2008年11月13日(木)
追分~松子山峠~西条
晴れ
7時25分にホテルを出発する。今日も快晴だ。
追分で2号線に合流して進み、しばらく歩くと2号線が右にカーブするところに、左斜めに旧道が伸びているのでここを歩く。7時42分だ。
草道が続いており、それに従って進んでいくと、左へほぼ直角に分岐する道がある場所に出た。資料を見ると、左に曲がっているようなので、ここかなと思って左折して進む。しかしどうも様子がおかしい。
2号線に沿って道は進むはずなのに、どんどん山の中へ入っていく。これは道を間違ったと気づき、元の場所に戻ってこれまで来た道の延長線上を直進して進むとその先で突き当たりに出て、そこで道は左折している。これで間違いないとこの道を進む。道は藪状態になっており、倒木もあって道を塞いでいたりしたが、間違いなく道は続いており、それに従って進む。前が開け、前方に家が見えるところに出たが、ブリキ板で道を遮断している。イノシシ除けなのだろうか。しかたがないのでブリキ板の横から何とか越えて家の前に出る。
道はここから二股に分かれており、右手に行く舗装された道は2号線に合流するようになっている。
まだ2号線に合流するのは早すぎるので、左手少し上り坂の草道を進む。右手にお墓が立っている。このあたりの方の墓地なのだろう。
ここもこれまで歩いた道と同様に藪があるものの道は続いているのでそれに沿って進む。
かなり歩いた後、再びきれいに草が刈られた道が右斜めに伸びており、ついそれに沿って歩いたが、ここでもイノシシ除けのブリキ板が立っており、その先は2号線に合流するようになっている。旧道を進むとサテライトの前に出るはずなので、ここも違うようだ。しかしこれまで歩いてきた道の前方は笹薮になっており、全く道らしきものがない。おかしいなと思いながらみていると、笹薮の先のほうはなんとなく歩くことができそうな感じがあるので、笹薮に突き進んでみた。ところがビッシリと笹が生えていて前に進めない。これではだめだと思い、他の場所を探すと少し横に、わずかだが笹がまばらになっているところがあったので、そこに入ってみた。そうするとものの5mも進んだだろうか、笹藪が途切れ、その先に道が続いている。ここもこれまでと同様の道で一応迷うことなく歩くことができる。やがて前方にサテライトの大きな建物が見えてきた。まず最初の難所を越えたのだ。8時20分にサテライト前に着く。旧道に入って38分経過している。
日名内上信号を渡ると、その前に道が伸びており、「旧山陽道」の標識が立っていたのでこれを進む。しばらく進むと右手にちょっとした広場があり、旧道はその広場の外周を回るようにして右に進んでいる。
ここも歩きやすい道で所々で石畳になっている。やがて空港への取り付け道路の高架下に出るので、これをくぐって進む。ここから瓦坂(河原坂峠と書かれた案内板もありました)に入る。
ここもきれいに草が刈られていて歩きやすかったが、かなりの笹が切られており、これが繁った状態であれば歩きにくいだろうと思った。切っていただいた方に感謝である。
やがて坂を下ると横大道の集落に出る。
右手に明治32年の道標「東大坂、西廣島」と刻まれている。
少し高いところを旧道が走っているので、左手の2号線を見下ろしながら歩いていく。坂になっているので棚田が広がっており、気持ちのいい道だ。昨日ホテルの方から聞いたところによると、この下を走っている2号線にコンビニがあり、そこを過ぎるともう食堂もコンビニもないということだったので、一旦旧道からはずれて2号線に降りていき、コンビニで昼食用のパンを購入する。確かにここ以降こういう店は全くなかったので、ホテルで聞いていて助かった。コンビニの先で再び右折して旧道に入るが、その少し戻ったところ、旧道の右側に「水ヶ谷神社」がある。ここの参道は竹林で囲まれていて気持ちがいい。もっとも参道を歩いているとすぐ前を蛇が横切っていった。まだこの時期でも蛇がいるのだ。まぁマムシでなければ問題はないのだが。
その先大橋の信号で2号線を横切って進み、四万里川に架かる大橋を渡ってすぐに右折して四万里川に沿って進む。山間の静かなたたずまいが続く。天気もよく気持ちがいい。左手に地蔵尊があり、その横に「旧山陽道」と書かれている。こうして案内があると道を間違っていないことがわかってホッとする。
更にその先に「いぼ地蔵」がある。
「旧山陽道 茗荷ノ清水」が左手にある。この先に「茗荷清水」という名前の清水があるはずで紛らわしいが、これとは別物だ。清水といっても今は澱んだ水溜りだ。
「旧山陽道田万里市旅籠跡(宿屋)」と書かれた案内板を掛けている家がある。ここは本郷宿と四日市宿の間の宿だったのだ。10時55分にここを通る。
その横に「明治時代最初の郵便取扱所、後の郵便局跡」と表示された家がある。旧い大きな家だ。
田万里橋で2号線に合流する。ここから2号線を少し歩いて、すぐ先の銀山橋を渡らずに2号線から分岐する道を歩いたが、ご近所の方によると、田万里橋の横にある地下道を通って2号線の向こう側に出、すぐに左折して2号線に沿って進み、銀山橋の少し先から私が歩いた道に合流する道が昔の道だと教えていただいた。ただ、いずれにしても僅かの距離だったので歩きなおすことはしなかった。
左手に「石立神社」がある。ここはチェックポイントとしていたところで、ここから約1kmほど先に茗荷清水跡があるからだ。時計を見る。1kmだから大体12~13分ほどで着くはずだ。
そしてまさにその時間に、左手に「茗荷清水跡」碑があり、「音に聞こえし茗荷の清水 三原の御前酒におとるまい」という文字が刻まれた石碑が立っていた。
ここで左へ分岐する道があるが、旧道はそちらへは行かず直進する。
ここからいよいよ松子山峠の入口への道となる。右手に一軒家があり、次の土蔵がある家との間に草道が右斜めに伸びているのでここを上って行く。
国道のバイバスがあり、ここは一方通行だ。右手に金剛岩橋があり、左手には休憩エリアがある。道を横断して進むのだが、車がすごいスピードで疾走してくるのでなかなか渡れない。ようやく途切れたので道を横断し、金剛岩橋のすぐ横から細い山道があるのでこれを上っていく。
。
今度は二本目の国道のバイバスに出るのでこれを横断するとすぐ前に舗装された道があり、これを進んでいく。
右手に上三永弟一会館があったので、ここの階段に腰を下ろして昼食のパンを食べる。丁度12時だった。その先左手に「大明神社」がある。門に垂らした注連縄の位置が低く、そのまま歩くと頭に引っかかりそうだった。
左手に池があり、右手にお墓が立っているところで道がY字路になっているので左方向へ進んでいく。その先で再び左へ行く道と直進する道に分かれている。見るとその先にもう一つ池があったので、地図と見比べてここは直進するのだろうと思って進むと、前に堤が立ちはだかった。階段がついているのでこれを登ってみたが、前に池が広がっていて行き止まりだ。どこかに道があるのではないかと思って探したが、それらしい道がなかったので、先ほどの分岐しているところまで戻って左方向の道を進んでみると、これが旧道だった。この道は舗装されており、気持ちのいい道だ。
やがて工事中の東広島自動車道があり、ガードがあるのでこれをくぐって進む。ここで何も考えず、道に沿ってぐるっと回って上に出るときれいな道路が左右に走っている。その前は工事中の自動車道だ。さて、左右に走っている道路のどちらに進めばいいのかがわからない。ひょっとみると「日向の一里塚」らしい塚がある。
これは復元されたもののようだが、整備されていないのでかなり荒れている感じだ。どちらに進めばいいかわからないのでとりあえず右方向に進んでみたが、どうもおかしい。違うようなので、元に戻ってみた。今度は左方向へ行ってみようかと思ったが、思い直してもう一度ガードのところまで戻ってやり直してみようと思い、戻りかけたとき、左手に道があるのに気がついた。ガードからほぼ真っ直ぐに進む方向で横に小川が流れている。細い道だが舗装されており、山のほうへ向かっている。
これだ!と思ってそれを進む。そうすると舗装はすぐに終わり、山道になる。地面が湿っていてゆるい。所々で水が流れている。もう間違いない。そのまま湿った道を進んでいく。
いよいよ松子山峠に入ったのだ。時計を見ると13時8分だ。すぐにかなりの藪の中に入る。ただ道筋ははっきり見えるので歩きにくくはあるが、判断に迷うことはない。所々に「西国街道(旧山陽道)田万里へ←→西条へ」と紙に書かれビニールで覆った案内書がある。「東広島郷土史研究会 平成16年2月」となっているが、この紙が道を間違っていないという確認になって非常にありがたかった。
この道しるべは気がついただけでも4枚あった。おそらくこの会なのだろうが、一応道を整備してくれているようで、水が流れていそうなところには木を渡して橋のようにしてくれていたりしていた。藪の中、倒木もあったがこうして一応歩くことができるようになっているのは本当に助かる。進んでいくと前方左手に池があり、前にコンクリートの壁がある。ちょうど堤防のような感じだ。その前に水路の管のような感じで、コンクリートの段が突き出ているので、これを足場にして壁をよじ登ると、前方に池に沿って道が伸びており、これを歩いていく。
右手に「旧山陽道松子山峠」の石碑が立っている。峠に来たのだ。
13時42分だった。ここから道は益々しっかりしたものになってくる。石畳の場所もあった。
13時56分、峠の出口に到着する。峠に入って48分が経過していた。
出口に来ると舗装された道が左右に走っているので右折して緩やかな下り坂を下っていく。
右手に「カゴ松の碑」が立っている。昭和18年に枯死したため切り倒された巨大な往還松の後に立てられたもので、参勤交代の殿様も駕籠を止めて休んだので「カゴ松」と呼ばれるようになったということだ。
左手に「今宮神社」がある。ここに由来が刻まれた碑が立っており、これは辛うじて読むことができた。それによると「昔、陶器を行商する一老人が毎日今宮宮を通るとき、一匹の老牛がいて、食べ物を与えていたが、ある日病死していたので、哀れに思い、身体を撫でたところ小判になり牛満長者になった」というようなことが刻まれていた。
「旧山陽道歌謡坂一里塚跡」の石碑が左手に立っている。
小さな橋を渡り、吉士実と土与丸の信号を渡って進むと西条の町に入っていく。右手に賀茂鶴第八醸造場、その向こうに同じく第七醸造場の赤レンガの煙突が立っている。青空に映えてとてもきれいだ。このあたりは「酒造通り」と呼ばれ、酒蔵が並んでいる。
亀齢酒造の前では「万年亀井戸」と名づけられた水が流れている。また、その先にも同様に「天保井水」や「四日市冥加水」と呼ばれる各々の醸造元の水が流れており、これを汲みに来ている人がいた。私もいつもの事ながら一杯飲ませていただいた。
街道から少し入った右手に「西条四日市本陣跡」がある。ここは「旧山陽道最大の宿場として栄えたところで、全国の宿場には大名の泊まる宿がその土地の名家で営まれ、本陣といわれていたが、ここだけは重要な大宿駅だったので、浅野藩直営で御茶屋と呼ばれていた。建物は明治維新後に壊されたが、賀茂鶴の当主木村和平翁が正門を土地と共に払い下げを受けて保存してきた」と説明されていた。
15時11分、西条四日市本陣跡を通る。
本郷宿から12時間3分、60748歩、28.2km。
ここから少し離れた場所にある「安芸国分寺」へ行ってみる。ここは聖武天皇の勅令で天平13年(741)に国家鎮護、万民幸せのため国ごとに一寺院の建立を命ぜられ、安芸国分寺もそのときの建立で、当時は7堂伽藍35の僧房があり、国内無比の大道場で信仰を兼ねた行政府でもあった。
明治初年まで芸藩浅野家の祈祷所として代官の直支配下にあったと説明されている。金堂基壇が復元されており、仁王門と護摩堂は市の重要有形文化財に指定されている。
街道に戻って進むと右手に「ふじたストアー」があり、このあたりが脇本陣の跡ということだが、遺構も標識も残っていなかった。
15時40分、まだ時間が早かったが、先に進むには少し時間的に無理があるようなので、今日はここで終わることにする。
本日の歩行時間 8時間15分。
本日の歩数&距離 41219歩、26.1km。
7時25分にホテルを出発する。今日も快晴だ。
追分で2号線に合流して進み、しばらく歩くと2号線が右にカーブするところに、左斜めに旧道が伸びているのでここを歩く。7時42分だ。
草道が続いており、それに従って進んでいくと、左へほぼ直角に分岐する道がある場所に出た。資料を見ると、左に曲がっているようなので、ここかなと思って左折して進む。しかしどうも様子がおかしい。
2号線に沿って道は進むはずなのに、どんどん山の中へ入っていく。これは道を間違ったと気づき、元の場所に戻ってこれまで来た道の延長線上を直進して進むとその先で突き当たりに出て、そこで道は左折している。これで間違いないとこの道を進む。道は藪状態になっており、倒木もあって道を塞いでいたりしたが、間違いなく道は続いており、それに従って進む。前が開け、前方に家が見えるところに出たが、ブリキ板で道を遮断している。イノシシ除けなのだろうか。しかたがないのでブリキ板の横から何とか越えて家の前に出る。
道はここから二股に分かれており、右手に行く舗装された道は2号線に合流するようになっている。
まだ2号線に合流するのは早すぎるので、左手少し上り坂の草道を進む。右手にお墓が立っている。このあたりの方の墓地なのだろう。
ここもこれまで歩いた道と同様に藪があるものの道は続いているのでそれに沿って進む。
かなり歩いた後、再びきれいに草が刈られた道が右斜めに伸びており、ついそれに沿って歩いたが、ここでもイノシシ除けのブリキ板が立っており、その先は2号線に合流するようになっている。旧道を進むとサテライトの前に出るはずなので、ここも違うようだ。しかしこれまで歩いてきた道の前方は笹薮になっており、全く道らしきものがない。おかしいなと思いながらみていると、笹薮の先のほうはなんとなく歩くことができそうな感じがあるので、笹薮に突き進んでみた。ところがビッシリと笹が生えていて前に進めない。これではだめだと思い、他の場所を探すと少し横に、わずかだが笹がまばらになっているところがあったので、そこに入ってみた。そうするとものの5mも進んだだろうか、笹藪が途切れ、その先に道が続いている。ここもこれまでと同様の道で一応迷うことなく歩くことができる。やがて前方にサテライトの大きな建物が見えてきた。まず最初の難所を越えたのだ。8時20分にサテライト前に着く。旧道に入って38分経過している。
日名内上信号を渡ると、その前に道が伸びており、「旧山陽道」の標識が立っていたのでこれを進む。しばらく進むと右手にちょっとした広場があり、旧道はその広場の外周を回るようにして右に進んでいる。
ここも歩きやすい道で所々で石畳になっている。やがて空港への取り付け道路の高架下に出るので、これをくぐって進む。ここから瓦坂(河原坂峠と書かれた案内板もありました)に入る。
ここもきれいに草が刈られていて歩きやすかったが、かなりの笹が切られており、これが繁った状態であれば歩きにくいだろうと思った。切っていただいた方に感謝である。
やがて坂を下ると横大道の集落に出る。
右手に明治32年の道標「東大坂、西廣島」と刻まれている。
少し高いところを旧道が走っているので、左手の2号線を見下ろしながら歩いていく。坂になっているので棚田が広がっており、気持ちのいい道だ。昨日ホテルの方から聞いたところによると、この下を走っている2号線にコンビニがあり、そこを過ぎるともう食堂もコンビニもないということだったので、一旦旧道からはずれて2号線に降りていき、コンビニで昼食用のパンを購入する。確かにここ以降こういう店は全くなかったので、ホテルで聞いていて助かった。コンビニの先で再び右折して旧道に入るが、その少し戻ったところ、旧道の右側に「水ヶ谷神社」がある。ここの参道は竹林で囲まれていて気持ちがいい。もっとも参道を歩いているとすぐ前を蛇が横切っていった。まだこの時期でも蛇がいるのだ。まぁマムシでなければ問題はないのだが。
その先大橋の信号で2号線を横切って進み、四万里川に架かる大橋を渡ってすぐに右折して四万里川に沿って進む。山間の静かなたたずまいが続く。天気もよく気持ちがいい。左手に地蔵尊があり、その横に「旧山陽道」と書かれている。こうして案内があると道を間違っていないことがわかってホッとする。
更にその先に「いぼ地蔵」がある。
「旧山陽道 茗荷ノ清水」が左手にある。この先に「茗荷清水」という名前の清水があるはずで紛らわしいが、これとは別物だ。清水といっても今は澱んだ水溜りだ。
「旧山陽道田万里市旅籠跡(宿屋)」と書かれた案内板を掛けている家がある。ここは本郷宿と四日市宿の間の宿だったのだ。10時55分にここを通る。
その横に「明治時代最初の郵便取扱所、後の郵便局跡」と表示された家がある。旧い大きな家だ。
田万里橋で2号線に合流する。ここから2号線を少し歩いて、すぐ先の銀山橋を渡らずに2号線から分岐する道を歩いたが、ご近所の方によると、田万里橋の横にある地下道を通って2号線の向こう側に出、すぐに左折して2号線に沿って進み、銀山橋の少し先から私が歩いた道に合流する道が昔の道だと教えていただいた。ただ、いずれにしても僅かの距離だったので歩きなおすことはしなかった。
左手に「石立神社」がある。ここはチェックポイントとしていたところで、ここから約1kmほど先に茗荷清水跡があるからだ。時計を見る。1kmだから大体12~13分ほどで着くはずだ。
そしてまさにその時間に、左手に「茗荷清水跡」碑があり、「音に聞こえし茗荷の清水 三原の御前酒におとるまい」という文字が刻まれた石碑が立っていた。
ここで左へ分岐する道があるが、旧道はそちらへは行かず直進する。
ここからいよいよ松子山峠の入口への道となる。右手に一軒家があり、次の土蔵がある家との間に草道が右斜めに伸びているのでここを上って行く。
国道のバイバスがあり、ここは一方通行だ。右手に金剛岩橋があり、左手には休憩エリアがある。道を横断して進むのだが、車がすごいスピードで疾走してくるのでなかなか渡れない。ようやく途切れたので道を横断し、金剛岩橋のすぐ横から細い山道があるのでこれを上っていく。
。
今度は二本目の国道のバイバスに出るのでこれを横断するとすぐ前に舗装された道があり、これを進んでいく。
右手に上三永弟一会館があったので、ここの階段に腰を下ろして昼食のパンを食べる。丁度12時だった。その先左手に「大明神社」がある。門に垂らした注連縄の位置が低く、そのまま歩くと頭に引っかかりそうだった。
左手に池があり、右手にお墓が立っているところで道がY字路になっているので左方向へ進んでいく。その先で再び左へ行く道と直進する道に分かれている。見るとその先にもう一つ池があったので、地図と見比べてここは直進するのだろうと思って進むと、前に堤が立ちはだかった。階段がついているのでこれを登ってみたが、前に池が広がっていて行き止まりだ。どこかに道があるのではないかと思って探したが、それらしい道がなかったので、先ほどの分岐しているところまで戻って左方向の道を進んでみると、これが旧道だった。この道は舗装されており、気持ちのいい道だ。
やがて工事中の東広島自動車道があり、ガードがあるのでこれをくぐって進む。ここで何も考えず、道に沿ってぐるっと回って上に出るときれいな道路が左右に走っている。その前は工事中の自動車道だ。さて、左右に走っている道路のどちらに進めばいいのかがわからない。ひょっとみると「日向の一里塚」らしい塚がある。
これは復元されたもののようだが、整備されていないのでかなり荒れている感じだ。どちらに進めばいいかわからないのでとりあえず右方向に進んでみたが、どうもおかしい。違うようなので、元に戻ってみた。今度は左方向へ行ってみようかと思ったが、思い直してもう一度ガードのところまで戻ってやり直してみようと思い、戻りかけたとき、左手に道があるのに気がついた。ガードからほぼ真っ直ぐに進む方向で横に小川が流れている。細い道だが舗装されており、山のほうへ向かっている。
これだ!と思ってそれを進む。そうすると舗装はすぐに終わり、山道になる。地面が湿っていてゆるい。所々で水が流れている。もう間違いない。そのまま湿った道を進んでいく。
いよいよ松子山峠に入ったのだ。時計を見ると13時8分だ。すぐにかなりの藪の中に入る。ただ道筋ははっきり見えるので歩きにくくはあるが、判断に迷うことはない。所々に「西国街道(旧山陽道)田万里へ←→西条へ」と紙に書かれビニールで覆った案内書がある。「東広島郷土史研究会 平成16年2月」となっているが、この紙が道を間違っていないという確認になって非常にありがたかった。
この道しるべは気がついただけでも4枚あった。おそらくこの会なのだろうが、一応道を整備してくれているようで、水が流れていそうなところには木を渡して橋のようにしてくれていたりしていた。藪の中、倒木もあったがこうして一応歩くことができるようになっているのは本当に助かる。進んでいくと前方左手に池があり、前にコンクリートの壁がある。ちょうど堤防のような感じだ。その前に水路の管のような感じで、コンクリートの段が突き出ているので、これを足場にして壁をよじ登ると、前方に池に沿って道が伸びており、これを歩いていく。
右手に「旧山陽道松子山峠」の石碑が立っている。峠に来たのだ。
13時42分だった。ここから道は益々しっかりしたものになってくる。石畳の場所もあった。
13時56分、峠の出口に到着する。峠に入って48分が経過していた。
出口に来ると舗装された道が左右に走っているので右折して緩やかな下り坂を下っていく。
右手に「カゴ松の碑」が立っている。昭和18年に枯死したため切り倒された巨大な往還松の後に立てられたもので、参勤交代の殿様も駕籠を止めて休んだので「カゴ松」と呼ばれるようになったということだ。
左手に「今宮神社」がある。ここに由来が刻まれた碑が立っており、これは辛うじて読むことができた。それによると「昔、陶器を行商する一老人が毎日今宮宮を通るとき、一匹の老牛がいて、食べ物を与えていたが、ある日病死していたので、哀れに思い、身体を撫でたところ小判になり牛満長者になった」というようなことが刻まれていた。
「旧山陽道歌謡坂一里塚跡」の石碑が左手に立っている。
小さな橋を渡り、吉士実と土与丸の信号を渡って進むと西条の町に入っていく。右手に賀茂鶴第八醸造場、その向こうに同じく第七醸造場の赤レンガの煙突が立っている。青空に映えてとてもきれいだ。このあたりは「酒造通り」と呼ばれ、酒蔵が並んでいる。
亀齢酒造の前では「万年亀井戸」と名づけられた水が流れている。また、その先にも同様に「天保井水」や「四日市冥加水」と呼ばれる各々の醸造元の水が流れており、これを汲みに来ている人がいた。私もいつもの事ながら一杯飲ませていただいた。
街道から少し入った右手に「西条四日市本陣跡」がある。ここは「旧山陽道最大の宿場として栄えたところで、全国の宿場には大名の泊まる宿がその土地の名家で営まれ、本陣といわれていたが、ここだけは重要な大宿駅だったので、浅野藩直営で御茶屋と呼ばれていた。建物は明治維新後に壊されたが、賀茂鶴の当主木村和平翁が正門を土地と共に払い下げを受けて保存してきた」と説明されていた。
15時11分、西条四日市本陣跡を通る。
本郷宿から12時間3分、60748歩、28.2km。
ここから少し離れた場所にある「安芸国分寺」へ行ってみる。ここは聖武天皇の勅令で天平13年(741)に国家鎮護、万民幸せのため国ごとに一寺院の建立を命ぜられ、安芸国分寺もそのときの建立で、当時は7堂伽藍35の僧房があり、国内無比の大道場で信仰を兼ねた行政府でもあった。
明治初年まで芸藩浅野家の祈祷所として代官の直支配下にあったと説明されている。金堂基壇が復元されており、仁王門と護摩堂は市の重要有形文化財に指定されている。
街道に戻って進むと右手に「ふじたストアー」があり、このあたりが脇本陣の跡ということだが、遺構も標識も残っていなかった。
15時40分、まだ時間が早かったが、先に進むには少し時間的に無理があるようなので、今日はここで終わることにする。
本日の歩行時間 8時間15分。
本日の歩数&距離 41219歩、26.1km。
旅の地図
記録
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プロフィール
歩人
かっちゃん