2007年10月08日(月)
宇都宮~徳次郎~大沢~今市
曇り時々雨
7時15分に出発する。雨が少しぱらついている。今日の予報は雨。何とかひどくならないように祈りながら出発したが、結果としてたいしたことはなくありがたかった。
奥州街道との追分を過ぎると間もなく下戸祭の一里塚があるはずなのだが、遺構は何も残っておらず場所の特定はできなかった。119号線に沿って歩く。細谷の歩道橋あたりから並木が道の両側に立っていて、歩道は並木の外側を歩くようになっているので歩きやすい。桜や杉、それ以外の木も混じっているが立派な並木通りだ。
上戸祭一里塚がある。ここは両塚残っており日本橋から28里目だ。
将軍が日光へ参拝するときに休息所となった「光明寺」がある。門を入るといきなりご詠歌がテープから流れてきた。センサーを設置しているようだがちょっと驚いた。境内にはビルマの鐘というものがあり、この鐘を打って戦没精霊に感謝し、ご冥福と世界平和を祈念しましょうと書かれている。すぐ横にはぼけ封じ観音があったので、これにはボケませんようにと気持ちを正して心の中で手を合わせた。それにしても守備範囲の広いお寺だ。
高谷林一里塚を通る。ここは両塚ともに残っている。日本橋から29里目の一里塚だ。
並木道が続いている。誰もいない。柿の実が色づき始めており、栗の実が道沿いに数多く落ちている。並木の中にイチョウの木が混じっていて、銀杏が道路一杯に落ちている。秋を感じさせるなぁ。
りんごの直販店があったので入っていき、一個だけ買った。ここでしばらくお店の方と話をして出かけようとすると、もう一個おまけにくれたのでありがたく頂き、かぶりつきながら歩く。りんごはカバンに入れると重いが、おなかに入れると重さを感じないから不思議だ、などと考えながら歩く。
このあたりには18軒のりんご農家があり、20町歩のリンゴ園を持っているということだった。
徳次郎宿を通る。この宿は下徳次郎、中徳次郎、上徳次郎という三宿で一宿をなし、一ヶ月の上10日を中、中10日を上、下10日を下徳次郎宿が各々担当したということだ。
ここは本陣の遺構はなく、「神社入口」「田中道」と刻まれた田中道道標があったのでここでカウントする。
徳次郎宿。10時02分。
宇都宮宿から2時間42分、16291歩(約10.7Km)。
「知賀都神社」がある。ここには入口に樹齢700年という二本の大きな欅が立っている。「長寿の夫婦ケヤキ」と命名をされており、昭和29年に県の天然記念物に指定をされている。ここで写真を撮ったり、説明書きを読んだりしていると、一人のお年寄りが寄ってこられて色々と説明をしてくれた。この方は近くにある「高齢者ケアセンター」に入居されていて、散歩の途中ということだった。
しばらく行くと旧道は車道の横、少し小高くなっているところを歩く。道の横にはりんご畑があり、色づいたりんごが一杯なっていた。
石那田の一里塚がある。日本橋から30里のここは片方の塚が残っており、きれいに整備されていた。
「お願い地蔵」がある。赤い布を巻きつけて座っており、前に三つの石が置いてある。この石仏は享保15年(1730年)八代将軍吉宗公の時代に疫病が流行したため、この石仏が作られたそうで、身体の悪い箇所と石仏の同じ箇所に赤い布をまくと回復するといわれた、ということで現在も赤い布でくるまれている。
また願をかけて石仏の前に置かれた三つの石のうちの一つを持ち上げ、それが軽ければ願いが叶うともいわれているそうなので、早速私も挑戦した。さてまず願い事を、と思うのだがこれが出てこない。色々と考えたが出てこないので、とりあえず奥州街道を無事踏破できますようにと祈って、一番重そうな真ん中の石を持ち上げてみると、簡単に持ち上がった。ただこれが軽いといえるのかどうかは判断に苦しむ。まぁ持ち上がったから良しとしよう。それにしても引退をした後は願い事がないという現実を改めて突きつけられた感じだ。もっともこれを幸せと理解している自分がいる。
結局今回足の痛みに耐えながら無事仙台まで歩きとおすことができたのは、この石仏のお陰かもしれない。
ここから少し行ったところに上小池の一里塚があるはずなのだが見つからない。道に面した家に人の顔が見えたので、声を掛けて聞いてみるとわざわざ玄関から出てこられて、昔は表示板があったが、今ではそれもなくなっており、よくわからないと返事をしてくれた。今回の道中で何回も感じたことなのだが、こちらから聞いたことに対して皆さんとても親切に対応していただいた。東北の方の人間性というものだろう。
「杉並木寄進碑」がある。松平正綱、信綱親子が二十数年かけて寄進をしたそうで、ここから今市まで杉並木が続く。歴史を感じさせる巨木がずらりと並んで立っている。
並木道を一旦でて大沢宿へ入る手前、信号大沢のところで又失敗をしてしまった。五叉路になっていて道を間違えてしまい、進行方向に向かって左側の道に進んでしまったのだ。どうもおかしいのでちょうどあったコンビニに入って道を聞くと、やはり間違っていた。歩いていた道はバイパスへ向かう道だったようだ。 マメができて痛む足を引きずりながら来た道を引き返す情けなさ、もう最悪だった。しかもこの少し前から両足のかかと部分に新しくマメができていて、これがとても痛い。両足の小指と親指にもできているので、足の前と後ろにマメができているわけで、歩くのが大変だ。小指や親指という足の前の部分と後ろのかかと、どちらがより痛いか試してみると、新しくできたかかとのマメのほうが小指や親指のマメよりもはるかに痛い。そのため今市までの約10km弱かかとを浮かしてつま先で歩いたが、これはかなりきつかった!
大沢宿も遺構はないので王子神社のあたりでカウントする。
13時55分。徳次郎宿から3時間53分、17534歩(約10.1Km)。
ここから先に水無の一里塚があるはずだが、これもわからない。通りかかった人に聞いてみたがわからないということだった。
「七本桜の一里塚」がある。右側の大きな杉の幹は空洞になっていて向こう側が見える。甲州街道を歩いたときに見た矢立の杉を思い出す。この杉は特別天然記念物に指定されている。
見ていると色々な形をした杉が並んでいる。一本の根から4本の幹が出ているものもある。その一本一本に歴史を感じる。もう今後こういう杉並木を作ることは非常に困難だろう。大切にしなければいけない遺産だと思う。
16時02分、ようやく今市宿に着く。ここも遺構はない。
大沢宿から2時間7分、12179歩(約7.0Km)。
今日の宿はすぐ近くだったので助かった。もうこれ以上は歩けない。昨年からこれまで随分歩いてきたが、今回ほどひどいことはなかった。今年三街道(東海道、甲州街道、中山道)を歩いた靴がかなり傷んでいたので、今回同じメーカーの同じ型式の靴を購入し、ある程度履き慣らしてきたつもりだったが、これほどひどくなろうとは。。。全く参った!今日は当初の予定では日光鉢石まで一気に歩くつもりでいたのだが、日光では宿が取れなくてやむを得ず今市泊まりにしたが、これは大正解だった。もう限界だった。
本日の歩数 46454歩(約27.9Km)
本日の歩行時間 8時間50分
7時15分に出発する。雨が少しぱらついている。今日の予報は雨。何とかひどくならないように祈りながら出発したが、結果としてたいしたことはなくありがたかった。
奥州街道との追分を過ぎると間もなく下戸祭の一里塚があるはずなのだが、遺構は何も残っておらず場所の特定はできなかった。119号線に沿って歩く。細谷の歩道橋あたりから並木が道の両側に立っていて、歩道は並木の外側を歩くようになっているので歩きやすい。桜や杉、それ以外の木も混じっているが立派な並木通りだ。
上戸祭一里塚がある。ここは両塚残っており日本橋から28里目だ。
将軍が日光へ参拝するときに休息所となった「光明寺」がある。門を入るといきなりご詠歌がテープから流れてきた。センサーを設置しているようだがちょっと驚いた。境内にはビルマの鐘というものがあり、この鐘を打って戦没精霊に感謝し、ご冥福と世界平和を祈念しましょうと書かれている。すぐ横にはぼけ封じ観音があったので、これにはボケませんようにと気持ちを正して心の中で手を合わせた。それにしても守備範囲の広いお寺だ。
高谷林一里塚を通る。ここは両塚ともに残っている。日本橋から29里目の一里塚だ。
並木道が続いている。誰もいない。柿の実が色づき始めており、栗の実が道沿いに数多く落ちている。並木の中にイチョウの木が混じっていて、銀杏が道路一杯に落ちている。秋を感じさせるなぁ。
りんごの直販店があったので入っていき、一個だけ買った。ここでしばらくお店の方と話をして出かけようとすると、もう一個おまけにくれたのでありがたく頂き、かぶりつきながら歩く。りんごはカバンに入れると重いが、おなかに入れると重さを感じないから不思議だ、などと考えながら歩く。
このあたりには18軒のりんご農家があり、20町歩のリンゴ園を持っているということだった。
徳次郎宿を通る。この宿は下徳次郎、中徳次郎、上徳次郎という三宿で一宿をなし、一ヶ月の上10日を中、中10日を上、下10日を下徳次郎宿が各々担当したということだ。
ここは本陣の遺構はなく、「神社入口」「田中道」と刻まれた田中道道標があったのでここでカウントする。
徳次郎宿。10時02分。
宇都宮宿から2時間42分、16291歩(約10.7Km)。
「知賀都神社」がある。ここには入口に樹齢700年という二本の大きな欅が立っている。「長寿の夫婦ケヤキ」と命名をされており、昭和29年に県の天然記念物に指定をされている。ここで写真を撮ったり、説明書きを読んだりしていると、一人のお年寄りが寄ってこられて色々と説明をしてくれた。この方は近くにある「高齢者ケアセンター」に入居されていて、散歩の途中ということだった。
しばらく行くと旧道は車道の横、少し小高くなっているところを歩く。道の横にはりんご畑があり、色づいたりんごが一杯なっていた。
石那田の一里塚がある。日本橋から30里のここは片方の塚が残っており、きれいに整備されていた。
「お願い地蔵」がある。赤い布を巻きつけて座っており、前に三つの石が置いてある。この石仏は享保15年(1730年)八代将軍吉宗公の時代に疫病が流行したため、この石仏が作られたそうで、身体の悪い箇所と石仏の同じ箇所に赤い布をまくと回復するといわれた、ということで現在も赤い布でくるまれている。
また願をかけて石仏の前に置かれた三つの石のうちの一つを持ち上げ、それが軽ければ願いが叶うともいわれているそうなので、早速私も挑戦した。さてまず願い事を、と思うのだがこれが出てこない。色々と考えたが出てこないので、とりあえず奥州街道を無事踏破できますようにと祈って、一番重そうな真ん中の石を持ち上げてみると、簡単に持ち上がった。ただこれが軽いといえるのかどうかは判断に苦しむ。まぁ持ち上がったから良しとしよう。それにしても引退をした後は願い事がないという現実を改めて突きつけられた感じだ。もっともこれを幸せと理解している自分がいる。
結局今回足の痛みに耐えながら無事仙台まで歩きとおすことができたのは、この石仏のお陰かもしれない。
ここから少し行ったところに上小池の一里塚があるはずなのだが見つからない。道に面した家に人の顔が見えたので、声を掛けて聞いてみるとわざわざ玄関から出てこられて、昔は表示板があったが、今ではそれもなくなっており、よくわからないと返事をしてくれた。今回の道中で何回も感じたことなのだが、こちらから聞いたことに対して皆さんとても親切に対応していただいた。東北の方の人間性というものだろう。
「杉並木寄進碑」がある。松平正綱、信綱親子が二十数年かけて寄進をしたそうで、ここから今市まで杉並木が続く。歴史を感じさせる巨木がずらりと並んで立っている。
並木道を一旦でて大沢宿へ入る手前、信号大沢のところで又失敗をしてしまった。五叉路になっていて道を間違えてしまい、進行方向に向かって左側の道に進んでしまったのだ。どうもおかしいのでちょうどあったコンビニに入って道を聞くと、やはり間違っていた。歩いていた道はバイパスへ向かう道だったようだ。 マメができて痛む足を引きずりながら来た道を引き返す情けなさ、もう最悪だった。しかもこの少し前から両足のかかと部分に新しくマメができていて、これがとても痛い。両足の小指と親指にもできているので、足の前と後ろにマメができているわけで、歩くのが大変だ。小指や親指という足の前の部分と後ろのかかと、どちらがより痛いか試してみると、新しくできたかかとのマメのほうが小指や親指のマメよりもはるかに痛い。そのため今市までの約10km弱かかとを浮かしてつま先で歩いたが、これはかなりきつかった!
大沢宿も遺構はないので王子神社のあたりでカウントする。
13時55分。徳次郎宿から3時間53分、17534歩(約10.1Km)。
ここから先に水無の一里塚があるはずだが、これもわからない。通りかかった人に聞いてみたがわからないということだった。
「七本桜の一里塚」がある。右側の大きな杉の幹は空洞になっていて向こう側が見える。甲州街道を歩いたときに見た矢立の杉を思い出す。この杉は特別天然記念物に指定されている。
見ていると色々な形をした杉が並んでいる。一本の根から4本の幹が出ているものもある。その一本一本に歴史を感じる。もう今後こういう杉並木を作ることは非常に困難だろう。大切にしなければいけない遺産だと思う。
16時02分、ようやく今市宿に着く。ここも遺構はない。
大沢宿から2時間7分、12179歩(約7.0Km)。
今日の宿はすぐ近くだったので助かった。もうこれ以上は歩けない。昨年からこれまで随分歩いてきたが、今回ほどひどいことはなかった。今年三街道(東海道、甲州街道、中山道)を歩いた靴がかなり傷んでいたので、今回同じメーカーの同じ型式の靴を購入し、ある程度履き慣らしてきたつもりだったが、これほどひどくなろうとは。。。全く参った!今日は当初の予定では日光鉢石まで一気に歩くつもりでいたのだが、日光では宿が取れなくてやむを得ず今市泊まりにしたが、これは大正解だった。もう限界だった。
本日の歩数 46454歩(約27.9Km)
本日の歩行時間 8時間50分
旅の地図
記録
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2007年10月04日(木)
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2007年10月05日(金)
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2007年10月06日(土)
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2007年10月07日(日)
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2007年10月08日(月)
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2007年10月09日(火)
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2007年10月10日(水)
プロフィール
歩人
かっちゃん