2008年04月24日(木)
青森~JR後潟~蓬田~蟹田~平館
曇り
青森から昨日歩いた後潟までJRで行き、8時30分に歩き始める。 このあたりの280号線は朝早いこともあってか、車が少ないし人影は全くない。とても歩きやすい環境だ。歩き始めたときは曇り空だったが、ものの20分もしないうちに雨がポツポツと落ちてきたので、私は傘を出し、三好さんは合羽を着る。今日は結局このまま終日雨だった。
左手に「正法院」がある。ここは松前藩主の休憩所だったということだ。このあたりを参勤交代で通るのは松前藩しかなかったので本陣などというものはなく、お寺がその役を担っていたのだろう。当時は通行する人が少なかったのでこれといった遺構もなく、雨の中を淡々と歩く。
道路の両側に家が軒を連ねているが、右手その向こうは海、左手はJRの線路が走っており、その向こうは田んぼで、遠くに山が見える。このあたりの地図を見たとき浮かんだイメージは海岸線まで山が迫り、わずかな平地にJRが走っており、その周囲だけに家が立っているというものだったが、意外に平地が広がっていた。
JR中沢駅を左手に見ながら進むと、すぐに蓬田駅がある。このあたりの駅は間隔がかなり短いようだ。
蓬田駅の少し先に松に囲まれた稲荷神社があり、そのすぐ横に蓬田村役場があった。
蓬田宿も遺構が残っていないのでここでカウントする。
9時50分、蓬田宿を通る。
油川宿から3時間31分、14km。
スポーツガーデンという広場があったので休憩をとり、再び歩き始めたが、このあたりから急に車が多くなってきた。蓬田バイパスという表示板があったのでその関係なのだろう。狭くて歩道のない道を車が容赦なく水しぶきを上げてすぐ横を通り過ぎていく。
蓬田を出て蟹田へ向かう道は左に山が迫り、右は海。その間にJRの線路と道路が通っている。当初思い描いたとおりの道だ。昔の人もこの海際の道を歩いたのだろう。昔は道路や宿泊場所、食事をする場所等全てのインフラが不十分だったので、旅をするときは大変だっただろうと思うが、唯一当時は車がなかったので、このようにヒヤヒヤしながら歩く必要はなかっただろうななどと思いながら歩く。
この道は晴れていると見晴らしがよくて景色はいいのだろうが、あいにくの雨で視界は開けず、すぐ横を車が水しぶきを上げて疾走しているのでカメラを取り出す気にもならない。
それにしても車が多い。一体、この車はどこからきてどこへ行くのだろう。
蟹田に来る。ここの町役場は街道から少し離れたところにあるので、郵便局前でカウントする。今日歩いた宿場はどこもそうだったが、遺構は全く残っていない。
11時47分、蟹田宿を通る。
蓬田宿から1時間57分、11802歩、7.7km。
蟹田で昼食を摂る。食事ができる店は二軒しかないようだった。ここでもホタテ定食を食べる。宿では意外にホタテが出ないので昼食はホタテの連続だ。
蟹田の町を抜けると左手、小高いところに海浜の森(観潤山公園)がある。このあたりは観光の名所らしく、太宰治の碑もあるようだが、雨が降っていて見晴らしもないので登って行く事はやめる。道の右側の海辺はきれいに整備された公園になっていた。
少し先に国道から別れ、左斜めに進む道がある。ここが旧道のようなのでこちらを歩く。道は国道と併行して続いているが、国道との間に所々船留りがあり、漁船が係留されている。町にも漁船の中にも人影がない。シトシトと降り続く雨、静かだ。旧道は車がほとんど通らないので余裕が出てくる。つい「し~らない町を歩いてみた~い♪、どこか遠くへ行きたぁ~い♪」という歌詞が口をついて出てくる。一隻の漁船が急にエンジンの音を響かせながら波を蹴立てた走り始めた。これから漁に出かけるのだろうか?
旧道はかなりの距離続く。地図を見るとこれほどには続いていないように感じられたので、一旦国道に出てみると「松前街道」と刻まれた石碑が立っていた。ただ左手小高いところを道が通っているのが見える。おそらく現在の国道280号線は昔は海の中で、切り立った崖の上を通っている道が旧道だったのではないかと思った。
やがて見えていた旧道も国道に合流するが、その角に「塩越神社」が立っていた。縁起は何もなかったので由来はわからなかったが、資料によると津軽藩は揚浜式塩田開発に成功し、塩焼場を設けていたことからこのあたりを「塩越」と呼ぶようになったとされているので、その関係なのだろうと推測する。
その横にちょっとした谷川が流れており、蟹田町、平館村町村境界と書かれた木杭が立っていた。
竜飛岬まで46km、三厩まで34kmと書かれた道路標示がある。もうゴールまですぐそこだ。がんばれ!
やがて野田集落に入る。この集落はかなり大きな集落だ。おじさんがおられて、「竜飛まで歩くのかね、最近は歩いている人が多いよ」といわれていた。
陸奥平館郵便局があったのでここでカウントする。
15時50分、平館宿を通る。
蟹田宿から4時間3分、20222歩、12.7km。
ここから左折して今日の宿である不老不死温泉に行く。この温泉は約300年前からあったといわれ「津軽一統志」にも「平館の根子の湯」と記録されている、津軽半島最古の歴史を持つ温泉ということだ。不老不死のいわれは約2200年前秦の始皇帝の臣、除福が帝の命を受け、日本に不老不死の霊薬を求め、この地にも来たと伝えられているそうだ。ところが宿について看板を見ると「不老ふ死温泉」となっている。何故「不老不死」ではなく「不老ふ死」なのだろうかと思って女将さんに聞いてみると「不~、不~」と続くと中国ではよくないといわれているので「不老ふ死」としたのだといわれていた。
今日は終日雨の中を歩く。これといった遺構もなく、唯々ひたすら黙々と歩いた一日だった。明日はいよいよ奥州街道の終点三厩到着だ。
夕食にホタテが出た!これでホタテも食べ納めかな?
本日の歩行時間 7時間20分
本日の歩数&距離 40637歩、26.3km。
青森から昨日歩いた後潟までJRで行き、8時30分に歩き始める。 このあたりの280号線は朝早いこともあってか、車が少ないし人影は全くない。とても歩きやすい環境だ。歩き始めたときは曇り空だったが、ものの20分もしないうちに雨がポツポツと落ちてきたので、私は傘を出し、三好さんは合羽を着る。今日は結局このまま終日雨だった。
左手に「正法院」がある。ここは松前藩主の休憩所だったということだ。このあたりを参勤交代で通るのは松前藩しかなかったので本陣などというものはなく、お寺がその役を担っていたのだろう。当時は通行する人が少なかったのでこれといった遺構もなく、雨の中を淡々と歩く。
道路の両側に家が軒を連ねているが、右手その向こうは海、左手はJRの線路が走っており、その向こうは田んぼで、遠くに山が見える。このあたりの地図を見たとき浮かんだイメージは海岸線まで山が迫り、わずかな平地にJRが走っており、その周囲だけに家が立っているというものだったが、意外に平地が広がっていた。
JR中沢駅を左手に見ながら進むと、すぐに蓬田駅がある。このあたりの駅は間隔がかなり短いようだ。
蓬田駅の少し先に松に囲まれた稲荷神社があり、そのすぐ横に蓬田村役場があった。
蓬田宿も遺構が残っていないのでここでカウントする。
9時50分、蓬田宿を通る。
油川宿から3時間31分、14km。
スポーツガーデンという広場があったので休憩をとり、再び歩き始めたが、このあたりから急に車が多くなってきた。蓬田バイパスという表示板があったのでその関係なのだろう。狭くて歩道のない道を車が容赦なく水しぶきを上げてすぐ横を通り過ぎていく。
蓬田を出て蟹田へ向かう道は左に山が迫り、右は海。その間にJRの線路と道路が通っている。当初思い描いたとおりの道だ。昔の人もこの海際の道を歩いたのだろう。昔は道路や宿泊場所、食事をする場所等全てのインフラが不十分だったので、旅をするときは大変だっただろうと思うが、唯一当時は車がなかったので、このようにヒヤヒヤしながら歩く必要はなかっただろうななどと思いながら歩く。
この道は晴れていると見晴らしがよくて景色はいいのだろうが、あいにくの雨で視界は開けず、すぐ横を車が水しぶきを上げて疾走しているのでカメラを取り出す気にもならない。
それにしても車が多い。一体、この車はどこからきてどこへ行くのだろう。
蟹田に来る。ここの町役場は街道から少し離れたところにあるので、郵便局前でカウントする。今日歩いた宿場はどこもそうだったが、遺構は全く残っていない。
11時47分、蟹田宿を通る。
蓬田宿から1時間57分、11802歩、7.7km。
蟹田で昼食を摂る。食事ができる店は二軒しかないようだった。ここでもホタテ定食を食べる。宿では意外にホタテが出ないので昼食はホタテの連続だ。
蟹田の町を抜けると左手、小高いところに海浜の森(観潤山公園)がある。このあたりは観光の名所らしく、太宰治の碑もあるようだが、雨が降っていて見晴らしもないので登って行く事はやめる。道の右側の海辺はきれいに整備された公園になっていた。
少し先に国道から別れ、左斜めに進む道がある。ここが旧道のようなのでこちらを歩く。道は国道と併行して続いているが、国道との間に所々船留りがあり、漁船が係留されている。町にも漁船の中にも人影がない。シトシトと降り続く雨、静かだ。旧道は車がほとんど通らないので余裕が出てくる。つい「し~らない町を歩いてみた~い♪、どこか遠くへ行きたぁ~い♪」という歌詞が口をついて出てくる。一隻の漁船が急にエンジンの音を響かせながら波を蹴立てた走り始めた。これから漁に出かけるのだろうか?
旧道はかなりの距離続く。地図を見るとこれほどには続いていないように感じられたので、一旦国道に出てみると「松前街道」と刻まれた石碑が立っていた。ただ左手小高いところを道が通っているのが見える。おそらく現在の国道280号線は昔は海の中で、切り立った崖の上を通っている道が旧道だったのではないかと思った。
やがて見えていた旧道も国道に合流するが、その角に「塩越神社」が立っていた。縁起は何もなかったので由来はわからなかったが、資料によると津軽藩は揚浜式塩田開発に成功し、塩焼場を設けていたことからこのあたりを「塩越」と呼ぶようになったとされているので、その関係なのだろうと推測する。
その横にちょっとした谷川が流れており、蟹田町、平館村町村境界と書かれた木杭が立っていた。
竜飛岬まで46km、三厩まで34kmと書かれた道路標示がある。もうゴールまですぐそこだ。がんばれ!
やがて野田集落に入る。この集落はかなり大きな集落だ。おじさんがおられて、「竜飛まで歩くのかね、最近は歩いている人が多いよ」といわれていた。
陸奥平館郵便局があったのでここでカウントする。
15時50分、平館宿を通る。
蟹田宿から4時間3分、20222歩、12.7km。
ここから左折して今日の宿である不老不死温泉に行く。この温泉は約300年前からあったといわれ「津軽一統志」にも「平館の根子の湯」と記録されている、津軽半島最古の歴史を持つ温泉ということだ。不老不死のいわれは約2200年前秦の始皇帝の臣、除福が帝の命を受け、日本に不老不死の霊薬を求め、この地にも来たと伝えられているそうだ。ところが宿について看板を見ると「不老ふ死温泉」となっている。何故「不老不死」ではなく「不老ふ死」なのだろうかと思って女将さんに聞いてみると「不~、不~」と続くと中国ではよくないといわれているので「不老ふ死」としたのだといわれていた。
今日は終日雨の中を歩く。これといった遺構もなく、唯々ひたすら黙々と歩いた一日だった。明日はいよいよ奥州街道の終点三厩到着だ。
夕食にホタテが出た!これでホタテも食べ納めかな?
本日の歩行時間 7時間20分
本日の歩数&距離 40637歩、26.3km。
旅の地図
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プロフィール
歩人
かっちゃん