の中の道だが道は確かにあった。

この道は昔はよく使われていて、軽トラックも通っていたそうだが、今では廃道になっていて、誰も通らないそうだ。左手に稲荷大明神の赤い鳥居があり、その先、所々に倒木があったりしたが、それでも歩くことに問題はなかった。

森の中を抜けると道が分かれており、丁度そこに地元の方があられたのでお聞きすると、右手のほうへ坂道を上っていけばいいと教えていただいたが、ここから先の道は分かりにくかった。

坂を下っていくと路木の集落に入っていく。その先で車道は右にカーブをしているが、直進する草道があり、ここを通っていく。ここからまた道を迷ってしまった。最初は直進した後、右にカーブした車道に合流してそのまま坂を下って行くと、389号線に出てしまった。間違っていると分かったので、元に戻ってみたがよく分からない。カーブした道を少し戻ってみたがわからない。今度は直進してきた道から左へ進んでみたがどうも違うようだ。
訳が分からなくなってもう一度最初のところに戻って改めてみてみると、なんと草道の前方にそれらしい草道が続いているではないか。

最初にここを見たとき、道とは思えず畑の一部かと思ってしまっていたのだが、よく見ると道だ。これだ!と思ったところに、お年寄りの方が「何をしているのかね」と声をかけてこられた。先ほどからウロウロしているので不審に思ってこちらを見ていたようだ。島原街道を探しているというと、この方は詳しい方でこれから先の道を地面に描いて教えてくれた。
暫く草道を進んでいくと舗装された道になり、林の中を進んでいく。車道に合流して進んでいくと、やがて車道が右にカーブするところに来る。旧道はそのまま直進する道があり、ここから坂を下っていく。左手に簡易水道施設があり、その横に竹で作った鳥居が立っている。

森の中の道を下っていくと十字路に出る。ここでも道がよく分からず、直進してしまったが、ご近所の方がおられたので、道を聞き、ここを左折して進む。
下っていくと車道に出、これを横断していくと、その角に日原公民館が左手にあった。ここでも少し迷ったが、そのまま直進、その先で右にカーブをしながら急な坂道を下っていく。途中まで下っていると、一人の方が車を止めて話しかけてきたので、確認のため道を教えていただく。このあたり再三道を間違えているので、とにかく確認をしたい思いで一杯だった。
やがて急な坂を下っていき223号線に合流する所に来ると、先ほどの方がこれから先の地図をパソコンで出力して待っていてくれた。ここがその方の職場ということだった。こういった親切に出会うととてもうれしい。お礼を言って先へ進む。
223号線へ左折して進むと右手に天満宮の鳥居がある。ここも石造肥前鳥居で宝暦4年(1754)と刻まれており、常夜燈には文化5年(1808)と刻まれていた。

その先に庄屋屋敷跡がある。古い石垣が残っており、それと一体になるように巨木が立っていた。

右手に「楽常寺」があり、参道は石畳になっている。山門は庄屋屋敷の門を移築したものだという。ここは寛永19年(1642)裕元和尚が開山したもので歴史を感じさせるお寺だ。

すぐ先で223号線は右にカーブするが、旧道は直進して坂を下る。右手に洗磯前神社の鳥居が立っている。

ここから先、事前調査の段階で道が分かりづらかったところだ。先ほどの方もこの場所のことを調べていただいたのだが、結局よく分からなかった場所だ。車道を下っていくと、右手に坂を下る道があるのでこれを下っていく。かなり急な坂だ。
ここは完全な谷間で一旦下って橋を渡り、また急な坂を上って行く。二つ目の十字路を左へ進んでいくと上光手集落センターがあるので、ここを右折して進む。その先で道は二股に分かれているので、最初右折して進んでいったが、ここもジャガイモ畑で何本も道が通っており、2万5千分の1の地図と全く一致しない。よく分からず、元に戻り、丁度農作業をしている方がおられたのでお聞きしたが、よくわからないということだった。仕方がないので、今度は先ほどの分岐点に戻り、直進して坂を下っていった。途中に女性がおられたので道をお聞きすると、この道が島原街道ですと言われたのでそのまま坂を下っていった。ところが下ってみるとすぐ横は海だ。地図とは全く違う。また道を間違えた。そこにお店があったので、そこに入ってそのお店の奥さんにお聞きすると、地図を見ながら色々と考えてくれた。そのうちその方の息子さんらしい方もこられて、一緒になって地図を見ながら考えてくれたが結局よく分からないということになった。記録を見ると約一時間も一緒になって考えてくれていた。地元の方が見られてもわからないのではもうどうしようもないとあきらめ、時間も遅くなってきたのでここから先は海辺の国道を歩くことにした。歩いていると長戸のバス停があり、そこに5分後、18時54分のバスがあったので、これに乗って小浜まで行く。
今日は距離も短く余裕で小浜に着く予定だったが、道を間違えることの連続で、最後はとうとう道が分からないという状況になってしまい、すっかり遅くなってしまった。折角の小浜温泉泊まりだったが、なんとなくすっきりしない宿泊になってしまった。ちょっと残念。
本日の歩行時間 9時間59分。
本日の歩数&距離 45151歩、29.5km。
旅の地図
記録
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2009年05月11日(月)
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2009年05月12日(火)
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2009年05月13日(水)
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2009年05月14日(木)
プロフィール

歩人
かっちゃん