2007年05月25日(金)
細久手~御嶽~伏見~美濃太田
雨
今回の旅は天候に恵まれ、これまで雨にあったのは5月17日一日のみ、それも半日ほど降って午後には上がったため、今日のように終日雨は初めてのことだ。
7時35分に出発するとすぐに山の中に入る。細久手の町は小さい。鴨之巣の一里塚の前を通る。ここは両塚が残っているのだが、左右の場所がずれていてちょっとめずらしい一里塚だ。江戸より九十三里目、京へ四十一里の場所だ。晴れているときは鈴鹿山系や伊吹山、北アルプスが一望できるそうだが、あいにくの雨で全く視界が利かない。
雨の中、山の中をひたすら歩く。当然のことながら誰にも会わない。静寂。ただ標識だけはしっかり立てられており道に迷うことはなかった。歩きながら思ったのだが、雨のときに国道を歩くときに比べれば山の中を歩くほうがはるかにいい。水しぶきを上げて疾走する車には閉口するし、歩道のないところでは傘が車に引っ掛けられそうになって大変な思いをすることを考えれば、山の中のほうがはるかに歩きやすかった。これはこの後、早速経験することになる。
一時間ほど歩くと間の宿である津橋に着く。ここも山間の小さな集落である。一呑の清水という場所がある。和宮が通行したとき、野立てに使用された清水ということだが、今では「生水は飲用しないでください」と書かれた看板がかかっていた。
耳神社というものがある。耳の病気の守り神という珍しい神社で年齢の数だけ錐を簾にして奉納するといいといわれており、多数の錐が奉納されていた。幸いにして私は今のところ耳に問題はないため、お参りだけして先を急ぐ。
謡坂という石畳の坂がある。余りに急坂のため、自らを元気づけるために唄を歌ったところから名づけられたと説明がなされていた。ここは石畳になっており謡坂石畳とよばれている。私が歩いている方向は下り坂なのだが、京から来た人たちにとっては上り坂になるのだ。
更に進むと牛の鼻かけ坂というものがある。牛も坂に鼻をこすりつけるほど急坂ということからこの名前がつけられたと説明がなされている。このような名称とその由来が色々なところに記されており、それを読んでいくととても面白い。
9時40分この牛の鼻かけ坂が終わると、あとは平坦な道が続く。京から来た場合は逆でこの坂を起点としてこれから山間部へ入っていくことになるのだ。
平地へでて国道を歩き始めたとたん車の水しぶきの洗礼を受けた。あ~、やはり山の中がいい。
10時30分御嶽本陣跡を通る。
細久手宿から2時間55分、18114歩。
昨日フィルムを使い切ってしまったため、ここまで全く写真を撮ることができなかったが、御嶽宿にはどこかにカメラを売っているところがあるだろうと思って、近くにあった本屋さんに入って聞いたところ、かなり高齢の方だったが非常に的確に、そして親切に地図まで書いて教えてくれたのでありがたかった。
カメラ屋さんは本陣から少し行った中山道沿いにあったのでそこまで行って、今度は二つ購入する。三つ買っておこうか迷ったが、木曽路を抜けたのでこれから先にはカメラ屋さんがありそうだったし、わずかとはいえ荷物は少ないほうがいい。それにデジカメが修理できれば使うこともないので、とりあえず二つにしておく。ここで本陣まで戻って写真を撮って再び歩き始める。
道はほとんどが国道。やはり山の中のほうがいいなぁなどと独り言を言いながら雨の中を歩く。
11時50分伏見宿本陣跡を通る。
御嶽宿から1時間20分、7790歩。
ここは本陣の碑があり、その横に領界碑も立っていた。
雨は依然として降り続いている。どこかで昼食を食べようと思うが店がない。本陣跡から少し行ったところにパン屋さんがあり、その軒下の雨がかからないところにベンチが置いてあったのでパンを買いそこで食べる。食べ終わってそこから少し歩いたところにラーメン屋さんやカレー店が並んであり、ここでもよかったと思ったがもう後の祭りだった。
ここから後も国道を歩いていくと太田橋に来る。木曽川にかかる橋だが、この橋には歩道がない。大体の傾向として歩道のない橋はなぜか橋にいたる道の道路幅より少し狭くなっているような感じがする。この太田橋もまさにそうですぐ横を車が通るたびにヒヤヒヤした。ようやく渡りきって太田の渡し場跡へ行ってみる。昔は「木曾の桟、太田の渡し、碓氷峠がなくばいい」といわれたほどの難所だったそうで、確かに現在でも木曽川はこのあたりになると流量も増えとうとうと流れている。これを渡るのは大変だっただろうと思った。
14時丁度に太田宿本陣跡に到着する。
伏見宿から2時間10分、10849歩。
ここは翌朝ここからスタートしたときに天気が回復していたので再度写真を取り直す。
ここから美濃太田駅近くのホテルに入る。今日はこのあと犬山城へ行く予定にしているのだ。犬山城は国宝として有名、折角この近くにあるので当初から予定に入れており、そのため今日は歩く距離を短くしておいたのだ。ここまでは予定通りに来ることができたのだが、この後が想定外だった。
JRの美濃太田駅から鵜沼駅までは電車の本数が少なくかなり待たなければいけない。ホテルの人に聞くと名鉄の日本ライン今渡駅から比較的多くの電車が出ており、名鉄の駅はJRの駅より犬山城に近いといわれてその、方法で行くことにする。ホテルからタクシーで名鉄の駅まで行くが来た電車は犬山城へは乗換えが必要といわれ、犬山駅で一度下り、そこから乗り換えて犬山遊園駅まで電車に乗る。そんなこんなでかなり時間がかかってしまい、犬山城に着いたときはもう夕方。大急ぎで城に登ってみる。
犬山城は規模はそれほど大きくない城だが国宝であり、個人の所有物ということでも有名だ。
天守閣からは雨に煙る木曽川を眼下に望むことができる。天気がよければ遠くまで望むことができて更に良かったと思われるがあいにくの雨で眺望はきかなかったが、それでも景色は素晴らしい。
城はゆっくりみるとそれなりに特徴があっていいのだろうが、時間がなく落ち着いて見物することができなかった。そのためこれまでに見てきた各地のお城とあまり大差がないように思ってしまった。
帰りは城から鵜沼までタクシーで出る。
車中で運転手さんに犬山城は見物客が多いでしょうと聞くと、最近はそれほど多くないという答えが返ってきた。JRで鵜沼駅から美濃太田駅まで帰ったが、このときは都合よく電車があったのでたいした時間はかからず、17時過ぎにはホテルに着いた。
本日の歩行時間 6時間25分(太田宿まで、犬山城見物は除く)
本日の歩数&距離 36753歩(25km)
今回の旅は天候に恵まれ、これまで雨にあったのは5月17日一日のみ、それも半日ほど降って午後には上がったため、今日のように終日雨は初めてのことだ。
7時35分に出発するとすぐに山の中に入る。細久手の町は小さい。鴨之巣の一里塚の前を通る。ここは両塚が残っているのだが、左右の場所がずれていてちょっとめずらしい一里塚だ。江戸より九十三里目、京へ四十一里の場所だ。晴れているときは鈴鹿山系や伊吹山、北アルプスが一望できるそうだが、あいにくの雨で全く視界が利かない。
雨の中、山の中をひたすら歩く。当然のことながら誰にも会わない。静寂。ただ標識だけはしっかり立てられており道に迷うことはなかった。歩きながら思ったのだが、雨のときに国道を歩くときに比べれば山の中を歩くほうがはるかにいい。水しぶきを上げて疾走する車には閉口するし、歩道のないところでは傘が車に引っ掛けられそうになって大変な思いをすることを考えれば、山の中のほうがはるかに歩きやすかった。これはこの後、早速経験することになる。
一時間ほど歩くと間の宿である津橋に着く。ここも山間の小さな集落である。一呑の清水という場所がある。和宮が通行したとき、野立てに使用された清水ということだが、今では「生水は飲用しないでください」と書かれた看板がかかっていた。
耳神社というものがある。耳の病気の守り神という珍しい神社で年齢の数だけ錐を簾にして奉納するといいといわれており、多数の錐が奉納されていた。幸いにして私は今のところ耳に問題はないため、お参りだけして先を急ぐ。
謡坂という石畳の坂がある。余りに急坂のため、自らを元気づけるために唄を歌ったところから名づけられたと説明がなされていた。ここは石畳になっており謡坂石畳とよばれている。私が歩いている方向は下り坂なのだが、京から来た人たちにとっては上り坂になるのだ。
更に進むと牛の鼻かけ坂というものがある。牛も坂に鼻をこすりつけるほど急坂ということからこの名前がつけられたと説明がなされている。このような名称とその由来が色々なところに記されており、それを読んでいくととても面白い。
9時40分この牛の鼻かけ坂が終わると、あとは平坦な道が続く。京から来た場合は逆でこの坂を起点としてこれから山間部へ入っていくことになるのだ。
平地へでて国道を歩き始めたとたん車の水しぶきの洗礼を受けた。あ~、やはり山の中がいい。
10時30分御嶽本陣跡を通る。
細久手宿から2時間55分、18114歩。
昨日フィルムを使い切ってしまったため、ここまで全く写真を撮ることができなかったが、御嶽宿にはどこかにカメラを売っているところがあるだろうと思って、近くにあった本屋さんに入って聞いたところ、かなり高齢の方だったが非常に的確に、そして親切に地図まで書いて教えてくれたのでありがたかった。
カメラ屋さんは本陣から少し行った中山道沿いにあったのでそこまで行って、今度は二つ購入する。三つ買っておこうか迷ったが、木曽路を抜けたのでこれから先にはカメラ屋さんがありそうだったし、わずかとはいえ荷物は少ないほうがいい。それにデジカメが修理できれば使うこともないので、とりあえず二つにしておく。ここで本陣まで戻って写真を撮って再び歩き始める。
道はほとんどが国道。やはり山の中のほうがいいなぁなどと独り言を言いながら雨の中を歩く。
11時50分伏見宿本陣跡を通る。
御嶽宿から1時間20分、7790歩。
ここは本陣の碑があり、その横に領界碑も立っていた。
雨は依然として降り続いている。どこかで昼食を食べようと思うが店がない。本陣跡から少し行ったところにパン屋さんがあり、その軒下の雨がかからないところにベンチが置いてあったのでパンを買いそこで食べる。食べ終わってそこから少し歩いたところにラーメン屋さんやカレー店が並んであり、ここでもよかったと思ったがもう後の祭りだった。
ここから後も国道を歩いていくと太田橋に来る。木曽川にかかる橋だが、この橋には歩道がない。大体の傾向として歩道のない橋はなぜか橋にいたる道の道路幅より少し狭くなっているような感じがする。この太田橋もまさにそうですぐ横を車が通るたびにヒヤヒヤした。ようやく渡りきって太田の渡し場跡へ行ってみる。昔は「木曾の桟、太田の渡し、碓氷峠がなくばいい」といわれたほどの難所だったそうで、確かに現在でも木曽川はこのあたりになると流量も増えとうとうと流れている。これを渡るのは大変だっただろうと思った。
14時丁度に太田宿本陣跡に到着する。
伏見宿から2時間10分、10849歩。
ここは翌朝ここからスタートしたときに天気が回復していたので再度写真を取り直す。
ここから美濃太田駅近くのホテルに入る。今日はこのあと犬山城へ行く予定にしているのだ。犬山城は国宝として有名、折角この近くにあるので当初から予定に入れており、そのため今日は歩く距離を短くしておいたのだ。ここまでは予定通りに来ることができたのだが、この後が想定外だった。
JRの美濃太田駅から鵜沼駅までは電車の本数が少なくかなり待たなければいけない。ホテルの人に聞くと名鉄の日本ライン今渡駅から比較的多くの電車が出ており、名鉄の駅はJRの駅より犬山城に近いといわれてその、方法で行くことにする。ホテルからタクシーで名鉄の駅まで行くが来た電車は犬山城へは乗換えが必要といわれ、犬山駅で一度下り、そこから乗り換えて犬山遊園駅まで電車に乗る。そんなこんなでかなり時間がかかってしまい、犬山城に着いたときはもう夕方。大急ぎで城に登ってみる。
犬山城は規模はそれほど大きくない城だが国宝であり、個人の所有物ということでも有名だ。
天守閣からは雨に煙る木曽川を眼下に望むことができる。天気がよければ遠くまで望むことができて更に良かったと思われるがあいにくの雨で眺望はきかなかったが、それでも景色は素晴らしい。
城はゆっくりみるとそれなりに特徴があっていいのだろうが、時間がなく落ち着いて見物することができなかった。そのためこれまでに見てきた各地のお城とあまり大差がないように思ってしまった。
帰りは城から鵜沼までタクシーで出る。
車中で運転手さんに犬山城は見物客が多いでしょうと聞くと、最近はそれほど多くないという答えが返ってきた。JRで鵜沼駅から美濃太田駅まで帰ったが、このときは都合よく電車があったのでたいした時間はかからず、17時過ぎにはホテルに着いた。
本日の歩行時間 6時間25分(太田宿まで、犬山城見物は除く)
本日の歩数&距離 36753歩(25km)
旅の地図
記録
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2007年05月11日(金)
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2007年05月12日(土)
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2007年05月13日(日)
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2007年05月14日(月)
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2007年05月15日(火)
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2007年05月16日(水)
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2007年05月17日(木)
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2007年05月18日(金)
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2007年05月19日(土)
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2007年05月20日(日)
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2007年05月21日(月)
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2007年05月22日(火)
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2007年05月23日(水)
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2007年05月24日(木)
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2007年05月25日(金)
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2007年05月26日(土)
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2007年05月27日(日)
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2007年05月28日(月)
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2007年05月29日(火)
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2007年05月30日(水)
プロフィール
歩人
かっちゃん