奥州街道(奥道中)を歩く(仙台~青森)

2008年04月07日(月) ~2008年04月27日(日)
総歩数:788463歩 総距離:537km

2008年04月26日(土)

三厩~竜飛岬

                                  晴れ 

 朝、目が覚めるとまず一番最初に空を見上げた。もやっているが好天だ。ヨシ!と掛け声をかける。
 今日は距離が短いので少しゆっくりして8時5分に宿を出る。
 昨日通った280号線と339号線の境を過ぎていくと、左手前方の小高いところにお寺が見える。たぶん義経寺だろうと思ったが、念のため犬を連れて散歩をしている男性に確認すると、「そうだ」ということだった。その後に「新聞に載っていた二人だよね」と言われた。あの記事の影響がまだ残っているのだ。
 お寺に登る前に大きな岩があったのでそちらのほうへ行ってみた。これが「厩石」だった。
 文治5年(1189)衣川の高舘で藤原泰衡に急襲された源義経は、館に火をかけ自刃したといわれているが、実は義経は生きていた! 
 藤原秀衡が残した「もし危難が身に迫るようなことになったら館に火をかけ、白刃を粧って遠く蝦夷が島(北海道)へ渡るべし」という遺言に従って義経は北を目指してこの地にたどり着いた。近くに蝦夷が島を望むが、荒れ狂う津軽海峡が行く手を阻んで容易に渡ることができない。義経は海岸の奇岩上に座して三日三晩日ごろ信仰している観世音に波風を鎮め、渡海できるように祈ったところ、満願の暁に白髪の翁が現れ、三頭の龍馬を与えるのでこれに乗って渡るがよいといって消えた。
 翌朝、岩穴に三頭の龍馬が繋がれ、海上は鏡のように静まっていて義経は無事蝦夷が島(北海道)へ渡ることができた。以降、この岩を厩岩、この地を三馬屋(三厩)と呼ぶようになったと説明されていた。
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 この厩石の前に松前街道終点の碑が立っていた。昨日はここまで来なかったので自分勝手に物足りなさを感じていたのだが、この碑をみてようやく納得した。早速お互いに写真を撮り合う。
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 すぐ横に「源義経龍神塔」と「静御前龍神塔」が立っていた。2008042603 
 ここから「義経寺」に階段を登っていったが、この階段はかなりきつかった。このときは朝早いということもあって人はだれもいなかったが、帰途もう一度ここに来てみると遍路姿の人がかなりの数お参りにこられていた。
 ここには観音堂開山当初からあったと思われる樹齢三百有余年の松の木が立っていた。二本並んで立っていたので夫婦松ともいわれ、また、沖ゆく船の格好の目印となり、嵐の中をさまよう船を港に導きいれたという言い伝えから「燈明の松」ともいわれていたが、落雷が原因で枯れてしまったので、今では切り株が残っているだけだ。
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 右手に義経海浜公園というまだ新しい施設がある。ここを進んでいるときに会社の人間が追いついてきた。彼らはわが社の大宮にある開発センターに勤務しているのだが、(一人は九州勤務だが会議で大宮に来ていたとのこと)、わざわざここまで来てくれ、一緒に竜飛岬に立つことにしている。彼らは車で移動しているので荷物を預ける。
 このあたりは海岸スレスレまで岩がせり出してきており、海岸線との僅かの間に道が通り、その道に沿ってほぼ一列に家が軒を連ねている。
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 空は薄いもやがかかっており、視界はあまりよくない。北海道がもう見えるはずだと思うが、もやっていて見ることができない。
 元宇鉄あたりを歩いているとき、三好さんが「田酒」があると書いているといわれた。みると酒屋があり、そこに「田酒入荷しました」という張り紙が下がっている。早速入って購入することにしたが、店のオバサンの話では昨日3本だけ入ったということだった。三好さんと各一本ずつ購入し家のほうに送ることにする。これは何よりの土産ができたとうれしくなる。帰って飲む楽しみが増えた。
 岬まであと1kmというところで鐙さんから電話が入る。鐙さんも都合をつけてここまで来ていただいたのだ。話をするとすぐ近くにおられたので合流する。鐙さんにはスタートする前から随分お世話になっていたが、旅の最後もこうして一緒に迎えることができてとてもうれしかった。
 やがて竜飛岬に到着、全国で唯一といわれる階段国道339号線を登る。入口はこれが国道?と思うほど狭い道で民家と民家の間の細い路地のようなところを通っている。ただ道には目印なのだろうか色が塗られている。
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 何段あるのだろうかと思って数えながら登っていくが、途中で階段を下ってきた人たちと挨拶を交わしたりして登ったのでちょっと間違ったかもしれない、と思いながらそれでも数えていると370段だった。上に出てみると表示板があり362歩となっていた。途中に段差のあまりない箇所があったので、それを数えるかどうかで差になって出たのだろう。全長388.2m、標高差70mとなっていた。
 ここから先は階段村道になっていて、国道よりもきれいな階段が岬の頂上まで続いていた。
 頂上に出てみると前方に風力発電の風車が11基立っていたが、今日は風が強すぎるためか風車は回っていなかった。この風車はすでに使用予定期間を過ぎており、取り壊すという話もあったようだが、地元が反対をして現在に至っているということだった。風力発電の草分け的存在だったそうだ。
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 11時40分、竜飛岬に立つ!
 三厩から3時間35分、19760歩、11.9km。

 遂にやった!これで北海道宗谷岬から竜飛岬を経由して京都三条までが繋がったことになる。感動である。この気持ちが何物にも変えがたいものなのだ!
 頂上には太宰治や吉田松陰の碑が立っている。彼らもここに立ってこの風景を眺めたのだと思うとなんともいえぬ感慨が湧き起こってくる。あいにく北海道はもやっていて見ることができなかったが、でも、十分満足した。
 頂上で三好さんと堅い握手をして記念写真を撮り、その後皆で一緒に写真を撮る。いい気持ちだ。そしてわざわざここまで来てくれた4人に感謝です。
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 頂上の売店でお店の女性から新聞を見たといわれ、話をしているうちに買うつもりのなかったお土産を買ってしまった。
 少し下ったところに石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の歌碑が立っていた。ここを見ていると元気のいいおばチャンが話しかけてきた。会社の連中のことを若いのにしっかりとしていてとても感心だとえらく褒める。この人も新聞を読んだのかな?と思ったが、新聞に載っていないことも知っている。おや?と思っていると、なんのことはない、会社の連中が先にここに来ていて、色々とオバちゃんに話をしていたのだった。オバちゃんと記念撮影をして、そして、やはりというべきか、「お土産を買ってちょうだい」ときた。もう断れる雰囲気ではなくなっている。仕方がないのでここでもお土産を買う。もう歩かないから荷物が増えても大丈夫ではあるが、それにしても商売上手なオバちゃんだった。
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 帰る途中で行きがけに寄った義経寺にもう一度立ち寄る。
 青森からあれだけ時間をかけて歩いてきたのに、車ではあっという間だった。
 今晩は皆、青森のルートインに宿泊することになっている。
 夜、先日来お世話になった田中さん、元気町あぶらかわ街づくり委員会の木村委員長、中崎事務局長、初めてお会いする阿部さんと斉藤さん、そして鐙さん、会社の人間3名の11人で踏破祝賀会を開いていただいた。
 ここで田酒が出たが一本瞬く間に空いてしまった。そして南八甲田の伏流水で醸造したという初駒というお酒も飲むことができた。お酒もおいしかったし、新鮮な魚も最高、談論風発もまた楽しかった。数多くの方々に触れ合うことができた奥州街道の旅を締めくくるにふさわしい最後の夜だった。

 本日の歩行時間   3時間35分。
 本日の歩数&距離  19760歩、11.9km。

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