中山道を歩く

2007年05月11日(金) ~2007年05月30日(水)
総歩数:840178歩 総距離:571km

2007年05月21日(月)

JR奈良井駅~JR贄川駅~奈良井~薮原~宮ノ越~福島

                                    晴れ

 朝から突き抜けるような青空だ。空気はヒンヤリしていて肌寒いが今日も気持ちよく歩けそうだ。ありがたい。
 7時22分JR奈良井駅から贄川駅に向かい7時35分に到着する。昨日来たところだ。ここでカメラの電池の残量が少なくなっていることに気がつく。昨日充電しておけばよかったと悔やんでも後の祭りだ。どうすることもできないのでとりあえずできる限り写真を撮らないようにして歩く。
 贄川宿は昨日の祭りの片付けも終わり、朝早いこともあって閑散としていた。
 ここから少し行くと樹齢1000年という大きな栃の木がありこれを右手に見て進む。
 桃岡橋で奈良井川を渡って行くと左手に木曾くらしの工芸館があり、木曾漆器の看板が目に付く。もっともこれらは私にとっては猫に小判の類のもの。およそ畑違いの無関心の分野だ。
 やがて奈良井宿に着く。ここで昨日泊まった宿に行き、とりあえず30分ほど充電をさせてもらう。これで今日一日はなんとか持つだろう。充電をしている間に奈良井宿の中を歩く。ここは昔のままのたたずまいを残しており、電柱もない。東海道の関宿と雰囲気がよく似ている通りだ。ここも関宿と同様に国の重要伝統的建造物保存地区に指定されている。
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贄川から奈良井、どちらも山の中だ。奈良井の標高は926mと宿の人が言われていた。
 9時22分奈良井宿本陣跡に来る。
 贄川宿から1時間47分12547歩。
 本陣跡といっても昨年(2006年)7月の集中豪雨で全て流されたそうで今では標識も何も残っていない。この集中豪雨は相当にひどかったそうで、かなりの被害をこの地方にもたらしたそうだ。ニュースでも随分とりあげられたそうだが、どうにも記憶がない。どうして記憶がないのだろうと思ったが、考えてみるとその頃は丁度四国を歩いているときで、世間から隔絶された生活を送っていたので、そのニュースに気がつかなかったのだということがわかった。
 30分の充電を終え、宿の方にお礼を言って出発する。
 やがて鳥居峠に差し掛かる。最初は石畳の道でそれほど急な坂ではなかったが、やがてそれも終わり、急な上り道になってくる。宿で聞いた集中豪雨の影響だろう、山がかなり荒れている。左側が沢になっているのだが、激しくえぐられた跡があり、沢にかかる橋もかなり流失したようで仮橋が架けられていたり、橋は残っていてもその真ん中に穴が開いているなど相当にひどかった様子が覗われる。注意を払いながら歩く。
 やがて鳥居峠に着く。標高1197mとなっており、ここから奈良井宿が良く見える。谷間に肩を寄せ合うようにして集落が集まっており木曽路特有の山の中の宿場だ。
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 ここから少し下ると道が三本に分かれており、そこに熊除けの鐘が置かれている。
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 そこには
  ・熊も人が怖いので鐘で知らせてあげましょう。
  ・熊は歩道に出るのは極めてまれですが念には念を
  ・互いにゴミ、火気に気配りし自然を守り育てましょう
と書かれた看板が立っていた。
 私も熊にはできれば出会いたくないので思い切り鐘を打ち鳴らす。カンカンカンというけたたましい音が周囲に鳴り響く。ひとしきり鳴らした後、歩き始める。鐘まで設置しているのは中山道でもここだけだ。よほど熊が良く出る場所なのだろうか?
 三本に分かれている道の真ん中の道を進むと、もう一カ所同じように鐘がおいてある場所があったのでもう一度ここでも鐘を打ちならず。
 これだけ鳴らせば十分だろう。
 右手に鳥居があり入っていくと「御嶽山遥拝所」があった。今日は見事に晴れ上がっているので3063mの御嶽山の雪を被っている山頂部分がきれいに見えた。
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 元に戻ってくると男女2名づつのグループがいた。薮原から登ってきたという。御嶽山がきれいに見えますよといって別れたが、その後、薮原のほうに下っていく道では御嶽山がきれいに見える場所が何度もあった。
 あの4名に方たちは、ここに登って来るまでにもう十分御嶽山を見ながら登ってこられたのだと、ここで初めて気がついた。
 山を下っていく途中にも熊対策の鐘があった。
 山を降りたところが薮原宿。本陣跡はなかったが木曽路最古といわれる旅籠米屋があったのでここでカウントする。
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 11時29分に到着。
 奈良井宿から2時間7分、10068歩。
 少し早かったがここで昼食にする。清水屋という道から少し入ったところにある店で中華そばを食べたが、自家製の麺を使っているそうで、大盛を注文したこともあって量も多、く味もサイコーでした。食べながらご夫婦と話をしたが、お二人ともいい方でとても気持ちのいいお店だった。
 奈良井宿でもそうだったが、薮原宿でもいたるところに湧き水が出ており、そのどれもが飲用。飲んでみたが冷たくておいしかった。木曾の山々で純粋醸造されたミネラルウオーターなのだ。
 薮原を出ると道は相変わらずの山の中。前方に木曾連峰が雪をかぶった頂上を覗かせており、すぐ下には木曽川が流れている。山々は新緑に包まれており、なんとも旅情をかきたてる風景だ。
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 宮ノ越宿に入る手前でこれも木曽川なのだが、「巴淵」と呼ばれるところがあった。木曾義仲の養父中原兼遠の娘だった巴御前はこの淵に住む竜神の化身という伝説があったと説明書きにあった。木曾は義仲に関係することが数多く残っている。それだけ愛着を持たれていたのだろう。
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 13時56分宮ノ越本陣跡を通る。
 薮原宿から2時間27分、11373歩。
ここにも「明治天皇御小休之跡碑」が立っていた。
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 14時54分中山道中間点の表示板の前を通る。ようやく半分なのか、もう半分きたのか。いずれにしてもこれから後半戦だ。P5210330-1
 このあたりは左手に雪をかぶった木曾駒ケ岳、中央アルプスが良く見える。なかなか壮観である。私は富士山こそ登ったが、基本的に登山はしない。でもこんな風景を見ると山にも登ってみたいなと思う。
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 福島宿の入口に復元された関所がある。当時は箱根、新居、碓氷、そしてこの福島を四大関所といっていた。
 中山道では重要な拠点であり、「夜明け前」でも青山半蔵が馬籠宿から福島宿まで公務で往復している様子が描かれている。ここもやはり谷間にできた町である。
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 この関所を通って更に進むと福島宿に入るのだが、ここも本陣の場所を示すものが残っていない。
 そのため木曽福島町役場の前でカウントする。16時07分
 宮ノ越宿から2時間11分、12029歩。
 今日の宿は木曾福島駅のすぐ近く。他の方のHPで駅の近くに観光案内所があり、そこにあるこの地区の案内書がとてもよくできていると書かれていたので立ち寄ってみる。駅の道路をはさんだ反対側に案内所はあり、これから南へ下るというと「福島宿より南へ、妻籠宿まで」と「中山道妻籠宿より馬籠を越えて」という二冊の手書きの冊子をくれた。とても細かく書かれており、わかりやすい。明日早速使わせてもらうことにする。
 宿は明日から改修工事をするということで朝食がない。そのため近くのスーパーに買い物に出たりして部屋に落ち着いたのは16時40分だった。

本日の歩行時間  8時間35分
本日の歩数&距離 49126歩(約33.4km)

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