奥州街道(奥道中)を歩く(仙台~青森)

2008年04月07日(月) ~2008年04月27日(日)
総歩数:788463歩 総距離:537km

2008年04月07日(月)

福岡~仙台~七北田

                           曇り
 福岡を8時30分の便で出発。今日から奥州街道の後半戦に挑戦だ。
 当初は5月に歩くことを考えていたのだが、5月になると旧道は草に覆われて歩くことができない場所が出てくると聞き、急遽4月に歩くことにしたのだ。これは実際歩いてみて正解だったと思う。
 飛行機はローカル線に就航しているMD81。福岡~仙台は一日に二便しかないので乗客はあまり多くないのだろう。搭乗してみると163の座席に空席がかなり目に付く。搭乗率60%ほどか。
 機内では新聞を読んだ後しばらく眠っていたようだ。目が覚めてふと下を見ると、日本アルプスと思われる山々が見え、真っ白に雪を被っている。東北地方の寒さはどの程度なのだろうとこれから歩く場所のことに思いを馳せる。
 仙台空港に10時10分に到着。薄曇りなので歩く上では好都合だ。機内のアナウンスで気温は8℃と言っていたがそれほど寒さは感じない。空港からJR仙台駅までは仙台空港アクセス鉄道が走っており、25分ほどで仙台駅に着く。以前仙台空港を利用したときは、この鉄道はなかったと思って調べてみると、2007年3月18日に開業したということだ。
 今回は三好さんといわれる東京在住の方とご一緒に歩くことになっている。この方は前回歩いた時に福島でお世話になった渋谷さんを通してご紹介を受けた方で,何度かメールを交換して今日仙台で落ち合うことにしているのだ。また今日は歩く上で必要な色々な資料を提供していただき、お世話になった無明舎出版の鐙さんとも合流することにしている。仙台駅に着いて合流場所である電力プラザへ向かいかけた時、三好さんから電話が入った。早めに着いたので青葉城に行っており、これから電力プラザへ向かうということだった。電話を通して聞こえる声は、歯切れが良くしっかりとされている方だなという思いを抱く。考えてみればこの時初めて電話でお話をしたのだった。
 場所はすぐ分かり三好さんと合流。三好さんは175cm、74kgという、がっしりとした体格で、第一印象では非常に温厚な方だと思った。そしてこの思いは最後まで変わることはなかった。
 少し遅れて鐙さんと無明舎の富山さんも合流する。鐙さんとはこれまでに何度か電話でお話をさせて頂いており、実際にお会いしても想像通りの飄々とされた方で、初対面なのにそのお人柄にすっかり魅せられてしまった。
 四人で昼食を共にしたが、その間に昨年仙台まで歩いた時にお世話になった、とうほく街道会議の島谷さんに電話を入れ、再び歩き始めることをご連絡する。
 13時、前回歩いた「芭蕉の辻」に立つ。島谷さんもお忙しい中おいでになって、ここで記念撮影をする。仙台藩では芭蕉の辻から南の奥州街道を「江戸往還道」や「江戸道中」と呼び、ここから北を「奥道中」と呼んだそうだ。長い奥州街道の区切りの場所で、後半戦と呼ぶにふさわしい所からの出発だ。島谷さんから「美味し国伊達な旅」というお守りを頂き、三人に見送られて一路北へと向かう。
2008040701 
 途中元禄8年(1695)創業という仙台駄菓子の老舗熊谷屋や、これも歴史を感じさせる横山味噌醤油店の前を通って進むと、左手に検断屋敷の古い建物がある。表札がかかっていたが、人が住んでいるのかどうかはわからなかった。
2008040702 
 突き当たったところに「青葉神社」がある。ここは明治7年(1874年)藩祖伊達政宗公を祭神として創建されたところで、本殿内には夫人を祀った愛姫神社もある。大きな神社だ。
2008040703 
 ここから右折すると支倉常長の墓がある光明寺があり、そのすぐ先に弘安2年(1279)伊達4世「政依」が福島県伊達郡に勧請し、仙台藩祖政宗公の仙台築城にあたり、慶長12年(1607)別当寺である光明寺と共に現在地に遷座されたという、鹿島香取神社がある。境内には馬頭観音や庚申塔が立っている。
 JR仙山線の踏切を渡り進んでいくと堤町に入る。ここは「堤焼」の町として知られたが、今では全て廃業し、唯一「堤町まちかど博物館 堤焼佐大ギャラリー」があった。中に入ってみると、日常生活に使う雑器類が置かれていたが、声を掛けてもだれも出てこなかった。
2008040704 
 ここから道は22号線に沿って北上していく。資料には明治天皇巡幸記念碑があるとなっていたので、二人で大分探したが見つからなかった。
 「仙台藩七北田刑場跡」がある。この刑場は百姓や町人などの罪人が対象で、明治維新まで178年に渡り、磔、火あぶり、斬首、獄門などの刑が執行され、処刑された人は延べ5300人とも7000人ともいわれているそうだ。
 これまで街道を歩いてきて、どの街道にも必ずこうした刑場跡があったが、そのいずれも街道に面していた。いわゆる公開処刑といったものだったのだろうか。昔のことゆえ、現在では取るに足らない罪や理不尽な罪、あるいは冤罪で処刑されていった人が多かったのではないかといつも思ってしまう。ご冥福を祈るばかりである。
2008040705 
 地下鉄八乙女駅のところで22号線と分かれ、Y字路を右側に進んでいく。ここに一里塚があるように資料ではなっていたが、これもわからなかった。
 七北田川を渡って進むと、左手に「善正寺」がある。桜が咲いているがまだ三分咲きといったところか。九州を出るときはすでに満開を過ぎていたのでその差を感じる。これ以降ずっと桜前線の少し先を歩き、最後の青森で追いつかれたという感じの今回の旅だった。
2008040706 
 このあたりが七北田宿のあったところのようだが、遺構は何も残っていないので、ここでカウントすることにする。
 14時49分、七北田宿を通る。
 芭蕉の辻から1時間49分、9953歩, 7.9km。
 ここで一呼吸入れて再び歩き始める。

 「日露戦役記念碑」が立っている。裏を見ると明治40年に立てられていて戦死された方々の名前が一面に刻まれており、「露西亜帝国ハ東洋ノ平和ヲ乱シテ我帝国ノ存在ヲ危ウセントスル・・・云々」という文字も刻まれていた。どのような戦争にもそれぞれに大義名分というものはあるものだが、それが正しかったかどうかは後世歴史が決めるものだろう。
2008040707 
 このあたりは高速道路のICができていて、旧道の面影はなくなっている。そのため道を間違わないように注意しながら進んでいくと、今日の宿であるチサンイン仙台泉センターがあった。今日は当初富谷まで行く予定にしていて、富谷に一軒だけあったホテルを宿泊場所に考えていたのだが、三好さんが調べてみると、そのホテルはなんとラブホテルということがわかり、急遽変更してこのチサンインにしたのだ。いくらなんでも男性との同衾だけは絶対イヤだということでお互いの意見は一致している。今夜は皆さんに激励会を開催していただいたので、富谷まで行くとかなりの距離になっており、色々な面でこのホテルでよかったと思った。
 ここで一旦荷物を置いて一息入れ、まだ時間が早いので先へ歩き始める。少しでも前へ進むという気持ちは二人とも共通しており、この面でもその後の歩きで意思統一がとりやすかった。
 富谷町に入ってすぐの所、国道4号線の右手に「大清水石盥」がある。ここは1960年ごろまで清水がコンコンと湧き出ていたところで街道を行く人々の喉を潤し、心身の疲れを癒していたということだ。ここには言い伝えがあって、新妻豊前という武士が病気で倒れた家臣の喉を潤すため、持っていた槍の先で岩を掘ったところ、冷水が湧き出したといわれているそうだ。仙台藩五代藩主伊達吉村が、狩の途中でこの清水をしばしば利用したとも説明されていた。
2008040708 
 富谷町熊谷の信号まで歩いて、16時32分にタクシーでホテルに戻る。
 宿に帰って急いで洗濯をする。荷物を少なくするためワンセットしか着替えを持っていないので、毎日の洗濯は必須なのだ。もう一つの必須作業である日記をあらかた書いて、18時に泉にある「だんまや水産」という店にいく。
 ここでは鐙さんをはじめ、みやぎ街道交流会の高倉会長、山屋事務局次長、佐藤事務局長代理、日下事務局次長、Rプランニングの水戸部社長、宮城大学の宮原教授が集まってくださり、奥州街道踏破へ向けての激励会を開いていただいた。
 皆さん街道にはお詳しい方ばかりなので、最初はまず資料では分かりにくい場所の説明を受けた。旧道を歩くことができるのかどうか不明な部分があったのだが、この場でそのかなりの部分を解消することができ非常に助かった。三好さんは事前調査を綿密にされており、詳細な資料を作っておられた。そのことで歩く際、助けられたことが幾度となくあった。
 みやぎ街道交流会は法人格を持たない任意団体で、50名ほどが会員になっており、2~3ヶ月に一回会報を出し、年に一回は大会を開催をしているということだった。皆さん職業も年齢もバラバラだったが、雰囲気は和気藹々だ。
2008040709 
 三好さんは昨年盛岡と栗原で開かれた奥州街道会議に参加をされて、今年歩く場所の事前調査をされており、そのときに何人かの方とお会いになられていたようだ。私は昨年仙台まで来た際、帰る直前に全く偶然に高倉会長をご紹介していただいてお会いし、会長から鐙さんをご紹介していただいたのがご縁で今日を迎えたわけで、鐙さんをはじめその他の方々とは今回初めてお会いしたのだ。それでも初対面の堅さはなく、すんなりと話の輪に入っていくことができた。
 佐藤さんがご自宅で醸造されたというお酒を持ってこられていておいしく頂いたが、そのことから青森にある「田酒」という銘酒の話が出る。このお酒を全く偶然に旅の最終日で入手できることになるとは、この時思ってもみなかった。
 最後は山屋さんの伊達の三本締めで〆ていただき、とてもいい集まりに参加させていただいたと思うと同時に、思いがけない激励会だったのでとてもうれしく思った。これまでいくつか街道を歩いてきたが、このように激励会をしていただいたのは初めての経験だった。
 それにしても三好さんの用意周到さはすごいと思う。私は事前調査など全く念頭になく歩く上での必要な調査はするものの、後は「まぁ、なんとかなるさ」というぶっつけ本番派なので驚いてしまった。このように準備のやり方一つにしても全く異なる二人だが、それぞれにいい点があり、それが今回の旅ではうまく作用して順調に旅を続けることができたのではないかと思っている。
 そしてこの夜の集まりが契機となって、これから行く先々で激励会の連鎖を生むことになっていったのである。そのことが今回の旅の素晴らしさを倍増させることになる。これがご縁というものだろうか。

本日の歩行時間    3時間32分
本日の歩数&距離   24295歩、15.2km。

旅の地図

記録

プロフィール

かっちゃん
歩人
かっちゃん